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ホームレス少女  作者: Rewrite
間宮 鈴 過去編
191/234

5話

 あの日から私は前に比べて少しだけど学校が楽しいと感じるようになった。

 毎日のように学校に行って、佐渡誠也と朝の挨拶を交わし、おすすめした小説の話をする。それだけが私の楽しみになっていた。

 確かに私の大事な一人の時間は少し減ってはしまったけれど、それを気にしないくらいの時間を私は手に入れることができた。

 お母さんに私が変わったと言われてから早一週間。私は初めて人生を謳歌していた。


「行ってくるわ」

「はいはい。行ってらっしゃい」


 カバンを手に靴の履き心地を調整していると、お母さんが手を振るのを止めて言ってきた。


「ねぇ、鈴」

「なに、お母さん?」

「最近仲良くなったお友達、今度家に連れてきなさいよ。お母さんも会ってお話してみたいわ」

「はっ!?」


 思ってもみなかった言葉にカバンを落としそうになる。それを慌てて掴みなおし、履き心地の調整が終わった足を地面に下ろしてお母さんに向き直る。


「なんなの、いきなり」

「いきなりなんかじゃないわよ。今までだってずっと思ってたのよ。鈴は全然家にお友達を呼ばないし、それどころか学校にお友達もいなさそうだったからずっと心配してたんだから」

「そ、それは確かに悪いことをしたかもしれないけど、それは私に釣り合う奴がいなかっただけで私が悪かったわけじゃないし、私も一人が好きだし……」


 申し訳ないという気持ちから、言葉の最後の方が尻すぼみしていった。


「別にそのことはいいのよ。一人でいることが悪いだなんてお母さんも思ってないもの。でも、ずっと一人でいることは、あんまりよくないことだとも思うけどね」


 珍しく真剣な面持ちでお母さんが言った。

 だから私も一瞬言葉に詰まってしまった。

 一人でいることは悪いことじゃない。でも、一人で居続けることが良いことだとは思わない。

 お母さんの言葉が何度も頭の中でリフレインする。


「とにかく、その子の都合と、鈴の気持ちが整ったらいつでも連れてきなさい。お母さん待ってるから」


 これ以上追及するつもりはない。という意味があったお母さんの言葉に私は内心ほっとした。


「……わかった。気が向いたら聞いてみるわ」

「うん。そうしてちょうだい」


 最後にそんな短いやり取りをして、私は家を出た。


「はぁ~……。あんなこと言ったわいいけど―――」


 家を出て、数分ほど歩いたところで私は立ち止まって空を見上げた。

 なんとなくそんな気分だったんだ。


「私とあいつは友達でも何でもないのよね~」


 そうだ。

 私と佐渡誠也は友達ではない。あいつがどう思ってるかは知らないけど、私は少なくとも友達だとは思っていない。私と佐渡誠也の関係は言葉にするならただのクラスメイトで、小説読み仲間、といったところだろう。それくらいがいい落としどころだ。

 そして、その認識を私はこの先も変えるつもりはない。


 佐渡誠也とは、あくまでクラスの他の連中より話がわかるから話しているだけでそれ以外の感情は全くない。友情なんてものはなければ、それ以上の恋愛感情なんてものもない。あくまで利害が一致しているから一緒にいるだけ。

 ただ、それだけだ。


「そう―――私は絶対に友達なんて作らない。いらない」


 心の内にあった決まり事を思い出すように私はその言葉を口に出す。

 口に出すことで力になる。なんて思ってはないけど、口にした。絶対に破るつもりのない、いつ立てたかも思い出せない自分だけの決まり事。


「私と佐渡誠也は―――」


 そして、自分と佐渡誠也の関係も口する。


「ただのクラスメイトで……それ以上でもそれ以下でもない……他人よ」


 そうすることで、私は私の中で自分と佐渡誠也との関係性を確定させた。

 そう―――思うことにした。




「おはよう間宮さん!」

「おはよう。……また急いできたわけ?」

「うん! 早く間宮さんと話したくてさ!」


 複雑な気持ちで学校に登校した私はいつも通り自分の席で、文庫本を手に佐渡誠也の登校を待っていた。私が登校してから五分ほどで佐渡誠也は教室に来て、いつも通りすぐに私の席の前までやって来た。

