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ホームレス少女  作者: Rewrite
佐藤彩・佐藤麻耶 編
169/234

28話

 

「うわーっ! うちのおふろとぜんぜんちがーうっ! おもしろーい!」

「こら麻耶! お風呂で暴れないのです! 転んで痛い思いをしても知らないですよ!」


 楽しそうにはしゃぐ妹を注意する姉。

 そんな二人の姿を眺め、僕はほっこりとした気分に―――なれずにいた。


「まや、いっちばーん!」

「待つのです麻耶。まずは体をお湯で流しますよ。お湯に入るのはそれからです」


 はしゃぐ麻耶ちゃんを落ち着けつつ、冷静に麻耶ちゃんと自分自身にかけ湯をする彩ちゃん。

 そう、僕がこんな優しい空間にいるのにほっこりとした気分になれない理由。それは至って単純でシンプル。ここがお風呂場だからだ。

 そして、僕もこれから二人と一緒にお風呂に入ることになっているからだ。

 二人が服を脱ぎ、かけ湯をし、おそらくは湯船に浸かった音まで聞き終えた僕は腰にタオル一枚という状態で脱衣所に一人固まっている。


「佐渡誠也。本当にいいのか? 将来あの子たちのトラウマになったりしないか? 小さいころによく知りもしないお父さん以外の男の人とお風呂に入ったなどと嫌な黒歴史を残してしまわないか?」


 何度も繰り返したこの問。

 もちろん僕は彼方ちゃんにも芽衣にもこの質問を投げかけた。そして二人の答えは「問題ないと思いますよ?」と「別に平気でしょ。まだ子供なんだし、大人になったら忘れてるよ」という、僕にとってはなんとも無慈悲な答えが返ってきた。


「しかし、しかしだ佐渡誠也! もう一度よく考えるんだ」


 二人の太鼓判をもらい本人たちからの了承、というか誘いだというのに僕はあと一歩を踏み出せずにいる。

 もちろん僕に邪な感情はない。一切といってもいいほどに。

 問題なのは本当に二人の将来だけなのだ。


「……お兄さん。いつまでもそんな恰好でいたら風邪を引きますよ? 何のために一緒にお風呂に入ることにしたんですか」

「ほへ? ……ほわーっ!!」


 突然目の前に現れた一糸纏わぬ姿の彩ちゃんに僕は情けない声を出し、さらには情けない叫び声をあげた。


「静かにしてください。お風呂だから響くのです」

「ご、ごめんね」


 動揺しまくりの僕に対して冷静な彩ちゃん。これじゃあどっちか大人かわからない。


「それよりもほら、早くするのです」


 そう言って彩ちゃんは僕の腕をつかみ、強引にお風呂場に招き入れる。


「あー、やっときたー。みてみてー、タオルでふうせんつくれるんだよー」


 覚悟の決まり切らないままお風呂場に入ってしまった僕は、笑顔の麻耶ちゃんに出迎えられる。手には言葉通りタオルの中に空気を入れたものを持っている。


「ぶしゅー。ぶくぶくー」


 可愛らしい擬音を発しながら麻耶ちゃんがタオルで作った風船を萎ませる。お湯の中で押し出された空気は泡となって水から逃げようと泡になって浮いてきた。

 そんな姿を見せられたらさっきまでバカみたいなことを考えていた自分が本当にアホらしくなってきた。


「椅子に座ってください。お湯を掛けますです」

「え、悪いよ」

「いいのです。さっきのお礼と、今までの態度の謝罪です」

「本当にいいんだよ? さっきのだって僕が我慢しきれなくて探しに行っただけだし、今までのだって僕が勝手にやったことで」

「それではこれは私がお兄さんに対して勝手にやることです。わかったらさっさと座ってください」


 またまた強引に動かされた僕はこのままだと逆に危ないと思い大人しく椅子に座る。少しして、僕の背中にお湯が掛けられた。


「背中が広くて一回じゃ流しきれないです」


 そう言いつつ浴槽から二度三度とお湯を汲み、僕の背中を流す彩ちゃん。


「出来ましたです」


 満足げに言う彩ちゃんにありがとうとお礼を言い、僕は立ち上がる。


「それじゃあお兄さんは浴槽で温まっててください。その間に私は麻耶のことを洗いますのです」

「駄目だよ麻耶ちゃん。君もまだ温まってないでしょ。体を洗うのはあとからでも大丈夫だから」

「……そうは言いますが、このお風呂に三人は狭いのではないですか?」

「あっ……」


 麻耶ちゃんに言われ、今いるお風呂場が向こうの自分のアパートではなく、実家なことを思い出す。彩ちゃんが今言った通り実家のお風呂は僕のアパートのお風呂より狭い。二人ならどうにか入れそうではあるが、三人は少しきつそうだ。


