7話
「楽しかったねーっ! あのシーンホントよかったよね」
「えっ……? あー。あのシーンよかったよな……」
どうにか寝ずに映画を見切った俺は、お昼を食べようと先輩が言うので、フードコートまで来ていた。
二人でハンバーガーショップで注文したハンバーガーにかぶりつきながら、映画の話に花を咲かせる。
といっても、俺からしたらやっぱり恋愛映画はそこまで面白いものではなかった。正直、先輩がよかったと言っているあのシーンとやらが全く分からない。
「ねえ翔くん」
「な、なんだよ……」
先輩が俺の顔を見つめてくる。
「正直……面白くなかったでしょ?」
「うっ……」
どうやらばれてしまったらしい。顔には出していなかったと思うのだが、出ていたのか、それとも俺がそういう雰囲気を出していたのか、今となってはどっちでも構わないが、とにかく俺が映画を楽しめなかったことがバレてしまった。
「もー。最初から嫌なら嫌って言ってくれればいいのに」
「いや、先輩が持ってきてくれたのになんか悪いしよー」
「いいんだよ気にしないで。それよりこの後どうする? あ、あんまりお金使えないんだっけ? 大丈夫?」
この前先輩には俺の家の金銭面的な話を少しだけした。隠すようなことではなかったし、なんでバイトしてるのかと言われたらそうとしか答えられなかった。
それから先輩は俺の金銭面のことをやたら心配してくれるようになった。飲み物代を出してくれたり、少しお腹が減った時に何か買ってくれたりと、何かと俺に優しくしてくれる。
そんなところに俺は惚れてしまったのかもしれない。
「今日は大丈夫だ。この前のバイト代そのまま持って来てるから、あんまり無駄遣いはできないけど、今回はバイト代上がったし、少しぐらいなら遊べるぞ」
「ホントっ! ならショッピングしよっ。服見たり、家具見たり、いろいろしよっ!」
「はいはい、これ食い終わったらなー」
内心これでデートが終わってしまうのでは、と、不安だった俺はこの後もデートの続きができるのだと、安心した。
「あははー。今日は楽しかったねー。二人で映画見てー、二人でご飯食べてー、二人でお買いものしてー。ホント楽しかったよね」
「あー、そうだな、久しぶりにこんなに遊んだし、楽しいことしたわ。今日はサンキューな先輩」
映画は少し微妙ではあったが、今日を総じてみれば今日は一日楽しかった。
今日みたいに、学校が休みで、バイトも入れてもらえない日が極たまにある。そんな日の俺の過ごし方は決まって家でだらける、だ。体を休めたいというのももちろんあるが、それ以前に遊ぶ友達がいない。一緒に遊べるのなんて弟の駆くらいだ。
その駆も最近はレベルの高い高校に行きたいと勉強ばかりで遊んでくれない。
だから結局家で寝て過ごすのだ。
そんな俺の日常をこの先輩は簡単に打ち破った。
本当にこの先輩はなんなのだろう。どうして俺にここまでしてくれるのだろう。でも、今日はそんなことがどうでもよくなるくらい楽しかった。
「もう暗くなっちゃたね。今日はもうバイバイかな……」
先輩が暗くなった空を見上げながら、寂しそうにそう言った。
俺も先輩につられるように空を見上げる。もうそろそろ帰らなくてはならない時間だ。
俺は平気だが、先輩をあんまり夜遅くまで外に出しておきたくない。そんな彼氏気取りなことを考えつつ、先輩に向き直る。
「送ってく」
「えー。悪いよいつもいつも」
「……俺が送りたいんだよ」
照れくさくなって先輩の方を見ないようにしながら小声でつぶやくように言う。
「……そっかー。それならしょうがないね。仕方ないから翔君に私を遅らせてあげよーう」
「はいはい。お供させてもらいますよ」
暗くなって少し不気味な夜道を先輩と二人で歩く。
特に会話のないのに、なんだかドキドキする。先輩が隣にいると思うだけで、心臓が張り裂けそうだ。先輩にバレない様に心臓の辺りを抑える。
本当に心臓がうるさい。
そんなことをやっているうちにいつも先輩を送っていく場所まで付いてしまった。
「ここまで送ってくれてありがとっ。また明日ね翔くん」
「……あ、あー……」
先輩が笑顔で俺から離れていく。家へと帰っていく。
このままでいいのか。このまま先輩を家に帰していいのか。
俺は周囲を確認する。誰もいない。ここにいるのは正真正銘、俺と先輩だけだ。
これは……告白のチャンスなんじゃないだろうか。
確かにこの関係が壊れてしまうのは怖い、たまらなく怖い。このままずっとこのような関係が続けば、なんて思う。
でも、俺はその先に行きたいとも思う。今日みたいに先輩と映画を見たり、ショッピングしたりすることを考えると、心が躍る。
こんな俺のわがまま、先輩は聞いてくれるだろうか。
「……よしっ!」
俺は俺に背を向け去っていこうとする先輩を止めた。