 朝のお母さんとの会話で、少しいつも通りに話せるか不安だったけど……うん。大丈夫みたいね。いつもと同じように話せてる。


「それで早速なんだけど!」


 そう言って佐渡誠也がやや興奮気味におすすめした小説のとあるページを開き、話し始める。


「あぁ、そこね―――」


 だから私もいつも通り、いつものように佐渡誠也との会話を楽しむことにした。

 友人ではなく、あくまで利害が一致しただけのクラスメイトとして。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 佐渡誠也と小説のことについて話すようになって一か月ほど経ったある日。学校にやってくるなりひどい目にあった。

 校門を抜け、下駄箱で外靴から上履きに履き替えようとした時にそれに気が付いた。


「めんどうなことをしてくれたわね……いやらしい」


 上履きを取り出すと、私の上履きにはたくさんの汚らしい言葉が書かれていた。小学生が考えるような単純なものから、悪意に満ちた小難しい言葉まで、ありとあらゆる罵詈雑言と悪口が書かれていた。悪戯なんて生易しいものじゃない。明確な悪意がそこにはあった。他人貶め、傷つけ、人の尊厳を平気で踏みにじり、人を人とも思ってないような言葉の数々に嫌気がさす。

 今までにも手紙で似たような言葉をもらうことはあった。陰口を言われることもあった。

 でも、今日のはそんなレベルのものじゃない。


「どうしたものかしらね。さすがにこんなものを履くのには抵抗があるし、スリッパでも借りようかしら」


 心の中に沸き立つ、マグマにも似た熱い感情を無理矢理飲み込んで、いつもの冷静な私を保つ。

 少なくとも私はそうしようとしたし、そのための努力もした。

 だから、今の私を責められる人間は誰もいないだろう。


「そっちがそう来るなら、こっちにだって考えがあるわよ」


 ふつふつと噴き出した、自分自身も正体がわからない感情を爆発させてしまったとしても誰にも文句は言えないだろう。

 ここまでされて大人しく黙ってるなんて、さすがの私でもできない。明らかな悪意を、明確な憎悪を、確かな敵意を向けられて、はいはい、そうですか。なんて言えるはずがない。

 今までは私自身に大きな手間や迷惑がかかるような行為はなかった。でも、上履きに落書きを、それも悪意のこもった落書きをされれば、大きな迷惑になる。

 それを見た連中に笑われ、先生に見つかれば話を聞かせるようにと時間を取られ、下手をしたら家まで連絡が行き大騒ぎになる。

 そんなのはごめんだ。


 だから動くことにした。

 私も本格的に、本腰を入れて、敵意を向けてくる奴を迎え撃つ。

 そして二度と私に歯向かおうなんて思わない様にしてやろう。

 決意は簡単に固まった。気持ちが整ったのならあとは体だ。心と体が一致すれば人間は行動をすることができる。自信を持って行動することができる。


「見てなさい」


 目には目を、刃には刃を、悪意には悪意を、敵意には敵意を、相手が私に向けてくるものは、私が相手に向けてもいいものだ。自分がすることには責任を持たなくてはいけない。

 子供だからとか、そんなの関係ない。高校生の私たちは考えようによっては半分は大人だ。女なら結婚もできるし、男だって三年になれば結婚できる。世間がそれを認めるくらいには私たちは大人なのだ。

 だから、自分の行動一つ一つに責任がある。自分がしたことは自分がされても文句は言えない。言わせない。


「まずは念入りに準備しなくちゃね」


 自分の行動に責任があることを理解している私は、その責任から逃れるための準備も忘れない。傷つくのは相手だけで十分だ。私はもう十分に傷ついた。


「そう……私は悪くない。悪いのは―――世界よ」


 あんなことを言っておきながら、世界なんて言う形のないものにすべての責任を押し付ける私は、やっぱり卑怯なのかもしれない。

 でも、もう立ち止まる気にはなれなかった。


 大きく、固い決意を固めた私は教室に入る。いつもより殺気立っていたからだろうか、クラスの連中が私が教室に入るなり、バカみたいな会話を一瞬中断する。

 その間に私はクラスを見渡して、この中におかしな反応をしているやつがいないかを確認する。

 前にこのクラスに犯人がいる可能性が高いことは確認済みだ。

 だからまずは、クラスの中にいる犯人を暴き出す。


「いや、そんなことする必要もないわね。罠を張れば簡単に引っかかるはずだもの。無駄な行動は私の望むべきところでもないわ」


 いくら頭に血が上っているとはいえ、わずかばかりに残った冷静さもある。

 だから、面倒なことはしない。犯人に警戒されるようなことはしない。私がするべきなのは、犯人に警戒されないように好き勝手に泳がせて、その隙に自分の反撃の準備を整える。

