7話
「それで僕は一体なにをすればいいのかな?」
事情を聞き、ここからはどうあっても逃げられないことを理解した僕はとりあえず「やるからには全力で」を理由に最初にするべきことを聞いた。
僕の知っている限りの知識だと、掃除だとか、料理を運んだりだとか、外へ出かける際の付き添い兼ボディーカードというのが執事のイメージとして強い。
広志君の話だと最近の執事は戦えて、お嬢様に呼ばれれば一瞬でその場へ駆けつけられる。なんてことも聞いたことがある。
その時は冗談半分に聞いていたのだけど、安藤さんや桜ちゃんを見ると、冗談ではなく本当にそうなのではないかと、ひそかに最近悩んでいる。
「佐渡様。まずは言葉づかいを正しましょう。今日の佐渡様はお客様でなく、悪魔でお嬢様の専属執事、お嬢様のことはお嬢様、または奏お嬢様、と呼ぶべきです」
「あ……。そうですね、すいませんでした」
執事開始一分も経たないうちに早速の安藤さんからのダメだし。
幸先が不安になってきた。
「それではお嬢様、僕は一体何をすればよろしいでしょうか?」
何かで見た執事の口調を真似事をして、奏ちゃんに話しかける。
僕の態度や口調が気に入ったのか、奏ちゃんは嬉しそうに腕を組み、口元を緩めながら、声高らかにこう言った。
「佐渡、あんたの最初の仕事は……私の朝食作りよ!!」
そう言ったのだった。
「それじゃあ朝食作り始めましょうか佐渡さん。今日はかなちゃんのお願いなので、佐渡さんにもキッチンに立たせてあげます」
あれからすぐに桜ちゃんに案内されて天王寺家のキッチンまで案内された。
それからなぜか用意されていた僕が愛用しているエプロンを桜ちゃんが持ってきて着用。桜ちゃんも愛用のエプロンなのかピンクのフリフリで胸のあたりにハートのアップリケのようなものがついているエプロンを着た。
ただ、なんで僕の愛用しているエプロンがここにあるのかを僕は訪ねたい。
「佐渡さん佐渡さん! どうですかこのエプロン。かわいくないですか?」
エプロンに身を包んだ桜ちゃんがその場でくるりとスカートをはためかせながら回った。
「うん。とってもよく似合ってるよ。桜ちゃんに合っててすごくいいと思う」
「ですよねですよね! 私もこのエプロンお気に入りなんですよー。特にこのハート! 可愛いですよね!」
桜ちゃんがそう言いながら胸の辺りにあるハートを突き出してくる。
しかし、それはすなわち、そのハートのある部分が一緒に突き出されるというわけで、つまりは桜ちゃんの年齢のわりに発達しているその……胸が一緒に強調される。
僕は一瞬びっくりして目を逸らすのを遅らせながらも、急いで目線を適当な方向へ逸らす。
「う……うん。かわいい……すごく……かわいい……よ」
「むー。佐渡さん。そう言うのはちゃんと見て言ってほしいですよ。ほら、ちゃんと私を見てください」
桜ちゃんに強引に首をロックされ、身体も自然と同じ方向へ向き、僕の努力もむなしく桜ちゃんの方に向きなおされる。
なおも突き出されたままの胸部。それは僕にはとても刺激が強すぎて―――
勢いよく鼻血が飛び出た。
「わーっ!! 佐渡さん! どうしたんですか!? だいじょうぶです!? い、今ティッシュ持ってきます!!」
なんて情けないんだろう僕。
それからすぐに桜ちゃんがティッシュを箱ごと持ってきてくれて、僕はかっこ悪いことにそれを丸めて鼻に押し入れる。
これで鼻から血が出ることはひとまずないだろう。
「それにしても、いきなりでしたね。なにかありましたか……って……あー。あーあーあーあー。そう言うことでしたか」
あっ、マズイ。あれは桜ちゃんが悪いことを企んでいる時の目だ。
「さあ! 奏ちゃんも待ってるし、早く朝食を作ろ!」
その悪だくみから強引に話を逸らす僕だった。
話は変わるんだけど、安藤さんは僕らとは別れて奏ちゃんの話し相手兼奏ちゃんの部屋の清掃をしている。
でも、たぶん今日の午後には同じ状況になっているような気がする僕。
「そう言えば、朝食って言ってたけど今何時なんだろ?」
今更になって今の時間を気にしだす僕。僕は朝食を取り終わった時間が確か九時前後だったはずだ。
それから僕は何らかの方法で眠らされて、奏ちゃんの家に来たとすると、一時間は経っているはずである。