「先輩っ!」
いざ告白、というこんな大事な時に、会いたくない連中に会ってしまった。……視界に捕えてしまった。
奴らは俺を見ると、ぞろぞろとこっちに向かって大人数で歩いてくる。
まずい、先輩だけでも逃がさないと。そう思って、先輩を逃がそうと先輩の背中を押す。
「先輩っ。早く逃げろ、変な奴らがこっち見てるっ」
「えっ!? ウソっ!?」
そんなことをしているうちに、奴らはどんどんこちらに近づいていてくる。
「ホントだ。でも、逃げるなら翔君も一緒に……」
「ダメだ。詳しいことは言えないけど、奴らの狙いは俺なんだ。俺がここに居れば少なくとも先輩は逃げられる。だから早くっ!」
「で、でも……っ」
そして、最終的に奴らに囲まれてしまった。
「よおよお、兄ちゃん。この前はよくもやってくれたなー。見てみろよこの腕、痛くてしょうがねえ」
この前のリーダー格の奴が、わざとらしく肩を痛そうに抑える。
俺はいつでも先輩を守れるように奴ら全員を気にしながら会話をする。
「あれは正当防衛だ、学校にウソまで言って俺を陥れやがって、ざけんじゃねえ」
舐められたら終わりだ。
人数的にはこっちが圧倒的に不利、実力も数の前には何もなさない。しかもこっちには先輩までいる。この前は俺一人で逃げれば良かったが、今回は先輩に傷一つ負わせずに逃げなければならない。
そんなこと俺に出来るのか。違う、やるしかない。やるしかないんだ。
「なんだよ、俺たちは本当のことを学校の先生に言っただけだぜ。なあ、みんなー」
リーダーらしきやつが、そう言うと、周りの仲間の奴が「そうだそうだ」とか、「てめぇこそウソついてんじゃねえのか」など、言いたい放題言ってくれていた。
眉間にしわが寄っているのが自分でもわかる。
「畜生っ! 好き放題言いやがって」
「おー、こわっ。まあ前座はここまでにしておいて……てめえらっ! コイツをたたむぞっ! この前の借りを倍にして返してやれっ!!」
リーダー格が掛け声をあげると、周りの雑魚が一斉に襲いかかってきた。わらわらと集まってくる奴ら相手に何処を見ていいのかわからない。
俺は徹底的に周囲を確認し、どうにか先輩だけでも逃がせるよう道を探した。
「うっ……!」
そんなことをしている俺のガラ空きの腹を、誰だか知らないが思いっきり殴ってくれた。体の中の空気が一瞬で強制的に外へ排出される。
俺は排出された空気を求めて少し過度なくらいに息を吸う。しかし、奴らがこんな隙だらけな所を待ってくれるはずもない。
拳と足が四方八方から押し寄せる。前から来たと思えば今度は後ろから、殴られたと思ったら、今度は蹴り、気が付けば俺はもはや奴らのサンドバックだった。
「うぇーいっ!」
「オラオラっ! さっきの威勢はどうしたよ」
掛け声とともに拳か蹴りが飛んで来る、刃物やバットなどの鈍器を奴らが持っていないのが、せめてもの救いだ。しかし、このままでは本当にまずい、このままでは俺がやられるどころか先輩が……
「……っ! 先輩っ!!」
飛びかけていた意識が覚醒する。気が付けば、さっきまで繋いでいたはずの先輩の手はもうない。いつ話してしまったのかも覚えていない。まずい、先輩はどこだ。
俺は殴られ、蹴られながら、必死に周囲に目を配り、先輩の姿を探す。
どこだ、どこにいるんだ先輩っ!
「そーれ、もーういっちょ!」
「うぐっ……!」
まずい、顎をやられた。
せっかく戻ってきた意識がまた混濁し始める。目の前が黒いような白いような、どちらともいえないように見える。目の前にいる連中すらまともに見えない。
もう立っているのかもわからないし、連中が何を言っているのかすらはっきりしない。
そんな薄れゆく意識の中、俺は最後に先輩の姿を見た気がした。
次に目を開けたら、そこは俺の家の俺の部屋だった。
見慣れた天井が見えるし、隣の部屋から母ちゃんと親父の話声がする。それにもう一つ聞きなれない声も……。
まだ少し意識が薄い、まともに思考が働いていない。身体を動かそうにも全身痛いし、動かそうとしなくても体中に痛い。何がどうなってんだ。
「っつぅーっ!」
少し強引に体を起こそうとすると、激しい痛みが体を襲った。これはしばらく起きれそうにない。こんな体じゃ明日からバイトに行けない。それだけは本当にまずい。
家が崩壊してしまう。
「……ていうか、なんで俺はこんなに怪我してんだ? なにかあったっけか……?」
今思うと、こうなるまでの記憶がない。なんで俺は家で寝てたんだ? それになぜ全身が痛い。俺は何がどうしてこうなった。
混濁している記憶を少しずつ呼び覚ましていく。それはジグソーパズルのピースを一つずつ嵌めていくように。
「……確か俺は―――」
