第1話
「ただいまー……。はぁ……」
2002年7月29日、午後11時。
飲食店でのアルバイトを終え、家に着いた。思わず溜め息をついてしまう。
ぼくの名前は、【マサシ】。
21歳、実家暮らしの大学4年生だ。
ぼくは、幼い時から音楽が大好きだ。
暇があれば、気に入った曲をひたすらに聴いている。
大学に入ってからは、知り合った同い年の仲間とロックバンド『DOUBLEMOON』を組んでドラムを始め、ライブハウスなどで月に2回のライブ活動を行なっている。今年で3年目だ。
将来そのバンドが売れて、食っていけるようになれたらいいなぁー、と思っていた。が、最近はバンド内の人間関係がゴタついていて、バンドの練習に行くのも憂鬱だ。
それに、今の時期は、大学での卒業論文の作成と、バイトの日々。
大学での単位取得に関しては、春季の試験で3科目も不合格で、卒業までの単位が足りていなかった。卒論だけでなく、単位取得も頑張らねばならない。
バイトは繁忙期が続き、5連勤なんて度々だ。音楽ができるのは、やるべき事が終わってからのちょっとした時間だけ。
周りは就職活動真っ盛りだ。でも、ぼくはバンドで食っていきたいため、就活はしていない。
もう内定を決めたという人も、ちらほら出始めている。
バンドはゴタついていて、最悪の場合解散してしまうかも知れない。
不安だった。本当にこのままでいいのか。
おまけに――。
「就活もしてないのに、私と遊ぶ時間も作ってくれないの?」
2年間付き合っている、彼女の【メイ】だ。
最近は何もかもが中途半端で嫌気がさしているぼくの気持ちを、理解しようともしてくれない。
「就活してないのはバンドで売れるためって言ったじゃん。今は他の事でも忙しいから、落ち着いたらちゃんと時間取るから」
「前も、同じ事言ってたよね。結局私の事は後回しなんだね」
「それは……」
「ずっと考えたんだけど、マサシは将来性がなくて、この先付き合っていけないって思ったの。だから……」
背筋に冷たいものが流れる。
一番聞きたくない言葉を聞かされる、予感。
メイの口が動く。
「ごめんだけど、別れてほしい」
咄嗟に、言葉を返した。
「ちょっと待ってよ。メイの事を後回しにしたのは反省するから!」
「もう決めてた事なの」
「そんなに簡単に決めないでよ! 絶対バンドで売れて、音楽で食っていけるようにするって約束するから! そしたら絶対メイの事、幸せにするから!」
「簡単に決める訳ないじゃん……。もう、色々ショック。とにかく、私はもっと安心できる人と一緒にいたいの、ごめんね」
メイは、泣きながら走り去ってしまった。
ぼくの必死の訴えも、分かってもらえぬまま。
将来への希望を失った。
何もかもが上手くいかない。
苛立ちと余裕の無さが、普段の態度に出たのだろう。今まで仲が良かった人も、次々とぼくから離れていってしまった。
もはや、生きている意味が分からない。
いっそ、死のうか。
いや、どこか、現世とは隔離された“別世界”があれば――。
そこで、ずっと平和に暮らしたい。
優しい人ばかりが住んでいて、毎日のんびり、何の心配もなく、自由気ままに暮らせる世界。
そんな世界があれば――。
そんな事を考えつつ、ぼくはささっとぬるいシャワーを浴びてから、ベッドに倒れ込んだ。
視線の先には、絵本が並ぶ本棚がある。
「……ん?」
目に入ったのは、一冊の絵本。
表紙に、1匹のねずみの子供の絵が描かれている。