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リョウがフロントに進み出で不敵な笑みを浮かべるや否や、即座に落雷の如き音が鳴り響いた。絶望と悲嘆に満ち満ちた世界が一気に構築されていく。
ミリアはその故郷と同じ一種の懐かしさに安堵の溜め息を吐きながら、リフを刻んでいく。相変わらずそれはリョウのそれと全く同質であり、僅かな乱れも見出せない。どこまでもどこまでも突き進んでいく、そうだ。一筋の光も無き世界であっても、この先には世界が待っている。そのことを唐突にミリアは解し、苦しいぐらいに心躍った。
アキの手数の多さに加え、一切の狂いの無いドラミングが世界の土台を構築していく。シュンの攻撃的なベースラインがそこを這いずり回り、彩り、ミリアは華麗なソロをそこに乗せていく。自分たちの生み出す音に、鼓動が高鳴り、背筋がゾクゾクと震え出す。ミリアはリョウの隣に進み出て、上り詰めていくようなフレーズを奏でながら客を煽った。全ての悲叫を切り裂くように、全てを乗り越えて高みへと到達するように、そして最後の音を響かせながら高々とネックを持ってギターを掲げた。その目に、不意に最後方でミリアを必死な程に見詰めていたジュンヤと目が合った。ミリアは微笑み、身を翻し、ソロ後半をリョウに譲っていく。
ジュンヤは唖然としていた。無論目の前で演奏されているのが、今までとんと縁のなかった音楽ジャンルだから、ということではない。ミリアの年齢を超越した表現力、技量、それにひたすら圧倒されていたのである。ミリアが生み出している音が、嘘偽りのない絶望であり、地獄であり、死を冀うことでしかやり過ごせない類のものであることは、すぐに伝わって来た。すなわち、リョウが語ったミリアの幼少時についての出来事が、まったくの事実であったことがはっきりと、認識されたのである。ジュンヤは目を背けたくなった。これが、全く自分とかかわりのないアーティストであったらその表現力を感嘆するのみで済んだであろう。しかしミリアは自分が手放してしまったことで、地獄を味わわせてしまった我が子なのである。そしてその結果、ミリアは普通の十代の女の子にとっては絶対に無縁であるべき、絶望を――知るに至った。ジュンヤは思わず顔を覆って俯いた。
曲はどんどんと進んで行く。しかし次第にジュンヤは絶望が絶望だけに終始していないことに気付き始める。如何に完璧に思える絶望であっても、それは確実に乗り越えられ、その時、あたかも大切なもの、必然の経験であるかのように、再び描き出されていくのである。ジュンヤは胸を震わせながらそれに聴き入った。決して恨みつらみではない、ミリアの歓喜。成長。強さ。自分のような非力な存在でも立ち上がれたのだから、人間誰しも絶望から這い上がる術は無限にある、そうはっきりと胸を張り言い切っている姿にジュンヤはいてもたってもいられぬ程の感動を覚えた。だから当初一方的に抱いていた悲嘆は、罪悪感は、苦悩、後悔は、あたかも浄化するように全てジュンヤの中から消し去られて行った。
ライブが終わるや否や、客席に飛び込んできたミリアを観客たちは喜びと驚きの綯交ぜになった歓声で迎えた。「ああ、ミリアちゃん!」「ミリア!」口々に呼ばれる中を一目散に駆けて行く。
「ジュンヤー!」
そう呼び止められ、今、まさに後方の扉から出ようとしていたジュンヤは驚いて振り返った。
「いた、いたあ!」
ミリアは満面の笑みで駆け寄って来る。
「来てくれたのね。ねえ、ねえ、デスメタルかっこいいでしょう? リョウの曲って素晴らしいでしょう?」
ジュンヤは頬を紅潮させながら、「もちろんです。それに、ミリアさんのギター……。」と唇を震わせながら口籠った。何と言ったらいいのかわからなかった。単純に素晴らしかった、そんな無責任なことも言われないのである。
「ミリアのギター?」
「……ええ。」ジュンヤは泣きそうな顔をしながらしばし考え込み、そして、「リョウさんと同じ音ですね。」と呟いた。
