36話
「二手に分かれてもらって悪いね。さすがにあの人数は車に乗せられない」
「いえ、むしろこちらこそありがとうございます。少しでも情報が欲しかったので助かります」
僕たちは今、遠藤さんの車と、拾ったタクシーの二台に分かれて近くのファミレスに向かっている。
あの後、遠藤さんに話を聞いたところ遠藤さんは彩ちゃんたちのお母さんの知り合いだったらしい。なんでも、昔の仕事仲間だったとか。
これ以上の詳しい話はゆっくりと席を落ち着ける場所で話そうと言ってくれた遠藤さんの案を受け入れ、僕たちは今二台の車を使って移動している。
それに、タクシー代もファミレス代も持ってくれると言ってくれて、もう頭が上がらない。でも、バイトもしてない一介の大学生の財布には少々厳しそうだったので助かった。
「もうそろそろだよ。あと十分もしないうちに着くだろう。タクシーは……少し離れてしまったみたいだね。でも、道は教えてあるし大丈夫だろう。向こうでゆっくり待つとしよう」
車の運転なんてしたことないからわからないけど、遠藤さんは器用にバックミラーを見て後ろの様子を確認してそう教えてくれる。僕だったら絶対に意識が後ろの様子に行って車がジグザグに走る未来が見える。
「さて、着いたな。人数が人数だ。僕は先に中に入って事情を説明してくるよ。席は二か所に分けて、君と間宮さんと僕で一席、後の子たちでもう一席でいいかな?」
「すいません。彼女も……彼方ちゃんも僕たちの方へ入れてもらえませんか?」
「ん? 彼女も関係者なのかい?」
「はい。今回の件で僕と一緒に最初から関わっています。男の僕じゃあ手の届かないところをたくさん手伝ってもらってます」
「ご紹介にあずかりました水無月彼方です。佐渡さんの説明通り、最初から彩ちゃんたちに関わっています。……私も佐渡さんと同じであの子たちに笑っていてほしいんです。だから、私もぜひお話を聞かせていただきたいんです」
遠藤さんに隣にいる彼方ちゃんの紹介をしながら僕はお願いする。隣にいる彼方ちゃんも至って真面目な表情で遠藤さんを見ている。
遠藤さんはまるで彼方ちゃんを値踏みでもするように少し見てから軽く頷く。
「わかった。では、私と佐渡君と間宮さんと水無月さんで一席。佐渡君の妹さんと彩ちゃん麻耶ちゃんで一席。これでいいかな?」
「はい! ありがとうございます!」
遠藤さんの言葉に顔に可愛らしい花をぱっと咲かせる彼方ちゃん。その顔に僕も自分のことのように嬉しくなる。
「ふふっ、佐渡君。君の周りには素敵な女性が多いんだね。誰を選ぶのか大変そうだ」
「ななな、なにを言ってるんですか!?」
「なに、ちょっとした嫉妬ってやつだよ。実に羨ましい」
そんな言葉を残し、笑いながら遠藤さんが先にファミレスの中に入っていく。
僕と彼方ちゃんはその後ろ姿を見送りながら二人顔を見合わせた。一気に顔が赤くなる。
遠藤さんが言ってしまった今、この場には僕と彼方ちゃんの二人しかいない。他のメンバーはもう一台のタクシーの方に乗ってしまっている。僕から昨日の彩ちゃんとの話や遠藤さんのことを聞きたいと言ってきた彼方ちゃんが僕と一緒に遠藤さんの車に乗ることになったことで、芽衣が一人で彩ちゃんと麻耶ちゃんの面倒を見ることなったんだけど、間宮さんがもしものことがあったときに「芽衣ちゃんたちが心配だわ」と、タクシーのメンバーの方に行ってくれた。
その結果が今だ。
どうしよう……気まずい。
「え、遠藤さん、変なこと言ってたね……。それは間宮さんや彼方ちゃんは魅力的な女の子だと思うけど、僕となんて釣り合うはずないのにね」
どうにかこの気まずい雰囲気を払拭しようと言葉を出してみたものの、彼方ちゃんは黙ったままだ。
どうしよう、本当にどうしよう。もうみんなが来るのを待つしか方法はないのかな、なんて思っていたとき彼方ちゃんがこちらは向いてくれないものの、会話に乗ってきてくれた。
「そ、そんなことないです……」
「ありがとう。彼方ちゃんは優しいね。お世辞でもうれしいよ」
「ち、違います。お世辞とか、そういうのじゃないです……」
「……え?」
思ってもみなかった返答に言葉を詰まらせる。
