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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 スタジオを出るとすぐに、携帯に電話がかかって来た。画面を見るとミリアからである。

 「お見舞い行こ、おっ見舞いー!」電話の向こうでミリアが盛んに声を張り上げている。

 「今レッスン終わったから。今から帰る。待ってろ。」

 「お花買って来てー。ぴかぴかの夜景ぐらいに綺麗なの。」

 「あ、ああ、そうか。」見舞いといえば、花。すっかり失念していた。それよりもジュンヤが入院をしてしまったという事実と、そこにミリアを連れて行くという大胆なる計画に全神経が費やされていたのである。

 「ミリアね、クッキー焼いたの。ほら、こんないい匂い。」と、嗅げもしない匂いを自慢する。

 「マジか。……でもジュンヤさん、食えるかどうかわかんねえぞ。入院してんだから、食事制限とかあんじゃねえの。」

 「そうか。……ああん、どうしよう。」ミリアは困惑の声を上げる。

 「どうしようっつってもなあ。」

 ミリアに出来ることといえば料理であり、それをもって少しでもジュンヤを力づけてやりたいと思ったのであろう。それを思えば正面切って批判することも忍びなく、「ま、一応持って行って、食えねえっつったら持って帰ってくりゃあいいじゃん。」と言った。

 「そうよね、うん、そうする。……そんでね、これ二人分あんの。誰のと思う?」

 「俺の?」

 「違う。」即答されてリョウは顔を顰めた。

 「おじちゃんの!」

 「おじちゃん? ……ああ、床屋のおやっさんか!」

 「そうなの! おじちゃんにもねクッキー焼いたの。だからおじちゃん所も寄ろう! おじちゃんにもリョウが元気にしてますよって言いにいかないと!」

 「そうか。そりゃいいな。」リョウは口の端に微笑みを浮かべる。あの、温厚な笑みを浮かべた懐かしき主人の顔が思い浮かぶ。

 「ね、じゃあ、早く帰って来てね。お花忘れないでね。一等綺麗なやつよ。」

 リョウがあれこれ花屋の店員に説示を賜りながら買った黄色のガーベラの花籠を持って帰宅すると、既にミリアはバッグにクッキーを詰め、リョウの帰りを今か今かと待っていた。

 「まあ、綺麗なお花! ミリアのワンピースとそっくりおんなし!」

 たしかにミリアはお気に入りの黄色のひまわりのワンピースを今日もしっかと着込んでいる。花の種類は違ったが、たしかに色といい形といいよく似ていた。

 「何かよお、鉢植えは『寝付く』でダメで、花束だと花瓶が必要だから面倒っつうんで、入院患者ならそのまま飾っておける、水入りの花籠がいいんじゃねえかって言われてよお。これにした。」

 「素敵! ジュンヤあっという間に元気になっちまうわねえ!」

 「何だよ、なっちまうって。いいのか悪ぃのかわかりゃしねえ。」リョウは苦笑する。

 「そんでこれ見てみて。これはね、アーモンドクッキー。なんかジュンヤ、アーモンドっぽい目してたでしょう。だからアーモンドにしたの。」

 「よくわからねえ理由だなあ。」

 「ええ、ちゃんと見てないの? ジュンヤの目はアーモンド形でとーっても綺麗だったわよう。」ミリアはうっとりと頬を手で包み込みながら言った。

 リョウは慌ててミリアの目を見詰める。言われて見れば、ミリアの目の形もアーモンド形をしているように思われぎくりとした。

 「そ、そうだったかなあ。ま、人の目なんざ大抵アーモンド形じゃねえの。じゃ、あんま遅くなっても失礼だからとっとと行くぞ。ヘルメット持ってこい。」

 「はあい!」

 リョウは花束を抱えたミリアを後部座席に乗せ、病院へとバイクで向かう。自分の検査ではなく、ましてやミリアの見舞でもないということが、ジュンヤには酷く失礼であるのだが心を軽くさせたのは事実である。しかしそれ以前にリョウは、自分がジュンヤの病状含め病名すらも何も聞いていないということに気付いた。それこそ、アーモンドを食べていいのか悪いのかもわからないのである。込み入ったことをメールなどという媒体では聞きづらかったのもあるし、また、正直付き合いの浅いジュンヤがどういう人間であるのかよくわかっていなかったため、何をどこまで聞いたらいいのか、距離感が掴めなかったというのもある。どこかとっつきにくい、人を寄せ付けないような雰囲気を持っているように感じられるのは、ミュージシャンによくあるタイプだからか、それとも了承も得ずに結婚らしき関係を結んでしまったミリアの父親であるからか、リョウにはなんとも判じ難かった。

 「新曲、すっごい素敵だったって言ったげないと。せっかくお友達特別でデータ送ってくれたんだからねえ。」赤信号で止まるや否や、ミリアがあらかじめ考えていたであろうことを一気に宣った。

 「たしかにな。とっとと治して、早く新しいアルバム出して欲しいよな。俺も聴きてえ。」リョウは振り返って、騒音に掻き消されまいと大声で言う。

 ミリアは力強く肯く。

 信号が青へと変わる。

 大通りを走っていくと、見慣れた病院がぐんぐんと近づいてくる。もう夏と言っていいような高く澄み渡った空を眺めながら、ジュンヤも同じ風景を美しいと感じているであろうかとミリアは思った。ミリアはミリアで、ジュンヤが自分やリョウと同じ病院にいるということが、どこか親近感を覚えさせていた。あそこには自分の慕う床屋の主人もいれば、リョウを治してくれた女医もいて、どこか友達の家に遊びに行くような感覚さえあるのだ。それに加え、今やジュンヤが待っていてくれるのだと思うとミリアは不謹慎にも心躍った。どうせそんな重大な病気であるはずがないのだ。あれだけのギターの才があるのだから、と無根拠にも近い自信も相俟って、早くジュンヤに会いたい気持ちでいっぱいだった。


