27話
嵐の中を走り始めて数分。さらに雨風の勢いは増し、雷もひどくなってきた。
時間が過ぎるほど勢いを増す嵐をその身で体感し、僕の焦りはさらに加速する。
雨と時間の関係で視界は悪く、集中していないと彩ちゃんを見逃してしまいそうで不安だ。
「でも、僕以上に彩ちゃんは不安なはずだ!」
いつもしっかりしてる彩ちゃんだけど、最近少しだけど僕に弱みを見せた。
それはつまり、いつもの彩ちゃんではいられなくなるほど精神的に追い詰められているともとれる。
そんな彩ちゃんが知らない場所で、たった一人で、不安じゃないはずがない。
いつもしっかりしてるから、真面目で冷静だから、そんな理由で僕は彩ちゃんをちゃんと見てあげてなかった。あげられなかった。
「平気なはずがないじゃないか。彩ちゃんだって、まだ子供なんだから。お母さんと離れて、大丈夫なはずがないじゃないか。それなのに僕は―――」
今は自分を責めている場合じゃない。そんなことはわかってる。
でも、しょうがないじゃないか。
だって、きっと誰も僕を責めてくれない。彼方ちゃんも芽衣も一番叱ってくれそうな間宮さんも、みんな優しいから、きっと僕を責めてくれない。その責任の一端は自分にもあると、悪気はなかったんだし仕方ないと、今は他にやることがあるでしょ。と、誰も僕を責めはしない。
だから、せめて自分くらいは自分を責めたい。
自分のミスを一番理解している自分だからこそ。
「情けないよ。ホントに……」
そうこうしている間に目的の場所まで着いてしまった。
彩ちゃんが向かったはずの場所だ。しかし、そこに彩ちゃんの姿はない。
「いない……どうして……。もしかして、途中ですれ違った? いや、ここは道がそんなに広くないんだ。いくらこんな状況でもすれ違ったら絶対に気づく。―――なら、見逃した」
僕にしては珍しいくらいの頭の回転で一つの答えを導き出し、走ってきた方向へ向き直る。そしてまた走り出した。
「はあ……はあ……はあ」
息が苦しい。足が痛い。心臓がうるさい。
小中高と特に運動系の部活に入ってなかった僕の体力は消して良くはない。
少し激しい運動をすれば息が上がるし、全力疾走なんてすれば十分くらいで足が痛くなる。なんの目的もなければ立ち止まってしまいたい。膝に手を当て息を整えたい。近くで座り込んでしまいたい。身体はとうに悲鳴を上げていた。
当たり前だ。すでに全力中の全力で十分以上走り続けているんだから。
でも、足は止めない。
足を止めるのは、彩ちゃんを見つけた時だ。
「どこで見逃したんだろう……」
ここに来るまでは一本道だ。確かに途中にいくつか曲道はあるけど、自分から迷おうと思わなければ迷いようがない。それが子供だったとしてもだ。
「ここに来るまでにあるのは空き地と、小さな公園と、民家だけ。―――そういえば……」
なんとなく小さいころのことを思い出した。
僕と芽衣が小さい時のことだ。芽衣が今の彩ちゃんみたいに初めてのおつかいに出かけた時に、同じように帰ってこなかった。今ほどではないにしろ雨が降っていて、母さんと一緒に心配したんだっけ。状況の話だけすれば今の方が断然マズイけど。状況は似ていた。
でも、大事なのはそこじゃない。
「あの時、確か芽衣がいたのは―――」
悲鳴を上げる体に鞭を打ち、もう一踏ん張りだと足を動かす。
そして、何十分もの間走り続け、思い出した場所までやってきた。
「―――見つけた」
「っ! お、お兄さん……」
彩ちゃんは、小さな公園の円形の穴の開いたドーム状の遊具の中にいた。
穴の開いた部分からわずかに雨が入ってきていたのか服は濡れ、雷の音に小さな体を震わせていた。
僕は、そんな彩ちゃんを抱きしめようと両手を広げる。そして抱きしめようとしたら、先に彩ちゃんが僕の胸に飛び込んできた。
小さな子供の体当たりとはいえ、不意打ちだったので後ろに大きく体制を崩して尻もちをつく。
「わあっ!? ちょっと、彩ちゃん。怖かったのはわかるけど、このままじゃ濡れちゃうよ」
胸に飛び込んできた冷え切った体の彩ちゃんを抱きしめつつ、もう心配はない、大丈夫という意味を込めた、なんてない言葉を話す。
「……怖かったです。不安だったです。淋しかったです。寂しかったです。お母さんも麻耶もお姉さんたちもお兄さんも近くにいなくて、ひとりぼっちで不安だったです。雨がすごくて、風もすごくて、雷が響いてて、すごく怖かったです」
「―――そっか。でも、もう大丈夫。僕がここにいる。一人じゃないよ」
彩ちゃんの小さくて震えている体をさらに強く抱きしめた。
いつもしっかりしてて、冷静で、強い子だと思っていた彩ちゃん。
でも、本当はいつも寂しくて、不安で、強がっていただけの彩ちゃん。
僕は本当に、何も見えていなかった。
「大丈夫。大丈夫。大丈夫」
「うわーんっ!」
胸の中で泣き続けている彩ちゃんを、もう二度と寂しがったり不安にさせたりはしまいと固く胸に誓った。
「ただいまー」
「ただいま……です」
あれから三十分。ますます強さを増す嵐の中、僕と彩ちゃんは実家まで帰ってきた。
「彩ちゃん!」
「あーちゃん!」
