プロローグ
今日の講義が一つ終わり、次の講義まで結構な時間があった私は大学内にある休憩スペースまで足を運んでいた。
「この大学無駄に広いのよねー。普通の学校くらいの大きさならいいのに困ったもんだわ」
実際に大学がそんな大きさなら生徒数が多すぎてどうしようもないことがわかっていながらも、私はついそんな悪態をついてしまう。
そんな悪態を吐きながら休憩スペースまでやってくると、私は近くの自販機でコーヒーを一つ買い、早速それを口に含んだ。爽やかな苦みが口の中を潤していく。
「ねぇねぇ、君可愛いね! このあと時間あるなら俺たちとお茶とかどう? おごっちゃうよ? 時間がないなら連絡先の交換だけでもしようよ」
コーヒーを飲みながら時間を潰していると、二人組のチャラそうな男が声をかけてきた。でも、こんなことで慌てるほど、私も繊細じゃない。
「見てわからない? 私、お茶よりコーヒー派なの。連絡先もあなたたちに教える用のはなんて生憎だけど持ち合わせてないわね」
「なっ! そんな言いぐさはないだろ!」
「そうだそうだ!ちょっと可愛いからって調子に乗ってると!」
「調子に乗ってるとどうなるのかしら? 警備員がやってきてあなたたちを拘束でもしてくれるのかしらね」
逆上する男達に私は顔色一つ変えずに、冷静な顔で淡々と答える。なんならバックの中から文庫本まで取り出して見せた。
「この女っ!」
男のうちの一人が痺れを切らしたのか私につかみかかろうとする。それでも私はあわてない。こんなことにはもう慣れているもの。
私は文庫本から目を逸らさずに片手だけを本から離すと、男の動きを制すように手を突き出した。いきなり突き出された私の手を見て、男が一瞬ひるむ。
「あなたたち、もうそろそろここから離れた方がいいんじゃない?」
「ふざけんな! バカにされたまま逃げられっか!」
人は怒ると周りが見えなくなるっていうけど、ほんとらしいわね。この状況が見えてないなんて、本当に気の毒だわ。
私はこれ見よがしに大きく嘆息すると、男たちに自分たちが今置かれている現状を教えてあげようと指をさす。
男たちは私の行動が一瞬理解できなかったようで、馬鹿みたいに何度か目を瞬かせる。しかし、指を指せば人はそれを自然と目で追ってしまう。男たちも例外ではなく、私の指の先を見た。
「わかったかしら?」
男たちの視線の先では、私と同じような理由で休憩スペースにいる人たちの怪訝な視線があった。
当然と言えば当然よね。男二人が女一人に対して大声で怒鳴って掴みかかろうとしてたら誰だって気になるわよ。
「ちっ! 覚えてろよ!」
「ま、待ってくれよー」
男二人が漫画なんかで見る小物みたいなセリフを残し去っていく。
できることならもう二度とお目に掛かりたくはない連中だった。
「なぁなぁ、ここ座ってもいいよな?」
「我も失礼させてもらうぞ」
さっきの男連中に続いて、一分も経たずにまた男二人組が私に声をかけてきた。
でも私は、さっきの男たちの時の様な反応はしない。代わりに呆れ交じりのため息を零しておいた。
「なによあんたたち? さっきの連中のマネでもしてるわけ? 趣味悪いわよ」
「まさか。俺はあんな軟派な男じゃねえよ」
「拙者がまともに話せる女子は間宮殿たちだけでござる。ナンパの技術などあっても使い道がごさらんよ」
さっきの男たちと違って、私がこの男たちと普通に話しているのには理由がある。
それは至って単純な理由で、私の知り合いだからだ。
「それにしてもさっきのは見事な男の振りっぷりだったな。正直ちょっとカッコよかったぜ」
「そうでありましたな。我があんなことを言われた日には……もう家を出ないでござるな」
「元からあんたは引きもりがちじゃない」
「失敬な! 我だって少しくらいは家を出るでござるよ!」
若干悲しくなる反論を聞いたところで、私は読もうとしていた文庫本を閉じて、バックにしまい、二人に向き直る。
「そういえば、九重と山中。あんたたちさっき私が男どもに声かけられるの見てたのよね? なんで助けに来ないのよ。 あんたたちが来てくれればもっと簡単に終わったのに。おかげで面倒だったじゃないの」
「何言ってんだよ。俺たちが来なくたって間宮ならどうにでもなると思って見てたんだよ。どうせさっきみたいな連中に声かけられるのなんて慣れてるんだろ? 見た目だけはいいんだからよ」
「あら? そういう風に私のこと見てくれてたの? ありがと、褒め言葉として受け取っておくわ」
「さすが間宮殿、すごい神経の持ち主でござる」
「何か言った? 山中」
「何でもないでござる!」
いつものように三人で軽口を叩きあいながら時間を潰していると、「そういえばよ!」と、九重が何かを思い出したように言い出した。
