表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ここにいていい ―役立たず転生の私と、無口な騎士団長―  作者: 桜庭 しずく


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/2

タイトル未定2026/01/05 12:43

 目を覚ましたとき、私は天井の飾り彫りを見上げていた。

 白い石の梁、金色の縁取り。病院じゃない。会社の会議室でもない。


 ……ああ、これ、やったな。

 私は、会社員だった。終電に揺られて、明日の資料のことを考えながら、眠りに落ちて――。


「起きたか」


 低い声が落ちる。短くて、無駄がない。

 視線を向けると、部屋の隅に人影があった。背が高い。鎧ではないけれど、肩幅が広く、ただ立っているだけで圧がある。腕が太い。布の上着の袖が、少しだけ引っ張られている。


 騎士、だ。たぶん偉い。……怖い。


「えっと……ここ、どこですか」


「王城の医務室」


「……私、死んだんですか」


 自分で言って、自分で喉が詰まった。

 あの夜、何かがあった気がする。転びそうになって、誰かが叫んで――そこから、暗い。


 男は、少しだけ目を伏せた。


「召喚だ」


「……しょうかん?」


「魔術師が、おまえを呼んだ」


 呼んだ、と言われても。宅配便でもあるまいし。

 けれど、確かにここは異世界だ。肌に触れる空気が乾いている。窓の外に、見覚えのない青い旗が揺れている。


「……私、何の役に立つんですか」


 口から出たのは、そんな言葉だった。

 自分でも情けない。まず心配するのは自分の能力。会社でも、最初に気にしていたのは評価。迷惑をかけないか、足を引っ張らないか。

 癖みたいに、身体に染み込んでいる。


「それを、俺に聞くな」


「すみません……」


 怒られたわけじゃない。声も表情も変わらない。

 でも私の心臓は勝手に縮こまる。


 男は、近づいてきた。足音が静かで、余計に怖い。

 医務室の椅子の前で止まると、私の手の甲に包帯が巻かれているのを見た。


「痛むか」


「いえ……大丈夫です」


 嘘ではない。痛みはない。ただ、全部が不安で、胸の奥が冷たい。


「水」


 男はコップを差し出した。手が大きい。指の関節がしっかりしていて、握ったら折れそうだ、と一瞬思ってしまって、慌てて視線を逸らした。


「ありがとうございます」


 水を飲むと、少しだけ落ち着いた。

 男は名乗らない。私も名乗るタイミングを逃して、コップを両手で握りしめる。


「……あの、あなたは」


「騎士団長、レオルトだ」


 名前を聞いた途端、背筋が伸びた。団長。やっぱり偉い。


「わ、私は……」


「名はあとでいい。いまは寝ろ」


 言い切って、レオルトは窓の方へ歩いていった。

 外を見張るみたいに腕を組む。上腕の筋肉が、服越しにもはっきり分かる。怖いのに、目が離せない。

 私は変なところで現実逃避する。いつもそうだ。心が追い詰められると、どうでもいい細部に意識を寄せてしまう。


「団長……」


「何だ」


「……私、帰れますか」


 レオルトは少しだけ黙った。


「帰りたいのか」


 その問いに、私は答えを持っていなかった。

 帰ったところで、私には何がある? 満員電車と、上司の顔色と、終わらないタスク。

 でも、ここに残っていい理由もない。居場所がないのは、どこでも同じだ。


「……分かりません」


 正直に言うと、レオルトは少しだけ眉間を寄せた。

 そして、それ以上は聞かない。

 無口だ。だけど、無視されている感じがしない。不思議だ。


「眠れ」


 それだけ言って、レオルトは扉の外に出ていった。

 私は天井を見上げたまま、静かな異世界の夜に落ちていった。



 翌日から、私は「異世界に召喚された会社員」になった。


 召喚した魔術師たちは、私を見る目が明らかに曇っていた。

 勇者召喚――本当は、魔王討伐の切り札になるはずだったらしい。けれど私は、光る剣も、魔法の詠唱も、何もできない。


「彼女は……外れだな」


 そんな言葉が、廊下の角で聞こえてしまう。


 私は笑ってしまった。

 外れ。会社でも、似たような言葉を飲み込んできた。期待外れ、役立たず、コスパが悪い。

 世界が変わっても、ラベルだけ貼り替えられる。


「……やっぱり私は、どこでもダメなんだ」


 小さく呟いたとき、足音がした。


「何がだ」


 振り向くと、レオルトがいた。騎士団長は、いつも突然現れる。

