異世界割烹「九」
和食とは世界だ。
食材の旨味を最大限に引き出す熟練の技。
皿の上で表現した四季の移ろいを、五感の全てを以て味わう無形文化遺産。
私九十理という人間は、明治初期から続く老舗料亭九の一人娘に産まれ、幼い頃から六代目の母にその技術の粋を叩き込まれて育った。
「料理は心よ」
なんてどこにでもあるようなセリフが母の口癖だった。
毎日毎日修行修行で、母のことはお母さんでなく師匠と呼ばされてたし、女らしい格好をした覚えもない。
同年代の子どもみたいに友だちの家に遊びに行ったり、誰かを好きになったり恋をしたりなんて青春を過ごしたこともないけれど、そのことを後悔したことは無い。
二十年の修行の末にようやく母に認められ、いざ七代目を襲名するとなった矢先、実家の料亭が炎に包まれるまでは。
放火だったらしい。
うちに因縁があったわけでなく、何でもよかったというただの愉快犯的犯行。
ニュースでも大きく取り上げられたその事件の犯人は、死刑なり無期拘禁刑なりになったそうだけど、そんなことはどうでもいい。
歴史と伝統を重んじ女将として店を切り盛りし、亡き父の分まで私を育ててくれた母は、心の支えを喪ったことで心を病み、一人首を吊ってしまった。
『弱い母を赦してください』
遺書は達筆すぎてほとんど読めなかったけど、母を弱いとは思わないし、育ててもらった恩を忘れたりはしない。
ましてや母から継いだ技が消えたわけでもない。
母との繋がりはちゃんとここに在る。
「師匠、どうか見守っていてください」
天涯孤独の身の上になってしまった私は、店と母を喪った保険金で焼け跡に自宅を兼ねた新しい店を建てた。
料亭とは言い難い、カウンター十席の小さな割烹。
波瀾万丈な人生とは少し違う気もする。
けどいつまでも下を向いてても仕方なし。
今を生きてれば何かしら良いこともあるでしょ。
「よし! 新生九、開店だ!」
って意気込んで暖簾を掲げたのは良いものの。
「だーれも来ないんだもんなぁ……」
放火された店ということで縁起悪がって客足は遠のくし、私が襲名する前のことだったから母の頃から贔屓にしていたお客さんも離れてしまった。
閑古鳥が巣を作っているようだ。
汚れのない仕事着とピカピカの包丁がやたら寂しく見える。
開店から一週間、お客さんは無し。
母よ、私の腕は錆びついてしまいそうです。
なんて気分を落ち込ませていた折、入り口の扉がガラリと音を立てた。
――――――――
「不味い」
何度同じセリフを吐いただろう。
何度床に料理を食べさせ、皿を割っただろう。
料理人たちが揃って恨めしそうに睨みつける目を、いったい私はあと何度鬱陶しく思えばいいのだろう。
私カタリナ=クラーレンスは王女として生を受けた。
この国グルメリアは、豊穣神の加護を受け、大陸の北に位置しながらも肥沃なる大地に恵まれている。
豊かな緑と澄んだ水にて育つ動植物は他とは一線を画す旨味を内包し、料理人たちの手によってより一層の美味へと昇華され、いつしか美食先進国とさえ呼ばれるようになった。
しかし、それ故の弊害が生まれた。
乞食ですら食べるものを選り好みするほど舌が肥えた時代、料理人は己の腕に絶対の自信を掲げ、料理人であることそのものをステータスであるかのような振る舞いをするようになった。
高額な値段設定。
客を客とも思わない高慢な振る舞い。
特に王宮勤めの料理人はそれが顕著な傾向にあった。
自分たちは王族のために料理を作ることが出来る選ばれし者、そうでない者は劣等種……そんな選民思想のような愚かな風潮が根付いてもう長い。
だからこそ私は彼らの料理を貶した。
「こんなものが貴様らの言う料理か?」