僕は正直、彼方ちゃんは優しいから僕の言葉をそのまま鵜呑みにするようなことは言ってこないまでも、社交辞令の言い合いのような形で終わるものだと思っていた。それで、少しでもこの気まずい雰囲気をどうにかできたら、そんな思いだった。
「私は冗談とかお世辞とか、そんなのじゃなくて、本当に……本当に佐渡さんは素敵な人だと思います。それこそ、私なんかじゃ釣り合わないくらいに……」
「そ、そんなことない! 彼方ちゃんは優しくて、人のために行動できて、人のことをちゃんと考えられる優しい子だよ!」
顔を真っ赤にして、もう何も言い出せそうになかったのに、言葉はすんなりと出てきた。それは、僕が彼方ちゃんの言った言葉に対して少しだけど、怒りを覚えていたから。優しい彼方ちゃんを僕が知っているからだ。
「やっぱり佐渡さんは優しいですね。優しくて、まぶしくて、暖かいです」
「それは彼方ちゃんだって同じだよ。優しくて、輝いてて、ぬくもりがある」
ほんの少しだけ違う僕らの言葉。でも、きっとお互い伝えたいことは同じで、一緒で、そこにあるのは嘘も謙遜もお世辞も遠慮もない、まぎれもない本心だ。
ただそれを率直に伝えるのは恥ずかしくて、たまたまその話題が上がると今のようにお互いの褒め合い会が始まる。
もちろんそのことも僕らは重々承知していて―――
「ふふふっ」
「あははっ」
同時に笑いが零れだした。
「おかしいですね、私たち。お互い褒めあったりしちゃって、それなのにこんなに暗い感じになっちゃって、おかしいです」
「ほんとだね。何度も同じことしてるのに、また同じことしてる」
きっとこれから僕と彼方ちゃんの関係というのはこういうものなのだろう。
互いが互いの良いところを褒めて、それに照れて相手を褒める。自分じゃ恥ずかしくて認められないこところを相手に認めてもらって、褒めてもらいながら、自信の持てない自分にちょっとした勇気という食事をあげる。
そんな関係を僕らはきっとこれからも続けていく。
互いが互いを支えあい、認め合いながら、一緒に歩いていく。
似ているからだけじゃない。お互いやりたいことが同じで、でもお互い一人じゃどうしようもできないから、お互い倒れてしまわないように支えあうんだ。
それがきっと、僕たちにお似合いの形なのだろう。
「でも、佐渡さん。一つだけ言っておきますね」
「ん? 何かな?」
一頻り笑い終え、どうにかあの気まずい雰囲気が払拭されたころ、彼方ちゃんが珍しく悪戯な笑みを僕に向けた。
「いつかきっと、みなさんのことを追い抜いて、私が佐渡さんの隣に立って見せますね」
「みなさん? 追い抜く? どういう意味なのかな? それに、今はみんなで一緒に頑張ってるんだから彼方ちゃんも一緒に頑張ってるんだと思うんだけど……」
最初の「みなさん」とか「追い抜く」のいみはともかく、隣に立つということはたぶん一緒に何かを頑張るということだと僕は考えた。でも、それだとしたら今言った通り彼方ちゃんはいつも一緒に頑張ってくれている。
翔君も間宮さんも広志君も天王寺家のみんなだっていつも一緒に隣を歩いている。
「やっぱり佐渡さんは女の子のことがわかってませんね」
「……えっと、どういうこと? 女の子のことって?」
わからないことは正直に聞く。わからないんだからしょうがない。
だって、本当に彼方ちゃんの言うことの意味がわからない。乙女心ってやつのことだろうか。だとしたら、僕にはわかるはずもない。僕は男だから。
それでも簡単に考えるのを諦めるのは違う気がして頭を使う。でも、そんな簡単に出てくるならわからないなんてことがあるはずもなくて。
「ねぇ、彼方ちゃん。さっきのってどういうこと? やっぱりわからないんだけど」
僕がもう一度さっきの言葉の意味を聞くと、彼方ちゃんは笑って少し僕の前に出て後ろ振り向きながら。
「内緒です。もう少し頑張って考えてみてください」
そう言った。
「えぇ……もうすごく考えたんだけどなー」
「ならもっとすごく考えてください。それでもだめならもっともっとすごーく考えてください」
「そ、そんな……難しいよ」
「はい! 難しいです。でも、それがわかった先にきっと本物があるんだと私は思うんです」
またしても彼方ちゃんが謎なことを言った。