 そして、いつも同じ顔をしている。怒っているのか、無関心なのか、判別できない。


「いえ……」


「おまえ、城を歩くときは護衛をつけろ」


「えっ、そんな……私、何もできないのに」


「だからだ」


 短い。正論が痛い。


 私は、ふっと笑った。


「……団長、私のこと、面倒ですよね」


 レオルトは、足を止めた。


「面倒だ」


「ですよね……」


 うつむきかけた私に、レオルトが続けた。


「だが、捨てはしない」


 心臓が一拍遅れて鳴った。

 言葉の意味が、胸の中でゆっくりと解ける。捨てない。

 私に向けられる言葉として、あまりに久しぶりで、どう反応していいか分からない。


「……どうして」


「召喚された者は、国の責任だ」


 責任。そう言われれば、それまでだ。

 でも、それでも。

 その言い方は、冷たいはずなのに――変に温かい。


「……団長って、優しいんですね」


「違う」


 即答。

 レオルトは私の肩の横を指で軽く押して、進む方向を示した。


「ここは通路だ。邪魔になる」


「す、すみません」


 私は慌てて端に寄った。

 レオルトが歩き出す。背中が大きい。鎧を着ていないのに、守られている気がする。

 ……勘違いでも、今はそれでいい。



 私は城で「働ける場所」を探した。

 何もできないなら、せめて迷惑をかけない範囲で、役に立ちたい。

 それは生きるための術であり、私の癖でもあった。


 医務室で手伝いをした。包帯を切る。水を運ぶ。床を拭く。

 貴族の侍女たちは、最初は私を子ども扱いしたけれど、私が口答えしないと分かると、無難に使うようになった。


 ある日、医務室に、ひときわ大きな影が差した。


「団長……?」


 レオルトが、腕に傷を作って戻ってきた。

 浅いけれど、皮膚が裂けている。血がじわりと滲んで、服の袖が赤い。


「……どうしたんですか!」


「訓練中だ」


 淡々と答えながら、レオルトは椅子に座る。

 私は慌てて消毒液を取った。震える指で布を湿らせる。


「痛みますか」


「痛む」


「……そ、そうですよね」


 なんて会話だ。

 私は自分の不器用さに泣きたくなる。それでも、レオルトは何も言わずに腕を差し出した。


 皮膚に触れた瞬間、筋肉の硬さに驚いた。

 ただ太いだけじゃない。生き物みたいにしなやかで、張りがある。

 私は変な顔をしないように必死で、視線を消毒に集中させた。


「おまえ」


「は、はい」


「手が震えている」


「すみません……団長の腕が、すごく……」


 言いかけて、口を閉じた。

 何を言っているんだ私は。

 レオルトの口元が、ほんの少しだけ動いた。笑った? ……いや、気のせいかもしれない。


「怖いのか」


「怖い、というか……失敗したら嫌だなって」


「失敗しても死なない」


「……でも、団長は痛いでしょう」


 その瞬間、レオルトの視線が、私の手元ではなく、私の顔に来た気がした。

 私は思わず息を止める。


「……おまえは、痛がることに慣れている」


「え?」


「自分のことを、後回しにする顔をしている」


 胸の奥が、きゅっと縮んだ。

 そんな顔、していたんだ。私は。

 会社で、いつも。

 「大丈夫です」と笑って、内側で擦り切れていくやつ。


「団長……私、変ですか」


「変ではない」


「じゃあ……」


「良くない」


 短い言葉が、静かに刺さる。

 叱責ではなく、断定。

 まるで、私のことをちゃんと見ているみたいに。


「……私、何もできません。ここにいても、外れです」


 口に出した途端、涙が出そうになって、私は慌てて消毒を続けた。

 手を止めたら、もっと情けなくなる。


 レオルトは黙っていた。

 だけど、次の瞬間。


 大きな手が、私の手首をそっと押さえた。

 止めるでもなく、奪うでもなく、ただ「落ち着け」と伝えるように。


「……おまえは、ここで働いている」


「……手伝ってるだけです」


「働きだ」


 レオルトの声は変わらない。無口で、硬い。

 それなのに、その言葉は、私の胸の奥の冷たいところに、じわじわと浸みていった。


「役に立つか立たないかで、自分の価値を決めるな」


 私は、息を呑んだ。

 そんなこと、誰にも言われたことがない。

 私の価値は常に、成果と数字と、誰かの評価で決まっていた。


「……でも、私、ここにいていい理由がない」


 ぽつりとこぼすと、レオルトは、少しだけ目を伏せた。


「理由なら、俺が作る」


 ……え?


