3話
あの後すぐに僕らは大学を出て、近くの喫茶店まで移動していた。
席に着くなりメニュー表を眺め、香さんがホットコーヒー、僕がホットココアを店員さんに頼むと、ほぼ初対面ということも相まって早速言葉に詰まってしまう。
失礼だとは思いながらも、話のキッカケがその辺に転がってないかと喫茶店を眺める。
最初に目に入ったのはやっぱり穏やかな店内だ。落ち着いた雰囲気のある店内に優雅なBGMが流れることによってさらに心に落ち着きが生まれている。天井には大きなプロペラのようなものが回っていて、なんかオシャレだった。
店員さんも明るくていい感じの人だったし、マスターらしき人も少し怖そうな顔をしているけど、カウンター席でお客さんと話しているときはすごい笑顔だった。それだけでマスターさんがいい人なのだと窺える。
って、なにのんびり店内の観察をしてるんだ僕は! 早く香さんとの会話のキッカケを探さないと! でも、結構長い間お店の中見ちゃってたよね。 香さん、怒ってないかな?
そう思って香さんの方へ視線を向けると、そこのは笑顔の香さんがいた。
「あー、別にもっと店内見ててもいいよ? すごい落ち着いた感じでオシャレだもんね、このお店。今度からちょこちょこ来ようかな?」
失礼なことをしてしまっていた僕を責めるでもなく、むしろ僕と会話を合わせるようにして話してくれる香さん。
なんていい人なんだ!
そう心の中で僕が感激していると、店員さんがホットコーヒーとホットココアを運んできてくれた。
それぞれの前に注文の品が置かれてすぐ、互いに自分の飲み物を口にする。熱くて舌を火傷しそうになるも、味自体はほんのりと甘くてすごくおいしかった。
ひとまず喉を潤し、温かい飲み物で体を温めた僕はソーサーにそっとカップを戻すと、同じくソーサーにカップを戻した香さんが、それじゃあ本格的なお話でもしよっか? とでも言うように笑顔で会話を振ってきた。
「そういえばさ、佐渡君。ちょっと聞きたいんだけど、最近鈴と何かあった? たとえばほら、ケンカしちゃったとか」
「うっ……」
まさに図星を刺されて呻く僕。
その様子を見て「ははーん」と、悪戯な笑みを浮かべる香さん。僕って、ほぼ初対面の人にも考えてることがバレバレなのか……。
まあ、こんな露骨に顔と声で表せば気づかないほうがおかしいのかもしれないけれど。
「そのようすだと……なにかあったね?」
「う、うん……。ちょっといろいろと……ね」
事情が事情なので、おいそれと内容を話すわけにはいかない僕は、とりあえず間宮さんとケンカをしてしまったということの肯定の意味で首を縦に振る。
僕のその反応に香さんは「やっぱりかー」なんて言いながら続けてきた。
「実はね、さっき隙さえあれば鈴が佐渡君の話をするって言ったけど、最近全然佐渡くんのこと話さないんだよね。いや、ちょっと違うかな? 話そうとはするけど、すぐに止めちゃうんだよ。それですぐに話を逸らしちゃうの。私が心配して踏み込んでも、全然話してくれないしさ」
間宮さんのことを本気で心配してくれているのがほとんど初対面の僕でもわかるほど、香さんは軽い身振り手振りを交えて話してくれた。
そのことがなんだか嬉しくて、僕はつい微笑んでしまった。
「えっ? なんで鈴とケンカしてる話してるのに笑ってるの? 佐渡くん大丈夫?」
「あ、違うんだよ。僕はただ、間宮さんのことを本気で心配してくれる人がちゃんといることが嬉しくって」
「あー、なるなる。確かに鈴から聞いてる佐渡くんだとそんなこと言いそう」
変な勘違いをされないで済んだところで、香さんは話を元に戻すように会話を続けてきた。変にいきなり深く踏み込むでもなく、徐々に徐々に、ゆっくりと、僕の話すペースに合わせてくれるようにして話を聞いてくれた。
そのおかげで僕は自分のペースで話を進めることができ、どうにか佐藤さん家族のことを省いて間宮さんと僕がケンカをしてしまった説明することができた。
「ふーん。それじゃあ、佐渡くんが一人で困ってる人を助けようとしちゃったのを鈴は怒ってるんだ?」
「たぶん、だけどね……」