「変わり映えのない味付けに盛り付け。これが美食先進国と謳われるグルメリアの料理人の力量かと思うと嘆かわしい」
「いっそ料理人など辞めたらどうだ?」
実際のところ王宮料理人の技量は確かで、並の料理人とは明確に一線を画しているが、供される料理の質が落ちているのもまた事実。
権威に媚び、または驕り、停滞し、同じような料理しか作らなくなったことに失望している。
おかげで城では『わがまま姫』などと陰で呼ばれている。
そんな苛立ちも相まって、料理を無下に扱うことに罪悪感を覚えることはなかった。
料理には何の罪も無いというのに。
美食の国に在って満たされない飢餓。
空っぽなのは腹なのか、それとも。
その日は特に苛ついていた。
昼食もまともに摂らず部屋に戻り、水差しの水で空腹をごまかそうとした、その時だ。
「……?」
ふと、未知なる香気が鼻腔を擽った。
「なんだ……?」
柔らかくまろみを帯び、それでいて深みと香ばしさを内包した香り。
それが隣室へと繋がる部屋の扉から漂っている。
くぅぅ……と不意に腹が鳴る。
私はゴクリと喉を鳴らし、食欲に動かされるまま扉に手をかけた。
刹那、目に飛び込んできたのは見知らぬ光景。
私の部屋があったはずの空間は消え、別の何かがそこにはあった。
「どういうことだ……」
極端に飾りが少ない、木と石とで造られた簡素な空間。
しかし侘しいということはなく、厳かな静謐に似た空気を漂わせている。
この場所は何だ……どうして私の部屋が……
しかし、そんな疑問を掻き消すこの美味なる雰囲気は……
「うわぁ?!」
「?!」
女の声。
つられて私も肩を震わせた。
「びっくりしたぁ……お、お客さん……? なんで裏口から……外国の人……ていうかコスプレ……? いやいや、とにかく初めてのお客さん! いらっしゃいませ! 割烹九へようこそ! あー……Can you speak Japanese? 英語通じない……もしかしてフランスの人? Parlez-vous japonais ?」
「あ、ああ、いや……すまない。大丈夫だ。言葉はわかる」
「そうですか? よかったぁ。外国語あんまり得意じゃなくて」
「ここは……なんだ? 食事処と言っていたが、食堂の類か?」
「はい。和食の専門店ですけどね」
ワショク……聞いたことがない料理だ。
見たところ私より歳下のようだが。
「あなたがこの食堂のオーナーか」
「はい。店主の九十理です。立ち話もなんですし、よければお席へどうぞ。初めてのお客さんなので、めいっぱいおもてなしさせていただきますよ」
花のように可憐な笑顔だ。
黒い髪に茶色の目の、どうやら異国の民のようだが、こんなに愛想のいい料理人を見たのはいつぶりだろう。
ワショク……というのがどんなものかも、何故私の部屋と食堂とが繋がったのかはわからないが、とにかく空腹なのには違いない。
私は勧められるまま席についた。
「お冷とおしぼりです」
「うむ」
食前の気遣いが行き届いているというだけでありがたい気持ちにさせられる。
「トーリ……と言ったか。すまないがワショクとやらはどんな料理なのだろう」
「お客さん日本は初めてですか? めちゃめちゃ日本語上手ですけど。和食はどんな料理……簡単に言うと、食材の持ち味を活かした繊細な料理って感じです」
「ほう……?」
「アハハ、まあよくわからないですよね。けど安心してください。席についたこと後悔はさせませんから。あ、メニューは先付けから甘味まで七品のコースしか無いんですけどそれでいいですか?」
「うむ。構わぬ」
「ありがとうございます。私一人だとやれること限られちゃって。まあ他にお客さんもいないんですけど」
