ざまぁするより、金がいい。賠償金をぶん取るつもりが、激重感情のおまけ付きでした。
よろしくお願いいたします。
「キス三回目か……。これでいくらになるかな?」
「残念ながら、回数ではありませんね」
婚約者の浮気現場を茂みの陰から眺めつつ、眉間にシワが寄る。
「え゛? 見るだけ損ってこと?」
「ミュリア様、逢瀬の時間と場所、そして内容の記録が重要なのです。……キスの回数もまぁ、書いときますか」
「そうしてちょうだい。まったく、真っ昼間からチュッチュチュッチュと……。よくやるわ……」
「覗いているオレたちも大概ですけどね」
たしかに。
でもこれは、シャルロ殿下から賠償金をぶん取るために必要なこと。
「ルカ様、あなたにだって、けっこうな額を払うんだから、賠償金しっかりぶん取ってよね」
「わかっていますよ。殿下とマリネ・ファーニー子爵令嬢だけじゃなく、他の方もいろいろとやらかしてくれそうですから、そっちも期待しておいてください」
にっこりと人好きのする笑みを浮かべるルカ様に、私も笑みを返す。
「あなたほど、敵に回したくない相手もいないわね」
シャルロ殿下の側近候補であるルカ・レザンと協力関係になれて本当に良かった。
あの日、あの場面を見なければ、私は今でも王妃になるつもりだったでしょうから。
そう、あれはちょうど一週間前のこと──。
***
私とシャルロ殿下は、The政略結婚という間柄だったと思う。
私は幼い頃から、この国の王妃となる身として、遊ぶ暇もなく王妃教育を受け、学園にいる時でさえ公務の書類に追われる日々を過ごしていた。
「いい天気ね……」
窓から見える木々が青々としている。
しばらく外の景色すら見ていなかったかも……。
そう思い、近くの窓を開けた。
「室内ばかりも良くないわよね。気が滅入るし……って、げっ! 浮気!!」
あいつ、人に書類を押し付けておいて……。
「…………って、長くない?」
かれこれ十秒はキスしている。
というか、誰に見られてもおかしくないガゼボでキスするとかバカなの?
「シャルロ殿下、婚約の意味も分かってなかったのか……」
頭が痛い。
シャルロ殿下が王位継承権が第一位なのは、ナーロ公爵家が後ろ盾になっているから。
それは公然の事実。
「公務のフォローに、女癖も悪いとか、どうすんのよ」
あれと婚姻とか、普通に嫌だわ。
どうしたもんかなぁ……。
とりあえず、浮気の証拠でも残しておくか。
と、記録をつけたのだけど、次の日も、その次の日もマリネ・ファーニーとイッチャイッチャ、イッチャイッチャ……。
「これは、ざまぁ案件……か?」
そうしたら私もスッキリするかも。でもなぁ──。
「ざまぁ後の後始末するのって誰? というか、私の名誉は守られたとして、それ以外の旨味がない!」
何より、私の王妃になるという役目が果たせない。
あ、でも、シャルロ殿下とおさらばできる最大のメリットがあるか。それだと、向こうも大喜びだろうけど。
え、どうしよう。
…………表向きは穏便に済ませて、出すもの出させればいける? これ以上の公務量は、無理だし。
で、そのお金を持ってトンズラしようかな。
そうしたら、ゆっくり寝るんだ。片手で食べながら書類と向き合うのも、もうしたくない……。
「──というわけで、いくら積んだらルカ様は味方になってくれるの?」
「ミュリア様、きちんと順を追って話してくれませんかね」
ここ数日のシャルロ殿下の浮気三昧を話せば、ルカ様は不思議そうに首を傾げる。
「何故、私にその話を?」
「ちょうど書類を持ってきてくれたのと、ルカ様だけがシャルロ殿下とマリネ・ファーニーに好意的じゃないからかしらね」
そう、見ていて気付いたのだ。
ルカ様は、他の人が見ていない時、ものすごく冷たい目で二人を見ているって。
あと、私に友好的なのもいい。
「なるほど? でも、あの二人のことは今更ですよね?」
「今更!?」
「気付いて放っているのかと思っていました」
…………え?
「ちょっと、詳しく教えて!! まさか、私が尻ぬぐいしてる間に浮気しまくってたってこと!?」
「まぁ、そうですね。殿下に仕事増やされるから、あえて放っておいて仕事をさせないようにしてるのかと思ってましたよ」
「んなわけあるか!!」
腹の底から声が出た。
「どんどん仕事が増えるから、片付けるしかなかっただけ! それなのに! 殿下だけじゃなくて、他の奴らも仕事押し付けてくるし!! ルカ様も、バレてますからね!? 探して文句言う時間も惜しいからやってたけどっ!!!!」
「あ、バレてました? いやー、いつもありがとうございます」
「ありがとうございますじゃない!!」
くそぅ。どいつもこいつも!