 駐車場にバイクを停めると、ミリアは大切そうに花束を抱き、緑がまろやかな影を落としている歩道を歩き、病院の正面玄関を潜った。受付には多くの患者とその家族と思しき人々が大勢待機していて、ミリアは昨年リョウが入院をしている間、ここを通るたびに泣き出したいような、それでいて己を叱咤してかかるような、二つの気持ちを忙しなく行き来していたことをはっきりと思い出した。

 「何か、ここ来ると入院してた時のこと思い出す。」

 ミリアは驚いてリョウを見上げた。同じ場所で同じ気持ちを共有できていることが、驚きでもあり嬉しくもあった。

 「リョウ、偉かったわね。」

 「偉かった、かあ?」リョウは苦笑しながら、ハリネズミのキーホルダーを片手でチャラチャラと弄ぶ。

 「うん。偉かった。」ミリアはその理由については口にはしないとでもいうように、突然がらりと話題を変え、「おじちゃんいるかな。」と足早に歩み、受付の奥にある床屋を覗き見た。すると床屋のガラス越しに、懐かしき禿頭の老人が眼鏡をかけ、新聞を読んでいる姿が見えた。

 「いたあ! おじちゃーん!」ミリアは駆け出した。

 ばたん、と扉を開けると床屋の主人は驚いて顔を挙げた。

 「元気だったー?」

 「おお、おお! お嬢ちゃんじゃないの! 元気だったよう。お嬢ちゃんも元気そうじゃないの!」主人は老眼鏡を外して、立ち上がりミリアを店内へと迎え入れる。

 「一等元気よ。この通り。」くるり、とミリアはスカートの裾を翻して微笑んだ。

 「今日は? そのお花持って、お見舞い?」

 「そうなの。リョウのお友達が入院しちゃって。」

 「そうかそうか。」老爺は神妙そうに肯いた。そこにリョウが入って来る。「お久しぶりです。」

 「おお、お兄ちゃんも元気そうで。喉の調子はどうだい?」

 「絶好調すよ。」リョウはそう言ってにっと笑った。

 「うん、うん。髪の毛もえらく伸びたもんだ。大したもんだ。」

 エクステ、というハイカラなものは知らないのに相違ない。ミリアはくすくすと笑いを漏らした。

 「そうなの。だってこの間なんて台湾でライブしてきたんだから。台湾って知ってる? お日様ぴかぴかであーっついの!」

 「知ってるよ。」老爺は目を丸くする。「台湾はね、おじさんも行ったことあるよ。古い友達が住んでてね。いい所だ。食べ物も旨い。」

 「そうなのよう。そんで今度はね、アメリカとフランスにも行くの。どんどん世界に出て行かなきゃいけなから、リョウはもうがんやってる暇、ないの。」

 老爺は膝を叩いて笑い出した。「そうかそうか。でも、検査はちゃあんとやらねえとダメだよ。そんで、ご飯もお酒もちゃあんとお医者の言うこと聞いて。」

 「それは絶対大丈夫よう。リョウにはお酒一杯しか飲ませないの。それからご飯もね、ミリアが栄養考えて作るのよう。」

 「ほうほう。そりゃあ立派なお嫁さんだ。」

 「うふふふ。この春からミリア、お料理勉強する大学行ってんの。今は栄養とか覚えてる最中なのよう。」

 「そりゃあ、たまげた!」

 「そうそう、だからね、これ。」そう言ってミリアはバッグからクッキーの包みを取り出す。「おじちゃんのために作ってきたのよう。食べて。」

 主人ははっと息を止め、両手でもってクッキーの詰まった小袋を恭しく受け取った。

 「これね、アーモンドクッキー。好き?」

 「大好物だよ。甘い物は何でも。」

 「良かったあ!」

 「うわあ、ありがとうねえ。美味しそうだなあ。母ちゃんにも持って帰って食わせてやろう。」

 「うん。……じゃあ、そろそろお友達のお見舞いに行かなきゃいけないから。」

 「ああ、行っといで。行っといで。お嬢ちゃんの元気な顔を見せてあげたらきっと喜ぶよ。」

 「うん。」ミリアは肯き、リョウは確かに愛娘の笑顔を見られたら喜ぶであろうと納得し、頭を下げて床屋を出た。

 ミリアは小さくガラス越しに微笑んで手を振り、エレベーターを病室のある七階まで上がっていく。到着したフロアのナースステーションでジュンヤの名を告げると、今から点滴を取り換えに行くという看護師が案内をすると言ってくれた。看護師に続き廊下をどこまでも真っ直ぐに歩いていく。リョウが入院していた六階と作りは同じであった。リョウはあの酷く困難を来した治療を思い出し、にわかに眩暈を覚えた。慌てて思考を振り払い、深呼吸を繰り返す。

 「千葉さん。ご友人が見えられましたよ。」

 気付けば木目調の戸の、明らかに他の病室とは異なる、あたかもホテルの一室のような個室の前にリョウとミリアは到着していた。二人はそっと中を覗き込んだ。

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