そうトーリは自虐的に笑った。
「開業したばかりなのか」
「ええ、まあ。いろいろありまして。お飲み物は如何なさいますか?」
「ふむ……では何か酒をもらおう」
「かしこまりました。お酒はビール、清酒の用意がございます」
「……すまない。ビールとは?」
「ええと、麦芽を主原料とした発泡酒です」
「ああ、エールのようなものか。清酒とやらは?」
「こちらは米が主原料で、ビールよりもアルコール度数が高いお酒ですが、飲み口があっさりとしておいしいですよ」
「なるほど。ではその清酒を」
トーリは木の箱に入ったグラスを置き、そこに一見して水のような酒を注いだ。
グラスから溢れた酒が木の箱の中を満たした辺りで注ぐのをやめた。
「今回は料理の味を邪魔しない、すっきりとした味わいのものをご用意いたしました。お口の方から迎えてあげてください」
「うむ」
変わった飲ませ方をするが、手に持っては溢してしまうだろう。
トーリが言うように口で酒を迎えに行く。
一口含んだ瞬間、なんとも見事に花が咲いた。
「これは……美味いな」
見た目とは裏腹に強い酒精が香りと共に鼻から抜けていく。
味わいは甘さと辛さが混在し、しかし一瞬で喉の奥へと落ちて消える。
水のようなのにこの飲みやすさは、下手をすれば悪酔いしそうだ。
米というのは東の国の一部で穫れる穀物だったはずだが、いったいどう加工すればこんな酒に化けるのか。
「いいお酒でしょう。私も好きなんです」
「ああ、美味い」
グラスが空になれば、木の箱に残ったそれをグラスに移す。
なるほどこれは長く酒を楽しませるためのものか。
「酒が美味いと料理にも期待が出来る」
「期待は裏切らせませんよ」
受け答えしながらも澱み無く手を動かしている。
目の前で調理している様を見られるのは面白い。
「それでは、お料理を始めさせていただきます」
いよいよかと、私の胸は密かに高鳴った。
「先出しの自家製胡麻豆腐と出汁醤油。山葵と海苔でございます」
供されたのは何やら黒い液に浸かった乳白色の塊。
その上に摺った緑のものと、細く切られた黒い紙が乗せられている。
こんな料理は見たことがないが、供された以上は料理であることに間違いは無いのだろう。
意を決して塊に匙を入れる。
「……! 柔らかい……」
プディングのようだがそれより弾力がある。
口に運べば香ばしい胡麻の香りと、これはクリームが混ぜてあるのか……濃厚な乳の味がしてトロリと儚く溶けていく。
単体でも大した美味だが、それらを鮮烈なまでに引き立てるのがこの黒い液だ。
複数の調味料が混ぜられているのであろう。
黒い液単体では塩気が強すぎるのを、別の何かを混ぜることで和らげつつ互いの旨味を引き上げている。
仄かに香るこれは、海の香りだ。
魚や海藻は干すことで食材が持つ旨味を増加させるのは知っているが、それでここまで……
「見事だな……」
「ありがとうございます」
ワサビというこの緑のものは、植物の根を摺り卸したものだろう。
ツンとした一瞬の辛味と香りがいいアクセントだ。
ノリというのは海藻を干したものか、これもいい。
独特の香りと旨味がある。
ここに清酒を合わせるだけで、それは極上の美味だ。
「しかし……トーリよ。七品と言ったな。一品目でこんなに素晴らしい料理を供して、後が尻すぼみでは台無しだぞ」
「まあそうなるかどうかは、私とお客さんの勝負ってことで。続いて二品目です」
今度は目の前に黒い蓋付きの器が置かれた。
開けると豊かな香りを含んだ湯気が立ち昇る。
「椀物、蓮根饅頭の吸い物。生麩と薄氷大根、桜海老の煎餅です」
これまた見たことがない盛り付けのスープだ。