「だけどさ、それくらいのことじゃ鈴は怒らないんじゃない? ほら、鈴って、いい意味でも悪い意味でも大人だしさ」
「そうだね。それは僕もそう思うよ。でも、今回のことは少し事情が違ってて、最初はみんなで解決しようって話をしてたんだ。それなのに僕が勝手なことをしちゃったから」
「そういうことか。なるほどね、そりゃあ鈴の性格上ふてくされちゃうかもだね」
そこまで話したところで香さんはホットコーヒーで唇を湿らせた。僕もそれに倣ってホットココアで唇を湿らせる。
「あのさ、佐渡君。一応、念のための確認なんだけど、佐渡君はちゃんと鈴と仲直りする気あるの?」
さきほどと同じような感覚で、なんてことない日常会話の様に、とりとめのない会話でもするような笑顔のままで、そう問いかけてくる香さん。
しかし、その笑顔はどこか真剣みを帯びていた。
だから僕も、しっかりと香さんの言葉を咀嚼して、その言葉の真の意味を理解する必要がある。
「……もちろん、ちゃんとあるよ。ちゃんとあるから、今頑張ってるんだ……」
そしてこれが、しっかりと言葉の意味を咀嚼した僕の心のから回答だった。
「……」
それから少しの間、香さんは僕の顔をじっと見つめると、何かを納得したように頷いた。
「そっか……。じゃあ、協力してあげる」
「え? 協力……してくれるの?」
「もちろん。いつまでも鈴があんな調子なの見てらんないし。それに私、まだあの時のお礼できてないから」
「お礼? お礼って……ああ」
申し訳なさそうにして笑う香さんを見て、僕は香さんの言うお礼の意味がわかった。
少し前にあった、アトフィック社という一つの会社が原因で起こった出来事についてだ。
あの時、香さんは本来自分が背負うはずだった重荷を間宮さんに預け、あまつさえ自分だけそこから逃げてしまった。もちろん間宮さんに無理やり押し付けたとかじゃなくて、間宮さんの優しい性格から出た、香さんを助けたいという一心があったからこその出来事ではあったけれど、香さんはそのことをずっと引きずっていた。
結果として香さんから得た情報のおかげで間宮さんの居場所を知ることができたし、その後に間宮さんから聞いた話だとちゃんとそのことも二人で話し合ったと聞いていたけれど、香さんが恩を感じていたのはどうにも間宮さんだけじゃなかったらしい。
「香さん。その気持ちは嬉しいけど……」
「待った! その先は言っても聞かないよ!」
突然僕の言葉を遮るように手を突き出してくる香さん。
僕はその行動に一瞬戸惑うも、すぐに「どうして?」と、質問を返した。
「佐渡君はたぶんこう言おうとしたんだよね? でも、これは僕と間宮さんの話だから。それに、僕は香さんに感謝されるようなことは何もしてないよ。って」
絶句した。
ほとんどどころか、一言一句僕が言おうとしていた言葉そのものだったからだ。
これが彼方ちゃんや間宮さんとかならわかる。結構な時間を共に過ごしてきたみんななら、考えていることがわかりやすいと言われる僕の考えを読むことなんて結構あるからだ。
でも、ほとんど初対面なはずの香さんにここまで考えが読まれるとは思ってなかった。
「とにかく、私は佐渡君がなんと言おうとも二人の仲直りの手伝いをするからね。いいよって言っても勝手にやっちゃうから!」
「えっと……その……うん。わ、わかったよ。お願いするね」
「おうともさ! この香さんがきっちり二人を仲直り、あわよくば今まで以上の関係にしてやりますよ!」
軽く腕まくりをしながら気合を入れて宣言する香さん。
この前会った時は相当精神的に追い詰められていて、まともな状態で話せなかったからわからなかったけど、本来の彼女はこんなに明るいというか、ぐいぐい来る性格だったんだなと今更に思う。
「あっ、今私ってこういう感じの人なんだって思ったでしょ?」
「えっ? ……僕って、そんなにわかりやすいかな? みんなにもよく言われるんだけど……」
「そうだね、控えめに言ってすっごいわかりやすい。顔になんでも書いてあるみたいだね」
まるで悪気なくそう告げる香さんに、がっくりとうなだれる僕。香さんはそんな僕を見てカラカラと笑いながらホットコーヒーを一杯飲み終えた。
