25話
辛い気持ちを押し殺し、どうにかあの部屋を抜けた僕は二つの選択肢に迫られていた。
一つはこのまま僕一人で探索を再開し、元々の作戦通りどうにかして資料を探し出すこと。
もう一つは広志くんのいる情報処理室に戻り、僕たちのような失敗がないように広志くんが調べている間、僕がひたすら見張りに徹するかだ。
もちろん、僕だけ出口まで行って撤退なんて選択肢はない。
間宮さんが隙を作ってくれて、翔くんが僕を逃がすためだけに一人で危険なところに残って、広志くんが僕らを信じて頑張っている中、僕だけ逃げ帰るなんて絶対にありえない。
「といっても、本当にどうしよう……」
時間はあんまりない。
考えて立ち止まっている時間が、そのまま無駄な時間へと繋がる。
僕が選ぶのはここを左に行くか、右に行くか。
左に行けば広志くんが頑張ってくれている情報処理室、右に行けば未知の場所。
「僕は……広志くんを信じる!!」
結果、僕は広志くんを信じることに決めた。
広志くんならさっき僕らが遭ってしまったような非常な事態にも臨機応変に対応できはずだ。
それにもし戻って、すでに広志くんが失敗していたら僕はただの無駄足を踏むことになる。
それならば僕はほんの少しの可能性に懸けて一人で行くことを選ぶ。
吉と出るか凶と出るかなんてわからない。
僕はただやれることをするだけだ。
曲がり角を慎重に右に曲がり、足音を立てないよう慎重に気を使いながら進んでいく。
進む先に運よく人がいることもなく、僕一人でもどんどんと奥の方まで進むことができた。
「行き止まり……か」
順調に奥まで進んできて、とうとう行き止まりに差し迫った。
でも、ただの行き止まりじゃない。一番奥に一つだけドアがある。
「社長室……」
そう、社長室。
会社を経営する人のトップである社長のための部屋がそこにあった。
「社長室っていうくらいだから、もしかしたら重要な資料とかがあるかもしれない……」
社長室なんだから重要なものがあるかもしれない。
安直な考えといえば安直な考えだけど、僕にはそれ以上を考える頭はないし、ここで戻っても無駄な時間を過ごしただけになる。
それなら。少しの希望にかけて特攻を仕掛ける方がいいかもしれない。
そう覚悟を決めた僕は社長室の前までやってきた。
もしものためにノックをしてみる―――返事はない。
「慎重に……慎重に……」
小さく声を出して、自分自身に暗示のようなものを掛けながらゆっくりとドアを開ける。
中に誰もいないことを確認し、部屋を見回るふりをして監視カメラの類がないかを確認する。
「監視カメラは……なさそうかな……それにしても―――見るものが多そうだなー」
ざっと社長室を見回すと、いかにも社長室といった部屋だった。
なにかの賞で取ったであろうトロフィーや、大きな机に柔らかそうなソファー状の椅子。机の上には一台のパソコンが置かれていて、周りの棚にはいくつもの重要そうな資料達が並んでいる。
一人で見るには広く、調べるものが多い部屋だ。
「ん? なんで誰もいないのにパソコンが開いてるんだろう?」
机の上に置かれているのはノートパソコンであり、なぜだかノートパソコンは誰もいないのに開かれていた。
近づいてみると小さなモーター音のようなものが聞こえ、ノートパソコンが起動していることがわかる。
「もしかして、トイレかなにかに行ってるだけで、すぐに戻ってくるつもりだから開いたままなのかな……だとしたら急がないと!」
小さな不安が生まれてしまったけど、僕はどうにか怖気つかずにとりあえず開かれているノートパソコンを見てみることにした。
予想通りノートパソコンの電源は入っており、画面には驚くべき映像が流れていた。
