2−18 黒い水
ここはトライトロン王都城内のフラウリーデ王女の自室。
さっきまで水鏡を覗き込んでいたフラウ王女は、ダナン砦の二人が提案した作戦案に納得し微笑みながら、この作戦が水鏡無しでは実現し得ないであろうと考え、脳内の卑弥呼に感謝の念を送った。
その一方で、脳内の卑弥呼はある懸念材料を一つ持っていた。
水鏡に関しては、呪文を使えるフラウ王女が居ない限り誰でもが使用できるものではない。
その一方で、王都決戦において使用が予定されている黒い水いわゆる石油に関しては、それさえ手に入れることができれば、誰でもどこの国でも使用可能となる。その場合、意図しなくても黒い水が一人歩きして結局は悪用される可能性は極めて高いと考えておく必要があった。
「もしやお義姉様は、あの石油が戦争用の兵器として開発されることを危惧されているのでしょうか?」
「万が一、そのようなことになってしまった場合、恐らくフラウの住んでいるこの世界全体は確実に大きく変わってしまうだろうな 」
実際、今回トライトロン王国が兵器としてではないが、ハザン帝国の兵隊を退けるために石油を使うことによって、石油が極めて有用な戦争用の兵器として応用できることを知らしめてしまうことになるのは想像に難くなかった。
一旦、黒い水が戦争の場に出現したことが明確になってしまうと、その後は世界の多くの国々が石油を利用し、より危険な兵器としての開発競争が引き起こされるであろうことはもう確実である。
もしそうなった場合、恐らくその動きはもう誰にも止めれなくなってしまう可能性が強かった。
「お主も既に気がついているかもしれないが、ジェシカはあの石油が戦争の武器として十分に使用できる可能性について、すでに気がついているはずじゃ。石油から発生する何かが大きな爆発能力を持っていることも既に感じ取っていたようだからな 」
・・・・・・・!
「フラウも、この戦が終わったらあの蔵書館で燃える黒い水についてもう一度詳しく調べておくことを薦める。人類にとってどれほど有用で、かつどれ位危険かということを十分に理解したうえでその後の取り扱いを決めて欲しいのじゃが、、、」
この卑弥呼の思念の内容をそのまま受け取れば、卑弥呼は今回のハザン帝国戦にトライトロン王国が勝利することを前提にフラウ王女に話しかけてきていたように思われる。
未だ人間の精神が未熟なこの時代に強力過ぎる武器になりうるものを何かのはずみで入手できた場合、その力の強大さ故に制御がままならず、場合によっては本来あるべき歴史の流れを全く予想外の方向へと変化させてしまう可能性すら考えられた。
勿論、最初からそういう運命をたどる歴史だったといってしまえば、それまでではあるが、、、たまたま偶然に発見されたものが、人類の身の丈に合わない戦争用の武器として開発されることなどないに越したことはない。
為政者の誰かが世界征服を目論んでいないいないとは限らなかった。例えばハザン帝国のように、、、。
水鏡の様に、発動呪文が必要なものについては、呪文を使える人間が居なければ、そこで終わってしまう。一方で呪文を必要としない石油から作られた戦争用の兵器などは、ともすれば発明者の意思とは全く別のところで悪用され、結果として、全世界をも滅ぼしてしまう可能性すらも考えられた。
実際、フラウの王国ではつい最近まで、黒い水は『 灯り取り 』 にしか使えないと認識していた。しかしトライトロン王国を含め、極一部の人間に対しては黒い水がこの世界の根幹を大きく揺るがすような可能性があることを、これから先に起こるハザン帝国との攻防戦で多くの者に知らしめる結果となってしまわないとはいえなかった。
今回のことがきっかけで、これからは世界中の至る所で石油探しが始まるかもしれない。それが単なる石油探しだけで終わってしまえば、まだそれほど大きな問題にはならないだろう。しかし実際にはその石油の入手を巡って、世界中で争奪の為の戦争が引き起こされる可能性も容易に予想された。
