5−8 飛行船の未来
実際火事が恐いからと火を使わない世界にもう戻るわけにはいかない。人は一度手にした便利さを決して手放すことはできない。仮りにそのことで多少の犠牲者が出ようとも、その危険なものを捨て去ることなど考えようとはしないはずである。
卑弥呼は、フラウの蔵書館でフラウの目を通して見た蔵書に記載されていた日の本(東の日出る国)の未来について話し始めた。
新しい技術が実用化されるごとに次々と大きな戦争が引き起こされ、その戦争で多くの人間が死に、そのような悲惨な経験を人々は幾度も幾度も繰り返しながら多くのことを学ぶ。
だがしかし、喉元を過ぎた頃、またしばらくすると同じ失敗を繰り返す。恐らくそれが人間のどうしようもない性なのだろうというような内容のことであった。
一千年以上も生きていると思われる卑弥呼から語られる言葉はとても重い。
「フラウが飛行船の建造を本気で平和利用したいと考えているのであれば、もう一度 『 東の日出る国 』に関する歴史書をじっくりと見直すが良い 」
フラウ王女自身おおよその予測はできていたが、内容が内容だけに一度卑弥呼義姉の意見も聞いておきたかった。そしてそのことをジェシカ王女とニーナ蔵書館長にも話すことの了解を求めた。
「そうじゃのう!『 餅は餅屋 』というし、、、 」
一瞬、トライトロン王国には餅というものが存在していなかったため、フラウは怪訝な表情をしたが、卑弥呼特有の邪馬台国の例えであろうと考え、何となく意味は理解できたので、それについては突っ込まなかった。
「それはそうと、フラウや!!クロードとの結婚式の日程は決まったのか?」
「両親が二ヶ月先を目処に近隣諸国との日程を調整しているようです 」
卑弥呼は、フラウの結婚式には必ず自分を呼ぶようにと念を押した。
「何せ、わしはフラウの義姉だからな。例え義姉妹といえども実際には同じ血を持つ妹じゃからのう 」
卑弥呼は、その時フラウにとって極めて衝撃的な発言をした。魔法陣を介して実態の卑弥呼として王国に渡るつもりであると言っているように聞こえた。
フラウ王女は、やっと実態としての卑弥呼と出会えることに狂喜した。
過去2回フラウ王女が邪馬台国に転移した時にはフラウの精神だけが卑弥呼の脳内に転移しただけであったし、卑弥呼がトライトロン王国へ渡った時も卑弥呼の精神がフラウの脳内に仮住まいしただけだった。その為、卑弥呼の実物を直接自分の目で見ることはできていなかった。
今回は、卑弥呼本来の姿で魔法陣を介してトライトロン王国へ転移してくるという。そして、邪馬台国の祝い時に着る着物(kimono)も持ってくると、、、。
「えっ!着物(kimono)ですか?だけどお義姉様、私より目立っては駄目ですよ!私の結婚式ですからね 」
「ああ、そうじゃったのう、憎まれ口が叩ける位には回復したようじゃな。元気なフラウが一番じゃ。お主に暗い顔や涙顔は似合わない。笑っているフラウが一番美しい 」
やがて卑弥呼の笑顔が少し揺らぎ始め、
” それではそろそろ切るぞ ”
の言葉を合図に水鏡から卑弥呼の顔が消え、水面は再び静かになった。
そう言えば卑弥呼に頼まれ蔵書館に行った時に、ジェシカ王女がサンドイッチを持って来ていた日のことをフラウ王女は思い出していた。
確か、『日の本 』では邪馬台国が滅びその後は群雄割拠が続き、一千年の時を経て大和国全土が統一されると同時に『 日の本 』として新しい時代が訪れ、近代化の一歩を辿っていると卑弥呼がつぶやいていた。
その時は邪馬台国は滅亡してしまったにも関わらず、自分の知っている卑弥呼女王はちゃんと生きて、自分の脳内に存在しているのに、何かの間違いか 、あるいはその蔵書には絵空事が書かれているのではないかとフラウは考えていた。
今になって考えてみると、確か今自分達が生きている世界は単に無数にある時間の流れの中のたった一つに過ぎないと卑弥呼女王に言われたことが少し想像できるようになっていた。しかも邪馬台国の存在する世界は、トライトロン王国と同じ世界にあるとは限らない。むしろ全く異なる世界に存在していると考えた方が良さそうである。
このフラウリーデ王女が存在しているこの世界でさえも実は時間の流れが無数に存在している可能性がある。
今ここで引き起こされている色々な現象は、次の瞬間には過去のものとなっている。そのいずれの時間の流れの中でもある者は生き、ある者は死に、またある者は生まれ変わる。
その無数に存在する流れの内のどれか一つは、間違いなくフラウが飛行船を開発し、それを平和の為に利用している世界の流れが存在している可能性は否定できない。
しかし、今、フラウが歩んでいる時間の流れの中で、それが実現するか否かについてをあらかじめ知ることは誰もできない。
歴史は無数にある時間の流れの中のたった一つだけを、その世界の後世に書き残こしているだけに過ぎない。 その場合、別の道を選択した者の歴史は、別の時間の流れの中で別の物語として後世に語り継がれているのかもしれなかった。




