1話
「それじゃあ改めていらっしゃい桜ちゃん。これ麦茶ね」
「はい。おじゃましますね、佐渡さん。それと麦茶、ありがとうございます」
僕が入れた麦茶を受け取り、メイドの時のような感じではない、一人の女子高校生のような態度で桜ちゃんはお礼を言った。
正直また僕の役目を取られてしまうのではないかと内心不安だったのだが、一緒に住んでいるわけではないからなのか、今日は僕に麦茶を用意させてくれた。
「それで桜ちゃん。暇つぶしだって言ってたけど何か考えってあるのかな? 僕ん家には大したものはないけど……」
そう言って僕は家にある時間を潰せそうなものを取りだす。
ゲーム機、トランプ、双六、みんなでやれるような翔君たちと遊ぶ時は大抵僕の家で遊ぶので、大抵のパーティーグッズはそろっている。
それを僕はテーブルの上に並べた。
「これくらいしかないんだけど、なにしよっか?」
桜ちゃんの意見を仰ごうと桜ちゃんに声をかける。
すると、桜ちゃんは人差し指を立て、それを左右に振りながら「ちっちっちっ」と舌を鳴らし、言葉を続ける。
「佐渡さん。今日の私は確かにお休みですが、心はいつでも天王寺家のメイドです。いや、かなちゃんのメイドです」
桜ちゃんの口から零れた「かなちゃん」という単語に心を少し温められながら、僕は密かにほほ笑む。
「かなちゃん」その単語は今から数週間前に桜ちゃんと奏ちゃんがお互いの秘めていたことをすべて出し切って、お互いの背負っているものを共有できたことで再び手に入れることのできた絆の証だ。
「かなちゃん」「さくらちゃん」その二つの呼び名は、桜ちゃんと奏ちゃんにとっての思い出であり、絆の証、信頼の証明だ。
そのことがわかっている僕としてはやっぱりうれしいものである。
「ですので今日はメイドとしてのスキルアップをしようと思います!」
座っていた桜ちゃんが突然立ち上がり、やる気を見せる。
「なるほど、桜ちゃんは働き者だね。お休みの時でもメイドとして頑張ろうとするなんてすごいよ」
心からそう思う。
普通の人はやっぱり仕事と休み、どちらを取るかと言われればほとんどの人が休みを取ることだろう。僕だってそうだ。
暇だ、暇だと言っておきながら、休日には溜まっている洗濯物や、普段は掃除できないようなところの掃除、作ってみたかった料理を作ったりと、どうしても休みのほうが嬉しく感じる。
もちろん、大学でみんなと会うのは楽しみだし、大学までのほんの一時を彼方ちゃんと過ごすのも楽しい。
けど、やっぱり休日にみんなで遊んだり、彼方ちゃんとゆっくり話したりする方が僕は好きだ。
だから、やっぱり休日に仕事のことを考えられる桜ちゃんは素直にすごいと思う。
「やっぱそう思いますか? もっと褒めてくれてもいいですよ」
桜ちゃんは僕の感想に胸を張り、自慢げにしている。
そんな桜ちゃんに、僕は言われた通りさらなる褒め言葉を投げかける。
「本当にすごいよ桜ちゃん。僕にはまねできない。たった一人のために一生懸命になれて、その人のためならどんな努力も惜しまない、お休みの時でさえその人のために頑張ってる。心から尊敬するよ」
「……」
「……桜ちゃん?」
「……すぎです」
「え? 今、なんて?」
「だから……」
「だから?」
「褒めすぎですってば――――――――――――――――っ!!」
僕の部屋に桜ちゃんの美しくも甲高い叫び声が響き渡った。
「確かにもっと褒めてくれてもいいとは言いましたが、なんでそんなに恥ずかしげもなく、褒めつくすんですか! こっちが逆に恥ずかしいですよ!」
「え? 僕は素直な気持ちを言葉にしただけで……」
「だからそれが行き過ぎだっていうんです!」
桜ちゃんに人差し指で差され、若干戸惑う僕。
僕、何か変なこと言ったっけ?