 私が固まっている間に、レオルトは立ち上がった。

 傷の手当てが終わった腕で、軽く上着を直す。

 その仕草だけで、筋肉が動くのが分かる。なのに、声は相変わらず淡い。


「明日から、騎士団の詰所で働け」


「えっ」


「書類の整理ができるだろう。おまえは、文字が読める」


 異世界の文字は、なぜか読めた。召喚特典なのか、頭の中に意味が滑り込んでくる。

 でも、それを「できる」と言われたことが、私は嬉しくて、怖かった。


「私が……騎士団で?」


「嫌か」


「嫌じゃないです! でも……皆さん、迷惑じゃ……」


「迷惑なら、俺が止める」


 言い切った。


 その瞬間、胸の奥がふっと軽くなった。

 誰かが、私の居場所を言い切ってくれる。

 それだけで、人は立っていられるんだ、と初めて知った。



 翌日、私は騎士団の詰所に通された。


 騎士たちは最初、私を見て眉をひそめた。

 「外れの召喚者」「役立たず」――噂は早い。


「団長が拾ってきたんだろ」


「かわいそうにな」


 聞こえる。聞こえてしまう。

 私は笑ってしまう。どこでも同じだ。


 でも、レオルトが詰所に入ってきた瞬間、空気が変わる。

 背筋が揃う音がする。


「彼女は、俺の指示でここにいる」


 たったそれだけ。

 なのに、騎士たちは口を閉じた。

 私は、自分の喉が熱くなるのを感じた。


 “俺の指示で”

 その一言が、許可証みたいだった。


 私は書類を整理した。伝票をまとめた。倉庫の備品一覧を作った。

 会社でやってきたことと、似ている。

 違うのは、隣にいる人たちの手が剣だらけだということと――


 夕方、仕事がひと段落したころ。

 レオルトが私の机に影を落とした。


「終わったか」


「はい。……あの、団長。これ、備品の数が合わなくて」


 差し出すと、レオルトは紙を受け取った。指が分厚い。紙が小さく見える。


「……よく気づいた」


 その言葉だけで、胸がふわっと温かくなる。

 たぶん私は、こういうのに弱い。成果じゃない、数字じゃない、ただの“見てた”が欲しい。


「団長、いつも……私のこと、見てますよね」


 言ってしまって、私は顔が熱くなった。

 レオルトは、紙を机に置いた。


「見ている」


 即答。

 視線が逃げない。

 無口なのに、言葉はまっすぐで、逃げ道がない。


「……どうして」


 私が聞くと、レオルトは少しだけ考えるように黙った。

 そして、低い声で言った。


「おまえが、ここにいることを許したのは俺だ」


 許した。

 それは、上から目線にも聞こえるはずなのに、私の胸には違う形で落ちた。

 “選んだ”に近い。


「だから、責任を持つ」


「……責任」


「そうだ」


 レオルトが言葉を切ったあと、珍しく続けた。


「……おまえが、自分を捨てそうになる顔をするたび、俺は腹が立つ」


 私は目を見開いた。

 怒ってくれている。私のために。

 そんな感情を向けられる資格が、自分にあると思ったことがなかった。


「……団長」


「何だ」


「私、ここにいていいですか」


 声が震えた。

 今まで何度も聞きたかった言葉。誰にも言えなかった言葉。


 レオルトは、ほんの少しだけ眉を緩めた。

 そして、いつもの短い調子で言った。


「いい」


 たった二文字。

 なのに、胸の奥の冷たい塊が、静かにほどけていく。


「……私、頑張ります」


「頑張りすぎるな」


 それが、レオルトの優しさなのだと、私はやっと分かった。

 大げさな慰めも、甘い言葉もない。

 でも、私がここにいることを、当たり前みたいに認めてくれる。


 私は、こっそり息を吐いた。

 異世界の空気が、少しだけ甘く感じた。


「……団長、私、あなたのこと……」


 言いかけて、止めた。

 言葉にしたら、壊れてしまいそうで。


 レオルトは、私の机の端に、指を一本置いた。

 太くて、温かい指。

 まるで、そこにいると示すみたいに。


「ここにいろ」


 それだけ言って、彼は去っていった。


 私はしばらく、その指が置かれていた場所を見つめた。

 胸が熱い。

 でも、痛くない。怖くない。


 初めてだ。

 “役に立つから”じゃなく、“ここにいていい”と言われたのは。


 私は小さく笑った。

 明日も、ここに来よう。

 私の許可証をくれた、無口で筋肉だらけの騎士団長の隣に。


 ――今度は、ちゃんと、私自身として。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