「ルカ様からも賠償金取ってやる!」
「できるなら、どうぞ」
腹立つーーー!!
「で、いつからか聞きますか?」
「聞きます!」
「そうですか。一年生の時の四月半ばくらいからですよ」
「…………はぁ!?」
え、ちょっと待って。
今が三年生の六月……ってことは、二年以上!?
「ふっっざけんなよ、あのクソ殿下!!」
「オレとしては、こんなに長期間気付かないほど殿下に興味がないミュリア様に驚きですけどね。誰も表立って口にはしていませんが、マリネ・ファーニーが殿下の愛人になるのではと、もっぱらの噂ですよ。もう少し周囲に興味を持たれては?」
「そんな暇なかったんだから、仕方ないでしょ!!」
う……、誰か嘘だと言って……。
私だけ気付いてなかったなんて……って、ん? そうよ、そうよね!!
「…………ふふ、ははははははは。閃いたわ! つまり目撃者はたくさんいると。なら、今すぐ王城に行って婚約破棄してくるわ。シャルロ殿下に全責任があるとして!」
「無理ですね」
「勢いが大事なんだから、出鼻くじかないでよ!」
まったく、ルカ様はいつもいつも……。
「あなたはどっちの味方なのよ」
「ミュリア様ですよ。ですが、現状だと殿下に注意が入って終わりです。やるなら徹底的にやるべきだと思いませんか?」
あ、悪い顔……。
「協力してくれるのね」
「はい。ただし、賠償金の半分はもらいます」
「はぁ!? どんなに多くても三割でしょ!?」
「いいえ。オレだって危険な橋を渡るんですから、半分もらわないと割に合わないんですよ」
と言われても、半分は多すぎる。
「……四割よ。これ以上は無理」
「分かりました。四割ですね」
や、やられた!
最初から四割狙いだったってこと!?
悔しい……。
「よ、四割分、ちゃんと働きなさいよ」
「もちろんです。では、ミュリア様に仕事を押し付けたバカ共に、マリネ嬢こそが王妃に相応しいと言わせましょうか。あとは……マリネ嬢に入れ知恵も必要ですね」
にこりとルカが笑う。
「……何を言うつもり?」
「ミュリア様を悪者にしてしまえば、あなたが王妃になれますよ……と」
「どういうこと?」
「どうもこうもありません。ミュリア様は意味もなく他人を悪く言わないし、害しません。だから、やってもいないことを、やったことにするだけですよ」
……あれ? 賠償金をもらって婚約破棄するだけのつもりが、ざまぁへ向かってない?
「ミュリア様はお一人にならないようにだけしてくださいね」
いや、そんないい笑顔で言われてもねぇ。
「それだと大ごとになるわ。誰が後始末をするのよ」
「バカ共にさせておけばいいじゃないですか」
「家に迷惑がかかるわ」
「あの人たち、昔からミュリア様を通して、王妃の父と母になることばかりを見てますよね? 貴女がどれだけ苦労しようとも、それは見ないのに」
「──っ! だから、私は……」
『ミュリア、お前の意味は王妃になることだけだ』
お父様の言葉が、声が、聞こえる。
分かってる。私の価値は、それしかないってことくらい。
でも、もう怒るのも、期待するのも、疲れちゃったのよ。
だって、どんなにシャルロ殿下の尻拭いをして、尽くして、愛されないどころか嫌われる。
……そもそも、私も愛してないのだから、愛されないと求めるだけは不平等か。
「そんな人たち、捨てちゃえばいいですよ」
「え?」
「捨てて、他国に逃げてしまえばいい。ミュリア様が笑って暮らせるのなら、国籍の一つや二つ、用意しますよ」
何よそれ……。
でも、そう……ね。他国で一からやり直すのもいいかもしれない。
ここでは、私の欲しいものは何一つ手に入らないのだから。
「一つや二つって簡単に言うけど、一つで十分よ」
「オレの分も入れての二つです」
「…………えっと、ルカ様も国外逃亡するの?」
「ミュリア様が行くならば」
「心配しなくても、四割はきちんと払うわよ」
なんて言いつつ、心臓がバクバクする。
あ、愛の告白かと思った……。
「私のこと好きなの?」とか、うっかり聞かなくて良かった。もし好きなら、四割も取るわけないし。
「では、ぶん取れるだけぶん取って、他国でのんびり暮らしましょうね」
「えぇ、そうね。目指せ、賠償金生活よね!!」
気合いを入れ直せば、ふわりと微笑まれた。
