37話
「コーヒーを四つ。一つはブラックで」
「かしこまりました。少々お待ちください」
「勝手にコーヒーにしちゃったけど、よかったかい?」
「は、はい。すいません。僕らまでおごってもらって」
「さっきも言ったろう。気にしないでくれ」
話が少し長くなるだろうと言った遠藤さんが近くのウェイトレスさんを呼んで注文をしてくれた。そして、注文が終わり、ウエイトレスさんが歩いていくのを確認してから、僕らに注文内容の良し悪しを確認してきてくれた。
そして、その確認を終えた遠藤さんは軽く手を組んで話を再開した。
「まず、さっき言ったと思うけど僕と彼女―――佐藤晴美さんは仕事の同僚だ。といっても、元、だけどね。かれこれ五年以上は会っていない。ただ、噂程度ではあるが社内で話を聞いたことがある。数年前の話なんだが、彼女が誰かと結婚したという話だ」
ようやく始まった遠藤さんの話。それは興味深いようで、今回の話には関係なさそうなところから始まった。
「あの……それが今回の話と何か関係が……」
失礼だったかもしれないけど、僕も何も進展しないまま進んでしまった時間を恐れていた。だから、先を急いでこんな自分勝手な発言をしてしまったのかもしれない。ただ、こんな大義名分を前に出して言い訳をしている自分が少し嫌にもなった。
「誠也、早く色々と聞きたいのはわかるけど落ち着きなさい。それに時間がないと言っておきながら、今回の話に関係ないような話をするような人じゃ遠藤さんはないわ」
「確かに僕が悪かったね。すいません遠藤さん。でも、今の話が今の彩ちゃんたちの状況とどんな関係があるんですか?」
「いや、君の気持ちもわからないわけじゃない。焦る気持ちもわかるさ。それで、佐藤晴美さんが数年前に結婚したという話とあの二人の関係性についてだが……僕はあの二人が今母親と一緒にいないのはその結婚相手に問題があるんじゃないと考えている」
遠藤さんの言葉に僕ら三人の顔が強張った。僕と彼方ちゃんの顔には主に驚きの顔が、間宮さんの顔には少しの驚きと疑うような顔色が伺える。色々と聞きたいことがありすぎて何から聞くべきなのか僕が悩んでいると、彼方ちゃんが口を開いた。
「それって、結婚相手からその……暴力なんかを受けている。みたいなことをおっしゃいたいのでしょうか?」
「そこまでの断定はしないが、概ねその通りだよ。君は若いのに話を理解するのが早いね。高校生くらいかい?」
「は、はい。高校一年です」
「そうか。……すまない。余計な話をしてしまったな、話を戻そう。今彼女が言ったように僕は佐藤晴美さんの結婚相手に何かしらの問題があるんじゃないかと睨んでいる。それこそ、今話に出た暴力沙汰や借金なんかだね」
「そう思う理由はあるのかしら?」
「これも会社で聞いた噂話なんだか、彼女の結婚相手をたまたま見たことがあっる人の話だと、あまり良い感じの人ではなかったらしいんだ。金遣いが荒いとか、女癖が悪そうとか。あくまで僕が見たわけじゃないから確信はないけど、火のないところに煙は立たないと言うしね。どこかしらは本当のことなんだと思うよ」
頭に浮かんでいたいくつかの疑問が解消された中、どんどんとこの話が信用に値する情報が入ってくる。でも、いくつ解消された疑問があっても新しい疑問が増えないわけじゃない。つまり、ちゃんと疑問は増えていた。
「その結婚相手が彩ちゃんと麻耶ちゃんに何かをしていたとして、どうしてそんなことをしたんでしょうか?」
頭に浮かんだ疑問の一つを口にした。
「それはたぶん―――」
「本当の自分の子供じゃないからじゃないでしょうか?」
遠藤さんの回答を遮り彼方ちゃんが言う。
話をかぶせるつもりがなかったらしい彼方ちゃんが申し訳なさそうにする中、遠藤さんは彼方ちゃんの手を差し出して「どうぞ」と、優しく大人な対応をしていた。彼方ちゃんも「すいません」と謝りながら言葉を続ける。
「よくドラマみたいな創作物であるじゃないですか。本当の自分の子供じゃない子を愛せなくて虐待をしている話。そういうのじゃないんでしょうか?」
「うん。僕も水無月君の意見と同意見だ」
遠藤さんと同じ意見だったことに安心したのか彼方ちゃんは安心したように胸をなで下ろしていた。そして、僕の意見を伺いようにこちらに視線を向けてくる。