ただでさえ解けていない謎に新たな謎が追加される。大学で、まだ他の抗議のレポートが終わってないのに、新しいレポートが追加された気分だ。
「ひ、ヒントだけでも……」
少しでもヒントをもらおうと情けなく縋り付こうとすると、後ろからエンジン音とブレーキの音が聞こえた。
後ろを振り向くと、間宮さんたちがタクシーからちょうど降りてくるところだった。
「もう時間です。ヒントはあげません。頑張ってくださいね!」
「は、はい……」
うむを言わせない彼方ちゃんの笑顔に押し負け、僕は頷いてしまう。
「どうかしたのお兄ちゃん。なんか落ち込んでるように見えるけど?」
「ううん、何でもないんだ。……芽衣、女の子って難しいんだね」
「ん? なんのことだかわかんないけど、少なくともお兄ちゃんの考えよりは難しいんじゃないかな」
芽衣から辛辣な言葉を受け取り、間宮さんや彩ちゃんも僕を見て不思議そうに見ている中、僕はもう一度思う。
女の子って難しい。
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「すいません。おまたせしました」
間宮さんたちと合流した僕と彼方ちゃんは遠藤さんが先に入ったファミレスの中に入ってきていた。
さっきの彼方ちゃんとのやり取りの謎がまだ頭の隅に居座っていたけど、それは強引に頭を振ってどこかにやっておいた。麻耶ちゃんの「あたまぶんぶんおもしろーい!」という笑い声が今も頭に残っている。
「いや、全然だよ」
十分近く待たせてしまった僕らに嫌な顔一つ見せずに遠藤さんは笑う。
「それじゃあ、さっき言っておいたように別れようか。佐渡君と間宮君と皆月君はこっち。妹さんと彩ちゃん麻耶ちゃんはそっちだね」
この中で今の事情が分かっていなのは小さすぎる麻耶ちゃんだけだ。彩ちゃんも概ね今の状況を理解している。でも、それが厄介でもあった。彩ちゃんはここに来るまでずっと僕や間宮さんに自分も一緒に遠藤さんの話を聞きたいと主張していた。
確かに彩ちゃんと麻耶ちゃんには遠藤さんの話を聞く権利があると思う。でも、僕はそれを止めた。彩ちゃんは僕なら「いいよ」と言ってくれると思っていたのか、僕がみんなの代わりにそう言うと少しショックを受けた顔をしていた。
そこに悪意は全然なかっただけに、僕はその顔に悲しみを覚えた。
「でも、今の不安定な精神状態の彩ちゃんにこれ以上の負担はかけたくない。心配事は少しでも少ない方がいいはずだよね……」
ここに来るまで遠藤さんと彼方ちゃんと何んとない会話をしながら何度も自分に言い聞かせた言葉を僕は反芻する。
「大丈夫ですよ、佐渡さん。彩ちゃんならきっとわかってくれます」
「そうよ、佐渡。それどころか佐渡の心の中なんてお見通しだったみたいで車の中で逆に落ち込んでたわよ、彩ちゃん」
「そうなの?」
「えぇ、励ますの大変だったんだから。芽衣ちゃんと二人で佐渡なら気にしないわよーって、ずっと頭を撫でてあげてたもの」
「……それ、間宮さんも楽しんでない?」
少しおかしな気のする間宮さんのフォローに軽くツッコミつつ、彩ちゃんが僕の気持ちをわかってくれていたことに安心する。
―――でも、小学生の女の子にまで簡単にわかられちゃう僕の考えって、そんなに単純なのかな……。……少し不安になってきた。
「えいっ!」
「いたっ。えっ、何するの!?」
いきなり間宮さんに頭をチョップされた。
勢いはなかったもののそれなりの威力を持っていたチョップをもらった場所をさする。
「鈴」
「え、なに?」
「鈴、私の名前よ。いい名前でしょ」
「そ、そうだね。僕もそう思うけど、なんでチョップ……」
ここまで言っても何も教えてくれない間宮さんを不思議に思いつつ、僕に何か不手際があったのではないかと頭を悩ませる。
そして、僕にしては珍しくその答えはすぐにわかった。それを証明するために僕はその証拠を披露しつつ謝罪することにした。
「ごめん、鈴さん。僕が悪かったよ」
「わかったなら上出来ね」
僕の考えは正しかったようで間宮さんは笑みを浮かべる。
そう、間宮さんが僕にチョップを入れた理由。それは、遠藤さんが近くにいるのに、下の名前で呼ばなかったことだ。