そう考えを巡らせながらこのキッチンに時計がないかを捜索する。
そしてそれと同時にキッチンの様子もチェック。
きれいに整った床。この世にある全種類の包丁があるんじゃないかと思われる包丁の数、コンロも僕の家みたいに二つなんかじゃなくてもっとある。冷蔵庫も食材の種類ごとに用意され、そのどれもがその食材の適正温度に設定されている。
その他にも大きなオーブンに、たくさんのフライパン。僕の知らないような調味料に、きれいにしまわれている食器たち。
僕の憧れたキッチンがここにあった。
「ホントに憧れるなー。こんなキッチン」
つい、そんな小さなつぶやきを零してしまう。
「そう思うんだったらかなちゃんと結婚すればいいんですよ」
「っ!?」
いきなり僕の耳元で放たれた強烈な一言に驚きつつ壁際まで退避。
もちろん、そんなことをするのは彼女しかいない。というか、この場には僕以外にもう一人しかいない。
桜ちゃんだ。
「もー。桜ちゃんはそうやって僕をからかうんだから。少しは手加減してよ」
「私としては本気なんですけどねー」
桜ちゃんのいたずらに驚かされながらも、僕らは調理開始。
ちなみに時間は午前の十時を少し回ったところだった。
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「……はあ~! おいしかったわ! よくやったわね佐渡!」
奏ちゃんが僕と桜ちゃんで作った朝食(白米にお味噌汁に漬物)を食べ終わり、その場に寝ころんだ。女の子なのにそう言うのはどうだろうとか、スカートが少し危ない感じになっちゃってるだとか、言いたいことは多々あったけれど、僕は至って自然に言葉を返す。
「それはよかったですお嬢様」
我ながら、似合わない口調だと僕は思う。
「ねえ佐渡、前から何度も言ってるけど家のシェフにならない? 毎食とは言わないから三食のうち一食とかでどう?」
「そのお誘い自体は本当にありがたいんですが、僕はそんなすごい料理人ではないですし、なによりここの他のシェフに申しわけが立ちません。ですので、本当に恐縮なのですが、このお話はお断りさせていただきます」
「えーっ! なんでなのよー。佐渡がここに入ってくれるんなら私はここのシェフを全員解雇にしてもいいと思ってるのよ? お父様だって私が言えば文句は言わないだろうし」
奏ちゃんが寝ころんだまま僕にそう言った。
でも、僕はこの提案に乗っかるわけにはいかない。だって本当にシェフさんたちに申しわけが立たない。ただ一人暮らしの為だけに覚えた付け焼刃の様な料理の技術に、自分の生をかけて料理人になった人たちの料理が負けてる、なんて言われたその人たちは落ち込む。いや、下手をしたら絶望してしんでしまうかもしれない。僕なら絶対にその日に死んでいる。
それに、僕一人のせいで何十人もの人たちが職を失うとか、本当に考えるだけでぞっとするのでやめてほしい。
僕は、たまにこうしてお願いされたときだけ、料理を作ってあげるくらいの方が性に合っているのだ。
「それではほかのシェフたちが可哀想です。私も言われればできるだけ作りにまいりますので、どうかそれでお許しください」
「んー。佐渡がそう言うならしょうがないわね。……でも! 私が佐渡の料理を食べたいって言ったらすぐに来るのよ」
「はい。わかりましたお嬢様」
なにか、大変な約束をしたような気もするが、今の僕にそれを気づくことはできなかった。
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「それじゃあいくわよーさわたりー」
「うん。いつでもいいよー」
僕の言葉が聞こえてからすぐに少し離れたところから奏ちゃんがボールを蹴ろうと振りかぶる。
黒と白の色が使われているスイカくらいの大きさのボール―――サッカーボールを蹴ろうとしている。
そう。僕らは今、サッカーをしている。
あれから安藤さんや桜ちゃんについて回り、屋敷内の掃除、庭の手入れ、買い出しなどを済ませた。
その間に奏ちゃんは午前中にレッスンを済ませていた。
屋敷の仕事をしている時に安藤さんに聞いた話だと、奏ちゃんはピアノ、バレエ、各種言語、などなど多種多様な習い事をしているようだ。