「もし、フラウが今の時点で恒久的な平和を望むのであれば、あの危険過ぎる井戸はこの戦が終わったら一旦埋めてしまうのも方法かもな 」
単に明かり取り用にだけ使用するのであれば、動物や植物から取れる油でも十分といえば十分であった。最低必要量の入手に関しては、現在ある井戸から少し離れた目立たない場所に小さい井戸を掘って灯用のためだけに必要量を確保するのも一つの方法であった。
いつもの卑弥呼とは異なり今一つ歯切れが悪い。フラウ王女は卑弥呼がこの石油を巡って世界中での争奪戦争が勃発することを既に知っているような気がしてならなかった。実際に見てきたのかあるいは、王国蔵書館の歴史書から、そのことを読み取っていたのかまでは分からないが、、、。
「正直、わしにもどちらが良いのかはまでは、未だ良く分からん。トライトロン王国が知らないだけで、実は他の国では黒い水の新たな使用方法が模索されている可能性も決して否定できない。いや、間違いなくそうであろうと考えている 」
卑弥呼は洞窟内で初めてトライトロン王国における黒い水の存在を知ったのは確かである。もし、あの時、洞窟内に松明だけしか無かったとすれば、今度のハザン帝国との攻防戦に石油が使用されることは無かったであろう。
その場合、石油が本格的に使用されるのは数十年後あるいはもっと後になった可能性が高かった。
今回のハザン帝国戦でトライトロン王国が石油を使ってみせることにより、世界が十分に成長しきれない状態のまま、人類は自分の手に余る武器を手に入れ、この世界の歴史を予想外のところに誘うかもしれなかった。
「フラウが最初に使用した石油が原因でもし世界中が戦争になったとしたら、フラウも寝覚が悪かろうて!
それに黒い水が王国の発展のために本当に必要となったときには、制御可能な範囲で又掘り返せば良い 」
フラウ王女は、卑弥呼のいわんとすることを十分に理解できていた。恐らく、卑弥呼は自分の持っている知識の極一部分しか未だフラウには知らせていないだろう。邪馬台国でこの黒い水が豊富に得られるのであれば、当初は他国からの侵略を妨げる為にだけ使用していたとしても、為政者が代わり、日の本の全域を石油で統一しようと考える者が現れたとしても全く不思議ではなかった。
石油はそれを十分に可能とするほどの有用でかつ危険なものと思える。しかし、誰もが同じ様な時期に同じことを考え、石油を巡っての大きな戦争が引き起こされた場合、一歩間違えば大和の国のそのほとんどが焦土化してしまう可能性すらあった。
実際、それが大和の国だけで止まれば、未だ良い方であろう。
無知な動物に危険な火の扱い方を教えると、その強大さ故に結局はその動物の身を滅ぼしてしまうであろうと、卑弥呼が危惧していることがフラウ王女にもうっすらと予測できていた。
実際に卑弥呼の持つ強大な力で石油を本気で扱い始めたら、日の本の統一も簡単なように思える。蔵書館の邪馬台国に関する蔵書で、それを確信したに違いなかった。
卑弥呼は、時の流れが本来のあるべきままの姿で、ゆっくりゆっくりと流れ、その中で少しづつそれに相応しく成長していく人間の姿を願っているのかも知れなかった。
フラウ王女自身、脳内に卑弥呼の思念が流れていない限り、黒い水を戦に使用することなど思いもつかなったであろう。
もしこれから各国が兵器として黒い水を競って使い始めたら、恐らく王国のみならずこの世界の歴史の流れは一気に加速されてしまうか、場合によっては世界中が破壊しつくされてしまう可能性すらあり得ることは容易に想像することができた。
卑弥呼がいうように、身に過ぎた強大な力は、結局自滅を誘うということもフラウリーデ王女は十分に理解できていた。




