第2話
目に入った、1冊の絵本。
ぼくが3歳ぐらいの時、母やおばあちゃんによく読んでもらった絵本だ。
表紙に描かれているのは、青いキャップの似合うねずみの男の子。
ボーッと表紙を見ていると、ねずみの男の子は澄み切った空のように無邪気な笑顔で、ぼくの方を見ているように思えた。
絵本かあ……。懐かしいな。
これでも読めば、この嫌な現実から逃避できたりするかな……?
小さな小さなねずみの家族が、自然いっぱいの森の中で生活する様子が描かれた絵本。
毎晩のように、読んでもらっていたなあ。読み終わってからも、ページの中に隠れている生き物、草花、木の実を、隅々まで一生懸命に探したっけ。
青い空の下、緑の風の中、はしゃぎ声を上げながら無邪気に走り回る、ねずみの子供たち——。
ぼくにも、そんな子供時代があったんだろう。でも今はもう、その時の感覚をはっきりと思い出すことができない。
嫌なことなど忘れ、夢中で友達と追いかけっこをした日々があったとしても、もうそれは決して戻って来ない。
殺伐としたドロドロの人間関係と、次々と出てくるやらなければいけない物事との狭間で、息を詰まらせながら、毎日を何とか過ごしていくだけ。
そんな日々が、子供時代の楽しい思い出をも、掻き消してしまったんだ——。
今夜も、蒸し蒸しとした熱帯夜だ。
目が覚めていると、頭の中でグルグルグルグル、否定的な考えが渦巻き、ぼくを苦しめる。
少し前までは、多少嫌なことがあったとしても、何かに夢中になればすぐに忘れることができた。
今は、何かに夢中になっているつもりでも、心の片隅から嫌な記憶が顔を覗かせて、気持ちを落ち込ませてくる。
絵本に描かれたねずみの子供たちのように、何もかも忘れて無邪気に走り回ってみたい。目の前に立ち塞がる嫌な現実から、逃げてしまいたい。
「ねえ、少しの間でいいから、苦しい事を忘れさせて」
絵本の表紙に描かれたねずみの子供に向けて、思わずつぶやいた。
それでも、相変わらず蒸し蒸しした空気にどんよりした心――現実の全ては、変わらない。
……やっぱり、無理だよね。
明日も、ただただ陰鬱な1日が待っているのだろう。
ぼくは、表紙にねずみの男の子が描かれた絵本を手に取り、そっと開いた。
青い空が広がる原っぱの絵。今にも動き出しそうな虫、草花、そしてねずみの子供たちの絵。
じわじわと追いかけてくる嫌な記憶から逃げるように、最初の1ページをただじっと眺める。
吸い込まれるように、優しいタッチで描かれた絵の世界と、ぼくは1つになろうとしていた。