2話
「それじゃあまずはツンデレメイドというのをやってみようと思います」
「うん。わかったよ。それじゃあさっきみたいにキッチンの方から入ってくるね」
「お願いします」
ツンデレメイド。
確かこの前の広志君の説明だと奏ちゃんがメイドをしたと考えるのが一番近いと言っていたと思う。
ただ、僕はそう言われたときにひどい想像しか浮かばなかった。
皿を割る奏ちゃん、お客さんに怒鳴る奏ちゃん、料理を焦がしてしまう奏ちゃん。奏ちゃんには悪いけど、こんな想像しかできなかった。
そして、そのツンデレというのを桜ちゃんがやるとなると……
自然と肩に力が入り、息を飲む。
「でも、いつまでもこうしているわけにはいかないよね」
誰に言うでもなく、覚悟を決めるためだけに言葉を発し、僕はキッチンから居間への戸へと手を掛ける。
そして、覚悟を決めて戸を開けた。
「なに、また帰ってきたの?」
「……」
いきなりの思考停止。
何なんだこの状況は?
さっきまでのメイドさんぽい態度とは打って変わり、まるで面倒な友達がバイト先に来てしまったような感じの接客態度。それは旦那様の帰りを迎えるメイドの態度では決してなかった。
「なに、だんまりなわけ? ふんっ! まあ、来ちゃったもんわしょうがないわ。勝手に座れば?」
「う、うん……」
メイドのスキルアップという名目だったはずなのに、全く持って僕の持っているメイドさんのイメージとは違う。
言葉遣い、態度、雰囲気、そのすべてが僕の知っているメイドさんとはかけ離れていたし、僕の知っている桜ちゃんとはかけ離れていた。
「えーっと、桜ちゃん?」
「なに? 軽々しく呼ばないでくれない? 気分が悪いわ」
「ご、ごめん。その注文を……」
桜ちゃんと大まかな流れは決めてあったので、それに従って僕は行動をする。
僕が取る行動は、まず店内に入る。次に注文、そして桜ちゃんのとった行動に合わせ、最後に店内を出る。そんな感じだ。
「注文ね、早く言いなさいよ」
「そ、それじゃあこのオムライスで……」
僕がメニューがあるつもりでメニューを指さす。
オムライスを選んだのはこの前のメイド喫茶にあったので、どこのメイド喫茶にもあるだろうというただの観測からだ。
「メイドの悪意のこもったイライラオムライスね」
「じゃ、じゃあそれで……」
なんて物騒な名前のオムライスなんだろう。
桜ちゃんはさっき下調べはしてきました! と言っていたので、本当にそういうメニュー名だったんだろうけど、本当にすごい名前だ。
「それじゃあ、そこで待ってなさい」
そう言って桜ちゃんは一旦キッチンの方へ言って、皿を持ったような感じで戻ってくる。
「はいこれ」
そう言って皿を乱暴に投げ出すような行動を取る桜ちゃん。
「あの、そんな乱暴に置くのはよくないんじゃ……」
「なに、なんか文句あるわけ? いい度胸してるじゃないの」
ちょっとした指摘をするだけでこの態度だ。
「う、ううっー……」
あまりのつらさに涙のにじみ出る僕。
「え!? さ、佐渡さん!? なんで泣いてるんですか!?」
「言葉遣いが荒いし、態度もなんか怖くて、いつもの桜ちゃんはどこ行っちゃたんだろうって思ったら涙が……」
「あー……」
僕の言葉を聞いて、そんな声を出す桜ちゃん。
「わかりました。佐渡さんにツンデレメイドはきつすぎましたね。やめにしましょう」
「それじゃあ次はドジっこメイド。というのをやってみましょう」
「よくわからないけど、うん。わかったよ。それじゃあまた向こうの部屋から入ってくるね」
桜ちゃんにそう告げてから僕は再びキッチンの方に行く。そして一呼吸おいてから部屋と部屋を仕切る戸を開け、部屋を移動する。
「おかえりなさいませ! ご主人さ……まっ!」
部屋を移動した瞬間、桜ちゃんが僕に向かってタックルしてきた。
なにごと!?
