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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 前回と同じく受付で名前を告げ、二人分のチケット代を払おうとすると、「あ、本日は結構です。チバから言われていますので。」と受付をしていた若く、濃い化粧を施した女性は何をどこまで知っているのだか、知らないのだか、しかし至極事務的にそう告げた。ミリアはぽかんと口を開けている。リョウは慌て出した。

 「あ、ああ、この前な、友達んなったんだよ。だから今度は俺らのライブ招待する約束なの。あはははは。異業種交流っつうやつだな。こういうの、大事だかんな。」リョウは満身に汗をかきながら堂々と虚言を述べた。言い終えると、自分でもできるのだという妙な達成感が沸き起こる。

 「デスメタルだのに、来てくれんのねえ。デスメタルはあんまし好きになって貰えないのにねえ、親切なのねえ。」

 「ジャンルに囚われてるうちは一流にはなれねえぜ。」リョウは妙な理屈を口にしながら、ミリアの手を引っ張り、何も言われぬ内に一番後ろの席を陣取った。

 「もっと前に行かないの?」ミリアが小声で尋ねる。

 「お前な、金も払ってねえのに前行きてえなんて図々しいだろが。……今日は、ダメだ。」嘘の連続は疲弊が募る。リョウはビールを注文し、ほとんど一気にそれを飲み干した。

 「何でそんなに一気に飲むの?」

 「喉、乾いてんだよ。」嘘をつき過ぎたせいでな。リョウは胸中にそう囁くと、早くライブが始まらないかとそればかりを懇願し出した。

 「リョウはお喉ががんになっちゃったんだから、お酒も気を付けないといけないでしょう?」ミリアは眉根を寄せてリョウの喉をじっと見つめる。

 「あ、……ああ、そうだな。気を付けよう。」

 開演時間が迫るにつれ、ざわめきも次第に大きくなり、席も次第に埋まっていく。リョウはそれに漸く安堵を覚える。

 ミリアは相変わらず窓の外の夜景に魅入られ、微笑みを浮かべている。リョウはその隙を見て追加のビールを注文し、テーブルに置いた。その時するり、とテーブルの下でミリアが腕を絡めた。

 「ねえ、ミリア、いつからお酒飲んでいいの。」と問うた。

 「二十歳だ、二十歳。そんなことも知らねえのか。」

 「でももうちょっとで二十歳だから、それ、一口だけ、飲んでみたいな。」

 「ダメに決まってんだろ。お前何言ってやがんだ。大学入ったからって調子に乗りやがって。」リョウは慌ててビール瓶を右奥に置く。

 「でも、リョウは二十歳より前にお酒飲んだこと、あるでしょ。」

 リョウはぎくりとしてミリアを見下ろす。「……ねえよ。」今日は嘘がやたらすらすらと口を出ずる。

 「でも前に、有馬さんが『リョウは十代の頃から酒飲んで客と喧嘩して大暴れして、何度も出禁にしようと思った』って、言ってた。『曲とギターのセンスあったから、我慢した』って。』」

 「う、嘘だろ、嘘。嘘。」リョウは慌てて再びビールを呷った。

 「本当だもん。」

 「どっちにしろダメだ。酒飲むなんざ幾ら自分の金でもダメ。CARCASSが来日して、1st、2nd、3rdから全曲やってくれるっつったってダメだ。」

 「よっぽどダメなのねえ……。」ミリアは溜め息を吐く。「でも、お外がキラキラで綺麗な音楽がかかる場所にいると、ちょっとだけ、お酒っていいなって思うのよね。」

 「二十歳にならねえガキが飲んじゃいけねえんだ。」リョウは深刻そうに呟いた。「職質されて捕まるぞ。」

 ミリアはどきりとして背筋を伸ばした。年柄年中リョウが警察官に声を掛けられ、ポケットの中からバイクの荷物入れを覗き込まれ、免許の提示も求められしているのを知っていたからである。それもやはり退院直後の短髪だった頃には全く無く、さすがにそろそろいい年になって卒業したものかと思いきや、また髪を伸ばし赤く染めてからは見事に職質ライフが再開されていったのである。