「それじゃあ先に僕が体を洗っちゃうから二人はもう少し温まってなよ。僕を呼びに来たから彩ちゃんも冷えちゃってるでしょ?」

「確かに少し冷えてはいますが、私は多少なりとも温まりましたし大丈夫なのです」

「でも……」


 なんとか彩ちゃんに浴槽に入ってもらおうと留守僕に彩ちゃんは何も言わずに手をパーにして突き出してきた。


「えっと……この手は何かな? じゃんけんで決めようってこと?」


 質問に彩ちゃんは首を振って答える。

 そして、答えのわからない僕にその手の意味を教えてくれた。


「これはお兄さんが私たちがお風呂に入ってからお風呂に入ってくるまでの時間です」


 ……。

 僕は黙ることしかできなかった。


「時計がないので正確な時間はわかりませんが、おそらく五分前後は確実にお兄さんは脱衣所にいました。その間、私と麻耶は温まっていました。言いたいこと、わかりますですよね?」

「……はい」


 碌な反論をすることもできず、僕は肩を落として浴槽に入る。


「わーっ! いっきにおゆがふえたー!」


 無邪気にはしゃぐ麻耶ちゃんに若干癒されつつ、僕は静かに一人へこむ。


「麻耶。頭を洗ってあげますから出てくるのです」

「はーい」


 彩ちゃんの指示に従い湯船を出る麻耶ちゃん。麻耶ちゃんが足を滑らせたりしないかと構えていた僕の心配は杞憂に終わり、無事、麻耶ちゃんはさっき僕が座っていた椅子に座る。


「いいですか? 私がいいって言うまで目を開けたらダメですよ。痛いのは麻耶なんですからね」

「わかりました!」


 元気良い返事をしつつ、これでもかというほど目をぎゅっと瞑る麻耶ちゃん。

 さっきまで泣いていたのが嘘みたいな笑顔。

 やっぱり、二人は一緒にいないとダメなんだな。

 ふと、そんなことを思った。


「終わりです。もう目を開けてもいいですよ」

「もういたくない?」

「はい。もう大丈夫ですよ」

「ほんとだ」

「体は夜に洗いましょう。また汗を掻いたら意味がないですから」


 もう何度目かわからない二人の微笑ましい姉妹劇を眺めていると、彩ちゃんの視線が麻耶ちゃんから僕に移った。


「次はお兄さんです。背中を流してあげます」

「ぼ、僕!? 僕はいいよ。ほら、さっき背中を流してもらったし」

「いいから早く出てきてここに座ってください」

「……はい」


 たぶんこのまま二人で言い合ってても決着はつかず、結局僕が先に折れることになるのは容易に予想できたので大人しく湯船を出て椅子に座る。

 少ししてゴシゴシとタオルを擦る音が聞こえてきて、それが背中に当てられた。


「や、やっぱり広いのです……」


 僕の背中を洗うのに少し苦戦気味の彩ちゃん。別段僕の身体は大きな方ではない。平均的といっていいだろう。でも、小学生である彩ちゃんからしたら僕の背中は大きく感じるのかもしれない。小さい時には大きく見えていたものが、今になって小さく感じるということはよくある話だ。


