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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 リョウはしかし、その夜いつまでも寝付けなかった。どう思案しても自分の選択が誤っているような気がしてならない。仮に、ジェイシーとやらが本当の父親だったらどうしたらいいのか。それをミリアでもジェイシーでも、血のなせる業で気づいてしまったとしたら、どうしたらいいのか。

 しかしそんなリョウの苦悩を一向に介する素振りもなく、ミリアはその日になると、もう昼頃からそわそわとお気に入りのワンピースに身を包み、その後ブラッシングを延々と繰り返し、リョウと共にライブに出かけるのを心待ちにしていた。

 つまりは、ミリア自身が幾度も口にしたように、「ジャズをバーで聴くなんて、すっごい大人!」ということなのである。それからもミリアはリップを塗り、手の爪、足の爪まで磨き上げ、ふう、と満足げに溜め息を吐くと、レッスンに出かけようとしているリョウを今更ながらふと全身隈なく見回した。

 いつものくたびれたリーバイス501に、更に何年着倒しているのかわからないAT THE GATESのTシャツ、そこに更にミリアと出会った頃から着続けている革ジャン姿で熱心にギターを弾いている。

 「……ねえ、リョウはなんでいっつもおんなじ格好なの?」自然とその口調は詰問するものとなる。

 「はあ? そりゃあ、こりゃあメタラーのユニフォームだろ。俺は死ぬまでこれでいくに決まってんだろが。何だ今更。」と言いつつギターの練習に余念がない。

 「だーって、今日はせっかくのデートじゃない! おしゃれしてよう!」ミリアは駄々をこねるように、リョウの肩を揺さ振った。

 「はあ? おしゃれだあ?」リョウはついに手を止めてミリアを驚きの目で見つめる。「んなもん俺のタンスのどこに入ってるっつうんだ、お前見っけてこいよ!」

 ミリアはそう言われて黙りこくった。リョウが「オシャレ」な服なぞ一枚も有していないのは誰よりもよく知っている。タンスの九割方を占めているのはメタルTシャツである。わざわざ見るまでもない。それ以外はジーンズとチノパン、あとは一張羅のスーツとワイシャツ、以上である。ミリアはがっくりとソファに倒れ込んだ。そう言われればリョウは結婚式だってこの格好だった。ウェディングドレス姿の自分と、革ジャンメタルTシャツのリョウ。写真は幾らでも残っている。それは自分が勝手にリョウに内緒で推し進めたものだから、仕方がないにせよ、リョウが「オシャレ」をしたらどんなに素晴らしいだろうと、やはり思わずにはいられないのである。雑誌の撮影に相手役として時折やってくる、いわゆるイケメンのモデルたちのような恰好をしたならば……。

 「ねえねえ。」ミリアは請うような眼差しで言った。

 「何だよ。」

 「今度ミリアがお洋服プレゼントしたら、着てくれる?」

 「んなのいらねえよ。金の無駄。」

ミリアは顔を覆ってソファに突っ伏し、くすんくすん鼻を鳴らし始める。「……リョウとオシャレしてデートしたいよう。」もごもごと呟いた。

 リョウは顔を顰めてちら、とミリアを見た。「人間体が資本に決まってんだろ。服なんざに金使うなんて無駄無駄。」

 「無駄じゃないもん! リョウはそんなこと言って、CDはいっぱい買うし、機材はローン組んだって買うんだもん。」

 リョウは図星を言い当てられてさすがに黙した。

 「いいもん、ミリアがお金貯めて買うから。」

 「勝手なことすんじゃねえよ。いらねえってば。」

 「リョウはミリアが稼いだ金は好きに使っていいって言ったもん。」

 リョウは何を言っても無駄かとばかり、鼻息荒く再びギターを爪弾き始めた。

 ミリアはその傍で本棚から自分の雑誌を取り出し、ぺらぺらと捲っていく。時折登場してくる男性モデルの誰よりもリョウはかっこいいのにと思う。ミリアは男性モデルを見つけるたびに、厳しい眼差しでその服をリョウに投影させるべくリョウを見詰め、それを幾度も繰り返した。しまいには視線の往復が忙しなくなってやがて気分が悪くなり、ソファに再びうつ伏した。