***
──で、冒頭に戻るわけだけど、ハッキリ言って婚約者の浮気現場に毎回張り付いてるのって、虚しい。
「ねぇ、そろそろ証拠はもういいんじゃない?」
「そうですね。証拠はいいかと。バカ共は動き出してますし、マリネ嬢もその気になっています。そろそろ次の段階になるでしょう」
茂みから出て、葉っぱを払いながらルカ様は淡々と話す。
「あなたは、どうしてマリネ・ファーニーに執心しなかったの?」
柔らかな笑みを振りまき、誰にでも距離感の近い彼女はきっと、シャルロ殿下にとって新鮮で、輝かしいものだったんだろう。
本当に前世で読んだ小説のヒロインたちみたい。
自身のことを正しいと信じ、周囲への影響も、目の前の人以外の気持ちを考えもしない。
そんなんだから、悪役令嬢にざまぁされる展開が流行ったのかもしれない。まぁ、現実となった今は、ざまぁしてもその後があるのだから捨て身じゃなければ爽快ざまぁは難しいけれど。
「オレには、既に執心している人がいましたからね」
「そ、そうなのね」
め、めめめめ目力強いっ!
私? 私なの!?
「……好きな人に仕事押し付ける人っているもの?」
「バカ共の不正関連だけですよ?」
「「………………」」
し、知らない!
普通に訂正してた。
ルカ様、異様に手間のかかる書類だけ回してくるなって……。
ヤバい。冷や汗が止まらない……。
「そ、そうよね。気付いていたわ。気付いて…………言ってくれなきゃ、気付かないわよ!!」
「……え? てっきり、殿下を庇ってるのかと。オレとしては、さっさと殿下に愛想を尽かしてくれたらと思っていたのですが」
嘘でしょ!?
知らない間も、殿下の尻拭いしてたの!?
「もう泣きたい……」
「オレもですよ」
「ルカ様は駄目。きちんと言わなかったのが悪い」
子どもみたいに口を尖らせて文句を言う。
あれ? こんなわがまま言うの、どのくらいぶりだっけ?
「ふふっ、可愛い……」
優しく髪に触れ、すぐに指先が離れていく。
「──っっ!!??」
「ついてましたよ」
「……あ、葉っぱね!? そうよね、葉っぱよね!!」
「口実なく、触れてもいいんですか?」
カッと顔が熱くなる。
「それは……」
「冗談ですよ。殿下のまだ婚約者ですからね。貴女の不利になるようなことはしません」
笑っているのに、すごく寂しそうで、その姿が子どもの頃の私と重なった。
「ルカ様……」
手を伸ばしたい。
けれど、私の立場は中途半端で、何も解決していない。
何より、この感情は恋ではない。
昔の自分と、ルカ様への憐憫だろう。
「手をあまり強く握っては駄目ですよ。……オレに貴女へと触れる機会を作ってくれようと?」
「違っ……」
何でよ。何でそんなに優しい目をするの?
縋りたくなるじゃない。
助けてって。今の状況から連れ出してって。
今でもこんなにも頼ってるのに……。
「は、話をもとに戻すわ! マリネ・ファーニーは王妃になろうと動くので間違いないのよね? となると、彼女は何をするのかしら。自身の有用性のアピールとか? でも、それだと私が悪者になれないわね」
「えぇ。ですので、ないことをあたかも真実のように言い出すかと。近くで見てきましたが、驚くほどに短絡的な方ですから」
淡々と、どこまでも事務的にルカ様は話す。
「なので、絶対に一人にならないでくださいよ」
「そんなにしつこく言わなくても、分かっているわよ」
「心配してるんですよ」
少し離れて歩き、人気のあるところまで行くと、ルカ様と挨拶もせずに別れる。
「…………ホッとしちゃった」
ルカ様は分かっていて、事務的にしてくれてたんだと思う。私、最悪だ。
それでも、もう後戻りはできない。
「ごめんなさい……」
何に謝ったのか分からないまま、言葉になった。
***
一人にならないようにしてから、季節は夏から秋へと移り変わった。
ルカ様は引き続き浮気の証拠を記録してくれているけれど、私は何もしないようにと言われている。
やっていることと言えば、いつもと変わらず公務としての視察や書類業務くらいだろうか。
「信じていいのよね……」
当たり前のように積み上がっていく書類に溜め息がこぼれる。
「あ、これシャルロ殿下の分……、それに他の人たちの分まで……」
ルカ様の分の書類はない。
「もう不正はないってことなのかな。それとも……」
見限られた?
