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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 帰宅してからもリョウはミリアが何を問うても答えず、ソファに座ったきり、ただただ茫然としている。ミリアは訳も解らず困惑したが、とりあえずシャワーを浴び、着替えを済ませ、諦めてベッドに入った。その瞬間、リョウはようやく立ち上がってミリアの枕元にしゃがみ込んだ。

 「……済まねえ。」

 そう告げるリョウの顔色はすこぶる悪い。何かとんでもない悪いことが起きてしまったのではないかと、ミリアは慌てて起き上がった。

 「どしたの? リョウ、顔色悪い。」

 「否、俺は大丈夫だ。その内、必ずお前に言うから。ちょっとだけ、な、待っててくれ。色々、……その、あるんだ。」

 ミリアは手を伸ばしリョウの頬にそっと触れる。そこは冷たく、幾分震えさえも感じ取れるようであった。ミリアは眉根を寄せた。

 「辛いの?」

 リョウは答えない。

 「リョウが一人ぽっちで支えきれない時のために、ミリアはここにいるんだよ。だから、……言えるようになったら、そしたら、必ず、言ってね。」ミリアは寂し気に呟いた。

 「ああ。……約束する。」リョウはそう言い残すと、おもむろに立ち上がり、リビングの電気を消して自室へと戻った。

 ミリアは暗闇の中で今日のジャズギタリストのもたらす衝撃も忘れ、ただただリョウの変貌ぶりに心を痛めていた。かつてリョウが自分を救ってくれたように、自分も救いたい。そうして本当の意味で夫婦として対等に生きていきたい。それはやがて決意じみた祈りとなってミリアの胸中を覆い、そのまま、やがて、眠りについた。


 リョウのパソコンに一通のメールが届いたのは、それから三日後の晩のことであった。宛先人にjunya-chibaの名前を発見した時にはリョウはほとんど椅子から転げ落ちるぐらいの衝撃を受けた。ここ三日間、リョウは何をしていても、ライブ後のあの働きかけははたして間違いであったのではないか、少なくとも考え無しに過ぎたのではないか、という後悔の念で押し潰されそうであったのである。

 今日ミリアは朝から一日がかりの撮影だったとかで疲弊して帰って来て、夕食を食べ終えるや否やベッドに潜り込み、既にすやすやと寝息を立てて眠っている。

 リョウは頭を掻き毟り、それから深呼吸を何度も繰り返し、ミリアが本当に眠っているのかどうか、目の前に手を近づけたり顔を近づけたりして確認し、挙げ句の果てにはうろうろとリビングをうろつき回り、そうして意を決してメールを開いた。


黒崎亮司様

 先日は情けない所をお見せしてしまい、申し訳ありませんでした。

 すぐにご連絡を差し上げることもできなかった理由については、もう、お解りかと思います。

 過去を整理し、言葉にするのに少し時間がかかりました。

 伊山江梨子は私が三十年前交際をしていた女性です。否、交際をしていると思っていたのは私だけかもしれませんが、少なくとも同棲し、恋人と言える関係を築いていたのは事実です。

 しかしそれは私が「エリコ」という単語を聞いてすぐには彼女に思い至れなったぐらい、今や記憶の片隅に追いやられていました。その当時は心から愛し、誰よりも大切に思っていたのですが……。

 彼女は二十年前、ある日突然私の前から姿を消してしまいました。理由は今となっても知れません。ただ、彼女には一緒に住み始めた頃から男の影が多々ありましたので、私はすぐに彼女が他の男の元へ行っただと確信しました。そして、彼女の気が変わりやすく、そうして一旦変わったならば、もう以前の男には見向きもしないであろうことも解っていました。私は苦しい胸の内を抱えたまま、彼女との唐突の別れを受け入れました。受け入れざるを、得ませんでした。

 それから半年後、共通の友人からエリコが出産したことを聞かされました。その時友人は私の子供ではないのかと言いました。その可能性は十分にありました。しかしだとすれば、余計になぜエリコが自分から離れていったのか私には全くわからなくなりました。たしかに私の収入は乏しかったし、バンドも軌道に乗ったばかりで、それを辞めることも考えられはしませんでした。しかし、それを言うならエリコが一緒になったという男も定職に就いていない男だという話でした。私は混乱しました。しかしだからといって、それを糺す術は私にはありませんでした。