 「じゃあ、夕方には帰っから。準備しとけよ。」と完璧な準備を終えたミリアに向かって言い放つと、リョウはギターを背負いレッスンへと出かけて行った。


 その言葉通り、リョウは夕方近くにレッスンから帰ってきたが、家を出るというぎりぎりの時間までパソコンの前に坐り込み曲を作り、ミリアをやきもきさせた。

 「電車が停まっちゃったら困るから、早く出ない?」などと殊勝なことを言い出したりもする。

 「停まったって隣の駅じゃねえか。歩いたって行けんだろ。」

 「早めに行って並ばないと、前の方行けないかもしんないね。」

 「あのなあ、せいぜい数十人入るぐれえのバーだかんな。海外から来るビッグバンドじゃねえんだよ。」

 ミリアは困惑し、遂には「早く行こうよう。朝っから楽しみにしてたんだからあ。」と白状した。リョウは渋々立ち上がる。ミリアはぱっと満面の笑みで立ち上がり、すぐさまリョウの腕にしがみ付いた。


 今日はリョウが酒を飲むから電車である。すっかり退院以降自宅では禁酒をしていたが、ライブにおいてはビール一本までは自分に許可しているのである。

 「すぐ近くなのねえ。」一駅で二人は電車を降りた。「ねえねえ、何で急にこんな人のライブ行こうって思ったの? 誰かに教わったの?」ミリアは矢継ぎ早に問いかける。

 「ああ。まあな。……有馬さんが勉強になるからって言ってて……。」それは強ち嘘ではない。さすがにミリアに虚偽を言うのは心苦しいのである。

 「ふうん。じゃあミリアもちゃあんと聴いてお勉強しましょ。海外に出ていくバンドのギタリストなんだから。向上心が大事よねえ?」とリョウがいつも言っている言葉を繰り返した。

 リョウはキッと真面目な顔になり、「そうだよ。毎回同じプレイを見せつける程客に対する冒瀆行為はねえからな。そのためには練習を積んで、勉強をして、刺激も得てってやってかなきゃなんねえ。それがステージに上がる人間の最低限こなすべき条件だかんな。」リョウはよっし、と気合を入れると目的のビルに入り、エレベーターへと乗り込んだ。

 

 いつものライブハウスは地下であるが、今日のバーは六階建てビルの最上階である。美しい夜景が眼下に広がる大きな窓がステージの背後にある。そしてその前には使い込まれたSUHRのギターと、古めかしい初期のMARSHALL900はさすがに改造を加えられているのであろうか。リョウは後方で目立たぬようしていようかと思ったが、機材を確認したく、それらがしっかと確認できる比較的前方寄りのテーブルに腰を下ろした。手には一杯だけ許したビールが真っ白な泡を立てている。

 「うわあ、素敵。台湾のホテルみたいねえ。キラッキラ。」ミリアは両手を頬に当て、讃嘆の声を上げた。

 「お前そりゃあ共通点、夜景っつうだけじゃねえか。ここは6階だぞ。75階の十数分の一だ。」

 「そうだけども。」ミリアはうっとりと窓の外を眺める。もう音楽がなくともこの夜景と雰囲気だけで十分だと言わんばかりの顔である。

 周りには思ったよりも多くの客が集っているのに、リョウは安堵した。年齢層は自分のバンドと比べるまでもなく高いが、だからといってそれ程自分たちが目立つという訳でもない。中にはギターキッズのような若者もいて、やはり自分と同じく機材の写真を撮ったり、エフェクターボードを覗き込んだりしている。

 暫く経つと照明が落とされ、一人の男と美しい真っ赤なドレスを身に纏った女が登場して来た。リョウは思わず身を乗り出し男を凝視した。痩せた体躯に白髪の混じった肩まで伸びた髪、瞳は切れ長で鼻筋は真っ直ぐに伸び、色は白く、どこか西洋人を思わせる風貌である。近寄り難い、気難し気な雰囲気を纏っていた。ミリアに似ているのか、似ていないのか、リョウはどうにか冷静さを取り戻し判断しようと試みるが、わからない。