英語なんて、僕なんかよりもよっぽど話せているくらいに。
僕の家に奏ちゃんがいた頃、テレビのクイズ番組で英語の読みのクイズがあって、難易度は確か大学生レベル、僕が「―――かな~」と言ったところ、奏ちゃんがその問題を見てすぐに「あー。これは―――よ」と、正解をいい当てた。あの時のクイズの問題の正解を見た時の僕の情けなさ具合と言ったらないと言ってもいい。
それはともかく、奏ちゃん、僕とお互いに午前中にやらなくてはいけないことをお互いに済ませ、昼食を取ってから(昼食はシェフさんが用意してくれました)、現在に至る。
なにやら僕の家で見ていたテレビにすごくハマってしまったらしく、屋敷に戻った奏ちゃんは自分の部屋に大きなテレビを購入。
そして、今回のサッカーをしたいというのは、僕の家にいたとき、日曜日のお父さん特集みたいな番組で親子がキャッチボールをしているのを見て、それをしたくなったのと同じようだ。
ようはテレビでサッカーを見て、やってみたくなった。
そんな好奇心が、奏ちゃんを動かしたのである。
ちなみに僕が今敬語を使っていないのは「私と遊んでる時は敬語を使わないで。そもそも私、敬語って嫌いだし」と言われて、強引にやめさせられた。
と言っても、僕もあんな言葉遣いには慣れていないので助かってはいるのだけど。
「食らいなさい佐渡! 私の華麗なるボールを! ……えいっ!!」
その掛け声に呼応するようなボールが僕の方へ向かって来る。
思ってた以上のスピードのボールが僕の方へ勢いよく飛んできて、僕はそれを冷静に一旦、足の側面で勢いを殺してからなんなくボールを足で軽く踏みつける。
さすがに運動があんまり得意ではない僕でも、このくらいはできた。
「ふふふ。やるわね佐渡。この私のボールを止めるなんてなかなかだわ。いいわ、今度は私が佐渡のボールを受けてあげる。全力で来なさい!」
「うん! もちろん全力でやらせてもらうよ! いくよーっ」
奏ちゃんがしっかりとボールを受ける構えを取ったのを確認してから、僕はボールを蹴ろうと軽く足を上げる。
そしてそのまま勢いに任せてボールを蹴る―――なんてことはなく、僕はギリギリ奏ちゃんの所まで届くかな? くらいの力でボールを蹴った。
僕の蹴ったボールは幼稚園児が蹴ったような威力で奏ちゃんの元へと転がっていく。ころころと、ころころと。
そしてたっぷりと時間を掛けてサッカーボールは奏ちゃんの元へとどうにかたどり着いた。
「……」
目の前でなにもしていないのに止まるボールを奏ちゃんが何も言わずにじっと見つめる。
失敗してしまったかもしれない。もしかしたらあまりにも手加減しすぎて僕が手を抜いていたのがバレてしまったかもしれない。
顔には出ていないと思うけど内心では汗を掻いている僕。
「なによその蹴りは! 佐渡! 今のが佐渡の本気なの!?」
やっぱりバレてしまったのか、奏ちゃんはボールを蹴ってくることなく僕を怒鳴りつける。
少し離れたところから僕と奏ちゃんを見ていた安藤さんと桜ちゃんが顔に手を当て、やっちゃったー。と言いたそうな顔でこちらを見ている。
でも、できることなら助け船を出してほしい。それが泥船でも構わないのでどうかお願いします。
僕が奏ちゃんに気付かれないように必死に桜ちゃんと安藤さんに視線を送る中、無情にも奏ちゃんはドンドンとまるで一歩一歩地面を踏みつぶしている可能ような足取りでこちらへ向かってくる。
まあ、仕方ないか。僕が、奏ちゃんをケガさせたくないからって勝手に手御抜いたのが悪いんだ。それに奏ちゃんなら怒りはするだろうけど、しっかりと事情を話せば理解してくれるはずだ。
そう思いつつも内心ではドキドキしているし、そわそわしているのが僕である。
「え、えっとね奏ちゃん……違うんだ……さっきのは……」
僕がとりあえず弁明を始めると
「違うも何もないでしょ! さっきのが佐渡の全力なんでしょ! あんなヘロヨロキックじゃ男として情けないわよ! 私がもっと上手く蹴れるように教えてあげるわ! 感謝なさい!」
「―――え?」
「え? じゃないわよ! ほらっ! はやくあそこからボールを持ってくる! 時間は有限よ!」
「う、うん!」
なにがなんだかわからないまま、僕はさっきまで奏ちゃんがいた場所にあるサッカーボールを手で持って再び奏ちゃんがいるとことまで戻る。