浮かんだ考えを追い払う。
私が巻き込んだのだ。どうなろうと、責任は私にある。
ルカ様を疑うのは筋違いだ。
「ん? 何これ……」
書類に挟まれた手紙。
便せんに、名前はない。
『明日、動く。貴女の意思が知りたい』
たったそれだけの言葉。
けれど、何のことかなんて、分かりすぎている。
私は、どうしたい?
王妃という立場は、私の居場所だった。
そこだけが、私の価値だった。
王妃になれば、愛してもらえる。
そう思いたかった。
でも──。
「賠償金をもらって、静かに退場したい」
この茶番のような舞台から。
もう誰かのために搾取されるのも、縋るのもしたくない。
手紙を持って立ち上がると、ルカ様の元へと走る。
品行方正でいた。
貴族令嬢という、殿下の婚約者という立場からはみ出すのが怖かった。
「あはっ、あははははは」
何を怖がっていたんだろう。
変な目で見られても、驚かれても、何も大したことじゃなかった。私にとって、人生をかけるようなことじゃなかった。
「やっぱりいた」
『浮気現場のガゼボ』のそばの茂み。
待ち合わせなんてしていない。
けれど、私たちが会うのは、ここばかりだった。
「いつからいたの?」
「手紙を書類の間に挟んだ時からですね」
「……そう。私が気付かないって思わなかったのね」
「ミュリア様は、まず書類を分類しますから」
本当によく見ているな。
きっと、シャルロ殿下はそのことを知らないだろう。
婚約していた十年は、本当に何だったのかしらね。
「答えは決まったんですか?」
「えぇ。賠償金を受け取って、この舞台から……この国から出て行くわ。けど、仕返しはしない。事実をただ話すわ」
ルカ様以外の実務は、ほぼすべてにおいて私がやっている。
確実に彼らはこの先、困ることになるだろう。
それが小さな意趣返しだ。
「分かりました。では、話し合いに参りましょうか」
「えっ?」
「貴女が復讐や報復を望まないことなんて、分かってたんです。ただ、それをオレが許せなかった……。殿下やマリネ嬢を嵌めようとしたのは、オレのためだったんです」
「そう……」
私より、ルカ様が怒ってくれるからだろうか。
手放すものが、思ったよりも重くない。
「誰かが自分のために怒ってくれるのって、嬉しいものなのね」
ルカ様の顔がくしゃりと歪む。
「あなたは、どうして許せるんですか……」
「許してないわ。期待するのをやめたの。でもね、今は未来に少し期待してるわ。ルカ様がどれだけ賠償金を取ってくれるかもね。四割分、頼むわよ」
「……任せてください。必ず、ぶん取って見せますよ」
***
「それにしたって、準備が良すぎるんじゃない?」
王城へ向かう馬車の中、ルカ様はもう当事者たちを含める保護者たちも呼んでいるのだという。
「よく陛下がお時間を取ってくれたわね。定例議会でもないのに、宰相様と騎士団長様まで揃うなんて、国の一大事みたいだわ」
「まぁ、国の一大事ですからね」
……たしかに、そうか。
王位継承第一位の王子が、後ろ盾となってる公爵家の令嬢との婚約を破棄して、子爵令嬢と婚約しようとしているなんて、客観的に見ると事件ね。
「当事者になると、客観性を見失うわ……」
「というよりも、ミュリア様は自分への興味が薄いんですよ」
「そんなことないわ」
「そんなことあるから言ってるんです。何年、貴女を見ていたと思ってるんですか」
うっ……。何だろう、すごいグイグイ来られてる気がする……。
「そう言えるほど、ルカ様と一緒にはいなかったわよ」
わりと話す方ではあったけど、深い話なんてしたことないし。
「貴女にとっては、そうでしょうね。何より、やっとあのバカとの婚約を破棄してくれるんですから、攻めるに決まってるじゃないですか」
「──っ!!」
どんな顔をすればいいの!?
顔が熱い……。
逃げるように、窓の外に視線を移せば王城は目の前だ。
何度も来た。
王妃教育だったり、公務だったり、シャルロ殿下から一度も来てもらえなかったお茶会にだってバカみたいに何も……。
で、でも、少しは良かった思い出だって──。
「エスコート? 何でそんなの俺がしないといけないんだ。甘えるな」
「茶会? お前なんかの顔を見て茶を飲むなんて、時間の無駄だ」
「少しは公務ができるらしいな。これもやっとけ」
……ん? んんん!?
