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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 四人は暫く楽屋の床にそのままへたり込んでいた。無言のまま、立ち上がることもできない。今までは最長で三時間近いワンマンライブを行ったこともある。今回与えられた時間はたった一時間、それもスタンダードなセットリストで挑んだのだから、疲弊は軽微である筈ではある。しかし四人は、かつてない疲労困憊ぶりになかなか立ち上がることさえできなかった。

 そこに楊と李が入って来て、「お疲れ様です。」と四人の様子に目を見開き、リョウの前に腰を屈めた。「大丈夫ですか?」

 「ああ。」リョウは辛うじてそう呟くように言うと、テーブルに手を伸ばしペットボトルの水を呷った。潤いが喉に沁み込んでいく。

 楊はにっこりと微笑むとまずチケット代と、物販の売り上げと言って封筒を手渡した。茶封筒にボタンのようなものが付けられ、ぐるぐると紐で括り付けられている。そんな大げさな、とリョウは訝った。李と楊が封筒から出して札だのコインだのをリョウの目の前で点検してくれるが、リョウにはよくわからない。しかし、日本円に換算して十五万強、と言われた時にはさすがにリョウは何かの間違いではないかと呆気に取られた。それをそのまま尋ねると、「全てお品物はライブ終了直後に売り切れましたよ。Tシャツ、CD、リストバンド、全て。もっと持ってきてくれれば良かったですのに。」という答えが返って来た。

 リョウが唖然としている内に二人が何やら話し合い、李が楽器はそのまま明日にでも日本に発送をしておくから、今日はホテルに帰って休むようにと告げた。裏口から出て行けば客に見つかることもありませんよ、と言い添えて。

 四人はその言葉に甘え楽屋を出ると、しかしそこにはずらりと本日の対バン相手たちが肩を並べていた。何を言っているのだかわかりやしないが、盛んにリョウの肩を叩いたり、シュンにハイタッチをしたりアキの腕を引っ掴んだり、更にはミリアに握手を求めたりするのと、その表情で、どうやら自分たちのライブを肯定的に捉えてくれたのであろうことはすぐに知れた。リョウは一瞬疲弊を忘れ、信じられないとばかりの笑みを浮かべながら差し伸ばされる手を片っ端から握り締め、廊下を歩いていく。

 「何なんだこりゃあ。」シュンが困惑と歓喜の入り混じった顔でリョウに問いかける。「デスメタルがこんなに歓迎されちまっていいのかあ?」

 「しぇいしぇい。」ミリアがにっこりと笑みを浮かべてそう言うと、幾多もの歓声が上がる。その中に飛び交う「カワイイ」という単語だけ、理解できた。

 「また来るかんな。その時はよろしく。」出口近くにやってきたリョウが振り返ってそうはっきりと日本語で告げると、おそらくは今回ヘッドライナーを務めるバンドのフロントマンである、腰までの長髪にCHILDREN OF BODOMのTシャツを着た男が唐突に「待ってるよー。」とリョウに言った。リョウは思わずぎょっとして、「に、日本語わかるんすか。」と尋ねた。

 「日本語、チョットダケ。私のおじいさん、日本語上手。」

 リョウは目を瞬かせる。

 「えー、あなた素晴らしい。えー、歌。ギター。台湾に来る。」考え、考え、言った。

 「シェイシェイ。」リョウは照れ笑いを浮かべながら、男の手を取り固く握手をした。

 「シェイシェイ!」男も元気いっぱいに手を挙げて言った。

 どうにか異国のバンドマンたちとの邂逅を済ませホール裏口から出ると、南国の夜の涼風が優しくリョウたちの火照った体を掠めた。遥か上空には日本と変わらぬ、煌々とした僅かな欠けもない満月がぽっかりと浮かんでいる。「綺麗だねえ。」とミリアがぼんやり呟いたのに、なぜだか三人とも心から首肯したくなった。これを忘れてはいけない、というような気にさせられた。

 三人は暫し呆然と空を見上げていたが、後方から幾度となく歓声の上がるのを聞くや否や、道路を渡ってそのまま目の前のホテルに戻った。リョウは風呂にも入らずそのままベッドに倒れ込んで、深い深い夢のない眠りに着いた。


 「ねえ、ねえ。」肩を頻りに揺さぶられ、眩い朝日に顔を顰める。今日のレッスンは何時からだったろうか、ミリアはまだ春休みか、じゃあ朝飯はまだいいなと思い立ち、そうだ、昨夜は台湾でのライブだったのだとリョウは目を見開いた。目の前には自分の上に四つん這いになったミリアがいる。

 「ねえ、ねえ、起きてよう。」

 「あ、ああ。」

 「せっかくだから、新婚旅行行きましょうよう。シュンとアキはもうどっかご飯食べに行っちゃったのよう。リョウとミリアばっかり置いてきぼり。」

 気付けばミリアは花柄のワンピースを着込んでいる。ポシェットのようなものまで肩から下げて、やたら唇にも艶がありどうやら口紅も差しているようなのである。ライブよりも断然気合の入った風貌にリョウはさすがに上体を起こした。