具は少ないがけして質素ではなく、むしろ料理が器を、器が料理を立てているのがわかる。
「お客さんお箸は使えますか?」
「オハシ……?」
この棒状のものが食器なのか。
これで摘むのだろうが、如何せん扱いづらい。
「難しいようでしたらスプーンでどうぞ。作法をとやかく言うことはしませんから、どうかお食事をお楽しみください」
「うむ、感謝する」
とにもかくにも、まずはスープだ。
「?!」
なんだ……この底知れぬ深い旨味は。
先ほどのゴマドーフに使われた汁に似ているが、それ以上に味が強い。
もっと複雑な幾つもの食材、調味料を用いた澄んだスープ。
そこに浮かぶレンコンマンジュウなるものの大地を思わせるふくよかな味わい、ナマフのモチッとした食感に、向こうが透けるほど薄く切られた野菜の根。
ここまででもご馳走だが、別皿で出されたこのセンベイがまた秀逸だ。
そのまま齧ればパリッと香ばしく、スープに浮かべれば水気を吸ってふやけ、海老の旨味が溶けてスープ自体に奥行きを持たせる。
なんと完成された料理だ。
「はぁ……」
吐いた息すら勿体なく思える。
胃に落ちていく熱すら美味い。
このスープを作るのに、一体どれだけの研鑽を積んだのだろう。
まだ二品……ここから更に、私はトーリという料理人の技量を思い知ることになる。
「三品目。向附、旬の魚のお造り三種です」
薄く切られた魚の身。
見た目にも繊細なそれをショーユに漬けて。
サワラのしっとりした肉厚な身、カツオは炙られまるで肉料理のようにジューシーで、ヤリイカはコリコリと舌を愉しませる。
「これは酒が進む」
ワサビを乗せると清涼感が加わり魚をより美味く食べさせられる。
あしらわれた花の飾りも面白い。
「四品目。八寸。手前から順に、カレイの柚庵焼き、菜の花の辛子和え、鴨肉ロース、鯖のへしこと大根、春野菜のムース、牛もも肉のたたき、花見団子です。お好きな順番で召し上がって下さい」
「これはまた彩りが鮮やかだな。トーリ、酒をもう一杯もらおう」
「かしこまりました」
まだ公務が残っているというのに、これはいかん。
なんともまあ酒が進む。
どれもこれもが異なる美味。
単体でもご馳走であるそれらを少量ずつ供する……それはたくさんの美味を味わってほしいという心遣いと、絶対的な自信があって初めて成り立つと言える。
だがけして驕りは無く、ただ食事を楽んでもらいたいという純粋な心遣いを感じる。
『まあそうなるかどうかは、私とお客さんの勝負ってことで』
これが勝負なら私はとうに敗北している。
否、屈している。
いつ以来だろうか。
純粋に食事に没頭したのは。
「五品目の蒸し物、飛龍頭の銀餡仕立てです」
サクッ、フワッとした小気味良い食感。
茶色いものの中には野菜や木の実、豆といった食材が入っていて一口毎に違う味わいがある。
とろみがかった汁も、旨味と熱さを同時に堪能出来て心地良い。
ここまで全てが未知の美味。
この料理の前では、何故この店と私の部屋とが繋がったのか、そんな疑問すら些細なことだ。
日常の怒りも、王女というしがらみも、今この場では全てを忘れられる。
「では、六品目をお出しいたします。本日のお食事は、山菜の炊き込みご飯でございます」
「おお……」
野山を思わせる春の息吹であった。
土で作られた小さな鍋の蓋を開けると、馥郁たる香りが空間を満たした。
トーリが目の前で手ずから器に盛り付けてくれるが、どうにも堪えきれず生唾を飲み込んだ。
「口直しのお漬物と一緒にどうぞ」
「うむ。いただこう」
叶うならば肺の中全てをこの香りで満たしたいものだ。
だが、これは湯気が立つ熱いうちに食べるのが一番だろう。
「はむ……あふっ、はちはち……はふっ……」