「気持ちいいですか?」


 背中越しに聞こえてくる彩ちゃんに声に僕は返事をする。


「うん。人に背中を流してもらうのって初めてなんだけど、すごい気持ちいいんだね。毎日でもしてほしいくらいだよ。って、それじゃあ彩ちゃんや嫌だよね? あはは」

「……」

「彩ちゃん……?」


 返事が返ってこないから怒らせてしまったのかと不安になる僕。

 しかし、返事はちゃんと帰ってきた。


「そ、そんなことないです」

「え……?」

「な、なんでもありません! 大人しく背中を洗われててください!」


 珍しく口調を荒げた彩ちゃんに気おされ、僕はさっきの言葉の意味を聞きそびれてしまう。


「こんなものですかね?」


 少しして、彩ちゃんによる背中流しが終わった。

 自分でいつも洗うより時間をかけて丁寧に洗われた背中がなんだか気持ちよく感じる。


「それじゃあお兄さんは麻耶と湯船に入っててください。私は自分の髪を洗いますので」

「うん。了解」


 返事を返し、湯船の中で大人しくしていた麻耶ちゃんに「一緒するね」と、声を掛けつつ湯船に浸かり、彩ちゃんが自分の髪を洗い終わるのを待つ。

 少しして彩ちゃんが髪を洗い終え、僕は三人で入るには狭いお風呂から退場しようと浴槽に手をついたその時。


「それでは失礼しますです」

「え? 彩ちゃん!?」


 彩ちゃんが僕と麻耶ちゃんの間に入ってくる。


「……やっぱり三人では少し狭いですね」

「入る前に自分で言ってたよね……?」

「そうでしたっけ?」


 わかっててとぼけているのか、本当に忘れているのかわからない表情で彩ちゃんが答える。


「せまーい! でも、なんかたのしーっ!!」


 麻耶ちゃんが言う。


「そうですね。たまにはこういうのも悪くないかもです」


 彩ちゃんが続く。


「そうだね。たまになら、いいかな……」


 最後に僕が続いた。


 やっと、やっと二人の信頼を得ることができた。

 ようやく、僕は彩ちゃんに真の意味で信用してもらえた。

 それが本当にうれしくて、油断をすれば涙が出そうで、胸が温かいものでいっぱいになる。


「このまま……」


 このまま、幸せな時間がずっと続けばいいのに。

 二人にとっての本当の幸せはまだ遠いのに、僕がそう思ってしまうのも、仕方のない空間。心も体も温まる今のこの場所。

 僕は、満たされていた。


 三人一緒に仲良くお風呂に入ってから数時間。日はとっくに落ちて、元から雨雲のせいで暗かった空はより一層暗くなった。


「おそとまっくらー」


 窓から未だに雨風雷がすごい外を眺め、麻耶ちゃんが素直な感想を漏らした。


「そうですね、まさか向こうとこっちでこうまで違うとは思いませんでしたです」


 それに彩ちゃんが言葉を続ける。

 そんな可愛らしい姉妹の姿を僕と彼方ちゃんと芽衣は頬を緩ませながら眺める。

 そのまま少し視線をずらし僕も外の様子を軽く覗う。雨が滝のように降り注ぎ、風が進行方向にあるものすべてを叩き、雷が時折外を明るくする。嵐は全然収まってなどいなかった。

 そんな天気のせいもあって、彩ちゃんと麻耶ちゃんが言う通り外は真っ暗。ただでさえ都会の方と違って街灯の少ないこの場所では碌に外の様子を伺うことはできない。僕が今思った嵐の感想だって、家の明かりのおかげで見えている庭のところだけを見た感想で、実際はもっとすごい状況なのかもしれない。


