12話
「ただいまー。桜ちゃん」
翔君たちとの海に行こう計画の話し合いが終わり(ほとんど談笑で終わった)、僕はお昼前には家に着くことができた。桜ちゃんを一人にしておくのはやっぱり心配だったので、今日少し早めにみんなと別れたのは正解だったかもしれない。
そう思いながら自宅の玄関を開ける。
「おかえりなさいませっ! ご主人様!」
バタン。
僕は自分の家の玄関を閉じた。
僕が玄関を空けて最初に目にしたのはメイド服姿の桜ちゃんだった。そこはまだいい。桜ちゃんは僕の家でも、いつ奏ちゃんの元に戻ってもいいように。とメイドの仕事、僕のお手伝いをしてくれている。そこは全く気にならないというわけではないが問題ない。
問題は桜ちゃんの言った言葉だ。僕の耳が腐っていたり、おかしくなったりしていなければ、桜ちゃんは「おかえりなさいませっ! ご主人様!」と言っていた。
僕はそこまで望んでいない。聞き間違いだと信じてもう一度玄関を開けた。
「おかえりなさいませっ! 旦那様!」
もう一度玄関を閉めた。
悲しいことにさっきのは僕の聞き間違いではなかったらしい。これなら本当に僕の耳がお赤しくなっていた方がマシだったかもしれない。しかも、さりげなく「ご主人様」から「旦那様」に変わっていた。
僕は三度目の正直という言葉を信じてもう一度玄関を開ける。
「おかえりなさいませっ! あ・な・た。ご飯にします? お風呂にします? それともわ・た・し?」
「……」
もう黙ることしか僕にはできなかった。どう反応していいのかわからない。そういえば、三度目の正直って言葉があるけど、二度あることは三度あるって言葉もあるんだったっけ。
「あれ~? どうしてどれも反応を示さないんですか? こういうこと言われるのが男の夢じゃないんですか?」
「……桜ちゃん。それはひどい誤解だよ……」
「そうなんですか!?」
世の中にはそういうことを言われて喜ぶ人も確かにいるんだろうけど、少なくとも僕は違う。まず、僕は桜ちゃんのご主人様でも旦那様でも、ましてや夫でもない。
「なら。佐渡さんはどういう風に出迎えられたらうれしいんですか?」
「え?」
「いやですね。私は今、仮にも佐渡さんのメイドです。なのでしっかりとお出迎えをしたいわけですよ。それで私はさっき代表的な三パターンのお出迎え方法を実践しましたが、全部佐渡さんの好みじゃなかったんですよね? なら、どういったお出迎えが好みなのかと……」
「それは……んー……」
そう聞かれるとこっちとしても困る。
高校生の時に実家では普通に母さんは「おかえりなさい」妹の芽衣は「おかえりー。お兄ちゃん」だった。こっちに来てからは基本はいつも一人だったし、彼方ちゃんがいた時も普通に「おかえりなさい佐渡さん」だったし、奏ちゃんは「やっと帰ってきた」みたいな感じだった。僕はそれでよかったし、それ以外のお出迎え方法なんて考えたこともなかった。
「んー……普通におかえりなさい。とかでいいよ」
というわけで、僕は無難に、普通に、当たり前に、「おかえりなさい」を提案した。
「えーっ! そんなの普通過ぎてつまらないですよー」
しかし、桜ちゃんには納得してもらえなかったようだ。
「んー。でも、それ以外僕には思いつかないんだけど……」
「わかりましたっ。これから私がいろいろと試していきますねっ! これから家に帰るのを楽しみにしててくださいね」
「う、うん」
少し不安ではあったが、ここは頷く以外のことができない僕だった。
「それで、海に行こう計画の話し合いはどうでしたか?」
場所を玄関から今に移動して、特にすることのない僕らは桜ちゃん作のお昼ご飯を食べながら、会話を楽しんでいた。
「うん。とりあえず、お盆休み辺りは止めておこうってはなしになったよ」
「ああー。その時期は帰省ラッシュで電車も道路も込み合いますからねー」
「そうなんだよ。だからお盆休みを少しずらして前に行くか、あとに行くか。ってところで、これ以上は彼方ちゃん達の意見も必要ってことでお開きになったよ」
奏ちゃんの名前は桜ちゃんに変に意識させたくなかったので、意識的に省いた。
「そうなんですか。それじゃあほとんど決まらなかったんですね」
「そうだね。でも、まあ夏休みはまだ始まったばかりだからね。これからだよ」
「そうですねー。夏休みと言えば海にプールにお祭りと楽しいイベント満載ですからねっ!」
生き生きした様子の桜ちゃん。
「そうだね。海以外にもどこか行きたいね」
「なら、佐渡さん。プール、行きませんか?」
「プール? いいけど、どうして?」
桜ちゃんが言ったように夏には楽しいイベントがたくさんある。その中で桜ちゃんがなぜ、プールを選んだのかが気になった。
「うっ! そのですね……なんというかー。そのー……」
