2話
平日の朝、今日も僕と彼方ちゃんはそれぞれの学校に向かうべく、途中まで一緒に歩いていた。
「そっか。今日は彼方ちゃん文化祭の準備なんだ」
「はい。少し準備が押し気味らしくて、放課後にお手伝い頼まれちゃいました。すいません、佐渡さん……。お役に立てず……」
「気にしなくて大丈夫だよ。元はといえば、昨日ちゃんと話せなかった僕が悪いんだし」
「そんな! そんなこと言ったら私だってそうです! 佐渡さんだけの責任じゃありません!」
「いや、でも僕が」
「いえいえ、私が」
普通に会話をしていたはずなのに、またどちらも悪くないのにどちらが悪いかを決める会話に突入してしまった。
そのことに気がついた僕らは一緒に声を出して笑う。
「またやっちゃいましたね」
「そうだね。やるつもりはなかったはずなんだけどな」
「でも私、こういうやりとり好きですよ。佐渡さんと私の会話って感じがして」
「確かにそれはあるね。こんなやりとり彼方ちゃんとしかしないもん」
そうして二人、笑いながら歩いていていると、彼方ちゃんと僕の進行方向が変わる地点まで来てしまっていた。
「本当にすいません佐渡さん。明後日ならどうにか放課後に時間が作れると思うので、明後日に相談には乗らせてもらいますね」
「わかった。明後日だね。それじゃあ、明後日の放課後にお願いするよ」
「はい! 任せてください!」
可愛らしい笑顔で僕に元気をくれる彼方ちゃん。
その笑顔には、どんなことよりも僕に力をくれる不思議な何かがある。
「それでは、お気をつけて行ってきてくださいね。佐渡さん」
「うん。彼方ちゃんも車とかに気をつけてね。いってらっしゃい」
互いに、いってらっしゃいの言葉を交わし、笑顔で手を振りつつ、それぞれの通学路を歩く。
今日も元気にやれそうだ。
「とは思ったものの、やっぱり少し寂しいな……」
今日の講義をすべて終え、相変わらず翔くんや間宮さんたちと交われそうにない僕は、一人寂しく大学の休憩スペースで参ってしまっていた。
「今日はみんなと会えなかったなー。いつもは一回くらいはすれ違うのに」
同じ大学に通う以上、嫌でも多少の接点は必ず生まれる。
それを上手く利用して今まで翔くんや広志くんに話しかけていたんだけど、今日はそれすらもなかった。
もちろん三人以外にも友達はちゃんといて、いつも通りの会話をしたんだけど、比べるのは大変おこがましいことだけど、やっぱりあの三人と話していないだけで少し物足りなさを感じてしまう僕がいる。
「それに、間宮さんとはあれ以来本当に一回も会ってないんだよなー……」
間宮さんに至っては、あの件以降一度も会話をしていないどころか、顔すら合わせていない。
せいぜい遠くから姿を見かけるくらいだ。
「それで追いかけても、すぐ見失っちゃうんだよなー……。確実に避けられてるよね、これ」
今まで思ってはいても、無理矢理考えていないふりを続けていた事実。それを自分で口にしてしまい、とうとう本格的に落ち込み始める僕。
目の前の丸型テーブルに上半身を預け、だらりとする。しかし、そんなことで心までもだらけてくれるかと言えばそんなことはなくて、むしろ体からやる気が抜けた分、さらに心への負担が増えた可能性まであった。
「せっかく彼方ちゃんを安心させてあげられるまでにはなったのに、すぐまたこんなになってるなんて……。やっぱり僕はなにも成長してないんだなー」
昔のことを思い出し、自分が成長したようでまるで成長していない事実を改めて認識する。
そうしていつもの様に負のスパイラルに意図せず突入しようとしていたところで、それを遮るように僕を呼ぶ声が聞こえた。
「今名前呼ばれたよね? 誰だろう? 女の子っぽい声だったけど、間宮さんじゃないみたいだし」
突っ伏していた身体を起こし、そんなことを考えながら体を反転させて声のした方向、後ろを向く。
