4話
「すんませんっ。少し遅れました」
先輩の性で少し遅れ気味の現場到着をした俺は謝罪の言葉を口にしながら急いで着替えを始める。
「なーに、いいってことよ。お前は学生だし、たまにはこういう時もある。そんぐらいは俺だって理解してるよ」
親方がそんな優しい言葉を背中越しで語ってくれた。
どうやらバイト代減給とかはないようだ。助かった。
「そんなことより九重、今日のお前の仕事はいつも通り土運びと時間に余裕があれば新しい仕事も覚えてもらうぞ」
「おっすっ!」
「よしっ、気合は十分だ……な……」
親方の声が途中から急に小さくなる。
俺は何かあったのかと後ろを振り向いた。
「あはーっ。ここが翔君の働いてる現場なんだー。男っぽーい」
「あっ! てめっ、外でこっそり見るだけって言っただろっ」
「えーっ。だってやっぱり見てみたかったんだもーん」
「見てみたかったんだもーん。……じゃねえっ!」
「こ、九重、彼女はお前のあれか? 彼女か?」
親方が驚きを隠せない顔で俺を見ないでそう言った。
ちなみに視線はさっきから先輩に釘づけだ。
まあ、それはしょうがないことかもしれない。このバイト先は仕事柄から女っ気が全くない。
俺みたいな学生なら学校で腐るほど女がいるが、ここで働いている従業員はみんな男なのだ。
そんな中にいきなり見た目だけなら美人な女が入ってきたら目も釘付けになるだろう。
「違います、ただの迷惑な先輩です。それに親方、そいつ見た目は美人かもしれませんが、中身はあれですよ。子供です」
「ただの迷惑な先輩ってことはないでしょー。私たちの仲じゃない。でも、美人だとは思っててくれたんだー。うれしいなー」
しまったとばかりに口を抑える俺をニヤニヤ見てくる先輩。
ちくしょう、本当にアイツと絡むと調子が狂う。
「そ、そうなのか。九重、お前も隅におけないなー」
「だから親方違いますって。あー、もうっ。さっさと外出やがれっ」
「きゃー。翔君の乱暴者ー」
なぜか嬉しそうに首根っこを引っ張られる先輩。
俺は作業に入る前に、これ以上バイトの邪魔をされない様に先輩を邪魔にならない場所へと誘導する。
「いいか。ここで見てろよ。帰る時以外は動くな。帰る時も折れに声を掛けなくていい。トイレはそこだ。俺に言ってくれれば使わせてやる。他になんかあるか」
バイト中に声を掛けられても困るので言われそうなことは予め指示をしておく。
「なにもないよ。それより頑張ってね」
「あいよ。じゃあな」
返しも適当に現場に入る。
「おい九重-。彼女に見惚れてないで仕事しろー」
「み、見とれてないですっ!」
「はははっ。彼女にいいとこ見せたいもんなー」
さっきから現場でこんな感じのヤジが俺に飛びまくる。
普段あんまり話さない先輩も、基本無口な先輩も、みんながみんな俺を茶化す。
確かに俺もアイツが何かしでかさないか見張るために仕事の隙を見てはアイツの様子を見守っているが、見とれているってほどではない。
作業の手は止まっていない……はずだ。
「よーしっ! 今日の作業はここまでっ。お疲れさんっ」
親方の声で作業をしていたみんなの手が一斉に止まる。
俺も早く家に帰りたかったので、片づけも早々に現場の仮ハウスに戻る。
「九重-。なんだあの可愛い彼女さんは。俺らに見せつけてんのか? このこのっ」
ロッカーが隣の先輩が再び俺を茶化し始める。
「だから彼女じゃないんですよ。ただの学校の先輩ってだけで……」
「なーに恥ずかしがってんだよ。ここまで連れてきておいて。くーっ! 彼女持ちはいいねえ。俺も早く可愛い彼女が欲しいもんだー」
「だから違うんですって……はあ、お先失礼します」
「おう、彼女家まで送ってやれよー」
着替えが終わった俺は疲れた体に鞭を打ち、仮ハウスを出る。
「……なんでこんな時間まで見てるんだよ」
「んー。なんでだろう。なんか一生懸命働いてる翔君見てたらあっという間に終わっちゃってた。あははー」
この先輩はなんと驚くことに俺が今バイトが終わるまで本当に何をするでもなく、ここで待機していた。
「……まあいいや、家まで送りますよ先輩」
「あれ? 今までタメ口だったのに急に敬語? どうしたの?」
「まあ、先輩は信用してもいいかな……って思っただけです」
今自分で言った通り、この先輩はなんか俺のクラスの奴らとは少し違う気がする。
ちゃんと俺を見ている気がする。確かに担任の先生も俺のことを親身になって考えてくれていた。
でも、同級生や年の近い奴らからちゃんと理解されたことはないように思う。
