21話
「というわけで僕の父さんは死んじゃったんだけど……って、あれ? 彼方ちゃん、泣いてる?」
「す、すいません。でも、今の話を聞いて泣かない人はいないと思います。泣かない人は人間じゃありません」
そうなると、翔君と間宮さんと広志君は一体何なんだろう。
三人とも僕のこと話を聞いていい話だったとか、いいお父さんだね。とは言ってくれたけど、泣いてはなかったよね。
「あの……今の話だとさっきの妹さんの事の説明がつかない気がするのですが、です」
以外にちゃんと僕の話を聞いてくれていたらしい彩ちゃんが質問してきた。
ちなみに麻耶ちゃんはここまでの長旅で疲れてしまったのか、話の途中で舟を漕ぎ出しておねむになった。
「あぁ、確かに僕と父さんの話ばっかりで芽衣のさっきの様子の説明にはなってなかったね。流石彩ちゃん」
「子供扱いしないでくださいです。それで、何があったんですか?」
「簡単だよ。さっきも言ったけど父さんは車に轢かれそうになっていた女の子を助けて死んだと芽衣は思ってるんだ。だから、僕が父さんみたいに誰かを助けてるのを芽衣は気に入らないってわけじゃないんだろうけど、心配してくれてるんだと思う」
「なるほど、そういうことですか、です。確かにそのお話し通りならさっきの妹さんの態度にも納得がいきますです。だからお兄さんは今すぐに私たちのことを放棄して妹さんを安心させてあげるべきだと私は思うです」
「ぬ、抜かりないね彩ちゃん」
彩ちゃんらしいといえばその通りなんだけど、褒める気にはなれなかった。
「やり方はともかく、私も彩ちゃんの意見には賛成です。難しいことなのはわかりますけど、これじゃあ佐渡さんも芽衣ちゃんも不憫です」
「んー……。僕もどうにかしたいって思ってるんだけどね」
僕と芽衣のことを本気で心配してくれる彼方ちゃんを見て、僕は芽衣との今までを振り返る。
父さんが死んでから僕は抜け殻のような人生を送ってた。あの人と出会ってそれが変わって、僕は父さんやあの人に憧れて、いつしか目指すようになってた。
芽衣との関係が少し変わってしまったのは、その頃からだ。
別に大きな変化があったわけじゃない。ただ少し距離ができてしまう時がある。その程度だ。
でも、その少しの距離が僕にはとんでもない距離に思える。
手を伸ばせば届きそうな距離なのに、指先は触れているような、そんな距離。
芽衣だって、このことには気づいているはずだ。
でも、どちらが悪いでもないことの解決は難しい。
僕が人を助けるのが悪いわけじゃない。
芽衣が僕が人助けをしてるのを知って、死んだ父さんと重ねてしまうのも悪いわけじゃない。
元の発端である、車に轢かれそうになった女の子が悪いわけでもない。
すべてに善はあるのに、悪はない。
それが、僕と芽衣のこの関係を解決できていない一番の問題だ。
ただ謝って解決できる問題ならどれほどよかっただろうか?
そう思ったことも、今まで何度もあった。
でも、その度にそれじゃあダメなんだと思いなおした。
結局、何が正解なのだろうか?