「おいおい。不法侵入した上に人様のパソコンを勝手に見るのは感心しないな佐渡誠也」
「っ!?」
僕がノートパソコンに映し出されている映像に驚いていると中に誰かが入ってきた。
振り返ると、そこには私服の僕と同じくらいの年齢の男が立っていた。
「君は誰なの? どうして僕の名前を知ってるの?」
彼は確かに僕の名前を呼んだ。しかもフルネームで。
僕は彼に会ったことは一度もない。彼が一方に知っているのも僕みたいな普通の大学生相手にはおかしい。
つまり、僕は何らかの方法で調べられていることになるはずだ。
「質問してるのはこっちだってのに質問で返すのか。社会人としてのマナーがなってねぇなー。まぁ、俺はマナーがわかってるか答えてやるよ。俺の名前は無藤恭一。ここの雇われ社長だ。お前の名前を知ってるのはあの女の関係者だからな。あれだけ終始一緒にいられれば調べだってするさ」
どうやら目の前にいる男は無藤恭一というらしい。この会社の雇われ社長と言っているからこの部屋の主だ。やっぱりさっきの僕の予想通りトイレか何かで一時的に部屋を空けていただけだったんだ。
あの女というのは間宮さんのことだろう。終始一緒にいられれば、といっていることからも予想できる。
「どうせ正体が割れてるんだ。そのフードとマスクを外せよ。なぁに、警察に突き出したりはしないから安心しろ」
不審に思いながらも彼の言う通り僕がもう顔を隠している理由はないのでフードとマスクをゆっくりとはずす。
「いかにも善人そうな顔だな……腹が立つ……」
人の顔を見るなり舌打ちと共に僕の顔をのことを罵倒してきた無藤恭一。
彼は僕のことをいかにも善人そうな顔、と言った。
僕からすると彼は悪人、とまではいかないけど、なにを考えているのかわからない不敵な笑みを浮かべていて言っては悪いけど少し奇妙に感じる。
姿は至って普通の成人男性。痩せているでも、太っているでもない中世的な体系。髪を特に染めているわけでもなく黒。服装は真っ黒で首の部分のファーだけが白い。目つきは鋭く昔の翔くんを彷彿とさせる。
「お前……世の中平和が一番。いつも通りの平和な日常が一番いいとか思ってるたちだろ? 願い事は世界平和とか、横断歩道のババア助けていい気になってるたちだろ?」
「確かに世界が平和ならそれがいいと思ってるよ。横断歩道のおばあちゃんだって助ける。でも、いい気になんてなってないよ。それに世の中平和が一番だなんてみんなが思ってるはずだもん」
「冗談言ってんじゃねえよ佐渡誠也。世の中平和が一番だなんて言ってる輩の大半は、自分が危機に陥ると平気で他人を見捨てるクズの集まりだ。危機の内容なんて何でもいい。金でも、命でも、女でも、自分に降りかかる火の粉を他人に押し付けられるんなら他人に押し付けるんだよ」
彼の眼は真剣そのものだ。本気で自分の持論を語っているように見える。
なんで彼がそんな持論を持ってしまったのか、ぼくにはわからない。でも、どうにか彼のその持論をしてあげたいとこんな状況なのに僕は思ってしまった。
「お前今、俺の考えをどうにか更生させたいとか考えてただろ」
「っ!?」
「わっかりやすいんだよ佐渡誠也。思考が単純で、ポーカーフェイスもなっちゃいない。考えていることが顔に書いてあるようなもんだ」
どうやら彼は相手の考えを読むことに長けているらしい。
「僕が何を考えてるのかなんて今はいいよ。でも、まずはこのパソコンの映像について教えてよ。これって……盗撮だよね?」
彼のパソコンに映し出されていたのはアトフィックの女子更衣室、女子トイレ、エクササイズ中の女性たちの姿だ。
それに画面右上にRECという赤い字が見えているので録画されている。
これを盗撮と言わないなら何というのだろうか。
