6−6 晩餐会(ばんさんかい)
夕方の晩餐会は、エリザベート女王の卑弥呼を歓迎する言葉で始まった。もちろん卑弥呼の横にはフラウリーデ王女が、その横には10日後には結婚する婚約者で騎士隊長のクロード・トロトロンが並んで座っている。
用意された歓迎の料理は、フラウ王女とクロード騎士隊長の婚約披露パーテイにも劣らぬ豪華なものであった。
フラウ王女とクロード近衛騎士隊長は立ち上がり、まず卑弥呼が遠路はるばるトライトロン王国まで来てくれたことに深く感謝していると挨拶し、自分達が結婚まで漕ぎつけることができたのは全て卑弥呼義姉の助力のおかげであったと付け加えた。
卑弥呼は、少し照れたように義妹を助けるのは当然のことだと笑った。
実際、先のハザン帝国戦にもし卑弥呼の介在がなければ、王国軍だけでは恐らく無血勝利など絶対にあり得なかったであろうし、今頃は王城内はハザン帝国軍で占拠されていたはずである。
かりに王国の貴族連合軍に参戦してもらうことでかろうじて勝利を得たとしても、荒廃した王国と、王族をあまり快く思っていない貴族連合軍による王国打倒を掲げる謀反の戦が始まっている可能性が高かった。
「それよりフラウ!この食事について教えてくれないか?」
「それにしても、お義姉様の食事マナー完璧ですね。私が習わなければならないくらいです。邪馬台国の食事とは全く異なるのに 」
「なーに!言葉と一緒に来る前に少し練習してきただけのこと 」
そう卑弥呼は少し恥ずかしそうに言い淀んだが、フラウ王女にはそれは卑弥呼の謙遜だと思われた。
卑弥呼が使用しているトライトロン王国の公用語もそうだが、彼女のテーブルマナーについては、一晩くらいの付け焼き刃で練習しても簡単に身につくものではない。特に食事マナーに関しては恐らく千年以上生きている間に、どこかトライトロン王国と似通った国の高貴な場所で、ある程度の時間をかけて自然に身につけたマナーとしか思えなかった。
この時、フラウ王女は自分の知り得ている卑弥呼は、彼女のまだ極めて一部分のみであることを確信した。
フラウ王女はその時、『 東の日出る国 』に書かれていた卑弥呼の生死説のもう一つの可能性、絶海の孤島に生きたまま幽閉されたという妖術使いの卑弥呼のことがなぜかふと頭に浮かんでいた。
もちろんフラウ王女は、その妖術使いの卑弥呼が今自分の隣に座っている卑弥呼と同一人物だとは全く考えていない。
ただ、目の前にいる義姉卑弥呼が本当に妖術使いであったなら、、、いや多分本当は義姉も妖術が使えるのではないかとフッと頭をよぎっただけである。
その後卑弥呼は幾度かトライトロン王国を訪問することになるのだが、彼女が自身の妖術・呪術に類する能力を人に見せることはなかった。
卑弥呼はワインを好んで飲んでいる。もう数杯は飲んでいるようだが、顔色一つ変化は見られない。もちろん言葉の使い方も完璧である。少し違うところがあるとすれば、いつもより少し上機嫌というくらいであろうか。
どこまでも破天荒な義姉卑弥呼であるが、齢19歳のフラウ王女との千歳以上の年齢差を考えれば、比較するだけ無意味だった。
料理の最後のデザートをニコニコとして平らげると卑弥呼は食後酒を一杯飲んでから、招待の御礼を述べて自分用に用意された部屋へと戻って行った。
フラウ王女も卑弥呼の後について晩餐室を出た。
「ヒミコお義姉様!私の知らないお義姉様だらけのような気がして、何か凄く不安に駆られてしまいました 」
「フラウ!わしの全てを知るためには、わしと同じように長命になるしか方法はないじゃろう。いつかわしがお主に話したようにフラウが長命となる方法は残されている。じゃが今は未だそれを具体化する時期ではないと思うておる 」
・・・・・・・!
「今は自分自身に与えられた人生を一所懸命に生きれば、それが今のフラウにとって、番幸せなことじゃろうて。そのあと、自分の心の赴くままに何をしたいかを考えても遅くはなかろうて 」
フラウリーデ女王は、卑弥呼のいう長命化の意味がこの時はまだ十分には理解できていなかったが、自分が天寿を全うした後にも新たな別の人生が存在しているように感じていた。
フラウ王女の世界にも生まれ変わりという言葉は存在していた。しかしそれは自分の人生が十分に満足できないまま死んでいく者が抱く儚い夢ではないかと考えていた。だが、これまでの卑弥呼のフラウ王女に対する言動は、必要であれば卑弥呼がそれを用意すると言ってくれていると確信できていた。
「フラウがそのような選択をしてくれるのをわしが望んでいることだけは覚えておいてくれ。じゃが、これは未だフラウとわしだけの秘密じゃぞ 」
フラウはこの時、事実上卑弥呼が長命か生まれ変わりの選択権を自分に与えてくれたことを感じ大きな安堵感を覚えた。そして未来のどこかで義姉卑弥呼と一緒に色々な国へ冒険の旅をしている自分に思いを馳せていた。
卑弥呼は恐らく五十年くらい先の話をしているのであろうが、その頃、フラウは70歳位、千年以上生きてきたと思える卑弥呼にとっての50年はあっというひと瞬きするくらいの短い期間に過ぎないかもしれない。
それにしてもとフラウは思うのであった。千年もの間、次々と親しく愛していた人を見送りながら、精神を病むこともなくこれまで生きてこられていることの方がとても不思議に思え、少なくとも今の自分では絶対に精神的に耐えられることではないだろうというのだけは確信が持てていた。
そうではあるが、いつか不死の卑弥呼と不死の自分が何処かで巡り合い、世界のあらゆるところで冒険の旅ができたのなら、どんなにか楽しいだろうと考えてしまうのであった。