そこには大学生にしては少し小柄で、栗色の髪を確かボブカットって呼ばれる形に整えた女の子が、無邪気そうに笑ってこちらに手を振っていた。
あんな女の子の知り合いなんていたっけ? でも相手は明らかに僕を知ってるみたいだし。と、慌て始めるも、彼女がこちらに小走りで近づくにつれ、その顔が良く見えるようになり、彼女がすぐ近くまで来て軽く息を吐いたところで僕は彼女のことを思い出した。
「か、香……さん?」
たった今思い出したその名前を口にすると、目の前で息を整えていた彼女は僕の方を見てにっこりと笑った。
「あっ! 覚えててくれたんだ! 正直絶対に忘れられてるって思ってたよ。ほんのちょっと話しただけだったし」
「いや、その、本当に申し訳ないんだけど、香さんのこと思い出したの香さんがここに来てからなんだ……。だから、香さんの予想は当たっちゃってるかな。……本当にごめんなさい」
あまりの申し訳なさに立ち上がって頭を下げる。
間宮さんとアトフィックの一件の時、間宮さんの居場所を教えてもらうために少し話しただけの関係とはいえ、まったく覚えてなかったなんていくら何でも失礼すぎる。
そんな罪悪感から誠意を持って頭を下げ続ける僕に、香さんは周囲の人の反応を窺いながらも、慌てた様子で僕に頭を上げるように言ってきた。
本当ならこの程度で僕の謝罪の気持ちは収まらないけれど、これ以上香さんに迷惑をかけるほうがよっぽどダメだと判断して、素直に頭を上げる。
すると香さんは胸に手を置いて、ホッと息を吐きながら笑いかけてきてくれた。
「鈴から聞いてたけど、本当に正直で優しいんだね、佐渡くんって」
「えっ? 間宮さんから……?」
「うん。鈴ってば、話す内容なくなったらすぐに佐渡くんの話するんだよ? 高校のときにこんなことがあったとか、昨日こんなことあったとか、この後会うんだーとか。そりゃあ聞いてるこっちがごちそうさまです! ってくらいにね」
「ごちそうさま? ……食事中の話?」
「……あー、これが鈴が言ってたやつか。これは鈴も大変だ」
一人何かを納得している香さん。僕には何のことやらで、頭の上にハテナを浮かべることしかできない。
そんな僕を見て香さんは「あー、気にしないで。ただの独り言だから」と、笑いながら言ってくる。どうやらその独り言の内容を教えてもらえることはない様だ。
……気になる。
「ところでさ、佐渡くん。時間があるんならちょっと私と話さない?」
「え?」
突然の発言に呆気を取られ、マヌケな声をあげて応じる僕。
香さんはそんな僕を笑うでもなく、変わらない笑顔のまま自分の事情を話し始めた。
「あのね、今日の講義が全部終わったんだけど、この後バイトがあるんだよね。でも、それまでに少し時間があって、一旦家に帰るにも少し時間が足りなくてさ。だから大学で時間を潰そうと思ってたら知り合いが全滅でさ。鈴もまだ講義があるって言ってたし。それでしょうがないから休憩スペースでスマホでもいじってようかなーって思ってたら、佐渡くんがいたんだよね」
そう、自分側の事情を一通り話し終えた香さんは改めて笑顔で僕に質問してきた。
「だから、佐渡くんさえよかったら、私の時間つぶしにちょーっと付き合ってくれないかなーって。おねがい! この前のお礼もまだだしさ!」
そして最後には両手を合わせて軽く頭を下げてくる。最初とはまるで正反対の構図となった僕ら。
唯一良かった点を挙げるとすれば、今この場にあまり他の人がいなかったことくらいだろう。変に目立ったり、変な疑いをかけられることはなさそうだった。
とはいえ女の子にずっとこんなことをさせるのは僕の精神上大変よろしくないので、さきほど香さんが僕にしてくれたように彼女に頭を上げてもらう。
そして、この時点で香さんの質問に対する僕の回答も決まっていて―――。
「そういうことだったらもちろんだよ。僕なんかでよかったらだけど……」
「ほんとっ! ありがとーっ! 本当に助かるよ!」
断る理由も、断れるわけも、僕にはなかった。