その答えがわからずに、僕と芽衣はここまで来てしまった。
「佐渡さん……。差し出がましいかもしれませんが、私はこう思います。別に解決することだけが、正しいことじゃないと思うんです」
「どういうこと?」
「世の中、何でも善悪で解決できることばかりじゃないと私は思うんです。だから、解決できなくても、お互いが納得できればそれが正しいことなんじゃないでしょうか?」
解決だけがすべてじゃない。
お互いが納得できれば、それが正解。
今までそんなことを考えたことなかった。どうやったら解決できるのかばかり考えてた。
そうか、お互いの妥協点を見つける。それも一つの方法なのか。
「少し……芽衣と話をしてくるよ」
彼方ちゃんにもらった大きなヒント。
何気ない一言だったかもしれない。当たり前の一言だったかもしれない。普通の言葉だったかもしれない。
でも、僕には彼方ちゃんの一言がとても重たい一言に思えた。
だから、その言葉を聞いて、すぐに動かないといけないと思った。
居間から出て、芽衣がいるであろう部屋まで足を進める。軋む廊下を歩き、少し急な階段を上がり、芽衣の部屋、と書かれたプレートの掛けられた部屋の前まで来た。
「すーはー」
大きく息を吐き、大きく息を吐く。
ただ妹と話すだけなのに、おかしいほどに緊張している自分がいる。
でも、逃げるわけにはいかない。
今までみたいに答えがわからないからと言って逃げ続けるわけにはいかない。
それは僕にヒントをくれた彼方ちゃんにも、不器用な柄にも僕のことを気にかけてくれた彩ちゃんにも、僕のことを本気で心配してくれている芽衣にも失礼な行為だ。
「よしっ」
覚悟は決まった。
心が決意したのなら、、あとは体がそれに答えるだけだ。
右手をドアノブにかけ、軽く回し、少し手前に引く。
それだけで僕と芽衣を隔てているものは何もなくなる。
「芽衣、ちょっと話があるんだけど」
想像以上に重く感じたドアを開けると、芽衣は自分のベッドで横になって暗い顔をしていた。
「妹とはいえ女の子の部屋に入るならノックくらいするべきじゃない、お兄ちゃん」
「うっ……。確かに……。ごめん、今度から気を付けるよ」
部屋に来て早々に妹に怒られるという何とも恥ずかしい行為を受けながら部屋に足を踏み入れる。
芽衣もあんなことを言いながらに僕が部屋の中に入ってくることに問題はないらしく、何も言わない。
「なんか前よりかわいい感じの部屋になったね」
いきなり本題に入るのはどうかと思い、これまでにどうにか培ったそれらしい話を僕は口にする。
いつもだとここで、芽衣が「そうでしょー」とか「これ見て、これ」とか言ってくれるんだけど、さっきの居間でのことが尾を引いているのか、表情は暗いままだった。
「部屋のことに関しては素直にうれしいけど……。お兄ちゃん、話ってさっきの居間でのことでしょ? 変に気を使ってくれなくて大丈夫だよ」
「そっか……」
さすが兄妹というべきなのか、はたまた僕が芽衣をまだ子供に見ているのか、その両方なのかは自分自身よくわからない。
けど、少なくても芽衣もこの件についてはどうにかしないといけないと思ってはくれているようだ。
「それじゃあ、率直に言うね」
僕は間宮さんみたいに例え話が得意じゃない。変に上手く話そうとすればするだけ話が脱線し、自分でも言ってることがわからなくなる。
だから、素直に、ありのまま、今出てきた言葉をそのまま伝える。
それが、僕が自分にできる一番気持ちを伝えることができる方法だと思ってるから。
「芽衣。実は今、彩ちゃんと麻耶ちゃんのことで困ってるんだ。彼方ちゃんや、間宮さんたちも協力してくれてはいるけど、ここ何日かまるで進展がない。だから……芽衣にも協力してほしい!!」
「……え?」
僕のありったけの言葉に芽衣が驚いた顔をした。
思ってたことと違う言葉が来たのか、違うのか、そんなことは僕にはどうでもよかった。
だから、言葉だけ続ける。
「芽衣が父さんと僕を重ねてるのは知ってる。心配してくれてるのも知ってる。今まで色々と我慢してきてくれたのも知ってる。でも、それと同じくらいに僕を応援してくれてたり、困ってる人を心配してるのも、僕は知ってる」
そう。
芽衣だって別に人助けが悪いと思ってるわけじゃない。
むしろ、良いことだと思ってるだろう。