王妃教育が辛かったのは、まぁいいとして、シャルロ殿下との思い出が……あまりにも、あれなんだけど。
いやいや、もっと前とか……出会った頃なら……。
「殿下、娘のミュリアでございます。どうぞ殿下の好きに使ってやってください」
「ふーん。お前、奴隷みたいだな」
…………あ、出会った瞬間から終わってたのか。
え? 何で私、愛されたかったんだっけ?
シャルロ殿下に愛される要素なんて、挽回できる機会なんて一度もなかったのに……。
「ミュリア、お前の意味は王妃になることだ。それ以上でも、それ以外でもない」
「はい、お父様……」
フッと、頭に浮かぶ。それは幼い頃から、事あるごとに聞かされてきたこと。
あぁ、そうか。私が欲しかったのは、シャルロ殿下からの愛ではなかったんだ……。
「大丈夫ですよ」
ルカ様の声がした。
逃げたはずなのに、あまりにも優しい声に彼を見る。
「大丈夫です」
真っ直ぐに私を見て、微笑まれる。
「そうね。これで終わりよね」
先のことなんて、決めてない。
お金さえあれば生きていけるだろうという、何ともお粗末な計画だ。
それでも、意識的に口角を上げる。
上手くいこうが、失敗しようが、これで私はお父様の子ではなくなるだろう。
重い扉を開けば、国王陛下、王妃様やお父様、宰相様、騎士団長様、シャルロ殿下にマリネ・ファーニー、側近候補たちが揃っていた。
「父上、母上。直ちにミュリアと婚約破棄を。マリネに嫉妬し、嫌がらせばかりをしています。この怪我だって、ミュリアにやられたものなのです」
室内に入るなり、シャルロ殿下が声高に叫ぶ。
「シャルロ様、私は大丈夫ですから……。ミュリア様もわざとじゃなかったはずです。そうですよね、ミュリア様」
「……何のことか分からないわ」
「しらばっくれるのか!? 証拠はそろってるんだぞ」
ガタリと椅子を鳴らしながら、シャルロ殿下は立つ。
が、その前に私の前に、お父様がやって来た。
大きく振りかぶられた手に、ギュッと目を閉じる。
──パンッ。
乾いた音がした。が、予想していた痛みは来ない。
「ルカ様っ!!」
ヒュッと喉が鳴る。
庇わせた。私のせいで、ルカ様が怪我を……。
「おや、ナーロ公爵は娘の言葉一つ聞くことなく、手をあげるのですか?」
「しつけだ。どいてもらおうか」
お父様が威圧的に言う。
「その前に謝罪してください。ルカ様、ごめんなさい……。すぐに冷やしましょう」
ルカ様の頬が赤く腫れてきている。
口の中を切ったのだろう。血も出ていた。
「大丈夫です。ミュリア様に怪我はありませんでしたか?」
「え、えぇ……」
ギッとお父様を睨む。
お父様は怖い。けれど、私のせいで誰かが傷つくのはもっと怖い。
「ナーロ公爵、座りなさい」
宰相様が言い、お父様はハッとした顔をする。
「陛下! ……お見苦しいところをお見せし、申し訳ございません」
「いいから、座れ。ミュリア嬢とレザン侯爵子息も座りなさい」
促され、末席へと座る。
マリネ・ファーニーの席はシャルロ殿下の隣にあった。
「ミュリア。マリネに感謝しろ。彼女のおかげでお前は投獄されていないのだからな」
「お父様。ミュリア様も家族になるのですもの。お姉様を牢へだなんて、できないわ」
…………え?
