41話
あれから五分ほど抱き合っていた僕らは、どちからかでもなく離れて、今日一緒に行く予定になっている彼方ちゃんを迎えに行った。彼方ちゃんは玄関で僕らと顔を合わせるなり何かに気が付いたような顔をしたけど、すぐにいつもの柔らかい優しい表情に戻り、何にも言わないまま僕らに合流した。
そしてそのまま僕らは待ち合わせ場所の最寄りの駅まで電車に乗り、最寄り駅を降りて間宮さんと合流した。
「確かこの辺にあるはずなんだけど……」
この前の電話で聞いた喫茶店は僕らの知らない名前で、あの後ネットで調べておおよその場所は調べておいたけど、この辺りにはたくさんの喫茶店があってすぐには見つからなかった。
みんなでキョロキョロと周囲を観察して目的の喫茶店を探す。
「あっ。あれじゃないでしょうか? あそこのオープンテラスのある喫茶店」
目的の喫茶店を見つけてくれたのは彼方ちゃんだった。彼方ちゃんの声に全員がその指の先を見つめ、喫茶店の名前を確認する。確かに彩ちゃんたちのお母さんとの待ち合わせの喫茶店の名前だった。
「ありがとう彼方ちゃん。あそこの喫茶店で合ってるみたいだよ」
「いえ、たまたま見つけられただけですし、私が見つけなくても誰かが見つけてましたよ」
謙遜する彼方ちゃんに僕はもう一度お礼を言って、みんなで喫茶店の入り口に向かって歩き出す。そして入り口の前まで来て、みんな一斉に立ち止まる。
「それじゃあ佐渡、こっからはあんた一人よ。私たちも中には入るけど、彩ちゃんと麻耶ちゃんのこと見つけたら逃げられちゃうかもしれないから隅の方でおとなしくしてるから」
「うん。ちゃんと……やってくるよ」
これはあらかじめみんなで話し合って決めていたことだ。今回僕は遠藤グループの社員で、彩ちゃんたちのお母さんを遠藤グループに戻ってもらうために説得をしに来たということになっている。
それなのに最初から彩ちゃんと麻耶ちゃんと一緒にいたら話す前に逃げられちゃうかもしれないし、彼方ちゃんや間宮さん。この場にはいないけど翔君や広志君、天王寺家の誰かが一緒にいてもおかしなことになってしまう。
だから、今回最初に二人のお母さんに会うのは僕一人だけだ。
他のみんなは僕がある程度二人のお母さんと話して人となりを確認し、二人の話題を切り出して逃げようとするか、会ってもらえるようになるまでみんなには隅の方の席で様子を窺ってもらう。
「それじゃあ行って来るよ」
「えぇ、私たちは少し遅れて入るから」
「頑張ってくださいね」
「よろしくなのです。お兄さん」
「よくわからないけど、せーちゃんがんばれー!」
みんなから応援を一言ずつもらい、僕は喫茶店の中に入った。
カランコロンというドアに備え付けられた鈴が鳴り、その音を頼りに店員さんの一人がこちらに歩いてくる。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
「いえ、待ち合わせなんですけど、誰かそういう人来てませんか? 女性なんですけど」
「そうですか。生憎そういうことを仰っていたお客様はいらっしゃってませんね。そういう方が来ましたらお教えしますので、ひとまず席にご案内しますね」
「わかりました。ありがとうございます」
二人のお母さんがまだ来ていないことをウエイトレスさんに確認した僕は、案内されるままに席に着いた。店内の調度真ん中くらいの席で、後から入ってくる間宮さんたちがどこに案内されても聞き耳を立てれば会話を盗み聞くくらいはできそうな感じだ。
「いらっしゃいませー。三名様ですか?」
数分後、そんなウエイトレスさんの声を聞いて入り口の方へ顔を向けると、米谷さんたちが店内に入ってきた。間宮さんはもし二人のお母さんがいても気づかれないようにチラッとこちらを確認して、まだ二人のお母さんがいないことを確認した。
四人が案内されたのは窓際の一番後方の席だ。今の僕の席からだと右斜め後ろに位置している。あの席だと、二人のお母さんが僕の正面に座ったら見えてしまうかもしれない。僕はそそくさと席を立ち、トイレに一度行ってから意図的にさっきとは反対側の席に座る。これで正面に座られても後ろさえ振り向かれなきゃ気づかれはしないはずだ。
「いらっしゃいませー。おひとり様ですか?」
さらに数分後。僕がこの喫茶店に入ってから十分近くが経った時のことだった。
ウエイトレスさんが笑顔で一人の女性を出迎えていた、僕の視線が自然とそちらに向く。
「あの、待ち合わせをしてるんです。男性の方で、佐渡さんという方なんですけど」
「あぁ。既にお越しになられてますよ。あちらの席でお待ちです」
来たっ!!