 「ミリアは捕まりたくない。」ミリアは震える声で呟いた。

 「お前な、俺だって捕まってる訳じゃねえかんな。ただ疑われてんだよ。一体何でだよなあ。どっからどう見たって、善良なるデスメタラーじゃねえかよなあ。」

 「善良なるデスメタラー……。」ミリアはその撞着語法めいた言葉をぼそりと繰り返す。

 すると照明が暗転する。リョウは身を乗り出してステージを見た。今日はバンド形式なのであろう。ジュンヤと同じ年代のドラマー、ベーシスト、ギタリストが次々に登場し、最後に温かな拍手に包まれながらジュンヤが出て来た。微笑みを浮かべ、客席に向かって手を挙げる。特にミリアを探しているような風情はない。この男もプロなのだ。ステージに一旦上がれば私情は一切排除すべき、というよりも自ずと消える。全ては音だけに集中していく。リョウは目を細めてジュンヤの一挙手一投足を見守った。

 スネアのカウントを頭に、一斉にメロディが生み出されていく。うねるようなグルーブが心地よい。リョウは目を閉じ、その流れに身を任せた。ジュンヤが抱いたという、我が子への思いも看取できるような気がして、リョウは音に全てを集中させた。

 巧手とか下手ではないのである。そうあるしかないという自然で必然的な音の羅列、間や呼吸さえも世界を構築する重要な一要素となり得ている。これがベテランの成す業かとリョウは感嘆した。ふと隣を見ればミリアも目を閉じて、何を感じているのだか、うっとりと音に聴き入っている。家族というものとはとんと無縁の自分には、血が通い合っているが故の親近感などは覚えたことはないものの、もしかするとミリアはここにそれを感じ取ってしまうのではないかと、ちらと危惧もしたが、それよりもジュンヤの生み出す音は心地よく、曲のテーマでもあるのか、全てを浄化させていく聖性さえも感じさせられるのである。リョウはただそれに感情を揺さ振られ、そして支配された。

 「……キレイ。」

 曲が終わるや否や、ミリアは呟いた。ジュンヤが温和そうな笑みを浮かべながら、あたかもミリアの言葉に応えるかのように「ありがとう。」と頭を下げた。口笛と拍手が会場を包み込む。「次は新曲です。最近とても……感情を揺さぶられることがあって、それを基に作りました。喜びと悲しみと、それから、怒りと……人生って何が起きるか解りませんね、というような陳腐な言葉を自分が発するとは思いませんでしたが……。」笑い声が上がる。隣の席からは、「ジュンヤが怒りを感じたなんて、想像がつかないね。」などという声も聞こえて来る。リョウはただただ身を固くしていた。ミリアはデスメタルではないバンドのMCを面白そうに聞いている。

 そして次の曲が始まった。

 確かに、それは、悲しい曲であった。リョウの胸をも痛ませる程に。喪失感、憧れの挫かれる自己嫌悪、苦悩、それらの全てが丹念に詰め込まれていた。―-ミリアのことだ。リョウは同じ作曲者として直観する。おそらくはあのメールの文面にあることは、真実、というよりもジュンヤの思いの万分の一程を表したものと言えるのではないか。それよりもこの音楽は、どれほどジュンヤの思いを如実に表しているだろう。リョウはほとんど身を切られるような痛苦を抱きつつ、同情の眼差しでステージ上のジュンヤを見詰めた。熱心に、こればかりは届けなければならないとでもいうように、ギターを奏でている。