「何故、マリネ・ファーニーがお父様とお呼びするのですか?」
声が震えた。
いや、まさか、そんなこと……。
「マリネを養女として迎える。ミュリアは、マリネのために生きろ。これまで散々教育を受けさせてやったのだから、マリネを支えろ。それが、シャルロ殿下の望みだ」
「な……ぜ……」
「何故? それは、お前がシャルロ殿下のお心をつかめなかったからだろう?」
「はは……は…………」
乾いた笑いが出た。
そうかぁ……。
お父様は、王妃になれなそうな私ではなく、マリネ・ファーニーを養女に迎えて、彼女を私の代わりにする気なのね。
お父様にとって、私の価値は王妃になること。ナーロ公爵家をより大きく、強くすることだものね。
分かりたくなんかないのに、そんなことばっかり分かっちゃうんだよなぁ。
一度でいい。愛してとまでは言わないから、家族として思われたかったな……。
「婚約破棄の件、承知いたしました。ですが、ナーロ家から私の籍を抜いてください。もう、誰かのために生きたくありません」
そう言った途端、目の前に一枚の羊皮紙が差し出された。
「書きなさい。私が承認しよう。先ほど、マリネ嬢のナーロ公爵家への養子入りも承認したところだ」
「陛下っ! まだミュリアには使い道がございます」
「恨みを持つ者を手元に置く必要はなかろう」
手が震えるかと思った。
けれど、自分でも驚くほどすんなり署名ができた。
たった紙切れ一枚。
それで、縁が切れるのか……。
「これにて、ミュリア嬢はナーロ公爵家と無関係のものとなる。シャルロとの婚約も白紙となった。次いで、マリネ嬢とシャルロの婚約もこのまま行うとする」
丸まりそうになる背中を伸ばす。
そんな私の背をルカ様が支えてくれた。
「大丈夫ですよ」
落ち着いた声に、小さく頷く。
「うむ。記載に不備はないな」
陛下が羊皮紙に目を通し、宰相様も確認をする。
「では、本題といこうか」
スッと目を細め、陛下が言うと、ルカ様が立ち上がった。
「こちらをご覧ください」
一人一人に配っていき、最後に私に差し出してくれる。
「貴女の傷を抉るオレを、許さないでくださいね」
「え?」
渡された五枚の紙は、時系列順に私が言われたことやされたことが書かれている。
「さぁ、陛下。ここからは賠償責任の時間です」
「支払うのが国ではない限り、好きにしろ」
ルカ様は人好きのする笑みを浮かべ、陛下は表情一つ変わらない。
まるで事前に打ち合わせがされていたみたいに。
「な、何で浮気以外の記録があるの?」
というか、どうしてここまで知ってるの?
「お金はいくらあってもいいでしょう?」
「それはそうだけど……」
「同じ後悔は二度としたくないんです」
小さく呟かれ、意味を聞く前にルカ様はシャルロ殿下やお父様を追い詰めていく。
「わ、私は関係ないわよ。直接話すのも初めてだもの」
「は? ミュリアにイジワルされてるって言ってただろ?」
「言ってないわ。ミュリア様が……って言ったら、勝手にシャルロ様が勘違いしたんじゃないの」
私は一体、何を見せられてるんだろう……。
各々が保身に走り、言いたいことばかり言う。
これが、これから国のトップに立つ人や、ずっと怖いと思っていたお父様なの?
なんて、なんてバカらしいんだろう。
「いい加減にしてください。自分たちのした後始末くらい、自分で取れないなんて、言いませんよね?」
ギョッとした顔でシャルロ殿下が私を見た。
お父様は……。そう、そうよね。
娘だなんて、思ってなかったんだものね。
忌々しいという視線に、私が彼に何をしたのだろうと思う。今更、知る必要も、聞く機会もないけれど。
「ミュリア様の言う通り、自分の尻くらい自分で拭きましょうか」
ルカ様が紙の束を小さく振る。
「詳細はこちらになりますが、あまりにも多いので、ざっと行きますね。まず、殿下は婚約者であったミュリア様を不当に扱い続けましたね。名誉を傷つけ、一方的に婚約破棄を言い渡し、マリネ・ファーニー嬢と不貞もされています。それから──」
「不貞じゃない! 純愛だ!!」
「ほぅ。婚約者のいる身で、学園のガゼボで抱き合い、キスを何度もされていましたが、不貞ではないと?」
「の、覗いてたなんて最低よ!」
マリネ・ファーニーが顔を真っ赤にして言う。
「認めてくださり、感謝します。マリネ嬢に対しては、殿下と不貞をした賠償責任がありますね。ファーニー子爵家のご令嬢ではなくなったので、マリネ嬢個人宛てとさせていただきます。必要であれば、ナーロ公爵家にお支払いいただくと良いですよ。娘になられたわけですから」
マリネ・ファーニーはお父様を見た。
けれど、お父様は支払ってはくれないだろう。それこそ、支払うだけの価値をマリネ・ファーニーが示せなければ。
