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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 日本に着くとそこはもう完全なる日常であった。書かれた言語も、耳に入る言葉も、全て耳によく馴染んだ音である。

 空港でシュンとアキと別れると、リョウとミリアはスーツケースに加え、疲弊した体を引き摺るようにして電車に乗り込み、二日ぶりの家へと辿り着いた。

 「良かったね、リョウ。」ソファに倒れ込むなり、ミリアはそう言って微笑んだ。

 「そうだな。」リョウはそう言って冷蔵庫から麦茶を引っ張り出し、ごくごくと喉を鳴らしながら飲む。やはり日本の飲み物は旨い、そう思う。

 「今度はヨーロッパ? アメリカ? それとも本場北欧? 夢が広がるわねえ。」

 「まあ、お誘いがくればっつう話だな。まあ、こっちから音源送って出さしてくれとは言えるけど、こっちの意向だけじゃあダメだしな。」

 「音聴いてくれれば。」ミリアはこっくりと頷く。「大丈夫。絶対来て下さいって言われちゃう。リョウの音楽は台湾の人もみんな大好きになったもの! 物販だって完売だもの!」

 リョウは含み笑いを漏らしながら、「だといいな。」と呟いた。

 そのお誘いとやらが来ていないかリョウは早速パソコンを立ち上げ、チェックを始めた。するとその中に見慣れた宛先人がある。聖地の店長、有馬である。早速開いて、リョウは思わず息を呑んだ。

 ――日本に帰って来てからでいいので、連絡をくれるか。当人かどうかはわからないが、ジェイシーというバンドマンがいた。今も活動しているジャズギタリストだ。実は先日お前がライブに来た時、最後まで残っていた客たちが、ジェイシーとやらのライブの話をしていた。慌てて聞いたらとりあえず来月、ライブを都内でやるらしい。もし都合があえば――、

 鼓動が激しくなる。リョウは眩暈を振り払うように立ち上がった。

 「どしたの?」リョウの飲む姿を見てにわか喉の渇きをミリアは、自分も飲もうと麦茶を注いでいたところであった。しかしリョウのあまりの深刻そうな表情に手を止めて、心配そうに尋ねた。

 リョウは一瞬躊躇して、「……い、いいや、何でもない。」と答えた。まだミリアに伝えるのは早すぎる。まだその時ではない。少なくとも、当人かどうかを確認するまでは。徒にミリアを焦燥させ、苦悩させる必要はない。

 「お誘い来てた?」

 リョウは改めて受信ボックスを凝視する。

 「いやあ、まだ来てねえなあ。残念だなあ。」そう微塵も感情のこもっていない声で言いつつ、添付されたジェイシーのライブの予定とやらを見た。来月頭の日曜日。場所は、すぐ隣の駅ではないか。リョウは更に鼓動の高まるのを覚えた。それをどうにか抑え付けようと、――フルネームでは無いのだ。ステージネームなのだから、同じようなのを使っている人はごまんといる。期待はするな。――リョウは必死にそう言い聞かせ落ち着かせようと試みた。ミリアは不審げにその様を見上げていた。


 ミリアが洗濯にリビングを出て行ったのを見計らって、リョウは再び有馬からのメールの続きを読み始めた。

 ――そのジェイシーという男は、あくまでも昔からのファンの中でそう呼ばれているだけで、活動は本名のチバジュンヤの名で行っている。年齢はわからないが、ライブのフライヤーを見るに、五十ぐらいか。耳の肥えたジャズファンに根強い人気を誇っているようだ。バーや小さなクラブで演奏することが多い。――

 更に添付されたフライヤーの写真を見る。なかなか顔形のいい中年の痩せた男が、アコースティックギターを抱え愁いを帯びた表情を見せている。ミリアに似ているのか、似ていないのかは正直、わからない。

 しかし、会った所で何と言ったらいいのか、リョウは頭を抱えた。二十年前に女を妊娠させたことがあるか、とでも聞くのか。名誉棄損もいい所だ。今家庭を持っていたとしたら、更にとんでもないことになる。それに――、リョウはこちらの問題に一層愕然とした。本当の父親だとして、それがわかったとして、一体どうしたいのか。ミリアに会わせて、これが本当のお父さんだよ、とでもやるのか。何のために? 自分はミリアの幸福になることしか、したくはない。それ以外の、ミリアを僅かなりとも傷つけることに自分が加担するなんて、絶対にまっぴらごめんである。ミリアは実の父親に会いたいのか? そんなそぶりは一切見受けられないではない。だとしたらこれはただの自分の好奇心なのであろうか。厭らしい。くだらない。―-しかしそう一掃できない何かが、胸中深くに滞っている……。

 リョウは暫く考え込み、やがて答えに逢着する。それはミリアに、普通の愛情を持って接してくれる親がいたとしたら、という長年自分が抱き続けて来た希望であった。それはミリアの口から出る言葉が足らなかったり見当違いであったり、あるいは、ミリアが何を食べても肉の付かぬ痩せた体躯をしているのを改めて実感したりする時にふと、感じるものであった。もし、ミリアに普通の子供に対するような愛情を注いでくれる存在があったなら――、それはリョウにとっての希求であったし、それと同時に叶わぬ夢であった。そう、叶わぬ――。しかしそれが叶おうとしているのである。ミリアの本当の父親という人が、あんな人間の形をした屑ではなく、あんな自己中心的な母親でもなく、至極真っ当な人間で、ミリアに今更ながらも親らしい愛情を注いでくれたなら――、ミリアは普通の子供が当たり前に得ている幸福を覚えるのではないか。そしてそれを見ることは自分にとっても、大きな幸福となる。それは確信であった。

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