確か俺は朝の内は家でだらだらしていた。そして誰からか電話がかかってきて。……相手は誰だっけ? ……そうだ、先輩からだ。それから先輩となんかデートすることになって、映画を見て、ショッピングをして、これまでに経験をしたことがないくらい楽しくて、心が躍って、それで。
それで俺は―――
すべてを思い出した。
先輩との楽しいデートの後、先輩を送っていく帰り道、俺と先輩は前に俺のバイト代を奪おうとした不良連中に絡まれて、俺は奴らにサンドバックにされたんだ。
さっきまで薄らいでいた記憶がウソのように思い出せる。パズルのピースがどんどんと嵌っていく。これですべてが繋がった。
「っ!! くそっ! アイツらっ! そうだ、先輩はっ、先輩は無事なのかっ!」
痛い体に鞭を打ち、体中の痛みを無視しながら、俺は立ち上がる。しかし、体は思うように動かない。正直立っているのがやっとだ。勢いに任せて立ち上がってはみたものの、こんな調子じゃ奴らと張り合えない。
いや、そんなことより今は先輩の安否確認が先だ。
「ちょっと!? 翔っ。あんた何やってるのっ」
全身の痛みを堪えながら、電話のある場所へと向おうとする俺を、いつの間にこっちの部屋に来ていたのか、母ちゃんが抱き付いて止めた。
俺は母ちゃんに抱き着かれて痛みがさらに増す中、重い足取りで電話の元へと足を向ける。
「こ、九重君っ!? 何やってるのっ、怪我してるんだから無茶しちゃだめだよっ」
母ちゃんの次は知らないやつが入ってきた。さっきの母ちゃんと親父以外の知らない声の犯人はコイツか。
って、今はそんなのどうでもいい。今はなにより先輩だ。
「このバカやろうっ! けが人は黙って寝ていろ」
「ぐはっ!」
今度は親父が入ってきたかと思えば、入ってくるなり親父は俺を殴り飛ばした。今まで以上の痛みが全身を襲い、声にならない声をあげる。叫んでいるはずなのに、声が出ていない。
どんだけ力入れて殴ったんだこの親父。
「ってーっ! なにすんだ親父っ!」
「それはこっちのセリフだっ! 佐渡君から聞いたぞっ。お前が変な連中に襲われていたと。お前は何をやってるんだっ」
「……佐渡? 知らねえよそんな奴!」
「ここにいるだろっ。友達のことも覚えられんのかっ。佐渡君は怪我したお前を助けてくれるだけでなく、ここまでお前を運んできてくれたんだぞ。そんないい友達に知らねえとはなんだっ」
親父の言葉に?を浮かべかけた俺は少し冷静になって、なぜか家にいる知らないやつのことをじっくりとみる。
「あっ! てめえ、この前のっ」
「……ははは」
目の前でへらへら笑うコイツは確か屋上に行こうとした俺を止めたやつだ。俺が喧嘩をしたのには理由があるとか、思ってもいないことを俺に言ってきたやつだ。
あの時の俺は先輩のことで頭がいっぱいだったし、不良連中のことで苛立っていたから正直名前なんて覚えていなかった。
つか、親父今なんて言った?
コイツが俺を不良連中から助けて、俺をここまで運んだ?
瞬間、俺は佐渡とかいうやつに掴みかかった。
「おいっ! 先輩はどうしたっ! 俺の他にもう一人女の先輩が居ただろっ、そいつはどうしたっ」
俺はそいつのことを気絶させるんじゃないかというくらい強く、何度も揺さぶった。
「わわわっ。……君といた先輩なら大丈夫だよ。怪我もしてないし、至って元気だったよ」
「ほ、ほんとか……? 先輩は怪我一つなく、無事だったんだな?」
「う、うん。双葉先輩なら怪我もしてないし、なんともなかったよ……」
佐渡とかいうやつが先輩の無事を教えてくれた。
これで、、痛い体に鞭を打たなくて済む。いや、でも、やっぱり怖がらせちゃったし謝罪の電話くらいはした方がいいか?
そんなことを考えていると、佐渡が真剣な面持ちで俺に話しかけてきた。
「それより九重くん……。言いづらいんだけど、その……双葉先輩とは……別れたほうがいいと思う……」
「……はっ?」
真剣な面持ちで話してくるから何かと思えば、先輩と別れろ?
ふざけんな。せっかくあんな先輩と仲良くなれたのに、誰がミスミス手放すものか。
即、その答えにたどり着いた俺は、この憎たらしい奴を睨みつけて言う。
「ざけんな。助けてくれたことには礼を言う。先輩も無事に返してくれたみたいだし、このことには本当に感謝してるぜ。でもな、先輩とのことをお前にとやかく言われるいわれはねえ。うせろ」
「しょ、翔っ! あんたなんてことっ」
母ちゃんが俺を叱りつけようと近寄ってくる。それを俺は目で制した。
目の前の佐渡は自分で言っておいて、本当に辛そうな顔をしてやがった。そんな顔するなら、最初からそんなこと言うなっつの。
「……。そうだよね。……うん。僕が悪かったよ。怒らせてごめんね。九重君。もう遅いし、今日は帰るよ。また明日学校でね
そう言って、俺と親父と母ちゃんに見られながら、佐渡は家を帰っていった。
「なんなんだアイツ……」