どうやらあの人が二人のお母さんらしい。僕はウエイトレスさんがこちらを手で指したのを確認していたので、自分の居場所を教えるという意味で静かに立ち上がり軽く会釈する。二人のお母さんもこちらに気づいたようで軽く会釈を返してくれた。
二人のお母さんは特にこれと言っておかしなことはない普通の女性だった。年のころは三十近く、柔らかい感じの服に身を包み、派手さを感じさせないながらもどこか上品さと優しさを感じさせる服だった。
二人のお母さんはウエイトレスさんにお礼を言い、こちらに歩いてくる。
「すいません。待たせてしまいましたよね?」
「いえ、僕も来たばかりですから。それよりも、今日は忙しいところ時間を作ってもらってありがとうございました。このままじゃ何ですし、座ってください」
立ったまま挨拶を交わしていた僕らは、とりあえず座ろうということで席に着いた。
このまま黙っているのもおかしな話なので、来てもらった僕の方から話を進める。
「それじゃあ来てもらったばかりで申し訳ないのですが、お話し始めさせてもらってもよろしいでしょうか?」
「はい。遠藤グループへの復帰の打診でしたよね」
「はい。それでなんですが……」
最初はここに呼び出した理由通りに遠藤グループに戻ってこないかという話で切り出した。これは間宮さんと彼方ちゃんと僕の三人で決めたことで、僕たちは二人のお母さんを二人の口できいた程度しか知らない。だから、今回の件でお母さんが意図的に二人を捨てたわけじゃないという証拠とまではいかないものの、何か事情があったとか、子供を捨てるような人じゃないという人となりを把握するためにもまずは関係のない話しから始めようということになった。
それに今、僕には気になって仕方がないことがある。
「んーっ!! んんーっ!」
それは、離れた席でお母さんと早く会いたくてこっちに来ようと暴れている麻耶ちゃんと、それを止める三人の女の子の姿だ。
だ、大丈夫かな……。
「……どうかしました?」
「い、いえ、すいません。少し緊張してまして。あはは……」
あぶないあぶない。思いっきり後ろの席に目を向けていた。これじゃあ二人の母さんが僕の視線を追って後ろを見てもおかしくない。
「というわけなんですが、どうでしょうか? もう一度遠藤グループに戻るおつもりはないでしょうか?」
どうにかあらかじめ考えておいたそれらしい理由を話し終えると、二人のお母さんは顎に手を当て考える仕草を取った。
今のところ話していておかしな感じはしない。話していて変に感じることがなければ、怖い感じもしない。それどころか物腰柔らかく、話し方も丁寧で優しい。とても子供を意図的に捨てるような人とは僕には思えなかった。
もう少し切り込んでみてもいいかもしれない。
「そういえば、お話は変わるのですが、確か佐藤さんにはお子さんがいらっしゃるいるんでしたよね? 会社の皆さんが話してました」
「え、えぇ、小学校三年生の子が一人と四歳の子が一人います……」
「そうなんですか。よかったら少しお話を聞かせてもらってもいいですか? 失礼かもしれませんが、会社のみんなも子供たちのことが気になっているみたいだったので、お土産話になればいいと思うんですけど」
「は、はい……」
さっきまでの感じとは違って明らかに動揺している二人のお母さん。
でも、その様子には悪意は感じられない。二人のことが面倒で意図的に捨てたのならこんな顔はしないだろう。少なくとも僕はそう思った。
「二人とも元気ですよ……。下の子が元気いっぱいで少し手を焼いていますが、お姉ちゃんの方がしっかりとしているので、面倒を見てくれて助かってるんです」
「そうなんですか。仲の良い姉妹なんですね」
「はい。……あれ? 私、女の子だなんて言いましたっけ?」
「え!? あ、会社の人から聞いてたんですよ! 可愛い女の子がいるって!!」
危うく出しかけたボロをどうにか強引にしまい込む。
二人のお母さんは特に僕の言葉を疑うことなく「そうなんですか」と、笑ってくれた。
少し罪悪感が……。
「子供自慢になってしまうんですけど、あの子たちは本当にいい子たちなんです。いつも仲良しだし、私の言うこともちゃんと聞いてくれますし、私が困った顔してると慰めてくれたりするんですよ? どっちが大人なのかわからないですよね」
二人のことを話すお母さんの顔は、今日見た表情の中のどの表情よりも柔らかく、優しく、温かみのあるものだった。この顔が母親の顔なのか。そんな感想を僕が抱いてしまうくらいには。