「このおうち、でんしゃさんみたい」


 無邪気な麻耶ちゃんが窓の傍から僕らの居る方までやってきて僕の膝に両手を置いて満面の笑みを浮かべながらそんなことを言い出した。

 僕たち三人は一斉に顔を見合わせる。しかし、今の麻耶ちゃんの発言を理解できていないのは彼方ちゃんも芽衣も同じようで二人とも同様に首を横に振った。

 となると、僕らが頼れるのはもう一人しかいない。麻耶ちゃんのお姉ちゃんである彩ちゃんだ。


「ねぇ、彩ちゃん。麻耶ちゃんの言ってる意味わかるかな? 私たちにはわからないんだけど、もしわかってるなら教えてもらってもいいかな?」


 僕らを代表して彼方ちゃんが彩ちゃんに質問をする。

 彩ちゃんは僕らの質問にこちらに向かってきながら答える。


「たぶん、この音のことじゃないでしょうか、です」

「音?」


 彩ちゃんの言ってる意味すら分からずにとりあえず僕らは今聞こえてくる音を確認する。


「聞こえるのは……雨の音と、風の音と、雷の音と、少し小さいですが台所で佐渡さんのお母さんがお料理を作ってくれてる音だけですね」

「そうだね。……でも、どの音が電車?」

「あーもう、わかんなーい!」


 これだけ言われても正解にたどり着くことができない僕たち。芽衣に至っては考えるのを止めて、すべてを諦めたように床に倒れこんだ。


「ねぇ、彩ちゃん……」


 彼方ちゃんが申し訳なさそうに彩ちゃんを見る。


「たぶんですが、風が家の壁を叩いている音がガタンガタン聞こえるから麻耶は電車みたいだと言っているんです。そうですよね、麻耶」

「うん! そー!」


 最後に麻耶ちゃんに確認を取りつつ彩ちゃんが麻耶ちゃんのなぞなぞみたいな言葉の説明をしてくれた。その回答に僕らは一斉に納得の顔をする。


「なるほど。たしかに風が強いから雨戸がガタンガタンいってるね」

「電車、納得です」

「なるほどねー」


 三人それぞれの反応を見せた僕らに彩ちゃんがどうですか? といったような目を向ける。


「さすがは麻耶ちゃんのお姉さんだねー。私にはわからなかったよ」


 おそらく彩ちゃんが言ってほしかったであろう言葉を彼方ちゃんが言う。

 少し先を越されてしまった。


「当然なのです。彩は麻耶のお姉さんですから、です」


 腰に手を当て、嬉しそうに胸を張る彩ちゃん。

 前の彩ちゃんだったら返事は一緒でも態度は今と全然違かったんだろうなと少し嬉しくなる。


「本当に丸くなったねー彩ちゃん。あーもうかわいーなー!」

「にゃふっ!?」


 尖っていた性格が丸くなった彩ちゃんに対して芽衣が我慢の限界とばかりに抱き着く。ぎゅーっ、と口にしながら抱き着いて、ほっぺやわらかー、と彩ちゃんの頬に自分の頬を擦りつける。

 芽衣の突然の行動にいつものように避けることのできなかった彩ちゃんは驚いた顔をしながら芽衣になすがままにされている。


「い、いたいれふ」

「ごめんねー。もうちょっとだけ我慢しててねー」

「た、助けてなのです」


 助けてと彩ちゃんに言われた僕らだけど、芽衣のあの幸せそうな子を見ると、止めるに止めづらい。ごめん、彩ちゃん。


「うー、まやもぎゅってしてほしい……」


 芽衣に抱きしめられている彩ちゃんを見て、麻耶ちゃんが口に人差し指の先を入れてそう言った。

 そう言われると抱っこしてあげたくなった僕は彼方ちゃんの方を見る。彼方ちゃんも同様に僕の方を見ていた。


「えっと……」

「どうしましょうか……」


 二人困った顔をする。

 でも、僕にしては珍しくさっきまでの彼方ちゃんの表情を見逃さなかった。彩ちゃんを抱きしめる芽衣を羨ましそうに見ていたのを。

 大人としてここは譲るべきだ。僕はさっき二人と一緒にお風呂にも入ったし、彩ちゃんと打ち解けられたのも彼方ちゃんのおかげというところもある。

 僕はもう十分ご褒美をもらった。次は彼方ちゃんの番だ。


「麻耶ちゃん。彼方お姉ちゃんがおいでだって」

「彼方お姉ちゃん!?」


 彼方ちゃんに気を使い僕がそう言うと、なぜか隣の彼方ちゃんが素っ頓狂な声を出した。思わずなにか変なことを言ってしまったのかと僕は驚いた顔をして彼方ちゃんの方を向く。


「彼方お姉ちゃん……彼方お姉ちゃん……」


 なぜか彼方ちゃんが半分放心している。

 なんで!?


「ん? かなたおねえちゃん。ほんとうにいいの……?」


 そんな彼方ちゃんを見てか、麻耶ちゃんが抱き着きに行くのを躊躇った。


「え? あっ、いいよ。私でよかったおいで」

「わーいっ!!」


 なんとか放心状態から立ち直ったらしい彼方ちゃんがそう麻耶ちゃんに返事をすると、麻耶ちゃんは満面の笑みを浮かべながら彼方ちゃんに飛びつく。


「おっと、麻耶ちゃん。そんなに勢いよく飛び込んで来たら危ないよ。気を付けてね」

「うん、ごめんなさーい」


 勢いよく飛びついた麻耶ちゃんを彼方ちゃんが若干後ろに倒れそうになりながらもなんとか受け止める。そして優しく注意しをした。

 麻耶ちゃんも素直にごめんなさいと謝る。少し軽い感じがしてしまうような言い方だけど、子供なんだから全然問題ない。


「なんか僕一人だけ浮いちゃったな……」


 彩ちゃんと芽衣ちゃん。麻耶ちゃんと彼方ちゃんがそれぞれ仲良くしている中、一人余ってしまった僕は少し寂しい気分になる。といっても、そんな表情を出すわけにはいかないのでぐっと堪える。


「でもまぁ、みんな幸せそうだしいっか」


 最終的にそう結論付け、僕は少しの間四人を羨ましく思いながら時間を過ごした。


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