「まあ、もうこの話は終わりにしましょう。なんかわかってないような顔をしてはいますけど……」
本当にわかってないけど、まさかそれが顔に出てるとは思わなかった。
「それでメイドのスキルアップって何をするの? 僕はメイドのスキルなんて言われても家事全般桜ちゃんに劣るし、ほかのことも桜ちゃん以下だと思うんだけど」
「そこは安心してください。佐渡さんはいつも通りにしていてください」
「それだけでいいの?」
「はい、それだけでいいです」
何が何なのか全然わからないけど、とにかく桜ちゃんが言うには僕は普段通りにしていればいいらしい。
「それじゃあ早速、佐渡さん。キッチンの方から居間の方に入ってきてください」
「え?」
「だから、向こうからこちらに入ってきてください」
「あ、うん。わかったよ……」
なぜかわからないが、桜ちゃんにいったん部屋を追い出されてしまった。
「少し待っててくださいね。少し準備がありますので」
僕が居間からキッチンに移動して、すぐに桜ちゃんからの指示が飛んでくる。なにがなんだかわからないことずくめだが、僕は桜ちゃんの指示に従って居間で少し待機することにする。
「それにしてもメイドのスキルアップって何をするんだろう?」
桜ちゃんからの次の指示が出るまで壁にもたれかかりながら時間を潰す。
「メイドさんの仕事のイメージってやっぱり掃除洗濯料理とかの家事全般ってイメージなんだけど、さっきの桜ちゃんの感じだと違うみたいだし、前みたいに秋葉に行って、みたいな感じでもないみたいだし。それに準備ってなにを……」
僕がどんどん思考を深め始めたそんな時、居間から桜ちゃんの声が聞こえてきた。
「準備オッケーです! 入ってきてください佐渡さん」
「うん。わかった」
結局なんの準備なのかはわからなかったが、まあ、その答えは居間に入ればすぐにわかるだろう。そう思って僕はキッチンと居間を繋ぐ戸を開けた。
次の瞬間、僕の二つの目に飛び込んできた光景は―――
「おかえりなさいませ! ご主人様!」
メイド服姿の桜ちゃんだった。
「……」
すうー。
僕は一旦思考停止の戸を閉める行動を取った。
さっきのは一体何だったのだろうか。
いや、百歩譲って桜ちゃんは本職のメイドさんなので、メイド服を着ていることについては理解できる。
でも、それ以外のことが全く理解できない。
僕は混乱したままの頭で再びキッチンから居間への戸を開ける。
「おかえりなさいませ! 旦那様!」
すうー。
僕は再び思考停止の戸を閉める行動。
何が何なのか全くわからない!
なんか呼び方が少し変わってたし、よく見たらなんかメイド服もいつもの天王寺家のものではなく、短いスカートのフリフリの多い感じのものに変わっていたし、とにかく何もかもがわからない!
キッチンと居間とでは次元が違うのだろうか。
そんなバカなことが頭を支配し始める中、僕は三度目の正直という先人の言葉を信じてキッチンから居間への戸を開ける。
「ただいま! お兄ちゃん!」
「うわーっ!!」
自分の頭がおかしくなったのかと思い、その場でうずくまる僕。
そんな僕に慌てて桜ちゃんが駆け寄ってきた。
「ど、どうしたんですか!?」
「いや、僕は変な空間に入り込んでしまったんじゃないのかって……」
「現実ですよ!?」
いつもの感じの桜ちゃんを見て、少し安心をし始める僕。
「えーっと、できれば最初に説明をお願いできるかな?」
「そうですね。このままだと終わった頃には佐渡さんは病院にいそうなので、そうしますか」
「お願いします」
僕のためにも頭を下げる僕。
「それじゃあ説明させてもらうとですね。この前私は佐渡さんと山中さんとメイド喫茶に行ったじゃないですか?」
「うん。行ったね。……いろいろあったからよく覚えてるよ」
いろいろとは言ったものの、その日のことで僕の頭に鮮明に刻まれているのは、あの「萌え萌えキュン」のみだ。正直それ以外の記憶は薄い。
「それで私は考えました。私ではどうやっても安藤さんという完璧なメイドは超えられない。なら、私は違うジャンルでお嬢様のメイドになろう! と」
「えーっと、つまり安藤さんにはないメイドスキルを手に入れようってことでいいのかな?」
「はい。その認識でオッケーです」
なるほど、桜ちゃんは桜ちゃんなりにメイドとしていろいろと悩みを抱えているのか。まあ、先輩が安藤さんで、あんなに完璧なのを見せつけられたら自分じゃかなわないと思ってしまってもしょうがないのかもしれない。
かと言って僕が桜ちゃんに教えてあげられることは何もない。
それなら、僕が桜ちゃんにしてあげられることを精一杯しよう!
「わかった。僕に任せてよ!」
こうして、僕と桜ちゃんによる桜ちゃんのメイドスキルアップ作戦は始まった。