もう、大丈夫だ。僕にはこの人が悪い人には思えない。
僕はこちらを見ている間宮さんと彼方ちゃんを見る。その意図を間宮さんと彼方ちゃんはすぐに理解したらしく頷いた、彩ちゃんもぺこりと頭を下げる。麻耶は先と一緒だ。僕は軽く頷き返すと、二人のお母さんに向き返った。
「……佐藤さん。すいません。僕、嘘をついていました」
僕のその言葉にお母さんが軽く首を傾げ、不思議そうな顔をする。
「嘘、ですか? えっと、何が嘘何ですか?」
「まず、僕は遠藤グループの人間じゃありません」
「え……?」
驚きの表情をするお母さんを待たずに僕は淡々と話を進める。
一度話すのをやめると、覚悟が鈍ってしまいそうだった。
それに、僕も限界だったのだ。嘘をつき続けることがじゃない。早くお母さんと会いたくて暴れている麻耶ちゃんを見るのと、じっと自分の気持ちに耐えている彩ちゃんを見るのにだ。
「僕は―――彩ちゃんと麻耶ちゃんを知っています」
「っ……!!」
二人のお母さんの目が大きく見開かれる。
まさか僕が二人のことを知っているどころか、名前まで知っているとは思ってなかったのだろう。
「二人は今僕が預かっています。僕のほかにも何人かの友達が二人を気にかけてくれていて、その中に女の子もいるので、あまり不自由はさせてないと思います」
まずは現状報告。
きっと、この人だって二人が心配だったに違いない。なら、早くその心配を取り除くべきだ。
「あの子たちはお母さんに早く会いたがってます。大好きなお母さんに早く会いたいって言ってます。それでもわがままを言わずに僕の言うことを聞いてくれています」
何も言わずに、ただただ驚愕するお母さん。
「そして―――今ここに二人もいます」
とどめの言葉とばかりに僕はその言葉を口にした。
そして、それと同時に間宮さんとが抑え込んでいた麻耶ちゃんを離し、彼方ちゃんが行っていいのか戸惑っている彩ちゃんの背中を笑顔で軽く押した。
二人がそれぞれのペースでこちらに向かってくる。麻耶ちゃんはダッシュで、彩ちゃんはまだ戸惑いがあるのかゆっくりと、でも、確かにこちらに向かってきている。
「会ってあげてください。話してあげてください。抱きしめてあげてください。褒めてあげてください。笑ってあげてください。謝ってあげてください。そして、また一緒に暮らしてあげてください」
ここがタイミングだとばかりに、僕も自分の心を言葉として解き放つ。
「……」
二人のお母さんが顔に両手を当て黙り込む。
そして、次の瞬間。手持ちのバックすら放り出して逃げ出した。
「なっ!? どうして!!」
「おかあさん!? まってよおかあさん!!」
「……」
僕と麻耶ちゃんと彩ちゃんがそれぞれ似たような反応でその背中を追いかける。
ウエイトレスさんがお金も払わずに出て行こうとする僕らを止めに入ろうとしたところを間宮さんが間に入って「先に行きなさい! 絶対に逃がさないで!」と、行かせてくれた。
彼方ちゃんは僕らと一緒についてくる。
ウエイトレスさんとのいざこざで、少し戸惑ってしまった。そのせいで僕らが喫茶店を出たころにはお母さんの背中は少し遠くにあった。
でも、大丈夫。
「ちょっと、待ってくれや」
「でござるな」
僕には頼れる仲間がいる。
少し離れたところで翔君と広志君が二人のお母さんを引き留めてくれた。そして少し強引にお母さんの腕を翔君が掴むとこちらに向かって歩いてくる。お母さんの方が抵抗しているけど、体を鍛えている翔君にとってはどうってことないらしく、顔色一つ変えていない。広志君も何らかのトラブルに対応できるようにいつでも動けるようにしている。
「よお、誠也。この人で合ってるよな」
「うん。ありがとう翔君」
「なに、少しくらいは俺らも活躍しないとな。な? 広志」
「ですな」
まさかの伏兵につかまってしまったお母さんは困惑と戸惑いの入り混じった表情で僕を見ている。
彩ちゃんと麻耶ちゃんはまだお母さんに抱き着いちゃいけないと思っているのか、僕の足に一人ずつくっついている。その様子を彼方ちゃんが悲しそうに見つめ、翔君と広志君がお母さんを逃がさないように立ち塞がり、間宮さんが合流する。
「改めて、お話をしませんか? 今度は二人のお母さんと、二人を心配している一人の大学生として」
僕は二人のお母さんに、改めてそう切り出した。