「あぁ、それは俺の個人資産のためのやつだ。俺は表では役員じゃないから稼ぎが悪いんでな。俺の優秀な頭脳を貸す代わりに、俺はこの会社の利用できそうなところを利用してるんだ。意外といい値段で売れるんだぜ」
「そんなことはどうでもいいんだよ! なんで罪もない女の人たちにこんなことをするんだ!!」
「さっきも言っただろ? 世の中、良いことだらけじゃないんだよ。光があるから闇があるように、善があるから悪があるんだよ。世の中やつ全員が善人だなんてお前の勝手な妄想で、願望だ」
僕だって―――そんなことはわかってる。
世の中の人全員がいい人だなんて思ってない。でも、世の中の人全員の心の中に小さな光があるのは信じたいんだ。
誰だって間違いはある。それが大きなことか小さなことの違いがあるだけだ。
大きく間違えた人は下手をすると人を殺めてしまう。小さく間違えた人は万引きとかをする。
僕だって生きてきた中でまったくの悪行をしたことがないか、なんて聞かれたら、それはない、と答えるしかないだろう。
でも僕は考え方を変えられた人たちを何人も知っている。
彼方ちゃんのご両親。
あの二人は、彼方ちゃんのために親戚の人たちに小さな借金をしていた。そのせいで、二人が植物状態になった時に彼方ちゃんは親戚の家をたらいまわしにされて、最終的に僕の家までたどり着いた。
でも、今はその時のことを考え直し、彼方ちゃんの幸せを願いながらも、親戚の人に少しずつ借金を返しているという。
奏ちゃんのお父さん。
源蔵さんは奏ちゃんが話をしたいといっても仕事が忙しいと話をしてあげなかったという。それが原因で奏ちゃんが家出をして僕の家にいたときも自分では探さずに、メイドさんや執事の人に奏ちゃんを探させていた。
その件で安藤さんを傷つけもしたし、僕も刃物で刺された。
でも、今は反省をして奏ちゃんとの時間を大切にしているみたいだし、今日の朝も僕にあんな言伝をくれた。
桜ちゃん。
小さいときの小さなすれ違いから奏ちゃんとすれ違って勝手な思い込みで奏ちゃんを傷つけてしまっていた桜ちゃん。
あの件は桜ちゃんだけでなく、奏ちゃんの方にも少し悪いところがあり、お互いがそれをぶつけあって、二人で一緒に支えあっていくことを決めた。
翔くんも、間宮さんも、広志くんも、僕にだって多かれ少なかれ悪いところはある。
問題はそれは悪いところと認識して直していこうとするか、反省するかだと僕は思う。
だから――――
「確かにそうかもしれないけど、僕はやっぱり人の優しさを信じたい……」
そう、つぶやいていた。
「お前が人の優しさを信じるのは勝手だ。でも、それを俺に押し付けるな。思想の自由ってのがあるだろ? それだ」
「僕の考えを君に押し付けるのは間違ってるかもしれない。でも、君のやってることは犯罪で、人を傷つける最低な行為だ!」
「知らなければ傷付かないんだよ。お前がこのことを胸の内に秘めておいてくれれば、俺もハッピー、取引先もハッピー、自分が盗撮されていると知らないままでいられる奴もハッピー、みんなハッピーだ」
「そんなの屁理屈……!!」
「屁理屈も理屈だぞ。佐渡誠也」
彼が引く気を見せない。
自分の考えが絶対だと自分で自分を肯定し、間違いを間違いだと思ってない。
いや、もしかしたら間違いだとわかってて、やっているのかもしれない。
「いいかげんお前との討論も飽きてきたな。俺もこの後しないといけないことがあるから遊んでらんないんだ。お前らのおかげで少しは楽できそうだが」
僕達のおかげで楽ができる……?
何を言ってるんだ、彼は……?
「今からお前の心を全力でぶっ壊してやるよ善人……」
彼の眼が黒く光っているのような気がした。