 「今何時?」

 「もう十一時半だわよう。」

 「四時過ぎにはもう飛行機乗らねえといけねえんだぞ。」

 「わかってるわよう! だーかーらー! 早く起きてって言ってるのに! リョウは鼾ばっか掻いてて起きないんじゃない! 何でごうごうそんな鼾がでっかいの? 何か獣が住んでるの? だからあんなデス声が出んの?」

 リョウは仕方なしにミリアを押しのけてさっさと顔を洗い、DYING FETUSのTシャツに袖を通し身支度を済ませると、ミリアを連れて、というよりは手を引かれ引かれしてホテルを出た。ロビーにはスーツを着た客が闊歩している。リョウは首を傾げて、「なあ、俺ら昨日ライブやったんだよなあ?」と問うた。

 「忘れちゃったの?」気の毒そうに問いかける。

 「否、忘れた訳じゃないけれど……。」

 「あんなの、一生忘れらんないわよう。」

 ホテルを一歩出ると日差しは部屋にいた時よりも一層強く、突き刺さるかのようである。リョウは目を細めてミリアに手を引かれるまま歩いた。ミリアはどこから入手したのだか、片手に現地の地図を持ち、それを見ながらあれこれとリョウに話しかける。

 「ねえ、ここはね、お寺。学問の神様がいるの。だからまずここに行って、カイトにお守り買ってくんの。だって、リョウが手術した時、カイトがお守り買って来てくれたんだから。ね。だから行くの。そしたらここ。美味しいタピオカジュースが飲めるお店。ここ行くの。」

 リョウはタピオカジュースはいいな、と思う。喉が渇いているのである。

 「そしたら、次ここね、かき氷屋さん。ここもね、フルーツがいっぱい乗ってて美味しいんだって。そしたらここね、この道ずーっとお洋服屋さんなんだって。日本よりも安いって。だからここも見たいの。」

 リョウは半ば思考停止したまま、ミリアに手を引かれつつ歩く。ライブの翌朝は大抵なかなか現実に入り込めないようなふわふわした感覚があったが、真夏の異国ではそれが一層である。

 「おい、あっついなあ……。三月でこれじゃあ、八月とかはどうなっちまうんだろうな。毎年溶け切って再生してんじゃねえのか、この国の人たちは。」

 「そんな訳ないじゃないのよう! タピオカジュース飲んでかき氷食べれば、乗り切れんの。みんなそうしてんの。」ミリアはあたかも見て来たように言った。

 するとそこに遠くから若者二人が走って来る。

 「リョウ! ミリア!」彼らの口はたしかにそう告げたので、リョウもミリアも足を止め、驚いた顔で二人を見詰めた。少年とも言っていい年齢の男の子二人である。彼らはNIGHTWISHのTシャツに、もう一人はSEVENDUSTのTシャツを着ている。アシンメトリーの日本では見られないような少々妙な髪型をしているが、腰までの赤髪を有するリョウにはそれを異に思う資格などは無論ない。

 彼らは満面の笑みを浮かべながら片言の英語で、「ラスト、ナイト、ユーア、ショウ、イズ、エクセレント!」と言った。

 「どうも。」と言って通じないと思い成し、リョウは慌てて「サンキュー、サンキュー」と言い直した。

 「ミリア、カワイイ!」

 ミリアはきゃあ、と言って頬に手を添えた。「サンキュー。」

 「レイズ」と言って一人の男が鞄の中から小さなアルバムを取り出した。それが雑誌名の『RASE』であることはすぐに解された。そこにはミリアの切り抜きがびっしりと収められていたから。少年は自慢げにぺらぺらとアルバムを捲った。――そこから飛び込んできた、好きなタイプはお兄ちゃんです。酷くその文言が懐かしいもののようにミリアには思われ、感嘆の声を漏らした。「わああ。」

 男は手を差し伸べミリアに握手を求め、ミリアは恐る恐る手を握り返した。言葉など通じなくともこの、目の前の輝く瞳が、笑みが、最高のライブであったと如実に語ってくれている。それからどんなに自分たちの来訪を心待ちにしてくれていたかも。

 若者はデジカメを取り出し、写真を撮る真似をし、「OK?」と尋ねる。

 「イエス。イエス。」ミリアとリョウは若者の両側に立ち、もう一人の若者がカメラを構える。一枚ずつ写真を撮った。一人が感極まって、遂に中国語で何やらつらつらと述べた。リョウもミリアも一言もわからなかったが、励ますようにうんうんと何度も頷きながら聞いた。

 やがて満足したのか、「サンキュー。」と言って若者二人は手を振りながら来た道へと戻っていく。その姿をぼんやりと眺めながら、リョウは「やっぱ俺はライブやったんだよなあ。」と誰へともなく呟いた。「なんかさ、夢だったんじゃねえかって思えてならなくってさ。」

 「違うわよう。」ミリアは眉間にしわを寄せてリョウを見上げた。「リョウは昨日、千人のお客さんを引き込んだんだわ。ミリア、しっかりこの目で見たもの。夢なんかじゃないもの。」

 「幸せって実は猛毒でさあ、やべえから、あんま人間幸せ過ぎっと、頭ん中が拒絶して現実じゃねえって思わせるっつう仕組みなのかな。」リョウはそう言って苦笑を浮かべた。そんなわけはない、ならば自分は大昔にとっとと死んでいる、とミリアは不満げに唇を尖らせると、再びリョウの手を引き引き、歩き出した。

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