玄関に入ったとたんドタドタと音を立てながら彼方ちゃんと麻耶ちゃんが来て、少し遅れて芽衣も来た。麻耶ちゃんは彩ちゃんの姿を確認するや否や、お姉ちゃんにくっついた。彼方ちゃんも彩ちゃんに抱き着きたそうにしてたけど、麻耶ちゃんの姿を見て、ぐっとこらえたみたいだ。
「見つけられたんだね、お兄ちゃん」
「うん。ちゃんと見つけられた」
「それに、随分仲良くなったんだね」
「え?」
ニヤニヤと僕と麻耶ちゃんに抱き着かれたままの彩ちゃんを見る芽衣。気が付けば彼方ちゃんも芽衣と同じように笑顔を見せている。二人の視線の先は僕の腰の辺りを見ている。僕は二人の視線の先を追うように目線を下げた。
そして、ようやく二人の表情の意味がわかった。
「手を繋いで帰ってくるってことは、仲良くなったって思っていいんですよね?」
笑顔のままの彼方ちゃんが確認をするように訪ねてくる。
すると、今まで麻耶ちゃんに抱き着かれるまま大人しくしていた彩ちゃんがと突然僕と繋いでいた手を放した。
驚いた僕が彩ちゃんを見ると、彩ちゃんは顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしてた。彩ちゃんがこんなに子供っぽいところを見せてくれたのは初めてかもしれない。
「こ、これは……違うのです」
「違うって、何が?」
顔を真っ赤にしたまま喋る彩ちゃんに追い打ちをかける様に芽衣が喋る。
「これはですね……。仲良くなったとかそういうのではなく……」
「え? 僕はてっきり仲良くなれたんだと思ってたんだけど……」
彩ちゃんに仲良しになったわけじゃないと言われショックを受ける僕。
「いや、仲良くなってないとは言ってないです! えっと、だから、その―――」
何とか言いたいことを伝える言葉を模索する彩ちゃん。
少しの間彩ちゃんは言葉を悩み、なにか良い言葉を見つけたのか口を開く。
「意地を張るのは……もう止めることにしたのです」
恥ずかしそうに話す彩ちゃんに麻耶ちゃん以外の全員が一斉に顔を緩めた。
そんな僕らを見て、さらに顔を真っ赤にする彩ちゃんが、その恥ずかしさをごまかすように麻耶ちゃんを抱きしめた。
「心配をかけてごめんなのです。麻耶」
「うん。ごめんなさいしたから、ゆるしてあげう」
お互いを支えあうように抱きしめあう、彩ちゃんと麻耶ちゃん。
きっと、この中の誰よりも彩ちゃんのことを心配していた麻耶ちゃん。小さなその瞳からは大粒の涙がこぼれていた。
「全く、麻耶は泣き虫ですね」
そう言って彩ちゃんは麻耶ちゃんの目に溜まった涙をびしょ濡れの袖で拭ってあげた。
「そういえば、びしょ濡れでした。麻耶、離れるのです。今更ですが、麻耶もびしょびしょになってしまいますよ。風邪を引くかもしれません」
「やーっ!」
濡れてしまうから離れる様に言う彩ちゃんに、絶対に離さないとばかりに腕の力を強める麻耶ちゃん。そんな妹の様子に嬉しいような、どうしたものか、といったような表情で見るお姉ちゃん。
「それなら二人でお風呂に行ってきちゃいなよ。彩ちゃんは濡れちゃってるし、麻耶ちゃんも抱き着いて服濡れちゃって、着替えなきゃいけないんだからついでにさ」
今の二人を離すのはどうにも無理そうだった。というか、嫌だったのでそう提案した。
「で、でも。それはお兄さんも同じです。むしろ、お兄さんの方が私を探している間も濡れてますし、ひどいはずです!」
「あの雨だったらそんなに変わらないよ。それに、そのまんまじゃ着替えもできないでしょ?」
どんなに頑張っても麻耶ちゃんに抱き着かれたまま着替えをするのは無理だ。
元から彩ちゃんを先にお風呂に行かせたかった僕からしたら、麻耶ちゃんはナイスプレイをしてくれたことになる。
「でも……」
それでも渋る彩ちゃん。
こうしてみると、少し頑固なところは彼方ちゃんに似ているかもしれない。
そして、そんな彼方ちゃんとこういったやり取りを何度も交わしてきた僕は、その対応の仕方も知っている。
「それじゃあ僕と一緒に入る? 僕と彩ちゃんと、麻耶ちゃんの三人で」
それは、少し強引にでも相手に折れてもらうことだ。
相手にとって嫌そうな提案をして、それなら仕方がないと思わせてしまう。それが、僕は身に着けた少し頑固な子への対処法だ。
「……」
さすがに黙り込む彩ちゃん。
どうやら、僕の作戦は上手く言ったみたいだ。
騙すようなことをして、ごめんね彩ちゃん。
そう、心の中で謝る僕に、彩ちゃんは驚くべき言葉を放った。
「―――わかりました。三人で入りましょう」
「そっか。やっぱりそうだよね。それなら二人で……へ?」
想像もしていなかった返事に戸惑う僕。
困りに困った僕は助け舟を求めて彼方ちゃんと芽衣を見る。
「別に、いいんじゃないでしょうか。どっちにしろ佐渡さんも彩ちゃんもお風呂に入った方がいいですし、一緒に入れるならそうした方が風邪を引く可能性も低いと思います」
「私もそう思うなー。せっかく仲を深めてきたんだし、さらにその仲を深めるのもいいんじゃない? ほら、裸のお付き合いって言うし」
助け舟を求めたはずの二人から、まさかの見送りの言葉を受け取る僕。
戸惑いを隠せぬまま呆然とする僕に彩ちゃんは言う。
「それじゃあ、行きましょうか」