「そこの側近候補の方々はミュリア様に書類業務を数年に渡り押し付けていたので労働への対価と、あらぬ噂を流したことへの賠償を請求いたします。もちろん、殿下にも。それから──」
呆気に取られている間に、ルカ様はドンドンと賠償金の額を積み上げていく。
「公爵に関しては過度なしつけと言う名の暴力を振るったことに対しても請求いたします」
「あっ! ルカ様を叩いたことへの賠償も請求してください。治療費もです」
驚いたようにルカ様が私の方を見た。
「……分かりました」
小さく笑い、ルカ様は紙にペンを走らせていく。
「あと、殿下がお茶会をすっぽかしたことで発生した時間への請求ってできますか? パーティーでわざとエスコートをしてもらえなかったり、蔑まれたこととかも」
「そちらは、詳細の方に足しておきますね」
迷うことなく紙をめくり、書き加えてくれる。
「陛下、内訳を出しましたので、確認をお願いします」
陛下と宰相様が紙面をチェックしていく。
何点かの確認や受け答えの末、陛下は頷いた。
「妥当だな。最後にある情報提供による報奨金とは何だ?」
「そこのバカ共の不正関連についてですね」
「他言しないから、上乗せしろと言っているように見えるが?」
にこりとルカ様が笑う。
「こんな汚点、他国に持ち出されたら困るでしょう?」
少しの無言のあと、陛下は小さくため息をこぼした。
「まぁ、良い。この程度の額で口を閉ざしてくれるなら安いものだ」
「陛下の承認も得られたことなので、皆様、ご確認願います。ミュリア様はこちらですね」
「…………え゛!?」
・婚約関係の清算金
・名誉・人格への侵害に対する賠償
・労働の対価
・暴力への賠償
・不正情報の報奨金
という五項目に分かれた最後に書かれている総金額に、顔が引きつるのを感じる。
「ルカ……様…………、これはいくら何でも……」
「足りなかったですか?」
「違うって!! いくら何でも請求しすぎじゃない!?」
「相手は王家と、五大貴族ですよ? 妥当です」
「で、でも、この額って、王都にお屋敷建ててもまだ余るよね? ここまでは必要ないっていうか……」
こそこそとルカ様と話す。
「なら、オレへの支払いを五割に──」
「しないからね」
じろりと見れば、ルカ様は首を竦めてみせる。
「ミュリア嬢、もらっておけ。そなたは被害者だ」
「え? あ、はい」
「それに、ナーロはやり過ぎた。なぁ、ナーロよ?」
陛下の声は大きくないのに、よく通る。
「国を思ってしたことです」
「国を思うのであれば、その小娘を養子に迎え、ミュリア嬢を粗雑に扱うべきではなかったのだよ。ま、私にも言えることだが」
陛下は、私に視線を定めた。
圧はないのに、圧倒される。
「謝罪はせぬ。だが、これまで愚息を支え、尽くしてくれたことに感謝する。そなたは優秀だ。望むのであれば、第二王子は無理だが、私の弟の婚約者にすることはできるが、どうする?」
えっ……王弟陛下の婚約者!?
な、何でまたそんなことに……。
…………うん。でも、おかげで確認ができた。
「大変ありがたいご提案ですが、お断りいたします」
「ほぅ……。理由は?」
「役目とか、価値とか、そういうものすべてをやり直したいんです。今度は、私の意思で……」
自然と言葉が口から出ていた。
「そうか。残念だ」
どこか愉しげに国王陛下は言った。
「あとのことは、こちらに任せておけ。支払いも滞りなくさせる」
「よろしくお願いいたします」
頭を下げる。
これで話はまとまった。けれど──。
「父上、お待ちください。悪いのはミュリアたちです」
「そうですよ。私、ミュリア様にケガをさせられたんです。被害者は私です!」
シャルロ殿下やお父様、マリネ嬢たちは納得いかないらしい。口々に何かを言っている。
けれど、私とルカ様は振り向くことなく部屋を出た。
「ルカ様。頬、大丈夫ですか?」
「これくらい平気です。……オレは、貴女の痛みを許可なく金に変えました。どうか、オレのことは心配しないで──」
「するに決まってますよね。それに、あれくらい痛くありません。あまり私を見くびらないでください」
ルカ様の頬に触れれば、ルカ様が一歩引き、手を取られる。
「……どうして、敬語なんですか?」
「私が公爵令嬢ではなくなったからです」
「オレも身分を捨てたら、いつも通りになりますか?」
「何を言って……」
心臓が嫌な音を立てた。
私がすべてと言うような視線から、逃げたい。でも──。
「そんなこと許さないわ」
真っ直ぐにルカ様を見上げる。
手は、握り返さない。
「ねぇ、何もかも上手く行き過ぎよね。ルカ様……あなた、もしかして──」