 私は友人に頼み込んでエリコに会わせて貰いたいと言いましたが、友人も知人伝いに聞いただけで、直接連絡を取る術はないのだと言いました。私は諦めざるを得ませんでした。

 私はそれから暫くは何をしていても、我が子のことを考え続けました。考えているうちに、私の子供かもしれないという思いは、いつしか身勝手ながらも私の子供に違いないという確信へと変わり、その子供に対して何もできない自分に苛立ちを覚えるようになりました。

 自暴自棄になりかけたところを救ってくれたのは、音楽でありバンドでした。ちょうどその頃、ヨーロッパで演奏をさせてもらえるチャンスなどもあり、私は音楽に専念することで子供のことを忘れようと努めました。でも、そんなことはできやしないのです。

 私は我が子に逢うことのできぬ苦悩を音に込め、曲を作りました。我が子と逢うことができたら、してやりたいこと全てを込めて、曲を作りました。ちょうどその頃です。私が悲願であったソロCDをリリースすることができたのは。

 どうか、一生のお願いです。

 こんな図々しいことを言えた義理ではないのは十分に承知しております。でも、図々しいことは百も承知で言わせてください。

 一目だけでも私の子供に会わせてもらえないでしょうか。どれだけの時間がかかっても構いません。私は死ぬまで待ち続けます。今までも二十年間、待ってきたのです。もちろん、子供には私が父であるということなどを伝えなくても、構いません。下手にそんなことを伝え、動揺させてしまうのは私の意図する所ではありません。たとえば、あなたの一人の音楽の仲間として紹介される形でも一向に構いません。私はただ、自分の子供をこの目に映し出したい、それだけなのです。自分の血を分けた存在をこの目で確かめたいのです。それ以上のことは何一つ望んではいません。事実、先日の私のギターの音が我が子の耳に届いた、というだけでも私は涙が出たほど嬉しかったのです。何の奇跡か偶然か。生きていて良かったと心底思わされました。あなたには感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。

 でも、あたうのであれば、もう一度、今度は我が子と認識した上で顔を見、音を届けたいのです。どうか、どうか、お願いします。

 チバジュンヤ


 リョウはジュンヤの手を思い出した。ミリアと同一の関節を持った、あの、手。同じ血のなせる業としか考えられない、あの、ミリアと酷似した手。

 リョウはパソコンの蒼白い光に照らされたまま、頭を抱えて深々と溜め息を吐いた。

 ジュンヤなどがどう思おうが、どうでもいい。ただミリアはどうなのだろう。どうしたら一番ミリアにとって幸福なのだろう。ミリアを少しも傷付けたくはない。実父に会わせることが、ミリアにどういう影響を与えるのか。リョウはただそれだけを熟考し続けた。

 リョウはふと立ち上がり、ベッドに歩み寄ると眠っているミリアを見下ろした。長い睫毛が影を落とし、熟れ切らない苺のような瑞々しい唇がうっすらと開いて、呼吸をしている。それを見ているだけでリョウはたまらない気にさせられた。至極の宝物のように、大切にしなければならないと心底思う。決して安易な判断で傷つけてはならない、と。

 リョウはパソコンの電源を落とすと、寝室に籠ったが、眠ることなどできる訳がなかった。


 リョウはまんじりともせずにうっすらと部屋が明るくなる頃、布団を跳ね除けて起き上がり、そのままパソコンへと向かった。一晩中考えた結果を言語化していく。


 チバジュンヤ様

 メール拝見しました。返事をくださって、ありがとうございます。

 あなたの娘は黒崎ミリアと言います。3月生まれで今月高校を卒業したばかり、4月からは大学生になる18歳です。

 ミリアは幼い頃、非常に不幸な目に遭いました。それはあなたとは一切無関係のことですし、あなたには何の責任もないですが、事実として、実の母親であるエリコさんに捨てられ、おそらく本人はそうは知らなかったと思いますが、血の繋がりのない父親には虐待を受けました。

 その父親が死んでうちへやってきたのは、ミリアが小学校一年生の時でしたが、その時のミリアは服だの靴だのはボロボロ、髪なんぞ見たことがないくらいに滅茶苦茶に切られ、言葉はろくすぽ出ず、夜になると部屋中をふらふらさ迷い歩くといった様子で、本当に酷いものでした。

 飯を食わせ、寝床を与え、誰も暴力を振るったりはしないんだ、ということをどうにか教え込ませ、ミリアは成長することができましたが、心は傷付いたままです。以前、その頃の記憶が蘇り、パニックを起こして病院に担ぎ込まれたこともあります。小さい頃虐待されてた子っていうのは脳も傷つけられてるとかどうとかで、あんまり頭が良くなれないらしいですが、ミリアは今も言葉は上手ではありません。体も細いままで何を食わせても太れません。