 リョウは我知らず呻いた。ミリアがこれ程愛されているという事態に、喜び、というよりは居ても立っても居られないような焦燥感を覚えるのである。

 しかし曲は転換を迎える。それはやがて希望へ、期待へ、明るさへと向かっていく。リョウはハッとなって顔を上げた。ジュンヤはどこか遠くの空でも臨むような目をして、うっすらと口角を上げ、音を生み出していた。そしてその音は、言うまでも無くミリアの幸福を強く、強く、祈っているのである。リョウはメールに記されたミリアへの思いという先入観を排除しようとするが、最早不可能であった。ジュンヤの生み出すそれは確実にミリアを思ってのそれであると、そう強く確信された。それは当初嫉妬じみた負の感情であったが、ジュンヤお得意の聖性に瞬く間に浄化されていく。リョウはそれに心底救われたという感を得た。

 その時、腕組みをしていたリョウの腕を解くようにして、ミリアは自分の腕を絡めようとした。リョウはされるがままに腕を解いた。ミリアの心情を知りたく、その顔を見下ろす。にっと頬を持ち上げて微笑んでいた。くつくつと今にも笑い出しそうな表情にリョウは安堵する。ちょっかいを出してやりたくなる。リョウは体を揺らしてリズムを取り、ミリアもそれに合わせて上体を前後に揺らし出した。気付けば周りも手を打ったり、頸を軽く上下に振ったりしている。ミリアは上機嫌でリョウに幾度も身を押し付けた。

 そうして二度のアンコールを終え、三時間にも亘ったライブが終了した。リョウはすっかりジュンヤの気心を知悉したような、懐かしい旧友でもあるような、そんな親近感を覚えていた。強ち、最初に告げた「友達」であるという虚言は、少なくともリョウの中では虚言ではなくなっていたのである。

 ジュンヤはライブを終え一旦裏に戻ると、すぐに物販のブースへと向かい、客と親し気に話しながらCDにサインを入れたり、写真を撮ったりし始める。

 ミリアは期待を込めた眼差しでリョウを見上げた。今日こそはCDを買ってくれ、というのである。

 「……お前も、一緒に行く?」

 「うん。」決死の覚悟には気付かずに、ミリアは満面の笑みで肯く。リョウはミリアを連れて、物販の列の最後に並んだ。ジュンヤは気付いているのだか、気付いていないのだか、少しも微笑を崩すことなくCDを買いに来た客の一人一人に礼を言い、談笑を続けている。

 「リョウ、お友達になったんでしょう?」

 リョウはぎくり、としてミリアを見下ろした。リョウは「友達」としてどのようにミリアの前でジュンヤと接すべきか、必死になって考え始める。

 「ねえねえ、この人、何ていう名前なんだっけ。」そんなことも知らなかったのか、とリョウは驚愕したが、「……チバ、ジュンヤ、さんだ。」とそっと耳元に囁いた。

 「ジュンヤ?」

 「お前、呼び捨ては拙いだろう!」思わず小声で叱咤する。

 ミリアはきょとんとしてリョウを見上げた。その顔をまじまじと見つめながら、ああ、確かにバンド界隈では元家庭教師であるユウヤも含め、メンバーもその近辺も、皆呼び捨てで呼称しているということに気付き、リョウは何と説明すべきか困惑した。少なくとも実父に対して、名前の呼び捨ては拙い、というよりは失敬極まりないのであるのだが、それを説示する術は無い。

 うんうんと頭を捻っている内に、いつしか目の前にジュンヤが迫っていた。

 「亮司さん。」驚いて顔を上げた瞬間、飛び込んできたジュンヤの目は聊か潤んでいるようにも見えた。しかしどうにか冷静を保とうとする意志の強さが目に宿り、それがリョウの胸を打つ。返答にも詰まった。

 「今日は、来て下さって、ありがとうございます。」一言一言区切るようにして、ジュンヤは絞り出した。

 「すっごい素敵だった。」ミリアが、さすがに初対面の男性に対して照れもあるのか、リョウの腕をぶらぶらと揺らしながら言った。「あのね、リョウのギターも大好きだけど、おんなじぐらいジュンヤのギターも好き。」

