22話
「それでお兄ちゃん。あの二人のことなんだけど、具体的にはどういう問題なの? それがわかんないと協力のしようもないんだけど」
「あー、うん。そのことなんだけど、あとで彼方ちゃんも交えてからでもいい?」
「いいけど……なんで?」
「さっきも言ったけど、今回の件は本当になにも情報がなくて、特に話すこともないんだよ。だから、対策会議も含めてやった方が効率がいいと思うんだ」
僕が彩ちゃんと麻耶ちゃんのことについてわかっているのは、二人が姉妹で彩ちゃんが小学生、麻耶ちゃんが幼稚園くらいの年齢だということだけだ。
強いて他に挙げるとすれば、彩ちゃんは何か事情を知っていて、それを僕らに話してくれないということだけ。
それを説明するのは簡単だし、僕らの出会いを話してもいいけど、それすらも大した話にはならない。
それなら対策会議も兼ねた方がいいと考えた。
「わかった。でも、お兄ちゃん変わったね」
「ん? なにか変わったかな?」
「うん。前だったらとにかく問題を解決しなきゃって焦ってた感じだったし、効率とか考えないで突っ走ってた感じだったのに」
「あー……確かにそうかも」
芽衣の言う通り、高校生の時の僕はどちらかというと後先考えずに突っ走るタイプだった。それはあの人が僕に「考える前に走ってしまえ」と言ったのが理由だった。
考えれば考えるだけ泥沼にハマり、沼に浸かった分だけ恐怖や不安で体が動かなくなる僕には、それくらいしか迷わずに人のために動けなかったからだ。
あと、もう一つの理由は。
「芽衣がそう感じるのは、あの時に比べて、僕が抱える問題が大きくなってきたっていうのが、原因かもしれない。後は、間宮さんの影響かな」
高校生の時の僕がしてた人助けのほとんどは、横断歩道を渡れないご老人を助けたり、迷子の子供を助けたりがほとんどだった。あとは、たまに見かけるケンカの仲裁をしたり、クラスメイトの恋愛相談だったりで、少しひどい言い方をすれば、彼方ちゃんや奏ちゃんたちの件に比べたら小さな問題だった。
だから、僕がしてあげられることが多く思い浮かんで、行動しやすかった。
でも、今回抱えている彩ちゃんたちの件はその逆で、してあげられることが全くと言っていいほど思い浮かばない。
それが芽衣に僕が考えるようになったと思わせる原因だろう。
最後に付け足した間宮さんの影響というのは、あくまで僕の希望的な意見に過ぎない。
「ふーん。お兄ちゃん結構すごいことしてるんだね。妹として鼻が高いよ」
「別にそんなにすごいことはしてないけどね。今までだってみんなの協力があったからっていうのが多かったし、正直、運がよかったんだと思う……」
今までの出来事で、一歩間違えたらと思うところがたくさんある。
彼方ちゃんの時で言えば、僕の家から彼方ちゃんが飛び出して行った時に、僕は最初出て行った理由を考えずに彼方ちゃんを探した。途中で間宮さんに諭されて理由を考えたものの、あの時に間宮さんに何も言ってもらえなかったらと思うと、ぞっとする。
彼方ちゃんの時に限らず、奏ちゃんの時も、桜ちゃんの時も、一歩間違えたら取り返しのつかない失敗をした可能性がある。
それを、僕はみんなや運に助けられた。
今回だって、選択を間違えたらいけない場所が絶対にやってくる。僕はその選択を間違えないで済むのか正直不安だ。
人生、選択の連続だとは、よく言った言葉だと思う。
最近、そう思うようになった。
「お兄ちゃんなら大丈夫だよ。ほら、人に良いことをすると自分に返ってくるって言うし、お兄ちゃんなら良いことし過ぎてて神様もきっと困ってるよ」
