118
帰宅をするなり、「うふふ、リョウお友達できて良かったわねえ。」ソファに寝転びながらミリアが言った。
「あのな。」リョウは不機嫌そうにシャツのボタンを外していく。「バンドで生きていくっつうのに友達とかいんねえの。そんなの、無駄なの。」
「ええー!」ミリアは不満の声を上げる。
「友達優先させて生きてたら、ギターの練習いつやんだ。作曲はどうすんだ。……ったくよお。」
「そんなことないわよう。こっからここまで練習、こっからここまで遊びって、ちゃんと決めれば大丈夫じゃないのよう。」
「面倒臭ぇ。だったら最初からいらねえんだよ。無駄、無駄。んな暇潰し。」
「でもジュンヤのギターは勉強になったでしょう?」
リョウは暫く考えて、「……だな。」と肯いた。そこはどう考えても否定できるものではなかった。あの技量。あの表現力。全てが圧倒的であった。「……ほら、ぶつくさ言ってねえでお前も着替えろよ。いつまでそれ着てんだよ。」ジャケットを脱ぎ、シャツを脱ぎ、寝室に入った。
「リョウはギター上手な人とお友達になればいいわよう。そしたら、お友達もできるし、ギターのお勉強もできるし。どっちも大丈夫だもの。」
リョウは隣の部屋でそれもありか、と妙に納得をする。ジュンヤと交友関係を続けていけば音楽の幅が広がり、もしかすると自分の音楽の壁が突破できるのかもしれない、とちらと思う。
ミリアはソファに座ったきり、愛おし気にひまわり柄のワンピースの裾を撫でる。「無駄なんてないんだから。リョウだって今日はオシャレできて良かったでしょう? ちょっとはかっこいいなって思ったでしょう? まったく、オシャレは無駄なんて言って。社長に怒られちゃうわよう。」
まあ、ミリアの懐を痛めて買ったものを無駄とはさすがに言い出せず、リョウは脱いだジャケットだのパンツだのをハンガーに掛けて寝室の壁に下げ、パンツ一丁の姿で一応丁寧にブラシを掛け始める。
ミリアもそれに倣ってひまわり柄ワンピースを脱ぎ、ベッドの天蓋に掛け、うっとりと眺めると部屋着に着替えた。
「ねえねえ、ジュンヤから新曲のデータ来たら、聴かしてね。」
「ああ、そうだな。ま、でも今はまだ打ち上げ中って所だろ。メール来たら言うよ。」
リョウはそう告げ、部屋着でパソコンの前に座り込むと作曲の続きに入った。ミリアも後ろでギターを弾き始める。ふう、と溜め息を吐いたのはやはり本日は疲弊を感じたためである。
リョウはちらとミリアを見遣った。ミリアは特にジュンヤとの邂逅に違和感を覚えている節はない。ジュンヤも一瞬泣きはしたが、どうにか精神の均衡を崩すことなく最後まで友人を演じ切った。思った以上に理性的な人間であるのかもしれない、とリョウは思いなしていた。
「ねえ、ジュンヤとなんでお友達になったの?」
不意に核心を突く質問をされ、リョウは慌て出す。「は? はあ?」
「何で?」ミリアは小首を傾げてリョウを見上げる。
「……そりゃあ、あれだよ。ギタリスト同士は共鳴し合うもんなんだよ。何だよ、はは、お前はそんなこともわかんねえのか。まだまだだな。あははははは。」引き攣った笑みを浮かべながら振り返る。にわかに生じた手の汗をチノパンに擦り付ける。
「そっかあ。じゃあミリアもギタリストだからジュンヤのお友達なれるね。」
リョウは一瞬顔を顰め、「お前さあ、向こうは遥か年上なんだから、せめて『さん』ぐらい付けろよ。ジュンヤさん。ほれ、言ってみろ。」
「ジュンヤさん?」
「そうそう。」
「でも、もうジュンヤって言っちゃってるわよう。今更呼び方変えるの、おかしくなあい?」
「おかしくない。全然おかしくない。今度会った時にはちゃんとジュンヤさんって言え。」リョウは真剣に身を乗り出して言った。
「ふうん。」ミリアはそんなものかと肯いてみせる。
今度、会うのか。とリョウは自らの発言に妙な納得をする。とかく実の娘に呼び捨てされるというのはないだろう、と既にジュンヤ寄りの思考になっていることに我ながら驚きを覚えた。
「ジュンヤさん。ジュンヤさん。……ねえ。」ミリアは練習を始める。「何か変。お口が曲がっちゃう。やっぱジュンヤのがいい……。」
「ダメだ。」
「だってリョウだってリョウだし、ユウヤも、シュンも、アキも。バンドやってる人は『さん』なんて付けないもの。」
「失礼な奴だなあ。年上は敬えよ。じゃあ、練習だ。今日から俺のこと、リョウさんって呼べ。」
ミリアは目を見開いて口をわなわなと開いた。「……リョウ、さん。」
「おお、おお、何か気分いいな。リョウさん。あはははは。」
「リョウ! リョウ! リョウ!」やけになってミリアは拳でソファを叩きながら幾度も叫んだ。「リョウさんなんて変!」ミリアは遂に拗ねてソファにバタンと横たわる。
「……わかったよ。俺のことは好きに呼べよ。ジュンヤさんは、まあ、温厚そうな人だったしなあ。小娘に呼び捨てされても文句は言わなかったけど……。まあ、思い出したらジュンヤさんにしてやれ。親しき中にも礼儀ありだ。」そこまで言ってふと、親しいのか? とリョウは自問自答する。
「……わかった。」ミリアはしかし神妙そうに頷いた。
リョウの音楽を尊崇し、それを具現化して見せるという点において同志であるシュンやアキとは違う。はたまた教師として自分の前に現れたユウヤとも違う。売れっ子ロックバンドのリーダーであるレイとも違う。ジュンヤはミリアにとって今までのどの友人たちとも異なる繋がりを有する存在であった。それがミリアにとってはなぜだか嬉しいのである。
リョウの家に来るより以前、その汚らしい身なりのせいでどれだけ欲しても友人を得られなかったためか。それとも、人に愛されなかった経緯から単純に人が好きなのか。ミリアにはよくはわからない。ただ素晴らしいギターを極々自然に奏で、それでいて温厚で優しいジュンヤにミリアは惹かれていた。もっともっとギターが聴きたい、そして自分のプレイも聴いてほしい、親しく話もしてみたい。ジュンヤを思えば、そんな感情が滾々と溢れ出した。つまりはリョウが感じているよりもずっとミリアは、ジュンヤに興味を抱いていたのである。無論それが血のせいであるなどということは、ミリアにとって想像さえできないことではあったが。