「遅い! もう少し早くできないわけ! せっかくこの私がサッカーを教えてあげるって言ってるんだからきびきび歩く!」
「う、うん……」
どうやら、奏ちゃんは上手いこと勘違いしてくれたらしい。本当に僕があんな蹴りしかできない、軟弱な男だと思ってくれたようだ。
でも、それはそれでなんか悲しいような気もする。
でも、事実なので何とも言えないのがもっと悲しい。
だって本気を出した安藤さんにも桜ちゃんにも力で勝てないって本当に僕って情けない。
心の中だけに涙を止め、僕はその場にサッカーボールを落とす。
サッカーボールは重力に従い地面に落ち、少しバウンドする。それを奏ちゃんが足で止め、僕の方へ向き直る。
「いい佐渡? サッカーっていうのはね―――」
ここからが長かった。奏ちゃんによるスパルタサッカーレッスンは熾烈を極め、過酷な練習は一時間、休憩なしでみっちりと行われた。
「違う! もっと腰を入れるの! こうバッと足をやってズバッとボールを蹴ってシュバッってボールと飛ばすの!」
「なんでわからないのよ! もっとズバーンっていきなさいって言ってるでしょ!」
「違う違うちがーう! もっとズババババッってやるの! シュッ、バッ、ドカーンってやるのよ!」
というような、抽象的なこと何よりレッスン。僕には何一つとして理解できなかった。
唯一理解できたのはこんな状況を奏ちゃんが楽しんでくれているということと、奏ちゃんが本気で僕にサッカーを教えてくれているという立った二つの事実のみ。
奏ちゃんは僕に怒鳴りながらもどこか楽しそうで、子供らしい、かつて僕が見たかった『本当の笑顔』を見せてくれている。
そのことだけで今日という休日を使うのには十分だ。
「こら佐渡! 笑ってる暇があったら足を手を動かしなさい!」
「かなちゃーん! サッカーでゴールキーパー以外が手を使ったらハンドで反則だよー」
「っ!! うるさいわよさくら! 今のは言葉の綾よ!」
「えーっ? ホントですかー?」
「なによー! もう怒ったわ! 桜、安藤あんたたちもこっちに来なさい! 私がどれだけサッカーが上手いか見せてあげるわ!」
「んー。どうしますか安藤さん? 私はぜひ参加したいんですけど?」
「そうですね。お嬢様の遊び相手というのも立派な私たちメイドの仕事です。今のは命令でしょうし、たまには一緒に遊ぶのもいいかもしれませんね」
「やった!」
こうして僕たち四人によるサッカーの試合が開始された。
かなり長い時間やっていたので詳細は省かせてもらうけど、結果だけ言えば、安藤さん、桜ちゃんチームの圧勝。
チーム分けを僕と奏ちゃん、桜ちゃんと安藤さんというペアでやったのだけど、相手の二人の動きが正直おかしかった。
まるで予測のできない所へのパスを安藤さんが平然と出し、それを当たり前のように桜ちゃんが取ったりとか、こっちに来たかと思って前に出て妨害をすれば、足を上手く後ろへ滑らせ後ろにいる安藤さんにパスだとか、とにかく本当におかしかった。
今まで翔君たちとも四人でチーム分けをしてサッカーをしたことはあったが、こんな試合は初めてだった。気分は初心者の自分がプロに挑んでいる感じ。
桜ちゃんもすごいけど、安藤さん、本当に何者なのだろう。
「私たちの勝ちですねかなちゃん!」
「キィィィィィィ! あんなの反則よ! ほとんど忍者じゃない!」
「お嬢様、私たちは忍者ではなく、メイドです」
「わかってるわよ安藤!」
安藤さんが冗談を言っているのを僕は今初めて見たかもしれない。
貴重な場面として、心のアルバムに保存しておこう。
このあと僕は奏ちゃんが午後のレッスンの時間ということで再び安藤さんと桜ちゃんに付き従って屋敷の中の清掃やら、お風呂場の掃除やら、夕食の支度やらを手伝い。奏ちゃんのお父さんを含めたみんなで夕食を取った。
その際、奏ちゃんのお父さん、天王寺源蔵さんに奏ちゃんの小さいころの自慢話を聞かせてもらったりもした。
でも、最後に冗談で言っていた、「佐渡君、君、家に、天王寺家に婿入りする気はないか?」という言葉が、なぜか冗談に聞こえなかったのは何でだろう。
こうして、とにかく、僕の天王寺家の執事としての一日はこうして幕を閉じたのだった。