 でも俺にとっては世界でいちばん大切な家族なんです。世界一可愛いと思っています。俺はミリアを虐待した父親の実の息子です。この間まで兄妹だと思って暮らしていました。でも、遺伝子検査をしたら兄妹関係はないという結果が出たんです。

 それで、エリコさんと接触して、父親は誰なんだって聞いた。そしたらあなたもご存知の通り、ミリアの父親候補はごっそり出て来た。でもエリコさんは、その中でいちばん可能性が高いのはジェイシーっていうミュージシャンだと言いました。本名も知らないし、今何やってるかもわからないと言われ、俺は途方に暮れました。でも、一縷の望みをかけて俺が若い頃からずっと世話になってるライブハウスの店長に、二十年ぐらい前に活動してた人でそういう名前の人がいねえかって聞いて、そんでたまたまあなたに辿り着いたんです。

 だから俺は最初、偵察に行くつもりで、あなたのライブにミリアを連れていくつもりはなかったけど、あの時やけに行きたいってダダ捏ねたから、連れていきました。けどミリアは何も気付いていません。そもそもあいつは父親を捜したいとか、父親に会いたいとかそういうことは全然考えてないから。あんたを無駄に傷つけたくはないんだけど、きっと父親っつうもんに対していいイメージは抱いていないと思う。何せ虐待されてたわけだし。恐怖心とかのが大きいんだと思う。

 でも、あなたを見て、俺は確信しました。あなたはミリアの父親です。ギターの弾き方、指の形、とにかくミリアにそっくりなんだ。正直、ぎょっとした。あまりに驚いて、焦って、途中でミリアが気づかないうちに帰ろうかとも思った。でもミリアはあんたの演奏に心底感動し切っているし、俺自身もとりあえず自分を落ち着けようとしている内にあんたのプレイに引き込まれて、気付けば最後まで居続けていた。あなたはギタリストとしては、凄いと思う。一流だ。ミリアも多分同じことを言うと思う(俺らは血は同じではないけれど、物事の感じ方とかは凄く似てるんだ)。

 でも、正直、どうしたらいいのかわからない。あんたがいい人なのかそうでないのか、わからないから。それに、あなたには家族はいないのですか? もしあなたに妻や子供がいたとしたら、ミリアの存在を知ったら悲しまないか? あんたが大事にすべきはまずはそっちじゃないか? ミリアが隠し子みてえに言われて、それでミリアが非難の対象になったりは、しないか? あんたはミリアに会いたいかもしれないが、俺としてはその前に心配なことが山ほどある。

 とにかく、ミリアを少しも傷付けられては困るんだ。もう一生分、否、もっともっととんでもなく苦しんできたんだから。でもあんたに絶対会わせたくないって思ってるわけじゃない。そんな権利は、兄でも何でもない、ただミリアを愛しているだけの俺にはない。

 あなたの周囲の人たち誰もがミリアの存在を知っても非難しないという状況であって、そしてもちろんあんたもミリアを少しも傷つけないで、目一杯愛情を注いでくれると約束してくれるなら、会わせる。父親に対して偉そうな言い方ですみません。でもそうじゃなければミリアには会わせられない。大切なんだ。わかってくれ。

 ちなみに、ミリアは俺と同じバンドでギター弾いている。小一の時、俺んちに来たその日から仕込んだ。なかなか巧いんだ。そんでずっとギターが大好きで、あんたのプレイには心から感動してた。あんたのCD欲しいってね、あいつが言い出したんだ。うちは貧乏だから、気遣って、あんまりあれ買ってくれこれ買ってくれっていうわがままは言わない子なんだけれど。相当あんたのプレイに引き込まれたんだと思う。

 だから、何を言いたいのか全然まとまらないんだけど、あんたがいい人だってことを信じさせてほしい。そんで俺を安心させてください。安心させて、ミリアと会って大丈夫だって思わせてください。ミリアはいい子だから、優しい子だから、自分に会いたいって思ってくれている人には自分も会いたいって思っちまう奴なんだ。たとえばね、貧乏でライブ来れないファンのためにフリーライブ計画したりとか、そういう奴なんだ。純粋なんだよ。だからそれを利用するような奴は俺が死んでも許さない。でもあんたはそうじゃない、違うって、ちゃんと俺に信じさせてほしい。それから考える。頼む。

黒崎亮司

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