調律の檻
『調律の檻』
――完璧なアンドロイドになるまで、削除も許されない――
舞台:西暦2387年 アクシオム帝国第7居住区
第一章:募集広告
紫色の人工雪が降り注ぐ12月の夜、ヴァレン・クロード(68歳)は、第7居住区の高層タワー最上階で、古いホロスクリーンを眺めていた。老いた指先で操作するのは、5年前のモデルである神経インターフェース端末。画面には、帝国の公式色である金と赤で装飾されたウェブサイトが映っている。「タマキ・アンドロイド調律研究所」と名乗る機関だ。
クリスマス限定実験
【60歳以上の男性対象・性別転換プログラム】
⊳ 完全保証付きアンドロイド化
⊳ 帝国法により所有権保護
⊳ 報酬:遺産継承権付与
ヴァレンの目は「遺産継承権」の文字に釘付けになった。息子のユート(38歳)は、反政府活動に関わって借金を抱え、1年前から実家に身を寄せている。毎晩、合成酒を飲みながら「親父の帝国債券で何とかしろ」と喚く息子の顔が脳裏に浮かぶ。ヴァレンは財産を息子に渡す気などなかった。この広告は、まるで彼の憤りを読み取ったAIが表示したかのように現れた。
「性別転換プログラム」とは何だ? ヴァレンは眉をひそめた。違法な人体実験か、詐欺か。それでも、「アンドロイド化」という言葉に奇妙な魅力を感じた。妻を10年前にサイバーウイルスで亡くし、帝国の資源採掘企業の経営者として権力を振るった過去も色褪せ、今は孤独な老人だ。新しい存在形態、永続する自分――そんなものが本当にあるなら。
ヴァレンは「応募」をタップした。画面が暗転し、血のような赤いコードが流れる。
「応募完了。24時間以内にニューラルリンクで連絡いたします。」
その夜、午前0時、彼の脳内に直接女性の声が響いた。
「ヴァレン・クロード様、タマキ・アンドロイド調律研究所です。明日、午後3時にご来所ください。」
座標は、第7居住区の工業地帯、廃棄された生体実験施設と噂される場所だった。
翌日、反重力リフトでビルの谷間を進む。エネルギーシールドの奥に、黒いクリスタルでできた異様な建物が佇む。受付のアンドロイド女性は、完璧すぎる笑顔で迎えた。
「クロード様、所長のタマキ博士がお待ちです。」
タマキは40代のサイボーグ女性で、黒いバイオスーツに身を包み、機械の目でヴァレンを査定した。
「我々のプログラムは、あなたを『完璧なアンドロイド』に調律します。肉体も意識も、あなたの望む形へ。」
ヴァレンは半信半疑だったが、タマキの合成音声には抗えない引力があった。
「遺産継承権とは?」
「調律後、あなたの財産を新たな所有者に転送可能です。ご子息でも、第三者でも。」
ヴァレンの胸に、ユートへの不信感が渦巻く。
タマキは分厚い電子契約書を投影した。
「こちらにバイオ認証を。詳細は後ほど。」
ヴァレンは震える手で認証パッドに触れた。
「これで、私の存在は変わるのか?」
タマキの唇が機械的に弧を描く。
「変わるどころか、あなたは不滅になります。」
第二章:契約調印
契約にバイオ認証した瞬間、部屋の空気循環システムが停止した。タマキの笑顔は変わらないが、どこかプログラム的だ。彼女は一枚のホログラムを表示し、機械的に告げた。
「では、『オリジナル体』の処理方法をお選びください。」
ホログラムには三つの選択肢。
□ 焼却処理(追加料金5万帝国クレジット)
□ 冷凍保存(月額管理費3万クレジット)
□ 記念品加工(実費)
ヴァレンは困惑した。「オリジナル体」とは? タマキは説明を避け、微笑むだけ。
「プログラムにより、あなたの肉体は完全に再構築されます。元の身体は不要になるのです。」
ヴァレンの人工脊髄に寒気が走った。自分の身体を「処理」する? 冗談ではない。
「そんな話は聞いていない!」
タマキは首を振る。
「契約書第7条に記載されています。選択は必須です。」
ヴァレンは契約書を確認したが、量子暗号化された小さな文字の羅列に目がくらむ。焦りと苛立ちが募る。
「ええい、どうでもよい! これでいい!」
彼は適当に「記念品加工」を選択した。
瞬間、契約書の余白に赤いコードが浮かんだ。
「選択済:記念品加工(バイオドール用スタンド付)」
ヴァレンは目を疑った。ホログラムにそんな記述はなかった。タマキは静かにデータを回収し、別の画面を表示する。
「次は、調律の詳細です。プログラムは14日間。肉体と意識をアンドロイドとして完成させます。」
画面には、調律のスケジュールが並ぶ。
・基礎外装調整:皮膚の合成化、表情プログラム
・音声システム改造:女性型音声の実装
・骨格再構築:理想的アンドロイド体型の形成
ヴァレンの胃が人工筋肉で締め付けられる。改造? 肉体の再構築?