 一斉に上がる拍手と口笛に微笑みを浮かべながら、男は用意された椅子にゆっくりと座り、ギターを鳴らした。心の琴線を震え立たせるような音にリョウは驚愕した。更に、その姿は五十の男に対して与えられるべき形容ではないとわかりつつも、優美、そう称する以外にはなかった。

 男は柔和な笑みを浮かべ、女を見上げる。女も微笑み返し、そして正面を向き深々と頭を下げた。

男は呼吸をするように、ギターを奏で出した。その瞬間、リョウは瞠目した。それは『歌』であったから。ギターが木ではなく、楽器でもなく、心持つ生き物として歌を歌っている。そう思わざるを得ない音であった。ギターの本来有する可能性が100%あるとしたら、100%以上に引き出し切っていると、そう言わざるを得ない類の、音であった。どうして、こんな音が出るのか。リョウは知らず、息をするのも忘れてジェイシーの紡ぎ出す音に全身全霊で耳を傾けていた。

 そしてその指を丁寧に目で追ううちに、リョウの息は止まった。そうしてどうしよう、どうしようとそればかりの思いに鼓動が高鳴り、満身に汗を掻き出した。吐き気さえしてくる。なぜならば、自分が必死に追って見ているジェイシーのギターを奏でるその指先は、紛れもなくミリアのそれであった。関節のやや膨れた細く長い指先と長方形に近い爪の形。力を入れるとすぐに反れる指。とかくミリアの指を老化させたら確実にこうなる、と確信が持てる程それは酷似していた。――実父だ。確実に、実父だ。

 リョウは息も荒く恐る恐るミリアを横目に見下ろした。ミリアはにっこりと笑みを浮かべたまま、未だ気付いていないのか熱心にこの音に耳を傾けている。リョウはミリアを連れ立ち去ろうと思い立った。でもこんなに嬉しそうな顔をしているミリアを引き摺っていったら、ミリアは絶対に悲しむ。何せ朝から楽しみにしていたのだ。少女を無理やり引っ張っていく長髪の中年男の姿を見たら、さすがに周りの観客たちも不審に思うだろう。ただでさえミリアを連れているだけで職質遭遇率が倍増するのだ。ここで変に怪しまれ、目立ちたくはない。そんなことでジェイシーに自分たちの存在を知られたくはない。

 リョウは暫くミリアの様子を観察した。もしどこかに異変が生じたら、そうしたら引き摺ってでも帰ろう。そう思いつつここに座り続ける理由を得ると、そこを支配しているジェイシーの音楽に再びリョウは否応なしに引き込まれていった。

 どこかに忘れてきていたような懐かしきメロディー、その思いを万倍にも引き出す音。こんな音を出す人間が日本にいて、しかもこんなに小さなバーでライブを行っていることがリョウにとってはこの上ない驚きであった。ふと隣を見るとミリアも全く同じ驚嘆を覚えている顔つきでじっとステージを見ていた。

やがて曲が終わると、女は「皆さん、ありがとう。」と歌と同じ幾分ハスキーな声で告げた。「これからジュンヤの昨年出したアルバムから三曲続けてやります。楽しんでください。」

 再び拍手が上がる。観客たちはアルコール片手に、口笛を鳴らした。

 「ねえ、あのおじさん凄いの。あんなの聴いたことないの。」ミリアがリョウの耳元でそう囁いた。

 リョウも肯く。何と答えていいのかわからず、ただただ次の曲を待った。そしてそれは再び静かに、あたかも朝霧の中をたゆたうが如くに始まっていった。

 リョウにとってジェイシーは、ミリアの父親というよりも、ギターの類稀なる才能を有した、一人の偉人であった。二十年前に何があったのかということよりも、今、このギターの音がどのようにして生み出されているのか、そこばかりに全ての神経を注いでいた。能うならば直接話を聞き、それを教えて貰いたい。リョウは完全に一人のギタリストとしてこの目の前の男に魅入られていた。しかし、ミリアの優れたギターの才能が自分の指導のみによるものではなく、実父の遺伝によって齎された所も大きいという事実については、リョウは未だ思い当たらなかった。

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