6話
「……なさい」
誰かの声がする。
「……って……でしょ!」
だれの声だろう。
聞いたことのある声だ。でも、なんでか頭がぼーっとしててまともに働かない。そのせいか、この声が誰のものなのかわからない。
「起きなさいって言ってるでしょ!!」
瞬間、鳩尾の辺りに激痛。
それと同時に激痛によりぼーっとしていた頭が完全覚醒。
そして、このお腹のあたりに感じる激痛の感覚は―――
「奏ちゃん……?」
「そうよ。―――全く、ご主人様を前に寝てるなんてどういうことよ佐渡。まあ、寛大な私は心が豊かだから許してあげるけど、次はないわよ。わかったらさっさと仕事をしなさい」
目の前には奏ちゃんがいた。
腰のあたりに手を当て、怒ってますアピールをする奏ちゃん。
今日の奏ちゃんの服装は黒と白を基調にしたちょっとしたドレス状の服を着ている。その色合いが彼女の輝かしい金色の長い髪と合っていて、素人の僕にも良いものだとわかる。
「その服、かわいいね。奏ちゃんにすごく似合ってるよ」
つい、そう言葉が漏れてしまった。
「なっ!? バ、バカなこと言ってる暇があったら働きなさい! 動かすのは口じゃなくて手よ! 手!」
そう言って奏ちゃんは自分の可愛らしい小さな手をもう片方の指で差す。
しかし、僕には奏ちゃんが何を言っているのかこれっぽっちもわからない。というよりも、ここに至るまでの経緯が一切不明だ。
そう言えば、僕、今日は何をしてたんだっけ?
確か―――今日は日曜日で、休日で、それでもいつもの癖で朝の七時には目が覚めて、洗濯をして朝食を取って、それから
―――それから?
僕の記憶はそこで途絶えている。
なにかすごいことがあったような気はするので、本能が思い出さなくてもいいと言っているように霧濃く拒む。
それじゃあ今度は自分の今の状況を整理してみよう。
まず、僕は佐渡誠也。大学二年生のごくごく普通の男。今いるのは少し前に知り合いになった奏ちゃんのお屋敷のようだ。それも奏ちゃんの部屋。
可愛らしく飾られていたであろうぬいぐるみや、種類ごとに整理されていたであろう服や、いつ食べたのかわからないお菓子の袋が部屋中を埋め尽くした場所。
正直、こんな現実は見たくなかったと思わざる負えない状況の部屋だ。
今、僕は掃除がしたくてたまらない。
―――それにしても、結局僕がなんで奏ちゃんのお屋敷、それも奏ちゃんの部屋にいるのかが思い出せない。
本当に何でここに僕はいるんだろう?
「ねえ奏ちゃん。正直言って僕、なんで奏ちゃんのお屋敷―――それも奏ちゃんの部屋にいるのか理解できてないんだけど、なんで?」
答えの出せない問いに対して、僕は答えを知っている出題者である奏ちゃんに答えを求めることにした。
「いい質問ね佐渡。むしろ今までなんでその質問が出てこなかったのかおかしく思ってたくらいだわ」
「それはいきなり鳩尾にすごい一撃をもらったからだと―――ううん。なんでもない……」
思うよ。と続けようとして、奏ちゃんに鋭い目で睨まれて委縮する僕。中学生の女の子に睨まれて、怯えて委縮する大学二年生、僕。なんだかすごく悲しい絵面のような気がする。
でも、僕の性に合っている気もするから不思議だ。
「それで、結局僕はなんでここにいるの? ここに来るまでの記憶もないし、今日会う約束もなかったよね? なにか知ってるなら教えてほしいんだけど……」
「ふふふっ……。いいわ、教えてあげる。かかりなさい! 安藤! 桜!」
「かしこまりました。お嬢様」
「かしこまり~!」
「えっ? 安藤さん!? 桜ちゃん!? えっ!? なに!? おわっ! ちょっ!? なんで拘束してるんですか!? なんで服のボタンをはずしてるんですか!? なんで服をぬがせるんですかーっ!?」
「少々我慢をしてください佐渡様。すぐに済みます」
「何がですか!?」
「大丈夫ですよ佐渡さん。痛いのは最初だけですよ。天井のシミを数えているうちに全部終わってます」
「桜ちゃんは何言ってるの!?」
奏ちゃんの謎の指示が飛んだ瞬間、どこに隠れていたのかメイド服姿の安藤さんと桜ちゃんが飛び出てきて、安藤さんが僕を拘束、桜ちゃんが僕の服を脱がそうとするという謎のコンビネーションで一瞬のうちに服を脱がされる僕。
なにが何なのかわからないまま服を脱がされて、下着姿までひん剥かれた僕は、今度はなにか黒い服を無理やり着せられる。
安藤さんが僕が動けないように腕やら足やらを拘束してるのに、なんでちゃんと服を着せられるの!? というツッコミすら忘れて、僕は無我夢中に暴れる。
が、さすがはプロのメイドさん。男の僕が全力で抵抗しても汗一つ掻かずに顔色一つも変えずに着々と何かを進めていく。
全力で混乱している僕を高みの見物をしながら不敵に笑う奏ちゃん。奏ちゃんの指示に従い、無表情で僕を拘束する安藤さん、楽しそうに僕の服を脱がせ、何か黒い服を着せる桜ちゃん。本当になんなの!?