「ふふっ。面白いこと言うね芽衣。でも、ありがとう。少し気が楽になったよ」
「へへー。お兄ちゃんの妹だからね。お兄ちゃんを安心させるのなんて簡単だよ」
「そう? でも、僕も芽衣を喜ばせるのなんて簡単だと思うけど」
「言うね、お兄ちゃん。じゃあ喜ばせてみてよ」
「いいよ。今までのお詫びも兼ねてやってあげるよ」
僕はそう言うと芽衣の頭に手を伸ばす。
そして、優しく芽衣の頭に自分の右手を置き、ゆっくりと左右に動かした。
要するに、頭を撫でた。
「芽衣は昔から頭を撫でられるのが好きだったもんね。頭を撫でてあげるといつも気持ちよさそうにしてたの、今でも覚えてるよ」
「しょうがないじゃん。お兄ちゃんのなでなで、なんか気持ちよかったんだもん」
「そんなこと言って、今も気持ちよさそうだよ?」
「気持ちいいんだもん」
彼方ちゃんや間宮さん相手にこんなことをするのは緊張するけど、さすがの僕も妹には緊張はしない。少しの恥ずかしさがあるくらいだ。
その恥ずかしさも、芽衣のこの気持ちよさそうな顔を見れば吹き飛ぶ。
「お兄ちゃん、もういいよ。それよりもほら、お客さんの相手しないと。結構時間経っちゃってるよ」
「え? うそっ!?」
芽衣に言われて壁掛け時計に目をやると、確かに結構いい時間が過ぎていた。
彼方ちゃんたちには難しい話だと言ってきたけど、さすがに時間をかけすぎた。
それに、仲直りにはさして時間もかからずに、妹と今までの分まで仲を深めていた方の時間が長いんだから言い訳のしようがない。
「ほら行くよ、兄妹の時間もいいけど、彼女さんとの時間も大切にしなくちゃ」
芽衣がそう言って立ち上がる。
うん? 彼女?
「芽衣、彼女って誰のこと? 僕、生まれてこの方彼女なんてできたことないんだけど……」
「え? 今来てる水無月さんてお兄ちゃんの彼女さんなんじゃないの? お母さんや私に紹介するために連れてきたんだよね?」
最初は冗談かと思ったけど、芽衣の表情を見るに冗談で言っているようには思えない。本気で驚いた顔をしている。
彼方ちゃんの為にも芽衣の勘違いを解いておかないと。
「違うよ、芽衣。彼方ちゃんは僕の家のお向かいに住んでる子で、彩ちゃんと麻耶ちゃんの件の関係者……というよりは協力者なんだよ。今回一緒についてきてもらったのは彼方ちゃんは責任感が強いから二人のことを僕に任せておくのが申し訳ないっていうのと、僕一人で二人の面倒を見るのは大変だろうからって、付いてきてくれたんだ。彼方ちゃんが僕の彼女なんて、彼方ちゃんに失礼だよ」
「ふーん。そうなんだ……」
ふう。これでどうにか芽衣の勘違いを正せたかな。
「さっき軽く挨拶した感じだと、お兄ちゃんの方が失礼な気がするけど」
「え? なんで?」
「気づいてならいいよ。私にもチャンスがまだあるってことだし。それよりお兄ちゃん、本当に行こ」
「え、ああ、うん」
結局、僕のなにが彼方ちゃんに対して失礼なのか聞けずじまいのまま、僕と芽衣は居間に向かった。
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「そうですか。仲直りできたんですね! 良かったです!」
居間に戻るなり、芽衣と一緒に仲直りできたことを彼方ちゃんと彩ちゃんに伝えると、彼方ちゃんはまるで自分のことのように喜んでくれた。
彩ちゃんも、関心がないように見えるけど、「よかったですね」と、軽い拍手をしてくれた。
そんな二人に二人でお礼を言い、改めて簡単な自己紹介を交わした。
「へー。水無月さんて私の二つ上なんですね」