「でも、そんなことって本当にあるのかな? やっぱり子供ってかわいいし、そういう責任もちゃんとわかった上で結婚してるわけだよね? なら、そんなことにはならないんじゃ……」
「そうとも限らないわよ」
僕の疑問に間宮さんが違うの可能性を示唆しようとして、最初に頼んでおいたコーヒーを一口飲んでから喋りだした。
「誠也。あなたの言いたいこともわかるわ。それはちゃんとわかった上で結婚してるだろうし、その責任を負うつもりだってあったんでしょうね。でも、実際に生活すると変わったりするのよ。最初は良くてもだんだんと自分の子供じゃないのに、なんで他人の子を、そういう風に思ったりしちゃうんじゃないかしら。それに―――」
間宮さんは一度言いにくそうに口を噤みながら、大きなため息を一つこぼして言った。
「もしかしたらあの子たちがいることを聞かされないまま結婚したのかもしれないし、佐藤晴美さんが手に入れば子供はどうでもいいって考えだったのかもしれない。もっとひどい話をするなら、佐藤晴美さんがあの二人のことよりも男を選んだ可能性もあるわ」
「そ、そんな!?」
「あくまで可能性の話よ。私だって、こんなこと言いたくないし、考えたくもないわよ。でも、最悪なことも考えておかないと、いざというときに動けないでしょ」
「佐渡さん……」
間宮さんに悪気がないのはわかってる。いつも楽観的な考えしかできない僕の代わりに最低最悪の可能性を考えて言ってくれてるんだってわかってる。でも、その言葉はいつも僕の胸に突き刺さって、僕の心を抉ってくる。
そんな僕を隣に座っている彼方ちゃんが心配そうに見つめていた。
「大丈夫。間宮さんの言う通りだよ。ちゃんといろんな可能性を考えないとね」
無理矢理自分の心に言うことを聞かせて平静を装う。でも、心は少しざわついていた。
「佐藤晴美があの二人よりも男を選んだという可能性はないと思う」
「それはなぜですか、遠藤さん」
「彼女は気遣いのできる優しい女性だった。僕も何度も仕事の内容上彼女と話したりしたが、彼女がそんなことをするような女性には思えない。現に彼女は会社にいるときに楽しそうに子供の話をしていた」
「でも、上辺だけならどうにでもなりますよね? それに数年も経てば考えが変わることだって……」
「ありえない。それだけは僕が保証しよう」
間宮さんの言葉を遮ってまで放った遠藤さんの言葉にさすがの間宮さんも少し驚いていた。僕に至ってはあまりの迫力に背筋を立たせてしまったくらいだ。
「……わかりました。そこまでおっしゃるのなら遠藤さんの言葉を信じましょう」
少しの間沈黙が流れる中、間宮さんの一言が止まった時間を動かした。
僕は何となく困って目の前に置かれたコーヒーを一口飲む。正直、味がよくわからなかった。
「ん、あれ? そういえば彼方ちゃん。どうして今の結婚相手のお父さんが彩ちゃんたちの本当のお父さんじゃないって思ったの?」
どうにか明るいとまではいかないものの、さっきまでのような雰囲気に戻したくて、僕と同じくこの場の雰囲気に困っていた彼方ちゃんに話題を振る。
彼方ちゃんは僕からの突然の質問に一瞬「へ?」と可愛らしい声を口にしながら、僕の意図を理解してくれたのかすぐに笑顔になって説明してくれた。
「えっとですね。さっき遠藤さんが五年以上は二人のお母さんに会ってないって言ってましたよね? でも、それだと彩ちゃんの年齢が一致しないんです。もし今のお父さんが本当のお父さんなら彩ちゃんは今五歳近くじゃないとおかしいんです。さすがに五年近く年を勘違いしてるとも思えませんでしたし、そうなのかなと」
なるほど。確かのよく考えれば彩ちゃんの年齢とあの二人のお母さんが結婚した年は一致しない。できちゃった結婚とか、色々とほかの可能性もあるけど、一番それらしい考えは今彼方ちゃんの言ったもののような気もする。
だから僕は軽く頷いて、お礼を言った。
「ありがとう彼方ちゃん。わかりやすくて助かったよ」
「いえいえ、お役に立てたならうれしいです」
彼方ちゃんの笑顔に癒されて、少し擦り切れていた心が穏やかになった。
「水無月君の言う通りだよ。彼女は一回結婚している。あの二人はその時の子供だよ。だから今の相手は二人目だ。これは僕が彼女本人から聞いてるから間違いないよ」