「そうなの!」ミリアは手をぱちんと叩く。「リョウに教わったんだもの。リョウがこう弾けって言うの、その通りに弾くし、それからミリアとリョウはおんなし風に育ったの。おんなし辛い経験……、だからおんなし音になんの。」辛かった思い出などを語っているようにはとても思えぬ程、嬉し気に言った。ジュンヤはそれですとんと腑に落ち、安堵した。
「ミリアさんは、リョウさんを……?」
「うん。世界一大好きよ。結婚してんの。」ほら、とミリアは左手薬指にはめられた小さなダイヤの指輪を見せ付けた。ジュンヤは口を半開きにしながらまじまじと見つめた。「そう、……だったんですか。」
ミリアを身を捩って照れ笑いを浮かべる。
「あ、ジュンヤさん。」リョウもミリアの後を追って客席へと出て来る。盛んに声を掛けられるのを、ちょっとだけ待っててと断りジュンヤの前に辿り着く。「やかましかったでしょう。耳、大丈夫っすか。」
「いやいや、驚きました。ミリアさんとあなたの音がそっくり同一で、ツインギターとしての本領を聴かせて頂きましたよ。ミリアさんと結婚……してらしたんですね。」ジュンヤは微笑を浮かべながら言った。ミリアは再びぐい、と左拳をジュンヤに向かって突き出す。
リョウは気まずそうに、「否、違うんすよ。否、違わねえけど、違うの。……その、戸籍上は兄妹だからさ、結婚はできねえし、まあ、でも、結婚式は、挙げた、の、かな……。」とどもりながら呟いた。
「結婚式挙げたの。ミリアがリョウをだまし討ちして。」
「だまし討ち?」
「そう。ミリアがモデルのお仕事で式場の花嫁さん役をすることになったの。そんで都合いいから、リョウにお迎え来てって言って呼びつけて、そのまんま結婚式挙げたの。」
ジュンヤは目を剥いた。
「まあ、そういう感じの結婚なんすよ。」リョウが救いを求めるように言った。「だから正式なモンじゃあないんで。」今更父親に向かい、ミリアさんを僕に下さいと頭を下げなければならないのかと思うと、何だかリョウは気恥ずかしくてならなくなる。「済まん。」リョウは訳も解らず、ジュンヤの耳元でそう囁いた。
「ねえ、また来てくれる?」ミリアが無邪気に問いかける。
「え? ええ。もちろん。」
「ミリアもジュンヤのライブ、行くから。」
行くのか、と咄嗟にリョウは身構えた。
「ミリアさん、その方って……。」固唾をのんで会話を聞き入っていた精鋭の一人が、恐る恐る尋ねた。
「うん。この人、ジャズギタリストのジュンヤ。すんっごいギター弾くの。リョウが勉強してんの。」
精鋭たちは、特にその最後の一言に感服する。かの、日本のデスメタル界を牽引するギタリストが学んでいるというだけで、今までのただの痩せた中年男性はとてつもない偉人に名を変えたのである。
「とんでもない。人よりも長く弾いているだけで、本当にそれだけなんです。」
「そんなことないのよう。あのね、繊細で優しいの。」それは無論音について言ったことであるが、そのままこの人格にも当てはまるような気がしてリョウは肯いた。
「じゃあ、またね、リョウが連絡するからそしたら連絡ちょうだいね。これからもリョウの友達で、いてね。」過保護な母親のような口を利き、ミリアは寂し気に手を振る。ジュンヤも同じように寂しげにミリアを見詰め、小さく頭を下げ「ありがとうございました。」とリョウに告げると、そのまま階段を上がっていった。
「……今の方、リョウさんの友達なんすか。」
リョウは暫し考えて、「あ、ああ。そう。他ジャンルも勉強していかねえとな! 行き詰まっちまうからな! あはははは!」乾いた笑いを発する。
「さすがリョウさんだなあ。色々聴いてんすね。」精鋭は頻りに肯く。
リョウは少し緊張しながら、「ま、でも、実際そんな聴かねえけどな。」とぼそりと付け加えた。
「でもね、ジュンヤはすっごいギター素敵だし、いい曲作るの。この間ライブでやった新曲、ミリアとーっても感動しちゃって、データ送って貰ったんだ。リョウがお友達だから、特別にくれたの。」
「へえ、そうなんすか。」俄かに明らかにされたリョウの交友関係に、精鋭たちは感服する。だから気付かなかった。リョウが何だかジュンヤが去ってからというものの、緊張感から解放され何度も溜め息を吐いたのを。