珍しく桜ちゃんが口を噤んだ。なにか言いにくいことでもあるのだろうか。僕はデリカシーというものがないらしいので、なにかまたデリカシーに欠けることを言ってしまったのかもしれない。
「さ、桜ちゃんっ。言いにくいことだったら別に無理して言わなくても……」
僕はこれ以上桜ちゃんを辱めないために早急に自分のミスを埋めにかかる。
「いやいや、そんなことないんですけどね。あのですね、今度海に行くじゃないですか? だからその時にお嬢様に何があってもいいように泳ぎの練習をしておきたいんですよ。……私、あんまり泳ぎが得意じゃないんで……」
「そうなんだ」
桜ちゃんのその言葉は僕にとって結構意外な言葉だった。この前の奏ちゃんの件で、僕と間宮さんたちが別行動を取っていた時、翔君と一緒に桜ちゃんもすごい働きをしていたって間宮さんから聞いていたので、僕はてっきり桜ちゃんは運動神経が良い方なんだと思い込んでいた。
それともう一つ気になることがある。
今も桜ちゃんが少し口を噤んでいた。というか、歯切れが悪かった。別に泳ぎが苦手なことぐらい普通だと思うし、世の中には泳げない人だっている。泳げる人だってとりあえず泳げるって言う人の方が多いはずだ。僕だって後者の方に入るくらいだし。
「うん、わかった。今週末、えーっと明後日でいいかな?」
といっても僕にこの提案を断る理由はない。楽しいことは僕も大好きだし、なにより奏ちゃんとの関係を元に戻す役に立つかもしれないことを見逃す理由はない。
「はい。……それでなんですが佐渡さん……」
桜ちゃんはまたも言いにくそうに口を開いた。
「なに? 怒ったりしないから何でも言ってよ。僕なんかじゃ確かに頼りないかもしれないけど、出来るだけのことはするから。ねっ?」
「……はい。ありがとうございます……」
なぜか最後まで歯切れの悪い桜ちゃんだった。
次の日、僕らは例の大型デパートまでやってきていた。理由は桜ちゃんの水着の購入だ。桜ちゃんもいきなり奏ちゃんのお屋敷から出てきたのと、まさかこんな予定があるなんて思ってもいなかったのだろう。さすがに水着までは思って来ていなかった。まあ。持ってきていてもびっくりしたんだろうけど。
なので、僕らは食材の買い出しも兼ねて大型デパートを訪れた。
「わーっ。話には聞いてましたけどすごい大きさですねー。屋上からならバンジージャンプとかできそうですねー」
「ははは。確かにできそうだけど、やりたくはないなー」
別に僕は高所恐怖症というわけではない。そこそこな高さなら問題ないし、観覧者なんかは特に気にすることなく乗ることができる。しかし、そこに恐怖が混ざれば話は別だ。ジェットコースターなんかは苦手である。
「ええーっ。楽しそうじゃないですかー」
「んー。だって怖くない? 桜ちゃんはそういうの平気なのかな?」
「そうですねー。私は平気な方ですかね。ジェットコースターとか、高い位置から一気に落ちる感じのも全然平気ですよ」
どうやら桜ちゃんはそういうのが平気なタイプの人らしい。確かに翔くんとかと気が合いそうだ。
「それじゃあ入りましょうか!」
桜ちゃんが意気揚々と大型デパートの入口へと向かう。
「ちょっと待って桜ちゃんっ!」
その背中を呼び止める。
「なんですか佐渡さん? なにか忘れ物ですか?」
桜ちゃんがその場で立ち止り、言葉通り「どうしたんですか?」という顔をしている。
しかし、僕にはこのデパートに入る前に桜ちゃんに言っておかなければならないことがある。それはこのデパートでの注意事項。絶対の法則。僕は二度と同じ過ちを繰り返したくない。
「違うんだ。ちょっとした注意事項だよ」
「……注意事項ですか?」
桜ちゃんがますます顔に疑問の表情を浮かばせる。
まあ、何も知らない人からしたらデパートで何を注意するんだという感じだろう。デパートで気を付けることなんてせいぜい迷子にならないくらいのはずだ。でも、迷子になんてそうそうならないはずだし、やっぱり言われた方は何が何やらわからないという感じだろう。僕だって最初にここに来る前に翔君たちに「エレベーターには気を付けろ」と、言われて意味がわからず、エレベーターに乗って地獄を見たものだ。それも今はいい思い出……にはとてもならない。
「うん。絶対にエレベーターには乗らないで……いや、近づかないで。たとえ何十階も上に行かないといけないにしてもエスカレーターか階段を使うこと。いいね?」
「はあー。佐渡さんがそう言うなら……」
意味はよくわかっていないはずだけど、とにかく桜ちゃんは戸惑いの表情ではあるけれど、了承してくれた。これで僕も一安心だ。
「それで佐渡さん。女性物の水着ってどこに売っているんですか?」
「あー。うん。十二階だよ。女性物の衣類は全部そこに売ってるんだ。水着以外にも普通の服とか下着とかね」
「そうなんですかっ! 話には聞いていましたがすごいですね。私なんだか燃えてきちゃいましたよっ!」