それが、この先輩は違った。こんな俺をちゃんと見てくれている。そんな気がする。
「ふーん。まあ私の溢れる先輩オーラが翔君を更生させちゃったのかな」
「少なくともそれはない」
「あー。ひどーい」
「あははは……っ!?」
咄嗟に自分が笑っていることを理解し、口を押える。
「どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
「そう。ならいいんだけど……」
なんで俺は今、一瞬笑ったんだ。
今まで学校の連中と話してて笑ったことなんて一度もなかったのに、なんで俺は……
自分の小さな変化に若干戸惑いながら、先輩を家まで送った。
次の日、俺は朝の新聞配達を終え、今日も退屈な授業を受けたのち、お昼休みにはいつものように屋上へと向った。
屋上に着いて、いつも通り母ちゃん特製弁当を広げる。
「……今日は来ねえよな?」
つい屋上の扉が気になり、後ろを振り返る。
「……いねえな」
なんだか少しさびしい気持ちになった。
昨日自分で帰れと言ったり、今日だけだと言ったりしたくせに、いざ、一人になると寂しいなんて、虫が良すぎる。
我ながら、一日でなんて弱い人間になってしまったんだと思う。
「……もう来ねえよなー。先輩……」
弁当を食べ終わり、横になって空を見上げながらそんな独り言を呟いた。
「誰が来ないのかなー。だってー?」
「わっ!?」
「えへへー。来ちゃった」
いきなり空が見えなくなったと思ったら、俺の目の前には先輩の、二葉葵の顔があった。
「なんでここにいんだよっ! もう来るなって言ったろ」
「うん、だから食べ終わってから来たんだよ」
「はっ?」
「だって昨日。お昼一緒しちゃダメだって言うからお昼は他のところで食べてきて、食べ終わってから来たの」
「……」
この先輩。策士だ。
「それに君も寂しかったんじゃないのー?」
「そ、そんなことはねえっ」
「だって今ー。来ないかなー先輩。って言ってたじゃーん」
「言ってないっ」
「言ってた」
「言ってないっ」
「言ってましたー」
「「……」」
お互い一瞬黙り込んで。
「あははははははっ!!」
二人で盛大に笑った。
「ねえ翔くん。明日からお昼も一緒していい?」
「……まあ、しょうがねえし、いいよ。明日から一緒に食ってやる」
「ホントっ!? やったーっ!」
何がそんなに嬉しいのか大喜びで跳ねる双葉先輩。
でも、そんな先輩の笑顔に、癒される俺がいた。
それからというもの、俺は気が付くと双葉先輩のことばかりを考えるようになった。
授業中も寝るだけだった俺が、起きて先輩のことを考えるようになった。気が付くと外を見て、先輩が今、体育で外にいないかなー。とか、先輩は今何の授業受けてるんだろうとか。
自分でも気が付かないうちに頭の中が先輩でいっぱいになっていく。
これはひょっとして……
「……恋なのか」
ようやく、自分の心の中を渦巻く、気持ちの正体がわかった気がする。
まだ会ったばかりで、よく知らないし、そんなに話したわけでもない。それなのに俺は……
先輩のことが好きになってしまったようだ。
今まで、こんな気持ちになったことはなかった。こんなに人のことを考えたことはなかった。
自分の心の中が誰かでいっぱいになることなんてなかった。
人はこれをきっと恋と呼ぶのだろう。
「そうか……俺、先輩に惚れちゃったのか……」
結局、授業に集中できない毎日は変わらなかった。
「どうした九重、今日は随分やる気じゃないか」
「え? そうっすか?」
「ああ、なんかやる気一杯って感じだぜ、何かいいことでもあったのか?」
「いや、別になにも……」
「そうか、ならいいんだけどよ」
「九重君最近いいことでもあったのかい?」
「え? どうしたんですか急に」
「いやね。最近、新聞を配る速度が上がってるというか、やる気に満ちているというか……」
「そうですか? 特に何かあったわけじゃないんですけどね」
最近、工事現場のバイトに行っても、新聞配りのバイトに行っても、毎日誰かに同じようなことを言われる。
俺としては特に今までと変わりなく、普通にバイトに取り組んでいるだけなのだが、なぜだか俺の評価は上がっているのだ。
ここのところの俺の変化なんて先輩への気持ちに気が付いたくらいと、毎日先輩とお昼を一緒するようになったぐらいだ。
今の俺の生活は嫌な所なんてどこにもない。朝と夜はバイト、昼は学校自体はつまらないものの、お昼の先輩との会話は楽しみだ。
今、俺は充実している。