「駄目ですよ。言わない方がいいこともあります」
そうか。それが答えか。
存在は認められているのに、一度も表舞台に出てきたことがない、王弟殿下。
理由は、幼い頃に執拗に暗殺されかけたからと聞いているけれど、それも本当かは分からない。
「じゃあ、別のことを聞かせて。同じ後悔は二度としたくないって、どういうこと? 答えてくれたら、今まで通りに話すわ」
「交渉ってことですか」
フッと小さくルカ様は笑う。
「では、私のことを『ルカ』と呼んでくれたら考えましょう」
「……ルカ様って呼んでるわ」
にこりとルカ様が笑みを深める。
「…………ルカ」
ぼそりと呟けば、ルカ様は首を傾げた。
「聞こえなかったので、もう一回、お願いします」
「──っ。ルカっ!」
ルカ様は、満面の笑みを浮かべる。
「ありがとうございます。ミュリア様」
「あ、あなたもね、私に敬語で話したり、様を付けるの辞めなさいよ! 私はもう、ただのミュリアなんだから」
ふんっとそっぽを向けば、笑い声がする。
「ミュリア……」
「何よ」
「ミュリア」
「だから、何?」
「オレが人生二回目だって言ったら、一回目はミュリアを助けられなかったって言ったら、信じてくれる?」
「──っ!!」
え、そんなこと……。あるかも。
私だって転生者だし、何よりルカ様が同年代にしては優秀過ぎる。
「今度こそ絶対にミュリアを助けるって決めてたから、本当に良かった……」
「あ、その……ごめんなんだけど、ルカ様が助けてくれた私、別の私かも」
き、気まずい……。
こんなに一生懸命やってくれたけど、助けたかったのって、前世の記憶が戻る前の私じゃないかな……。
「ルカ様じゃなくて、ルカね」
「気にするところ、そこ!?」
「うん。だって、ミュリアはミュリアだから。変わらないよ」
嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑うから、それ以上は何も言えなくなってしまう。
「で、これから何だけどどうする? うちに来てくれてもいいし、一緒に国外に行くのもいいよね」
「待って。私一人で──」
「一緒に行くからね。どこまででも」
目、こわ……。
「何でそこまで……」
「オレの人生は、ミュリアだからかな」
言っていることは怖い。
でも、子どもみたいに無邪気に笑うから、否定もできない。
「もし、私に好きな人ができたら、どうするのよ……」
「いいよ、別に。ミュリアが幸せでさえいてくれるなら」
「…………そういうもの?」
「そういうものかな。本当に、ミュリアが毎日笑ってくれていたら、いいんだ。それ以上のことなんてないよ」
何なんだ。
本当に、もう何なんだよ!
「バッカみたい!」
「うん。だから、こんなバカみたいな男のために泣かないで」
「泣いてないし!」
ズッと鼻をすする。
けど、覚悟は決まった。というか、決めさせられた。
だって、どんなに拒絶しても、ルカはついてくる。
よく分からないけど、それだけは確信できる。
「私は、あなたほどの感情をルカには返せないわ。それでも、一緒にいたいと言うなら、飽きるまでいていいわよ」
「……ありがとう」
そう言って、ルカは腕を差し出してくれる。
誰も見ていないところでエスコートしてもらえるのなんて、人生初ね……。
「国外行くにしろ、留まるにしろ、賠償金が手に入るまで少し時間がかかるし、うちに来てゆっくり考えるといいよ」
「……お世話になるわ」
「喜んで!」
先のことなんて、まだ何も決めてない。
けど、一人ではなくルカがいる。
私の幸せをルカが一番に願ってくれるなら、私がルカの幸せを一番に願おう。
その感情に名前はまだない。
何なら、一生つかないかもしれない。
けどまぁ、とりあえずは……。
「疲れたから、ゆっくり休みたいわぁ」
「そうだね。あとは陛下に丸投げしちゃおう。今まで放置してたのが悪いんだし」
「何よそれー。本当に、あなたほど敵に回したくない相手もいないわね。……味方にしたら、頼もしい相手もいないけど」
ゆっくり休んだら、また考える。
それでいいのかもしれない。
何せ、先立つものは賠償金でしっかりと手に入ったしね。
──おしまい──
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ルカはループし、2度目の人生です。
1度目は、ミュリアは追い詰められ自ら命を立ちました。その後、ルカはシャルロ王子を殺害し、処刑されています。
首スパーンのタイミングでループし、ミュリアとシャルロ王子が婚約直後に戻っています。
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