そして香さんは近くにいた店員さんにもう一杯コーヒーを注文し、それが終わったのを見計らって僕は口を開いた。
「あの、でも、別に悪い風に思ってたわけじゃないんだ。ただ、こんなに明るい人だったんだなって」
「あー、うんうん。よく言われる。でも、佐渡君はやっぱり優しいね。本当なら私みたいにぐいぐい来るタイプ苦手でしょ? 少し仲良くなってからならともかくほとんど初対面でなんて特にさ」
「あー、ははは……」
本当に僕の顔には僕の心の動きが書かれてるんじゃないかと疑いながらも、から笑いを返す。しかし香さんはそんな僕を見ても特に怒りも嫌な顔もせずに笑っていてくれた。
気分を害さなくて済んだことにほっとする。
そんな僕を見てニコニコと笑いながら、店員さんの運んできたコーヒーを笑顔で受け取り、あちち、なんて言いながら口を付ける香さん。
「それじゃあ話を戻すけどさ。鈴との仲直りの件、協力するとは言っても私にも限りがあるからね。直接予定を合わせちゃうとかは絶対に無理」
本題のレールまで話が戻って早々に、さっきまでの自信はどこへやらといったようなことを香さんが言ってくる。
「ん? それってどういうこと? 僕はてっきり香さんを挟んで三人で話す機会を作ってくれるってことだと思ってたんだけど……」
当たり前のような素朴な疑問に、香さんは「うんうん。だよねー」と首を振りながら応じてくる。
「確かにその方法が一番手っ取り早くて私好みなんだけど、たぶん私と佐渡君であれこれ策を巡らせたところで鈴はすぐに気づいちゃうと思うんだよね」
「た、確かにそうかも……。少なくとも僕は役に立てそうにないよ……」
間宮さんの考えを出し抜くなんて僕には一生出来る気がしない。
「だから、私が手伝うのはあくまで偶然をどうにかして佐渡君が掴み取れるように手伝うことにするよ!」
「えっと……それはつまりどういう?」
「例えば、佐渡君が遠くで見えたら私がそっちに行きたいって何気なく言ってみたり、佐渡君がこっちに気づいて近づいて来てるのがわかったらその場に鈴を引き留めてみたりとか、そういうこと。それくらいなら鈴は疑いこそすれ、証拠がないから私は上手く言い逃れできる」
「うっ……。いい作戦だとは思うけど、なんか間宮さんを騙してるみたいで罪悪感が……」
「そんなのは後で謝ればいいんだよ。ただ謝ることが一つ増えるだけ。それで鈴とは元通り! もしかしたら元通りを通り越してもっと仲良くなれちゃうかも!」
テーブルに手を着いて身を乗り出してくる香さん。
あまりの勢いに僕が飲もうと手にしていたカップを落としそうになりながらもどうにか我慢する。
あ、危なかった。
「あの、さっきも気になったんだけど、もっと仲良くってどういうこと? 僕と間宮さんって今でも結構仲良いと思うんだけど。そりゃあ、今は喧嘩中だけどさ」
「ふっふっふっ。さすが佐渡君だね。鈴から聞いてる通り鈍いね、にぶちんだね」
「そ、そんなことないと思うんだけど……」
「あるある。ちょーあるよ。少なくとも私が今まで出会った人の中ではピカイチだね! うん、佐渡君は世界一のにぶちん男子だよ!」
特にうれしくもない太鼓判を押されてしまった。
「とにかく、佐渡君は今まで通りどうにかして鈴と会おうと努力して。私もできる範囲で手伝うから。絶対鈴と仲直りしてよ? 絶対だからね!」
「う、うん! 香さんの気持ちに答えるためにも、間宮さんのためにも、僕のためにも絶対に間宮さんと仲直りして見せるよ!」
「よしっ! その意気だ!」
僕の決意に心地いい笑顔で肩に手を置いてくる香さん。たったそれだけのことで自信のようなものをもらった気がして心が温かくなる。
「あの、香さん」
「ん? なに?」
僕が名前を呼ぶと、香さんはコーヒーを口に含みながら応じてくる。
そんな香さんに僕は、今日のことのお礼と感謝を告げるべく口を開いた。
「間宮さんとのこと、本当にありがとう。香さんに相談に乗ってもらえて、話を聞いてもらえて、手伝ってもらえるようになって、本当に嬉しい。それと、香さんみたいな素敵な人が間宮さんの友達で本当によかった。だから、本当にありがとう。僕、香さんのそういう人に優しくできるところ……好きだな」