でも、そこにはどうしても父さんが重なってしまう。人を助けるのが趣味のようだった父さんが、人助けが呼吸と同じようだった父さんが、人を助けたことで、自分を助けられなかった父さんが、どうしても並んで見えてしまう。
このことについて運がいいのか悪いのか、僕は父さんに容姿がよく似ている。それがさらに芽衣を心配させているのかもしれない。
でも、それでも、芽衣は人助けを悪いこととは思ってない。
例え、その人助けによって身内の一人を失ったとしても。芽衣は人助けを嫌っても恨んでもいない。
ただ、心配なのだ。
人を助けることだけを気にして、自分を蔑ろにしていないか、自分のことを犠牲にしていないか、また、自分(芽衣)の前からいなくなってしまわないか。
それが心配なのだ。
「僕は父さんみたいにはならない。とは、父さんに悪いから言えないけど、僕はやっぱり人助けをしてた父さんが好きなんだ。見返りもお礼もなにも求めないで、相手のことだけを心配して行動できる父さんがかっこよかった。憧れた。自分もそうなりたいと思った。そのための勇気ももらった。だから僕は人のために何かしたい。それを芽衣にもわかってほしい」
なるべく簡潔に自分の思いを伝えてしまうつもりが、だんだんと脱線してきた。
これ以上は自分でも何を言っているのか若菜らくなりそうだったので、僕は次の言葉を最後にすると決めた。
「でも、芽衣がそれを簡単には理解できないのもわかってるつもりなんだ。だから、近くで僕を見守っててほしい、大丈夫かどうか見ててほしい。ダメかな……?」
彼方ちゃんからヒントをもらい、この短時間の中僕が出した結論は概ねこんな感じだ。
心配なら、不安なら、僕が大丈夫だってことを近くで見てみてほしい。
僕が危ないことをしそうなら、全力で止めてほしい。
困ってたら助けてほしい。
他力本願みたいだけど、僕にはこれしかない。
何のとりえも、才能もない僕は、誰かの助けなしには人を助けられない。
それを僕は、この数カ月という日々で散々というほど思い知らされた。
彼方ちゃんの時も、奏ちゃんの時も、桜ちゃんの時も、間宮さんの時も、僕一人じゃどうしようもなかった。支えてもらわなきゃ、支えきれずに倒れてた。
だから、僕は人を頼ることに決めた。
その相手に今回は芽衣も加わってほしい。ただそれだけ。
「……自分勝手だね。結局私は我慢して、お兄ちゃんは人を助けたいだけじゃん……」
そう言って、芽衣が顔を伏せる。
僕は何も言い返さない。
芽衣の言うことはすべて事実だし、僕が絶対に譲れないところだ。
「でも……いいよ」
「え……?」
正直、芽衣の反応を見て、断られるか怒られるものだと思っていた僕は驚いた。
「私の方こそ、お兄ちゃんが人助けをしてるのは良いことだってわかってたのに、それをちゃんと応援してあげられなくてごめんなさい」
「そんなこと……。僕の方こそ、今までこのことを伸ばし伸ばしにして逃げちゃってたし」
「それは私も同じだよ。どうにかしなくちゃいけないってわかってて、いつも逃げてた。お兄ちゃんにその話を持ち出されてたら逃げた。同じだよ、お兄ちゃんと私も」
「でも……」
「いいの! それに―――」
「それに?」
「お兄ちゃんは人助けしてないとお兄ちゃんじゃないもん!」
芽衣がパッと笑った。
暗い顔から一気に笑顔になるその様は、まるで夏の夜空に上がる花火のようで、まぶしかった。
「ありがとう、芽衣。……でも、本当にいいの? あの二人のこと手伝ってもらっても」
「もちろんだよ。私だってあの二人が困ってるのはほっとけないもん。それに、お兄ちゃんが私に人助けを手伝ってほしいなんて言うの初めてだもん。私、嬉しかった」
久しぶりに芽衣の本当の笑顔を見た気がした。
僕たちの間にあった壁が崩壊して、ようやく元の兄妹に戻れた気さえする。
ありがとう、彼方ちゃん。
「ありがとう、芽衣」
「いいんだよ。でも、どうしてもっていうなら、今度お兄ちゃんの家に行きたいな」
「そんなことでいいならもちろんだよ。僕も彼方ちゃんたち以外にも芽衣に紹介したい友達がいるんだ」
「え? お兄ちゃん、向こうでそんなにお友達増えたの?」
「そんなに増えたわけじゃないよ。でも、大切な友達なんだ」
奏ちゃん、桜ちゃん、それに友達と呼んでいいのかわからないけど安藤さんや源蔵さん、それに間宮さんの一件から少し話すようになった香さん。
みんな紹介したい人たちだ。
「そっか。楽しみにしてるね」
「うん、僕も今から楽しみだよ」
まだ先の話をして、僕たちは笑いあった。