いきなり勢いよくタックルされた僕は突然のことに対応しきれずにその場に尻もちを着く。桜ちゃんもそのままの勢いで僕と一緒に倒れこんだ。
「いたたー」
床に打ち付けた頭を押さえながらゆっくりと体を起こす。
すると桜ちゃんも僕と同じように痛さに顔を歪ませながら僕のお腹のあたりから顔を上げる。
「すすす、すいませんご主人様!」
そしていきなり僕から離れて土下座を始めた。
「あの、桜ちゃん? そこまで僕怒ってないよ? だから頭を上げよ? ね?」
なぜか土下座を始めた桜ちゃんに動揺しながらもこれも何かの演技なのだと理解した僕は、桜ちゃんの指示通りいつも通りに対応することにした。
「ご、ご主人様……」
いつも通りに対応しただけなのだが、なぜか桜ちゃんは涙を浮かべながら嬉しそうにしている。本当にドジっこメイドって何なんだろう。
結局なにが何なのかわからないまま最初の突撃タックルの件が終わり、次の段階に入った。
「おまたせしまし……たーっ!」
「!?」
注文した品をもってきてくれた『フリ』をした桜ちゃんがあと一歩でたどり着くというところで器用に転んだ。
あまりにも器用に転ぶものだから僕も驚きを隠せない。
「だ、大丈夫?」
わざとだろうからけがはしていないと思うけど、一応声をかけておく。
桜ちゃんはそんな僕の言葉を聞いて慌てたように起き上がると僕の方を見て何やら慌てだした。具体的に言うと、口元に両手を当ててアワアワしている。というのが本当のところだ。
「えっと……どうかした?」
完全にこの状況に置いて行かれている僕は、どうにかこの状況を理解しようと桜ちゃんに尋ねる。
「すすす、すいませんご主人様! ご主人様の大事なおズボンが!」
桜ちゃんにそう言われて自分のズボンを見てみると、もちろん何ともない。それは何も持ってきていないのだから何かがあるわけもない。
となると、桜ちゃんの言っているのはこのドジっこメイドの何かのアクションだ。
状況から察するにおそらく持ってきたオムライスのケチャップでもズボンについてしまった設定だろう。
「あー。大丈夫だよ。こんなのどうってこと……」
ないよ。と続けようとして状況の変化に言葉を飲み込む僕。
状況の変化、それは桜ちゃんが布巾で僕に近寄ってきたことだ。
「えっと……何してるの? 桜ちゃん?」
なにやら嫌な予感がして少し緊張気味に声を掛ける僕。
そんな僕の予感は無駄に的中してしまったようで、桜ちゃんはこう言った。
「その後始末は私がさせていただきます!」
と。
そういった桜ちゃんの行動は早かった。一瞬で僕との間合いを詰めて、又下に入り込んできた。そして持っていた布巾をズボンのチャックがある部分に伸ばしていく。
「桜ちゃん!? それはさすがにマズいような!」
「大丈夫です! 私だって覚悟はできてます! 大丈夫。佐渡さんのならやれます!」
「僕が大丈夫じゃないよ!? 全然心の準備ができてない!」
「大丈夫です。天井のシミの数を数えていれば知らないうちに終わってます」
「桜ちゃん!? それなんかダメなやつ! 女の子が言うようなセリフじゃない!」
結局この後、桜ちゃんに力で負けて、抵抗もままならないままにことを運ばれた僕でした。
それからもすごいものだった。
ヤンデレメイドをするというのでツンデレメイドの時と同じようなことをしてみれば、水をほかのメイドさんに頼むようにと書かれた紙がおいてあったので、やってみれば突然こっちに桜ちゃんが来て、僕が「あー、一人二役やるのかな?」と思えば、桜ちゃんの口から放たれた一言は
「なんでほかの女に頼んでるの? 桜に頼めばいいのに。ねえ、なんで? なんで桜じゃないの? なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで。どうしてなの? もしかしてあの女のことが好きなの? 桜じゃなくてあの女がいいの? ねえ、答えてよ」
と怖い顔で迫られ、僕がギブアップ。
最後に普通のメイドさんをやってみよう、という話になって、この前にお店みたいな感じでやってみたのだが、注文のオムライスが来てからの「萌え萌えキュン!」が僕にはもうできなくて恥ずかしさのあまりギブアップ。
結局何一つ最後までやり通すことができなかった。
「ごめんね桜ちゃん……」
役に立たなすぎる僕は桜ちゃんに頭を下げた。
そんな僕に桜ちゃんは
「何言ってるんですか佐渡さん。私は楽しかったですよ」
と、言ってくれた。
「でも、メイドさんとしてのスキルアップが……」
「それこそどうでもいいんですよ。確かにメイドのスキルアップは必要ですが、最初に言ったじゃないですか。今日は暇つぶしをしに来ましたって」
「え?」
「だから、今日私は暇つぶしをしに来たんです。佐渡さんとこうして遊びたくて、私はここに来たんです。だからたとえメイドのスキルがアップしなくても、佐渡さんと楽しく遊べたらオールオーケーです」
落ち込む僕にそう言ってくれる桜ちゃん。
「そっか……それはよかったよ」
そんな彼女に僕は甘えることしかできなかった。
「もう日が暮れてきましたね。今日はもう帰ります。お邪魔様でした」
「うん。送ってくよ」
そう言って僕は桜ちゃんと一緒に玄関へと向かう。
「いえ、大丈夫です。もうそろそろ買い物帰りの安藤さんが車で迎えに来てくれますので」
「そうなの?」
「はい。だから大丈夫ですよ」
「それならいいんだけど……」
安藤さんが車で迎えに来てくれるのなら、僕が送っていくのはかえって邪魔になる。それなら僕は大人しくしている方がいいだろう。
「それじゃあ佐渡さん、また遊んでくださいね」
「うん! もちろんだよ。むしろこっちからお願いします!」
「ははは、佐渡さんらしいですねー。それじゃあ本当にお邪魔様でした」
こうして、僕と桜ちゃんのメイドスキルアップ大作戦という名目の遊びは終わった。