熱い。
美味い。
熱い。
美味すぎる。
「〜!!」
米のモチモチという食感に、山菜の爽やかな香りと鶏肉の噛み応えが渾然一体となっている。
この味わいはダシとショーユか。
米が旨味を余さず吸っている、これで美味くなければ嘘だろう。
「食べきれない分はおにぎりに……って、大丈夫そうですね」
食べきれないなんてことあるわけがない。
腹がはち切れても私は手を動かすのをやめない。
「むっ?! 今一層香ばしい部分があったぞ!」
「おこげですね。土鍋でご飯を炊くと、底が程よく焦げておいしい部分が出来るんです」
「そんなことが! まるで魔法だ……オコゲ……焦げすらも美味に変えるとは……トーリは魔法使いか!」
「料理人ですよ。フフッ、変なお客さん。ほら、慌てて食べるからご飯粒がついてますよ」
「む……」
トーリが口元についた米の粒を取ってくれたが、何とも気恥ずかしい気持ちにさせられた。
タキコミゴハン……罪なる美味だ。
ここまで六品、腹は十分に膨れて満足度は高い。
しかしまだ締めが残っているというのだから、トーリの技量は計り知れない。
「最後、七品目。甘味には桜餅と、水菓子に苺です」
ほんのりとピンクに染まったそれは、春の風を纏っていた。
葉に付いた程良い塩気と、中の黒い豆を越した甘いもののバランスが絶妙だ。
「はぁ……」
最後の最後まで驚きと感動に満ちた美味は、甘酸っぱいイチゴを以て締め括りとなった。
「よろしければ食後のお茶をどうぞ」
トーリの気配りも留まることを知らない。
熱く苦味と渋味を感じさせる茶は、舌に残る甘さをキレイに洗い流した。
「本日のお料理は以上となります」
「うむ。大層美味であった。褒めて遣わそう」
「ありがとうございます。本式の懐石とはコースの組み立て方が違うので、多少オリジナルではあったんですが。喜んでもらえたなら嬉しいです」
「トーリよ、君に一つ訊きたいことがある」
トーリは何でしょう?と不思議そうに私を見た。
「これだけの料理だ。凡百の料理人とは一線を画した腕なのだろう。そうするとやはり、自分は最高の料理人だという自負があるか?」
「うーん……そう思いたい気持ちはありますし、そういう自信を持ってるのはたしかにそうなんですけど、最高かどうかを決めるのはお客さんですからね。口に合う合わないは人それぞれですし」
意外にもトーリはあっけらかんとそう言ってのけた。
「し、しかしその腕前で料理を貶されたことなど無いだろう?」
「いやある。めっちゃあります」
トーリは眉根を寄せて機嫌の悪そうな顔をした。
「私の母が料理の師匠だったんですけど、味見をすればやれ出汁の引き方が違うだの、野菜の切り方が甘いだの、さんざん文句を言われましたよ。その度料理は捨てられるし、何やかんや結局一度も美味しいとは言わなかったんじゃないかな」
「そ、そうなのか」
苛烈な母上だったようだが、私もやっていることは同じで押し黙った。
「まあたしかに、不味いものを作る方が悪いのはそうなんですけどね。ただ母は、間違ったことは一度も言わなかったんです」
「……と言うと?」
「料理を貶す人には、料理人を導く覚悟が無いとダメなんですよ」
「覚悟……?」
「ただ怒るだけだと、改善点が相手に伝わらないでしょ? 料理のどこがダメだったか、何が足りなかったのか、そういうのをちゃんと言語化しないと、結局同じことを繰り返すだけになっちゃうんです。母が言うには、料理人と客は相互的で対等な関係であるべきだとか何とか。要するに、料理は心……ってやつですね」
トーリの言葉に、目から鱗が落ちた。
言語化……欠点の改善……
私はこれまで料理人にどんな言葉を向けた?
