エピローグ
その日の放課後。
私は昨日の約束があったため、学校が終わっても帰らずに自分の席で文庫本を読んでいた。だんだんとクラスメイト達が部活やら家に帰るために教室を出ていく。
佐渡誠也も最初は九重と話をしていたけど、九重が「バイトだから、帰るわ」と言って帰ってしまってから、自分の席で大人しくしている。
教室から私と佐渡誠也以外の人がいなくなるころには、すっかり外は茜色に衣装を変えていた。
教室に私たち以外の人がいないのを確認すると、私は文庫本を閉じて立ち上がる。それに気が付いた佐渡誠也も席を立った。
教室の中央までお互いにやって来た私達は向かい合う。
「間宮さん。昨日の返事、もらえるんだよね?」
「えぇ。そのための準備も終わったから」
「準備? 何かしてたの? もしかして朝のあの変な雰囲気って―――」
佐渡誠也が余計な詮索を入れようとしてきたので、私は強引に話を切りにかかる。
「佐渡……」
大きく息を吸い込む。
胸を押さえて心臓の動きを確かめる。
下を向きそうになる顔を佐渡誠也に固定する。
すべての準備を整えた私は、昨日から何度も練習したその言葉を口にした。
「私と―――友達になってくれないかしら?」
今の私はきっと恥ずかしさから顔が真っ赤になっている。顔が赤くなってるのが自分でもわかるくらい顔が熱い。でも、それはきっと綺麗な夕日の赤がごまかしてくれる。
だから、安心して私は前を向いていられた。
「返事……これでいいかしら?」
緊張から声が僅かに震えている。
一日でこんなに緊張したのはきっと人生で今日が初めてで、これから先もこの記録を超えることはないだろう。
昨日あんなことを言われたんだから大丈夫。
そうわかってはいながらも、断られたらどうしよう。嫌がられたらどうしようと思うのは、きっと私がまだ変わり切れてないから。
でも、目の前のクラスメイトとなら、きっと変わっていける気がした。
「もちろん! それに、僕から友達になってって言ったんだよ! 断る理由なんてないよ!!」
笑顔で返事をしてくれたクラスメイトに内心ほっとする。
朝の様に力の抜けそうになる足にぐっと力を入れる。なんとか踏みとどまった。
「間宮さん! 僕と友達になってくれてありがとう!!」
あぁ。ダメだ……。
泣かないつもりだったのに、あんなことを言われたら涙腺なんて簡単に崩壊する。どんなに堪えようとしても体は私を無視して瞳から滴を垂らした。
「えぇ!? な、なんで間宮さん泣いてるの!? 僕なにか悪いことした!? えーっと……とりあえずなんかごめん!!」
いきなり泣き出した私に困惑した佐渡誠也がわけもわからずに頭を下げる。
「あんたはなにも悪くないわよ」
「だって、間宮さん泣いてるし……」
「涙って悲しい時だけに流れるものじゃないでしょ?」
未だに困惑気味の佐渡誠也に正解を告げる。
「嬉しい時にも、涙っていうのは流れるのよ」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「っていう感じなんだけど。九重は同じクラスだったんだから多少は知ってたでしょ?」
「いや、正直間宮がクラスで浮いてるってことくらいしか知らなかったわ。誠也が何かしようってしてるのは知ってて、手伝おうとしたんだけど、あいつ何も教えてくんなくてさ」
「そうだったの。まあ、らしいと言えばらしいわよね。一人でなんでも解決しようとしちゃう辺りが」
「そうでござるな。それが我らの困りごとでもあるわけですが……」
「だな」
昔話も終わり、高校生から大学生に戻る。
あの頃から私は確かに成長できていると、自分のことながら実感できたわね。
「で、なんであんたたちは軽く泣いてるのかしら?」
目の前にいる瞳にうっすらと涙を浮かべている男二人に呆れた視線を送る。
「だってよ、結構いい話じゃんか。俺、いじめを題材にしてる話に弱くってよ」
「拙者もござる。いじめられているヒロイン、その心を救う主人公。これは王道にして鉄板ですな」
「あんたたち、人の昔をなにかのドラマみたいに……」
「でも、ありそうじゃんか」
「ござるござる」
まぁ、二人の言い分も少しはわかる。
いじめを題材にした物語の基本は山中の言っていた、いじめられている異性の子、その子を救う主人公といった話が多いように思う。もしくはその逆。
心だけを救うものもあれば、いじめ自体をどうにかしてしまう話もある。
私はどちらの話も好きだ。
「そういえば、間宮殿に嫌がらせをしていた三人組とはその後どうなったのでありますか? 我は三人とクラスが違った故に知らないのでありますが」
「そうね、結構仲良くなったわよ? なにかしら班行動になったとき、とりあえずあの三人組と組んでたわね。男女混合ならそこに佐渡と九重が入る感じよ」
「なるほど。ますますいい話でありますな。感動あり、友情あり、素晴らしいでござるよ」
何かを納得したらしい山中がうんうんと頷く。
「とりあえず私の話はこんなところよ。少しは楽しめたみたいでよかったわ」
「あぁ、楽しんじゃいけないってわかってんだけどよ。いい話だったぜ」
「やっぱりいい話は人の心を動かすのでありますな」
山中の言葉に賛同しようとして、やめる。
だって、人の心を動かすのはいい話だけじゃない。
「あら、人の心を動かすのはなにもいい話だけじゃないのよ?」
あの日、私は知ったのだ。
人の心を動かすのは、いい話だけではない。
「相当なバカも、人の心を動かすのよ?」
笑顔で言った。
その言葉の本当の意味を理解できないらしい二人は、首を傾げた。
「なぁ、どういう意味だよ間宮」
「さぁ、自分で考えなさい」
それだけ言うと私は立ち上がる。
そろそろ次の講義が始まる時間だ。
「それじゃあ、次の抗議受けるから私は行くわよ」
「おう。広志の話はまた今度だな」
「ですな。二人の話がいい話すぎて自分の話をするのが少し心配になってきたでござるよ」
「気にすんなよ。誠也が関わってる以上退屈な話にはなんねぇって」
「それもそうでござるな」
次の話の約束をして、私は今度こそ講義に行こうと二人に背を向ける。
そこで、さっきの自分の言葉に少しの間違いがあったのに気が付いた。
「そういえば、さっき言った人の心を動かすものの話だけど、もう一つあるわよ」
「あぁ!? まだあんのかよ!?」
「な、何でござるか間宮殿!?」
食い気味に質問してくる二人に、私は悪戯な笑みを返して言ってやる。
「二人にはまだわかんないわねー。これは経験したことがある人間じゃないとわからないもの」
「なんだよそれー!」
「意味深なことを言って立ち去るのは卑怯でござる!!」
「だってほんとのこと言っても二人にはわかんないもの」
最後にもう一度だけ悪戯な笑みを二人に向けて、今度の今度こそ講義に向かう。
後ろから二人の抗議の声が聞こえてきたけど、全部無視した。
大学内を少し歩き、二人の姿と声が完全に届かなくなったところで、私は近くの窓からあの日の空と似ている青い空を見上げる。
そして言った。
「だって、わかるわけないじゃない。―――恋が人の心を動かすだなんて、今恋をしてる人間にしかわからないわよ」