やっぱりメイドという職業についていて普段はメイド服しか着ていない桜ちゃんでも、女の子。オシャレには目がないようだ。彼方ちゃんや奏ちゃんも女の子らしく衣類には興味があったみたいだけれど、桜ちゃんは目を輝かせるどころか、目に炎すら見えそうなくらい燃えている。
「でも、今日は私自分のお金持ってないですし、佐渡さんにお金を借りて水着を買うんだから、普通の服はお預けですねー」
そう。桜ちゃんは自分の水着どころか自分の財布、というか持ち金が一切ない。たくさんのバックや手荷物を持っていたので、色々と持ってきているのかと思ったのだが、中にはメイド服、私服、日常用品、しか入っていなかった。でも、落ち込んでいて、頭がまともに働いていない状態で準備をしていたはずなので、それも仕方ないだろう。
そんな理由で桜ちゃんだけ海はお預け、または海に一緒には来るけど、シートでお留守番というのは可哀相なので僕が買ってあげることにしたのだ。それに僕としては海に行く時が奏ちゃんと桜ちゃんの関係修復はその時が良いと思っているのでなおさらだ。
「別に少しくらいならいいんだよ? 僕だってそれなりにお金は持ってるし、水着だって僕が買ってあげるのに……」
「それはダメですっ! ダメダメですっ!」
桜ちゃんは考えることもなく、手を胸の前でクロスして罰を作った。つまりは僕の案を拒否した。
実は、昨日のプールの話が出た後に水着がないことが発覚したので、買いに行くことが決定した。そしてその時、僕が水着くらいなら買ってあげるよ。と言ったのだが、桜ちゃんは今と同じように速攻で拒否した。その後も僕は買ってあげると言い続けて桜ちゃんが折れるのを待ったのだが、桜ちゃんは最後まで頑なに折れることはなかった。僕も時と場合によっては結構強情だと言われるのだが、桜ちゃんはそれ以上だった。彼方ちゃんも似たようなところはあったが、桜ちゃんは彼方ちゃん以上に、そして僕以上に強情というか頑固なようだ。
「無料で泊めてもらっているのにそこまでしてもらうわけにはいきません。これだけは佐渡さんが何を言おうと譲しませんっ」
今も頑なに首を縦に振ってくれない。
「それは……でも、桜ちゃんは家のことを手伝ってくれてる……というか全般をやってくれているし、それに、もし桜ちゃんがどこかに行こうとするなら僕が止めてるんだから気にしなくていいよ」
奏ちゃんの家を出てきてから僕の家に来たとき、桜ちゃんは泊めてもらう代わりに家の手伝いをしてくれると言ったのだが、もうお手伝いという域を超えている。彼方ちゃんや奏ちゃんのとき以上に家のことをしてくれる―――というかしてくれる。
僕は基本的に週一でしか家の掃除をしない。あとは暇な時くらいだ。それを桜ちゃんは毎日やってくれている。それも隅から隅まで。「お屋敷より狭いですし大丈夫ですっ!」と言って掃除をする。そして手伝おうとすると、すぐに僕の肩を押さえて、「佐渡さんはそこから動かないでください。これはメイドの仕事です。わかりましたか? ご主人様」と、笑顔で聞かれる。僕としてはとても歯がゆい。それ以外にも料理は朝と夜は桜ちゃん。お昼が僕と桜ちゃんだ。つまり桜ちゃんは三食全部を作っている。しかも栄養バランスを考えられているのですごい。しかし料理番も最初は全部桜ちゃんがやると言って聞かなかったのを僕が無理言って昼だけ協力している―――そう。協力している。決して僕が主体ではない。
その他にも洗濯も桜ちゃんがやっている。桜ちゃんの下着もあるのでそれは仕方がないと僕もわかっているのだが、僕としては自分の物は自分で、という風に考えていた。しかしそれも桜ちゃんが「私、佐渡さんのパンツなら洗えますっ。触れますっ。なんなら嗅いだりもできますよーっ」と、冗談交じりにも断言されてしまって、僕が最後の「嗅いだり」という言葉に混乱しているうちに了承させられてしまった。情けない。
買い物はこの辺りの店の場所はわかっても、どこで、いつ、何が安いのかが桜ちゃんにもわからなかったらしく、僕が主体に行えている。が、帰りの荷物持ちは桜ちゃんにほとんど持っていかれる。少し強引に桜ちゃんの手から袋を取ろうとすると「手、繋ぎたいんですか? そんなー。私照れちゃいますー」と、頬を染められて、逆に僕が照れてしまい、いつも僕の方が持つ量が少ない。
その他にも話しだせばいくらでも、桜ちゃんがなんでもやってくれているという話は出てくるが、話しだせば止まらなくなるので、この辺りで割愛しておく。
まあ、簡単に言ってしまえば、僕は最近家のことを何もさせてもらえないということだ。
それを考えれば水着一着や少しの服くらい安いものだ。
「それでもダメですっ! ダメダメですっ!」
「でもね……」
「ダメですっ! さあー行きましょーっ!」
どうやら本当に何を言っても聞き入れてもらえそうにない。