もう隠さなくてもいいこととはいえ、人を騙していたのが知られるのは、相手にとっても自分にとっても気が重い。なら、たとえ自己満足でも、最後まで相手を騙し続けるというのはありなんだと僕は思う。
正直に言えることなら、言いたいんだけどね。
「全く、いくら彩ちゃんたちのことで進展がありそうだからって、こっちのことが疎かになってたらダメでしょ。運よく遠藤さんが芽衣ちゃんたちと喋ってたからよかったものの、こっちの方に居たらアウトだったわよ」
「本当だね……。次からは気を付けるよ」
「そうね。次がないことを祈ってるわ」
僕の小さな失敗が注意され終えたころに遠藤さんは僕らの方に戻ってきた。
芽衣たちは既に案内された席に座っている。芽衣が一人で、彩ちゃんと麻耶ちゃんが隣り合わせに座っている感じだ。
それを確認した僕らも少し離れたところに用意された自分たちの席に向かう。
「好きなものを好きなだけ頼んでいいと言ってきた。もちろん私のおごりだ。君たちも好きなものを注文してくれ」
席について、椅子の方に腰を下ろしながら遠藤さんが言う。
「そんなことを言ってきたんですか!? わ、悪いですよ!」
「なに、気にすることはないよ。君たちの時間を私がもらうんだ。対価は支払わないといけない。時は金なりって言うだろう」
「ですけど―――」
「本当にいいんだよ。僕も遠藤グループの関係者。それなりに稼がせてもらってる。ファミレスで子供たちの食べるものくらいのお金は十二分に持ってるさ」
妙におしゃれな言葉と、大人っぽい話し方で納得させられた僕は、「すいません、ありがとうございます」と、頭を軽く下げつつ、遠藤さんとは反対側のソファー側の席に腰を下ろした。
そこに続いて彼方ちゃん、間宮さんの順番で入ってくる。
少し狭いけど、僕たち三人が話を聞く側で、遠藤さんが話す側。この形の方がなにかと都合がいいように思う。
「早速で悪いけど、私もあまり時間がない。その短時間で私の知っていることはすべて話そうと思う。君たちも聞きたいことがあったらどんどん聞いてくれ。私が答えられる限りのことは話そう」
テーブルに肘をつき、両手を握る形で顔の前に持ってきながら遠藤さんが話し始めた。
「まず、さっきも話したと思うが、彩ちゃんたちの母親、佐藤晴美さんが僕の知っている彼女と同一人物である可能性が高いことは理解してもらえてるよね?」
「はい。疑うようなこともありませんし、僕らも少しでも情報がほしい状態です。だから遠藤さんが本当だというなら少なくとも僕は信じます」
自分の意見を述べてから、二人の意見も確認しようと、順番を譲るように彼方ちゃんの方へ視線を向けた。
その意図に彼方ちゃんはすぐに気が付き、小さく頷いてから話し出す。
「私も佐渡さんと同意見です」
彼方ちゃんが僕と同意見だと短い言葉で告げ、バトンを渡すように間宮さんに視線を送る。間宮さんももちろんその意味がわかっていて、僕ら向けて小さく笑ってから、遠藤さんに向き直った。
「ここで遠藤さんが嘘をつく理由もないし、嘘だったとしても私にはそれを嘘だと言えるような情報はないわ」
「つまり、信じてもらえると思ってもいいんだね」
「そうですね。二人みたいに完全に信用はしてませんけど、信用したいとは思ってます」
「そうか、それは話が早くて助かる」
お互いの腹の探り合いのような会話を遠藤さんと間宮さんが交わすのを僕と彼方ちゃんは呆然と眺めていた。
彼方ちゃんが小声で話しかけてくる。
「間宮さんさすがですね。どんな時でも冷静沈着というか、落ち着いてて安心感があると言いますか」
「そうだね。何度もそういうところに助けられてるよ」
間宮さんが言うには僕は少し人を無条件で信用しすぎる傾向にあるらしい。
確かに僕はできるだけ人の言うことを信用したいし、自分のことも信用して欲しいとは思ってる。そこが間宮さん的には心配らしい。
間宮さん曰く、セールスとか詐欺に簡単に騙されそうで怖いわ。らしい。
「それじゃあ大雑把に私と彼女の関係性についてから話そうか」
遠藤さんの言葉につばを飲み込む。
正直に言うと、緊張している。心臓がうるさいくらいには僕は緊張していた。
でも、それと同時に感じている。最近なんだか感じるようになった、何かが進みだしたような感覚を僕は密かに覚えていた。
ようやく、僕らの時間が動き出した。