 呼び捨てはやめろ、と出かけた言葉がジュンヤの瞳からすと零れ落ちた涙で一気に霧散していく。

 「どしたの? 何で泣くの? 何か、今ミリアいけないこと言った?」ミリアは思わずもう片方の手で、心配そうにジュンヤの頬に触れた。

 「……いえ、言ってないです。」許してくれと請うような瞳が、一瞬リョウに向けられた。リョウは慌てて目を反らす。

 「ありがとう。……そんな風に言ってくれて。」

 「ふふ。ミリア綺麗なギターの音、大好き。」ミリアは安堵したように笑いながら、「ねえねえ、今日やった新曲のCDはここにはまだ、ないのよねえ? ミリア、あれ、一等気に入っちゃった。」

 ジュンヤは目を見開いた。「データで良ければ、亮司さんに送りますよ。」

 「ええ、本当に?」ミリアは感嘆の声を漏らし飛び上がった。「やったあ! でも内緒よね。リョウとお友達だから、特別なんだものね?」慌てて周囲を見遣って声を潜めた。

 友達、という単語を聞いて今度はリョウが口を合わせてくれ、というように懇願の眼差しを向けた。

 「そうですね。友達だから、特別です。友達だから、これもプレゼントしますね。」と言ってジュンヤは数枚のCDをそっとミリアに手渡した。

 「ダメよう!」思わずミリアは声を上げる。「こういう売り上げ、大事でしょ? こういうのないと、ツアー回れないってリョウいつも言ってるわよう。」

 リョウは羞恥心にミリアの口を塞ぐ。「お前、そういうこと言うんじゃねえよ。」

 ジュンヤはいかにも面白そうに笑い転げた。

 「リョウ、お金ある?」

 「あるよ、あるある。」リョウが財布からCDの代金を抜き出そうとするのを、ジュンヤは手を握って止めた。

 「友達ですから。」真剣な眼差しに射貫かれ、リョウは思わず固まった。

 「じゃあさ、今度ミリアたちのライブにも来てよう。デスメタルは好き?」

 ジュンヤはにっこりと微笑むと、「音楽は何でも好きですよ。」と囁くように言った。

 「ああ、良かった! せっかくお友達になったのに、デス声嫌いって言われたらどうしようかと思っちゃった。だってリョウ、お友達いないんだもん。」

 「余計なこと言うんじゃねえよ!」

 「だってね、本当よ? メンバーとライブハウスの店長さんと、バンド仲間しかお友達いないの。でもリョウは世界一素敵よ。やーっさしいの。」

 「そうですか。」ジュンヤは心底嬉しそうな笑みを浮かべる。

 「ミリアのことを一番に考えてくれてね、そんでなーんでも言うこと聞いてくれんの。たまに怒るけど。たまに、ね。」

 リョウは照れ隠しに後ろをちらと見て、「ほら、ミリア、後ろにお客さんが待ってんだから、いつまでもどうでもいいこと駄弁ってんじゃねえよ。ほら、行くぞ。じゃ、ジュンヤさん、またね。また、メールしますから。」とミリアの肩を寄せた。

 ジュンヤは慌ててミリアの手にしっかと数枚のCDを握らせ、「新曲、あとで亮司さんのアドレスに送っておきますから。是非聴いて下さい。」と伝えた。

 「うん。ありがと。」ミリアはジュンヤの手をぐい、と握り締めた。無論それはただの親愛さを伝える握手だったのだが、ジュンヤは満身に電撃の走るような衝撃を覚えた。

 だから暫く、ジュンヤは目の前に客がいるのにかかわらず、リョウと共に去っていくミリアの後姿を茫然と見詰めていた。頽れそうな程、もう、全てを投げ出してしまいそうな程の強烈な感情にジュンヤは眩暈すら覚えた。それは信じがたい程の歓喜、であった。

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