彼方ちゃんの推測に遠藤さんのお墨付きがつけられた。この情報はどうやら間違いないみたいだ。
「少ないとは思うが私が話せるのはこれくらいだ。彼女が会社を辞めてからもう五年以上経っている。だから今の彼女の情報は皆無だ。そして新しい情報が入るとも考え辛い。あと私が話せそうなのは彼女の年齢と、おそらく君たちにとって一番有益な情報だ」
初めはあまり協力できなくて申し訳ないとでも謝られてしまうんじゃないかと懸念していた僕に遠藤さんが言った言葉はそんな自信にあふれる言葉だった。
その証拠に遠藤さんは任せてくれとばかりに笑っている。
「それで、私たちにとって有益な情報って言うのはなんなのかしら?」
「ああ、これだ」
間宮さんの言葉を聞いて遠藤さんがメモを一枚テーブルの上に置いた。そこには11桁の番号が書かれていた。
「こ、これって―――」
さすがにこれを見せられて、何ですかこれは? なんて言う人はいないだろう。鈍感な僕だってさっきまでの話の流れと、遠藤さんの自信と、僕らに一番有益な情報という単語があれば理解できる。うううん。なくたって理解できる。
「もしかして、彩ちゃんたちのお母さんの電話番号ですか?」
「その通りだ」
代表して口にしてくれた彼方ちゃんの言葉に遠藤さんが頷く。
そう、遠藤さんが出したメモに書かれた11桁の番号。それは誰かの電話番号だった。そしてその相手は誰か、彼方ちゃんの言ってくれた通り彩ちゃんたちのお母さんのだ。
「連絡先が変わってる可能性はないのかしら? 五年も経ってれば変えてる可能性も十分あると思うけど」
「その点に関しては大丈夫だ。さっきここに来る途中で掛けてみた。そしたらちゃんとコールが鳴った。出られても困るからすぐに切ってしまったけど、これで連絡先が変わってる可能性はほぼないと言っていいだろう」
「ほぼって、確定じゃないんですか?」
「ないとは思うけど、自分が携帯を変える際に設定をそのままに使う人だけ変えたかもしれないでしょ。まあ、そんなことするのは身内相手くらいだろうから、彩ちゃんだちが携帯を持っていない時点をお察しってところだけどね」
「あ、そっか」
「それじゃあ佐渡君。これを」
「は、はい。ありがとうございます!!」
遠藤さんが彩ちゃんたちのお母さんの電話番号を書いたメモを三人を代表して僕に渡してくれた。僕は大きな声でお礼を言いながら頭を下げつつ、メモを受け取る。
その際にいきなり大声を出した僕の方に周りのお客さんの視線と、直接言ってはこないけれど、周りのお客様にご迷惑ですのでもう少し声量を抑えくださいというウェイトレスさんの視線を感じ、僕は急いで腰を折った。
「嬉しいのはわかるが、ほどほどにね」
「……はい、すいません」
遠藤さんにまで窘められてしまった。
間宮さんも何か言いたそうだったけど、大きく一つため息をついて、もう私が言う必要はないわよね。というような視線を送ってきた。
彼方ちゃんは悪意のない笑顔を浮かべながら仕方ないですよ。と、励ましてくれた。
「あと、こっちは僕の連絡先だ。こっちでも色々と探ってみるから何かわかったら連絡する。そちらからは何か聞きたいことができたら連絡してくれ。事の顛末に関しては連絡をくれないで構わないから」
「え? そんなわけには……。ここまでしていただいてるのに申し訳ないですし、遠藤さんだってあの二人のことが気になって協力を申し出てくれたのに」
僕の言葉に遠藤さんが顔をしかめた。
まるで言いたくないことを言わないといけないような、そんなばつの悪い顔だ。
「佐渡君。実を言うとね、私はあの子たちのことはそこまで心配してないんだ。どちらかといえば―――」
「佐藤晴美さんの方ですよね」
「ふっ……さすが間宮さんだね。その通りだよ」
僕は遠藤さんの言葉に引っかかりは覚えたものの、なんで間宮さんの口から彩ちゃんたちのお母さんの名前が出てきて、それを遠藤さんが肯定したのかわからなかった。確かに元仕事仲間が大変な目に合っていれば心配にはなるだろうけど、それならその人の子供である彩ちゃんたちも同じくらい心配のはずだ。でも、遠藤さんの今の言い方は彩ちゃんたちは二人のお母さんのついでに心配しているだけみたいに聞こえなくもない。
考えすぎだろうか?