「うん。今年高校生になったばかりだから、あまり中学生と変わらないかもしれないけど」
「そんなことないですよ。なんか、優しいお姉ちゃんって感じがします」
「ほんと? 嬉しいな。私、兄妹いないからお姉ちゃんって呼ばれるのなんか嬉しいよ」
改めて自己紹介を交わしてから数十分、年が近いおかげか彼方ちゃんと芽衣をすぐに仲良くなった。最初は僕を交えてしか繋がらなかった会話も、今では二人で成立している。
やっぱり女の子同士だけにある何かがあるのだろう。
「彩ちゃんは会話に参加しなくてもいいの?」
「いいのです。私は別にお姉ちゃんはほしくないです。お姉ちゃんでありたいだけです」
「そっか……」
その点、問題なのはやっぱり彩ちゃんだった。
二人がどんどんと仲良くなっていく中、彩ちゃんは少しずつ会話から外れ、すぐ傍で寝ている麻耶ちゃんのところで、可愛らしい寝顔を眺めている。
「僕はもう彩ちゃんは十分素敵なお姉ちゃんだと思うけどなー」
彩ちゃんに対して僕は素直な感想を述べる。
実際、彩ちゃんは立派にお姉ちゃんを務めている。それこそ立派すぎるほどに。
両親と離れ離れで不安の中、妹にそれを悟らせないように振る舞い、寂しがらせないように振る舞い、常に麻耶ちゃんのことを気遣い、自分よりも麻耶ちゃんを優先する。
それらのことを姉だから仕方なくというわけではなく、、妹の彩ちゃんを大切に思うからこそしている時点で、もう立派なお姉ちゃんだと、僕は思う。
心配なことがあるのだとすれば、麻耶ちゃんを気遣うばかりで自分のことを蔑ろにしてしまわないかである。
彩ちゃんはしっかりしてるから、その辺のことは大丈夫だろうけど、もしもに備えて僕が彩ちゃんをしっかり見ててあげようと誓った。
「……そんなことない……です」
僕が密かに誓いを立てている中、彩ちゃんが小さな声でつぶやく。
「今は良いお姉ちゃんかもしれないです……でも、いつかはダメなお姉ちゃんになります……」
「なんでそう思うの?」
彩ちゃんが僕に対して初めて見せた弱音。
いつも気丈に振る舞って、大丈夫、しっかりしてるとアピールしてるような彩ちゃんが、弱音を吐いた。
それが彩ちゃんのミスなのか、心が擦り切れてきてしまっているかはわからない。
でも、これは僕らの仲を深める第一歩になりそうな気がする。
「っ! なんでもないです! 今のは忘れてくださいっ……です!」
「あっ! 彩ちゃん!」
何か口にしようとして、彩ちゃんは、はっと何かに気が付いたような声を出してから、逃げるように走っていった。
ドタドタと階段を上る音が聞こえてきたので、どうやら外には行かずに二階に行ったようだ。
「さ、佐渡さん。彩ちゃん……どうかしたんですか?」
「実は……」
今の出来事を彼方ちゃんと芽衣に話して聞かせた。
僕に何か悪いところがあったか二人に聞くと、二人は首を横に振り、僕の行動に特に目立った悪い行動はないと答えた。
「どうしちゃったんでしょう。彩ちゃん……」
彼方ちゃんが心配そうに彩ちゃんがいるはずの二階に目を向ける。
そんな彼方ちゃんを見ていられなくて、僕は立ち上がった。
それに彩ちゃんが心配でもある。
「今すぐには行かない方がいいよ」
立ち上がっただけで僕の考えが読めたらしい芽衣が僕を止める。
「でも……」
「お兄ちゃん。誰だって一人になりたい時があるんだよ。たとえ小さな女の子でも……。少し時間おこ。彩ちゃんにも、お兄ちゃんにも少し心を休める時間が必要だよ」
「……そうだね。ありがとう芽衣」
こうして、仲を深める第一歩は結局踏み出されずに終わった。