素直な気持ちを吐露する。
それはすごく恥ずかしいことで、難しいことだ。
でも、今伝えないと伝えられなくなってしまうかもしれない。次のチャンスはないかもしれない。そのことを知っている僕は、できるだけその場でお礼や感謝の言葉は口にするようにしている。
だから僕は今、香さんに精一杯の感謝の言葉を伝えたわけだけど―――
「―――っ!!! げほっ! ごほっ!」
何故か香さんはむせこんでしまった。
香さんは手に持ったカップを急いでソーサーの上に戻し、僕はあわてて声をかける。
「だ、大丈夫!?」
「う、うん。大丈夫大丈夫」
香さんは咳込みながら僕を手で制してくる。それを無理してどうこうするのも何だと思い、背中をさすってあげたい気持ちを強引に飲み込む。
そして僕がそんなことをしているころには香さんの咳は止まっていた。
「こ、これが鈴が言ってた佐渡君の天然か……。これは怖いね。ドキドキするし、うっかり―――なっちゃったよ」
ぼそぼそと小声で言っていたので最後の方は聞き取れなかったが、なにやら今のようなことも間宮さんから何か聞いているいらしい。
でも、何を聞いたんだろう? なんか聞ける雰囲気でもないしなー。
「あっ、そろそろバイトの時間だ」
僕がもんもんとしていると、香さんがスマホで時間を確認して少し慌てたように言ってくる。
「それじゃあもうお開きにしようか」
「うん。ありがとうね、バイトまでの時間つぶしに付き合ってもらっちゃって」
「そんなことないよ。僕だって間宮さんとのことで相談に乗ってもらったし、手伝ってもらうことになったしで、こっちがお礼を言わないといけないくらいで」
「大丈夫っ! もう十分にもらったから!!」
何やら慌てた様子で荷物をまとめ、「さあ、会計に行こーっ」と立ち上がる香さん。
そんなにバイトまで時間がないのかな? 悪いことしちゃったかも。
それから僕らはすんなり会計を済ませて喫茶店を出る。香さんはスマホで時間を確認しつつも、最後の別れの挨拶をしてきてくれた。
「それじゃあ、佐渡君。次からはお互い頑張ろうね!」
「うん! 絶対に仲直りして見せるよ!」
「うんうん。やる気があっていいね! それじゃあ、また今度ね!」
「はい、また今度」
そう言いながら香さんは僕に背を向け、おそらくバイト先がある方向へと手を後ろ手に振りながら駆けていく。この後特に予定もなく、時間もたっぷりある僕は彼女の背中が見えなくなってから帰ろうと思っていると、少し離れたところで香さんは立ち止まり、こちらに戻ってくる。
なんだろうと不思議に思っていると、香さんは僕の目の前まで戻ってきて、こう口にした。
「あのさー、佐渡君。鈴から話を聞いてたときから思ってたんだけどさ」
そこまで言うと香さんは、少し時間を置いてからその言葉を口にした。
「どうしてそこまで人から感謝されることを嫌がってるの?」
まるで頭を金槌で殴られたみたいな衝撃が僕を襲った。
さっき香さんの言葉を咀嚼したみたいに言葉を飲み込むことができない。呑み込もうとしても喉に何かが引っかかってるみたいに喉を通っていかない。
まるで魚の骨でも喉に刺さったみたいな感じだった。
そのまま僕が何も言えずにいると、香さんはさらに言葉を続けてきた。
「ううん。少し違うのかな? 人から恩を返されることを怖がってる。違う?」
追い打ちを掛けられてさらに思考が混乱する僕。
今まで自分でも考えてこなかったような問いをいきなり尋ねられて、頭が混乱してまともに働かない。いや、正常に働いていてもきっと、答えなんて出てこなかっただろう。
いつものように、いろいろな考えが頭に浮かんでは、それを否定する考えが出てきての悪循環の無限ループに陥っていたはずだ。
「あっ、もうこんな時間! 本当に遅れちゃう! あの、佐渡君。いきなり変なこと聞いちゃってごめんね。的外れだったら忘れて。それじゃ!」
そう言うと香さんは僕の返事も待たずに今度こそ走って行ってしまった。
さっきと同じように後ろでに手を振っていてくれていたけど、今度はそれに答えるほどの余裕が僕にはなかった。
結局この日、ずっと香さんの言葉を喉に詰まらせたまま僕は一日を終えた。