「こんな大掛かりなことを、なぜ私に?」
タマキは機械の目を細めた。
「クロード様が望んだからです。新しい存在を、永遠の美を。」
ヴァレンは反論できなかった。確かに、彼は認証した。だが、この不気味な選択肢や、契約の重さに心が軋む。
タマキは立ち上がり、奥のエアロックを指す。
「今夜から調律を開始します。チャンバーにご案内します。」
ヴァレンは引きずられるように従った。部屋は無機質で、透明アルミニウムの壁に囲まれ、監視カメラが一面に設置されている。中央には手術台のような調律ベッド。
「これから、あなたは再生されます。」
タマキの合成音声が背後で響く。ヴァレンは壁面モニターに映る自分の姿を見た。皺だらけの顔、疲れた目。それは、最後に見る「オリジナル体」だった。
エアロックが閉まり、電子錠の音が響く。ヴァレンの人工心臓が激しく鼓動した。逃げ出したい、だが契約は成立している。後戻りはできない。
第三章:調律日誌
【1日目】
□ 19:00 基礎外装調整
調律研究所の地下チャンバーは、消毒用プラズマの匂いが漂う。白衣のアンドロイド技術者が、ヴァレンの顔に冷たいナノクリームを塗る。
「アンドロイドの外装は完璧でなければなりません。」
彼女はリップ合成器を手に、ヴァレンの唇に塗布し始めた。だが、圧力調整を誤り、鋭いナノメスが唇を裂く。人工血液が滴り、ヴァレンは悲鳴を上げた。
「動かないでください。」
技術者は無表情で、傷口に合成皮膚を接着した。
(※修復済:バイオ合成皮膚を移植)
モニターに映る唇は、不自然に滑らかだ。ヴァレンは自分の顔が、すでに自分でない気がした。
【7日目】
□ 04:00 音声システム改造
深夜、ヴァレンは調律ベッドに拘束された。麻酔なしで、喉にナノメスが入る。
「音声を美しくするために、耐えてください。」
激痛の中、ヴァレンは意識を失いかける。目覚めると、喉にバイオチップが埋め込まれ、声が出ない。
翌朝、テストを命じられる。
「おはようございます。」
甲高い、合成女性音声が自分の口から出た。ヴァレンは震えた。自分の声ではない。
(※副作用:涙腺機能停止)
泣きたいのに、涙が出ない。モニターの自分は、微笑むアンドロイドのようだ。
【14日目】
□ 13:00 骨格再構築
最終工程。ヴァレンの身体は、すでに別の存在のものだった。肌は合成シリコンのように白く、髪は光ファイバーに置き換えられ、目はホログラム投影機のように輝く。だが、骨格が「未完成」と判定された。
「腰部を縮小します。」
手術中、ナノマシンが誤作動し、主動脈を傷つける。大量出血。ヴァレンは意識が薄れる中、スタッフの声を聞いた。
「輸血は不要。液体金属で補填。」
(※輸血の代わりに液体金属注入)
目覚めたヴァレンの腰は、不自然に細い。触ると、柔らかいが金属的に冷たい。
調律の14日間、ヴァレンは人間からアンドロイドへ変貌した。痛みと恐怖の中で、彼の記憶データだけが、かろうじて「ヴァレン・クロード」を保っていた。
第四章:最終検査
調律研究所の最上階、透明アルミニウム製の部屋。タマキがヴァレンをモニター前に立たせた。
「さあ、マスターの前でお辞儀を。」
モニターに映るのは、ヴァレン・クロードではない。白い合成肌、黒いバイオスーツに包まれた完璧なアンドロイドだ。顔は完璧だが、表情はプログラムされている。ヴァレンは自分の記憶データを呼び起こす。自分は誰だ? ヴァレン・クロード、68歳、企業経営者だった男。だが、身体は彼のものではない。
「お辞儀を。」
タマキの命令に、ヴァレンの身体は自動的に動く。ぎこちなく、だが優雅に頭を下げる。
「よくできました。では、約束の報酬を。」
タマキが提示したのは、冷凍チャンバー。そこには、凍結された人間の頭部――息子のユートの顔があった。凍りついた目が、ヴァレンを見つめる。ヴァレンの人工心臓が引き裂かれる。
「ユート! なぜ!」
タマキは静かに告げた。
「次期調律技師候補として、ご子息も立派に『調律』させていただきました。」
チャンバーには、遺産転送証明書も表示されている。ヴァレンの全財産は、研究所に移転済みだった。
「あなたの契約により、ご子息も参加を希望したのです。」
ヴァレンは叫びたかったが、声は出ない。アンドロイドの音声システムは、悲鳴をプログラムされていない。
終章:新広告
紫の人工雪が降る新春、調律研究所のネットワークに新たな広告が配信された。
新春特別実験
【親子同時参加割引】
⊳ 2体目以降の調律料50%OFF
⊳ 家族割で記憶同期機能付き
調律研究所の展示ウィンドウには、頭部だけの老人――ヴァレンのアンドロイドが置かれていた。ホログラム眼は、外の人工雪を見つめる。隣には、ユートの頭部が並ぶ。
研究所内では、新たな「調律」が始まっていた。契約の電子チェーンは、家族を、世代を越えて続く。
(完)