「すまない。もうそろそろでないとこの後の会議に間に合いそうにないんだ。お金はここに置いていくからその分は好きに注文してくれて構わないよ」
「そうなんですか。でも、ありがとうございました! これで彩ちゃんと麻耶ちゃんをお母さんに会わせてあげられます!」
「そうだといいね。私が言うのもおかしな話ではあるが」
「そんなことは……」
「あるのさ。大人にはいろいろとね。佐渡君は私みたいにはなるなよ。水無月君もね」
「えっと、その、はい。どういう意味なのか私には難しくてよくわかりませんけど、でも、遠藤さんみたいにはなりません。私にはもう、憧れてる人がいますから」
遠藤さんの言葉に少し戸惑った様子の彼方ちゃんだったけど、最後の方はすごく真剣な顔をしていた。でも、彼方ちゃんの憧れている人って誰なんだろう? 聞いても教えてくれなさそうだし……。やっぱり間宮さんとか安藤さんかな?
間宮さんはクールでかっこ良くてきれいだし、僕はよくわからないんだけどモデルみたいなんて声もよく聞く。
安藤さんは大人の女性らしい安心感があって、優しくて気が利いてお淑やかさの塊みたいな人だ。女の子からしたらどちらに憧れてもおかしくはないんだろう。
男の僕だって二人には見習いたいところがたくさんあるくらいだ。
「そうか。それならよかったよ。あと、間宮さんも気をつけなさい。特に間宮さんはこちら側に少し足を踏み入れているからね、なおさら気をつけるべきだ」
「余計なお世話……と言いたいところですけど、私自身その自覚があるのでありがたく頂戴させていただきます」
「うんうん。大人の言うことを何でも聞けとは言わないけど、大人の忠告は素直に聞いておいて損はないよ。その忠告のほとんどは本人の失敗からきているからね」
そう言って笑う遠藤さんは少し寂しそうで、悲しそうで、後悔がにじみ出ていた。
何か言葉を掛けなくちゃいけない。でも、何を言っていいのかわからない。無責任に言葉を紡いでも何も響かない。むしろ不快感を与えてしまう可能性もある。今の僕にできる、何も知らない第三者だからできることはないのか。今日のせめてものお礼をしたい。僕はそんな心でいっぱいだった。
「え、遠藤さん! 失礼かもしれませんが、今からでも遅くないんじゃないですか」
「え……?」
「確かに過去の失敗は取り戻せません。いくら願っても、いくら望んでも、どんなに頼んだって過去は戻っては来ません。でも、未来ならどうにかなるかもしれません。だから、もし、遠藤さんが過去の失敗を取り戻そうと思うなら、その時は、僕にも協力させてください!」
結局、いつも通り僕にはろくな案が浮かばなかった。出てくる案のすべてはどこかで聞いたような言葉ばかりで、どこにも自分というものがない気がした。今の言葉だってどこかで聞いたような言葉ではあるけど、でも、確かに自分の心は確かにあった。
じゃなければ、その場の勢いでこんな言葉が出てきたりはしない。言いたいことを特に考えもせずに発したからこそ、自分の考え、心が全て籠った言葉になる。
僕の場合はそうだ。
「はははっ。まさか、大学生に諭されるとはな」
「すいません。偉そうなこと言っちゃって……。でも僕、本気ですから!」
「そうか……そうだな。時間があるとき、少し考えてみるよ」
「はい、ぜひともそうしてください」
「君は本当にお人よしなんだな」
「よく言われます」
そんな言葉を最後に遠藤さんはファミレスから出て行った。その背中に三人で頭を下げながら見送る。
そして、遠藤さんがファミレスを出たのを確認して三人同時に頭を挙げると僕の両脇に立っていた間宮さんと彼方ちゃんが笑顔で僕の方を見た。
「やっぱり佐渡は佐渡ね。まだ彩ちゃんたちのことも解決してないのに次の問題に自分から頭を突っ込んでいくんだもの」
「ですね。でも、それが佐渡さんなんだって私わかってきました。あそこで何も言わない佐渡さんなんて佐渡さんじゃありません」
「あら、彼方ちゃんも佐渡のことだいぶわかってきてるのね。まあ、わかりやすいものね」
「そうですね。顔に全部書いてありますもんね」
「ねえ、二人とも少しひどくない?」
「そんなことないですよ。私は佐渡さんを褒めているんですよ」
「彼方ちゃんの言う通りよ」
「えぇ~。ほんとかな~?」
というわけで、色々とあったけれど僕たちは確かな進展をした。
彩ちゃんと麻耶ちゃんのお母さんの連絡先を入手した。それに名前をフルネームで知ることができた。そして良き協力者が増えた。
文句なしに上出来だったと思う。
「よーし! これからいそがしくなるぞー!!」
僕は一人密かに―――なんて無理で、周りを巻き込むように気合を入れた。