 自分が受けるダメージは最低限。相手に与えるダメージは最大限に。

 だから私は我慢する。最後に笑うためにも堪えるんだ。


「机の中もいつにも増してひどいわね」


 異臭を放つ濡れぞうきんに、汚らしい言葉の書かれた紙切れ、私の写真に悪戯したものなんかが入っていた。心の中の感情がさらに沸き立つのを感じる。

 でも我慢。私は我慢のできる人間だ。

 どうにか冷静さを保つことのできた私は机の中のものを取り出して、一つずつ片付けていく。異臭のする雑巾は水で洗ってから雑巾掛けに、汚い言葉の書かれた紙はびりびりにしてからゴミ箱へ、私の写真に悪戯をしてあるものは破くのに少し抵抗があったから破かずにゴミ箱へ。

 自分の映った紙を、ごみを捨てるための箱に捨てるのはどうにも嫌な気分だった。


 私が一人黙々とその作業に取り組んでいる間、クラスの連中はちらちらと私の様子を窺うだけで何もしてこない。心配も、嘲笑も、同情も、そこには何もなかった。ただただ劇を見ているような、自分には関係のない物語を見ているように私を無視した。

 一通り後始末を終え、文庫本に手を伸ばそうとしたところであいつがやって来た。


「おはよう間宮さん! ……顔色悪いけど何かあった?」


 クラスの中で唯一私に悪感情を向けてくることのない佐渡誠也が話しかけてくる。今の私に話しかける佐渡誠也はクラスの連中からしたら勇者か何かにでも見えているのかもしれない。


「おはよう。別になにもないわよ。光の加減でそう見えるだけでしょ」


 昨日までと何も変わらない、ただ言葉の最後に私を心配してくれるような言葉が付いただけの、代わり映えのない挨拶をしてくる佐渡誠也に、私は努めていつも通りに挨拶を返す。

 大丈夫。表情は普通だし、声だって冷静だ。なにも変なところはない。

 事実、佐渡誠也は「そっか……」なんて言って、それ以上追及をしてこなかった。


「それでさ、間宮さん! ここのこのシーンなんだけど―――」

「あぁ、そこに目をつけるなんてあなたも成長したんじゃないかしら?」

「そうかな! 少しは小説を読めるようになってるのかな!」


 無邪気に、小さな子供の様にはしゃぐ佐渡誠也を見て、さっきまでの自分に若干の嫌気がさした。

 自分になんの悪意も敵意も向けてこない相手に、平気な顔をして嘘をつき、それをさも当然とばかりに思っている自分に心底落胆した。

 でも、動き出してしまった心は止まらない。車が急に止まれないように、大きく踏み出した一歩を踏みとどまれないように、進むと決めてしまった心は止まらない。


「えぇ、最初に比べてよく読めてると思うわ。正直感心してる」

「そっか~。間宮さんに褒められるとなんだか嬉しいよ」

「なによそれ。別に私は小説の先生なんかじゃないのよ」

「そんなことないよ。少なくとも僕にとっては先生だよ」


 ここしばらくで私の日常の一部になろうとしている佐渡誠也との軽口。

 こんな私でもいつもなら少し楽しいと思えるこの時間に、いつもとは逆の考えがよぎる。


 私と佐渡誠也の関係はいつまで続くのだろうかと。

 私たちの関係はどこで、どのような形で終末を迎えるのだろう。

 私たちは―――


 ここまえ考えて思考を止めた。

 どう考えても嫌な結末しか想像できそうになかったからだ。

 目の前で楽しそうに笑いながら話しているクラスメイトの声を、私はあと何回聞けるのだろう。

 そんな不安だけが、さっきまで荒れ狂うほど熱を持っていた私の心を少しだけ冷ました。

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