料理人の態度に苛立ちを覚えるばかりで、料理そのものに向き合っていなかった。
諦めていたのだ。
根付いた風潮は、私一人が声を上げても何も変わらないと。
「料理は心……」
感服した。
料理人と客。
どちらが上でも下でもダメなのだ。
感謝を、敬意を、情熱を……共に抱いてこそ成り立つ関係がある。
そんな当たり前を忘れて……いや、気付いてすらなかった。
「なるほど……ダメな王女だな、私は……」
私もまた王女としての立場に驕っていたのだと知った時、愚かさが身に沁みてふと頰を涙が伝った。
「お、お客さん?!」
「いや……なんでもない……」
慌てるトーリを制しおしぼりで涙を拭う。
今、霧は晴れた。
私は私に出来ることをやろう。
「世話になったな、トーリ」
私はカウンターに懐から取り出した、美食金貨が詰まった革袋を置いた。
一枚で王都に庭付きの邸が買える代物だが、生憎と手持ちはこれだけだ。
「遠慮せず受け取ってくれ。……また来てもいいだろうか?」
「はい、もちろん。またのお越しを心よりお待ちしております。次はちゃんと表の入り口から入ってきてください、ね……」
私はトーリの手を取り、彼女の手に唇を当てた。
「ほぇっ?!」
「私の最高の料理人に感謝を」
ここが世界のどこかでも、はたまた別の世界に転移したのだとしても構わない。
この瞬間がどうか夢でないように。
再びこの店に訪れることが出来るように。
トーリに会えるように。
そう願い込めて、私は自分の居場所へと戻った。
――――――――
「なんだったんだろう、あの人。結局裏口から帰っていっちゃったし」
不思議な人。
もしかしたら、異世界から迷い込んだ王女様だったり?
……ないない。そんなファンタジーなことあるわけない。
でも、
「この金貨は……本物なんだよね……」
これどうしようかな。
売ったら相当なお金になりそうで怖い。
とりあえずお守り代わりに神棚に飾っておこう。
最初のお客さんの験担ぎってことで。
何はともあれ最初のお客さんが来てくれたんだから希望が持てる。
「ふー……よしっ! 頑張るぞー!」
意気込んだ直後、ガラリと店の扉が開いた。
お客さんだ。さっそくあの人が運気を運んでくれたのかな……なんて、少し顔が綻んだ。
「いらっしゃいませ! 割烹九へようこそ!」
――――――――
その後のことを少し語ろう。
初めに私がしたことは、料理人への謝罪だ。
料理人への侮辱、料理を無下にしたことに対し、真摯に頭を下げた。
無論料理人たちの戸惑いはあり、わがまま姫の気まぐれだろうと冷笑する者もいた。
当然だ。
しかし私は向き合うことをやめない。
料理を通じて料理人を知ることを諦めない。
食事とは対話なのだと、トーリが教えてくれたから。
「いただきます」
料理と料理人、そして糧となる食材と、それらを作る生産者への感謝を込めた在り方は国中で話題となった。
どちらかが傲慢ではいけない。
互いに敬意を払ってこそ、真に美食の国となる。
意識の改革にはまだまだ時間がかかるだろうが、それに気付いた者が増えればきっと。
「ごちそうさまでした」
これより数年の後、私はグルメリア史上初の女王に即位。
食の意識を変えた改革者として国の歴史に名を残すこととなるが、その陰の立役者の存在を知る者はいない。
異なる世界であるようなあの時間は、空間は、生涯私だけの特別な秘密だ。
そして、日々の政務に疲れた時にふらりと足を運ぶ。
いつかこの不思議な繋がりが切れてしまうのではないかと恐れ、今日はどんな美味を味わせてくれるだろうかと期待を抱き。
「いらっしゃいませ」
「うむ。世話になる」
九の主は、あの世界で微笑むのだ。
読んでいただきありがとうございますm(_ _)m
当方、和食好き。
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