6−7 秘密諜報員1(公爵家)
一国の王城とも思えるような公爵邸の豪華な一室で、派手な深紅色をした革張りのソファに深く身を沈めながら、公爵家の主、シュトクハウゼン・ゼークストは琥珀色の蒸留酒を口に含んだ。
彼はトライトロン王国の王位第一継承者フラウリーデ王女とクロード・トリトロンの結婚式の招待状を見ながら苦々しい顔をして、先代から仕えている老執事に向かって吐き出すように話していた。
別に彼はその話を執事に聞いてもらおうと思っているわけではない。独りごとを言っている公爵の側に、たまたま執事が居合わせているという存在感であった。
ゼークスト公爵は先に招待された祝勝会のときに確かに二人の婚約の発表を聞いてはいたが、ここまで早く結婚の招待状がくるとは全く予測していなかった。
そして、こういうことであれば、この前の祝勝会に次男を連れて行って、強引に婚約の申し入れをさせておけば良かったと後悔していた。
「聞くところによりますと、王女の結婚の相手のクロード様は平民出身と聞き及んでおりますが、、、」
「フン!どこの馬の骨とも知れん奴と結婚するなど、、、」
ゼークスト公爵は随分前から自分の次男を莫大な持参金を持たせ王国に婿入りさせ、王国の実権を陰で握るという夢のような野望を持っていた。その身勝手でゆがんだ彼の欲望は、王国が金を全く必要としていない財政状態であることまでには全く考えが及んでいなかった。
恐らく、彼のこれまでの生き方から、世の中の人間というものは自分と同じように金と権力には目がないと信じて疑わない人種なのかもしれない。
彼は自分の迂闊さを呪いながら、次第に興奮してきていた。そして腹の底から突き上げてくるどす黒い衝動を抑えることができず、飲みかけのグラスを扉に投げつけた。
大きな音を立てながら砕け散ったグラスの破片が彼の剥き出しの欲望を表しているかのように、夕日の光を浴びてギラギラと輝いた。
古参の執事は、身の危険を感じたのかゼークスト公爵が激昂する直前に、するりと公爵の部屋を抜け出てしまっていた。
「こうなると、いよいよ強硬手段も考えなくてはなるまいな 」
グラスが扉に叩きつけられる音を聞いた、侍女があわてて公爵の執務室に入ってきた。
「公爵様!いかがなされましたか?」
「何でもない、良いから、それを早く片付けろ!」
それから、少し間があって侍女が遠慮がちに執務室の扉を叩いた。
「何の用だ?」
「シュタインホフ・ガーナ様が定時連絡をと!」
「シュタインホフか?入れ!」
公爵の向かいに座ったシュタインホフ・ガーナは、細い目から妖しい光を放ちながら血の気の少ない薄い唇を開き、トライトロン王国の飛行船開発状況について話し始めた。
公爵家の筆頭侍女頭はこのシュタインホフにいいようもない不快な恐怖感を感じており、直ちに扉をしめると、そそくさと持ち場に戻ってしまった。
シュタインホフ・ガーナ諜報員がつんできた情報は、王国科学技術省と付随する研究所設立及び人材確保に関するものであった。
「私の収集した情報の中で幾つか解せない点がございまして、、、」
「どういうことだ?」
「それが、、、王女達自らが技術者や研究者を選び、その者達と直接会って話を進めているようで、、、」
「王国は研究者の選任まで小娘たち任せ切りと、、、。王国はいつから幼児教育を担当することになったのだ?」」
シュタインホフ・ガーナ諜報員は、王女達が交渉を行っている研究者が少なくとも王国内では、極めて異端者扱いされている『 錬金術師 』のサンドラ・スープランであることが理解できないでいた。普通に考えればもっとオーソドックスな研究者を選任した方がより好ましいのではないかと感じていたからである。
「何者なのだ!そのサンドラ・スープランという錬金術師は?」
「もう既に王城通いを始めているようです 」
「何!ということは、飛行船開発は既に始まったということなんだな?」
シュタインホフ・ガーナ諜報員は、更に自分が不可解と考えているもう一人の研究者がトライトロン王国内の錬金術師ではなく、隣国プリエモ王国の『 気狂い男爵 』で名高いリーベント・プリエモール男爵が選任されていることを公爵に報告した。
「うーむ、一体何を考えているのだ!遊んでいるのか?あの小娘達は?」
「公爵殿!ここからは私の推測になりますが、プリエモ王国とトライトロン王国は古くには多少の縁戚関係にあります 」
「そうじゃな!個人的に付き合いも深かったようだな。確か、、、!」
「もしかすると、飛行船の開発を共同で行おうとしている可能性も、、、?」
シュタインホフ諜報員の予測が当たっていると仮定すると、貴族連合が内乱を画策した場合に、同時にプリエモ王国をも相手することになる可能性が予測された。
実際、両国との国境線沿いはいくつかの王国貴族領と接しており、王国内の貴族達が連合して王国を攻め込もうとした場合、各貴族領はトライトロン王国軍とプリエモ王国軍との挟み撃ちになる可能性も考えられないことではなかった。