「この三人が揃ってんなら、この前の続きしようぜ!」
「この前の続きでござるか? なんのことでござる?」
「ほら! あれだよあれ、過去に誠也にどうやって出会ったかってやつ!」
「あぁ、そんな話してたわね」
前にその話をしたのはなんだかんだ言って一か月くらい前のことになる。
私も九重が言い出すまで忘れていたほどだ。
「この前は俺が話したから、誠也と出会った順ってことなら次は間宮だな」
「そうね」
「つーわけでよろしく! 今更話さないなんてなしだぜ」
「わかってるわよ。そんなけち臭いことするわけないでしょ」
「だよなー。間宮はそういうところしっかりしてるもんな! でも、楽しみだぜ。今も窓際の冷徹姫の名前は健在みたいだしな」
「窓際というには、窓が遠い気もしますがな」
今、九重と山中が言った窓際の冷徹姫とは、恥ずかしながら私の高校の時のあだ名の様なものだ。私は普通に振る舞っていただけなのに、知らない間にそんな名前がついていた。
黒歴史以外の何物でもないわね。
「その名前で呼んだら許さないからね」
この大学には私の高校時代を知っている人間は上京してきたこともあってほとんどいない。いるのは今ここにいる九重と山中、あとは佐渡だけ。それ以外の人はこの三人が勝手に話していない限り誰も知らない。
「おー、こわっ」
「間宮殿は変わらないでござるなー」
そんな二人の反応に若干うんざりしながらも、私は自分の過去を話し始めた。
窓際の冷徹姫。なんてあだ名をつけられ、周りから嫌われ、敬遠されていた頃の私の話を。
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「それじゃあ授業始めるぞー。教科書を開けー」
教室に入ってきた教師が教台に両手を着きながら言った。その言葉に誰も反論なんてあるはずもなく、各々のスピードで教科書を開き、ノートをとる準備を始める。中には教科書を開くだけ開いてペン回しをしたり、窓際の席なのをいいことに外にいる他クラスの体育の授業を見ていたりする人も中にはいたけど、そんなのは極一部の人間だけ。
「それじゃあこの問題―――間宮。解いてくれるか?」
運悪く黒板に書かれた問題を解くように言われてしまった私は口頭で回答するのではなく、前に行って書く必要があったために席から立ち上がり前に出る。
「さすが間宮だな。正解だ」
何事もなく正解を黒板に書き、先生に褒められながら席に戻る。
その帰り道、周りからざわざわと先生には聞こえない程度の囁きが聞こえてくる。その内容は決していいものじゃなかったけれども。
「さすがは冷徹姫。正解しても無反応かよ」、「どうせ自分にとっては簡単とか思ってるのよ」、「そうそう。私はあなたたちとは違うとか思ってるに決まってるって」
そんなあることないことを好き勝手に言ってくれるている。
言いたいことがあるなら、こそこそ隠れてないで堂々と言ってきなさいよ。
「ふう~……」
席に戻り、私は窓際の席なのをいいことに青い空を眺めながら嘆息を漏らす。
あんなことを言ったけど、あの言葉の全てが間違っているわけじゃない。私は確かにこの中の誰よりも頭がいいと思っているし、周りの連中よりも優れていると思っている。それは勉強ができるという意味だけでなく、頭の回転が速いとかそういう意味も含めてのことだ。
「つまらないわね……」
学校生活において、私が思うのはそんなものだった。
張り合う相手もいない。勉強の内容も退屈。周りにいる連中もバカばっかり。こんな学校生活を楽しいと思える理由がどこにもない。休み時間になれば男子たちは猿みたいに大声で騒ぎ、女子たちはいくつかのグループに分かれて、オシャレだの恋だのについて話している。それらを彼ら彼女らは青春と呼んでいる。
人は青春をいいものと捉えているみたいだけど、私にはなにがいいのかわからない。都合よく青春という言葉を利用しているようにしか思えないわ。
「それじゃあ今日はここまで、各自次の授業までに課題をやってきておけよ。やってなかったら倍にするからな」
去り際にそんな言葉を残しながら教師が教室を出ていく。それを確認した生徒たちは大きな息を吐きながら一斉にだらけ始めた。
そんな中、私はただ一人、ものの数分で終わる内容だった課題を終わらせる。予想通り、五分もかからずに課題を終わらせた。
「はぁ~……」
今日何度目になるかわからない嘆息を漏らしながら、こんな生活がいつまで続くのかと嫌な気持ちでいっぱいになる。
これが、私が高校に通い始めてから半年の現状。
これといって何もなく、楽があるわけでも、苦があるわけでもなく、ただただ周りの連中にイライラするだけの日常。それが私、間宮鈴の学生生活だ。
こんなつまらなく張り合いのない日常が、私の現実だ。