5−3 孤児マリンドルータ・ハウマン
その日は、たまたまスラム街に帰る途中、マリンドルータ・ハウマンは酒に酔ったならず者に執拗にからまれていた。
そのならず者は少しサビの浮いた剣を抜きマリーンドルータの白い首に刀を突きつけていた。その首からは血が滲み出ていた。周りの大人達もそれを止めようとする気配はなく、じっと遠巻きに興味深そうに見ているだけであった。
たまたま父スチュワート摂政と一緒にリンネ侯爵領の視察について来ていたフラウリーデ王女がそれを目にすることとなった。
フラウ王女は、人混みをかき分けながらその男に近づいた。少し離れて父のスチュワート摂政と護衛の騎士達がじっとフラウ王女の行動を見守っている。いつでも剣を抜ける準備をして。
フラウ王女は、迷うことなく、
” お前は武器を持たない、か弱い女性に剣を向けるような卑怯者なのか?それともそれほど弱虫なのか? それなら代わりに私が相手をしてやる ”
と剣を抜いた。
その頃のフラウ王女には大人用の剣は若干長過ぎて、早業というわけにはいかなかった。それでも、気迫だけはそのならず者を遥かに圧倒していた。
次第に、周りの野次馬からフラウ王女とマリンドルータを擁護する声が大きくなり始めた。
その野次に何か感じるものがあったのかそのならず者は、
” 覚えていろよ ”
とお約束の捨て台詞を残しその場を逃げ去っていった。
マリンドルータは、自分より幼くてまるで綺麗な人形に命を吹き込んだようなフラウ王女の姿から目を離すことができなかった。フラウはマリンドルータを立たせて誇りを払ってやると、向かいにあった食堂に連れていった。
父のスチュワート摂政は黙って二人についていった。そして食堂の入り口には王城の警護の騎士2人をならず者が再び帰ってきた時のために見張りにつけた。
マリンドルータ・ハウマンの話を聞いて、摂政は直ちに事情を理解した。かつて、摂政はリーベルン・ハウマンの一件に関し詳細な報告を受けており、彼女の境遇に同情を覚えたことを思い出していた。
「何方かわかりませんが、危ないところを救って頂いて有難うございました。だけど私は父が間違ったことをしたなど一度も疑ったことはありません 」
彼女のその目は毅然としていた。
スチュワート摂政自身、元々この事件が冤罪であっると確信していたため、その娘を連れてラウマイヤーハウト・リンネ侯爵に会うことにした。
王国の摂政と第一王位継承者のフラウリーデ王女の突然の来訪に、リンネ侯爵家の館の中は上や下への大騒ぎとなっていた。
「お願いしたいことが有って、知らせもよこさず突然訪ねて来たのを許して欲しい。歓迎の準備等一切必要ないのでリンネ侯爵と話だけさせくれないだろうか?」
それを聞いた執事が3人を応接間に通してソファを勧めた時を同じくして、息を切らしたラウマイヤーハウト・リンネ公爵が走り混んできた。
スチュワートは掻い摘んで先の巷での出来事を話すと、マリンドルータがリーベルンの娘ではないかと尋ねた。驚いたのは侯爵の方である。その母までがリーベルマンの後を追うように亡くなったことを聞いて、リンネ侯爵は心を痛め、その娘を探していたところであった。
しかし、侯爵領のスラム街にでも入り込んだのか、彼女の行方は洋としてつかめず心配していたところであった。
摂政は、事情は話したものの本日の訪問の真の目的は何も未だ告げていなかった。
リンネ侯爵は、
” 彼女は我が親友リーベルン・ハウマンの大切な生き形見、宜しければ私に預けてもらうわけにはいきませんか?摂政殿とフラウ王女様の好意を無にするようなことは決して致しません。私の実の娘として育てます ”
と願い出た。
もしこの日、マリンドルータ・ハウマンがフラウリーデ王女に出会っていなかったなら、彼女の人生はおそらく名を残すことなくスラム街で朽ち果ててしまったはずである。
それでも、フラウ王女とマリンドルータが、五年の歳月を経て再会し、その彼女が見違える程美しく有能な諜報員に成長していることなど、誰も予想だにしなかった。そして運命の悪戯のように、その1年後には、今度はフラウ王女の後ろを守る騎士の称号をもらうことになるとは万能の神様であっても予想できなかったであろう。
マリンドルータ・リンネは、フラウリーデ王女の結婚式で自分の命の恩人を再び会えるかも知れないことに運命的な何かを感じながら、急ぎ自分の任務へと戻っていった。