「終わりましたお嬢様。佐渡様も少し手荒な真似をしてしまい本当に申し訳ございませんでした」
奏ちゃんに指示の仕事を終えましたと報告を入れ、間髪入れずに僕に腰を曲げて丁寧に謝罪をしてくれた。
「いや……痛くなかったし、そのことに関しては別に何にも思ってないんで大丈夫です……」
「そうですか。それはよかったです」
安藤さんが少し笑ったような気がした。
「佐渡さーん。私たち……一線超えてしまいましたね……」
「超えてない! 超えてないよ!? なんにも超えてない!!」
頬を赤らめ、両頬を手で挟み、心の底から恥ずかしそうにする桜ちゃんに全力ツッコミの僕。
だって、本当に僕は何もしてない。むしろ僕はやられた側だとすら思う。
「そんな!? あの出来事をなかったことにするつもりなんですか!? 佐渡さんがそんな人だったなんて……ううっ……」
全力のツッコミを返す僕に、今度はきれいな瞳に涙を浮かべてそれをハンカチで拭う仕草を取る桜ちゃん。
でも、少しの間とはいえ一緒に住んでいた僕は少しは成長している。
つまり、今の僕は絶対に桜ちゃんにからかわれている。それぐらいのことがわかるくらいには僕は桜ちゃんのことを知れていると思う。
「そんなことしてもダメだよ桜ちゃん。僕だってそれが嘘泣き……っていうか、演技だってわかるよ」
そういった確信があった僕はそう桜ちゃんに返す。
「そ……そんな! ううっ……うわぁぁぁぁんっ!」
僕が言葉を返した瞬間、桜ちゃんがまるで台風の時にダムが決壊したかのような勢いで瞳から涙という名の水を流す。
そして―――
「え? えっ? えーーーーーっ!?」
戸惑う僕。
「ご、ごめん桜ちゃん! ぼ、僕、勘違いしてたみたいだ! まさかそんなに傷つくなんて思ってなくて……」
さすがにあんなに泣いている桜ちゃんを見て、自分の考えが間違っていると気づけない僕ではない。
本来ならば桜ちゃんを傷つける前に気づくべきことではあったが、やっぱり僕は少し周りのことを見ることに疎いようで、変な間違いを犯し、人を傷つけてしまうことがあるようだ。
今度からは細心の注意を払う必要が―――
「まあ、嘘なんですけどね」
ないかもしれない。
さっきまで泣いていたはずの桜ちゃんがケロッとした顔で僕を見つめていた。
僕の心からの心配を返してほしい。とも思うが、やっぱり少しは桜ちゃんを傷つけてしまったと思うので今回のことは僕が悪いということでいいかもしれない。
「それよりこの格好……」
とりあえず安藤さん、桜ちゃんとの会話を済ませ、改めて自分の身に起きた変化に目を向ける。
僕の体に起きた変化、それは服装の変化。ただそれだけだ。
僕がここに来たときは普通のTシャツにジーパンという間宮さんや翔君辺りからすれば、「カッコ悪くはないし、変ではないけど、なんかカッコいいわけでもなく……普通」などと言われてしまう格好をしていたはずだ。
ちなみに広志君辺りからすると、僕の格好は理想のオタク像の格好に近いということらしい。
そして僕の現在の服装はと言えば、執事服だった。
白のシャツに黒のスーツ、赤いネクタイに黒い靴。
ドラマや漫画でしか見たことはないが、僕の知る限りこの服装は執事服そのものだ。
しかもどれもおそらく僕がそう簡単に手に入れることのできないだろう高級品。
「見ての通り執事服よ。佐渡、今日一日私の専属執事をしなさい! これは頼み事でも、お願いでもない、命令よ。否定も拒否も認めないわ。佐渡に許されるのは肯定のみよ!」
執事服を着せられ、未だに戸惑ったままの僕に指を差し、そう命令する奏ちゃん。
「えーっと……」
「今日は一日よろしくお願いいたします。佐渡様。なにかわからないことがありましたらなんでもおっしゃってください」
「佐渡さん! 楽しい一日にしましょうね! かなちゃんの為にも!」
どうやら、逃げ道はもうないらしい。
僕は心の中で大きなため息を吐きながら、顔には小さな笑みを浮かべたのだった。