第五十六話 安息日、男の戦場もしくは乙女の戦線
とうとう このひが やってきてしまいました。
ブルーノと食堂で「良いからさっさとつきあえ(意訳)」と背中を貼り手でブッ叩かれて土俵から転がり落ち、中一日開けての今日である。
じゃあ昨日一日で何をしていたんですか?と言われればデートの約束を取り付けるまでの覚悟で半日、ブルーノに着るもの見てもらうのに半日である。自分で自分が信じられない。
しかもなんの因果か「デートしよっか(ません?)」の一言がキレイにかぶる始末。当然お互いにめちゃくちゃ挙動不審になった。
こんなはずじゃなかったんだよなぁ……と溜息を漏らす。前にケーキ食いに行った時にはここまでウジウジすることはなかったはずである。そういや久しく食ってないなあのケーキ、遠征終わったら食いに行くか。
今からでも正直帰りたい……という気持ちとここで帰るのはどう考えても失礼だろ男気見せろやという気持ちの大戦争を心の中で感じつつ街頭の時計をひっきりなしに睨む。
待ち合わせ時刻30分前である。ちなみに遅れるのが嫌すぎて1時間前に来た。お陰で手持ち無沙汰も良いところである。端末にテキストデータでも落として持ってくるんだったな……30分はどうにかなったが後30分もどうしたものか。
とか思って腕を組んで壁に寄りかかっていると、聞き馴染んだリズムの足音がした。嘘だろ?
「なんでもういるんですか……」
「こっちのセリフなんだよなぁ……」
なんでこの娘30分前にもう来てるの……こわぁ……
「ま、まぁいいや。30分前倒しって言うことで……あの、雨衣さん?どうなされた?」
雨衣ちゃんがその場から動かない。
「まだ、言うべきことを、言ってもらってないです」
あっ、あ〜……
俺は察し力スキルがカンストしてるのでなんとなく分かったが他の人なら分からないぞそれは……め、めんどくせぇ……まぁめんどくさいのも可愛いのだが。いやめんどくさいから可愛いのか?まぁいいやただ可愛いことだけが真実だ。可愛い、可愛い。
というわけでファッションチェック。
薄いグリーンのパステルカラーを基調に纏めていたこの間とは異なり、黒や灰をベースに纏められた大人っぽい恰好をしている。
上半身は防寒対策なのか青いニットの上から黒いコートを羽織っているが、対照的に下半身は膝上丈のミニスカートで、真っ白なふとももが突き出ている。地下街とはいえ、ここは人類県の極北、冬という気候も相まって寒さは容赦ない。辛くないだろうか……
ふとももばかりを注視するのもどこか憚られ、視線を上をあげると、そこには潤んだ瞳、仄かに赤く色づいた頬、薄いが柔らかそうな唇、街灯の輝きを反射して艶やかに光沢を放つ黒髪。ふわりと香るシトラスの匂いが鼻腔を刺す。
神が作った彫像に命が宿り、表情を得たのではないかと錯覚するほど、彼女は鮮烈に美しかった。
言葉も息も忘れ、ただ陶然とそれを見つめる。
きっと間抜けな面をしていたのだろう。足りない背丈を背伸びで埋めた雨衣ちゃんが耳元で囁く。
「——見とれちゃいました?」
図星なのとそれを見抜かれていた気恥ずかしさと小悪魔じみた彼女の言動に叫びたくなる気持ちとそれぞれ衝突を起こして脳の処理容量を大幅に超過しフリーズする。
それをなんでもないかのように微笑み一つで流しながら、俺の腕を引いて彼女が歩き出す。
「さ、行きましょっか」
「あ、ぁ……」
上ずった声で返答する。余裕などどこにもない。
なんか……今日の雨衣ちゃん……やけに色っぽくないか?
◆
寒空の下、二人並んで街を見る。
つい先日防衛戦の戦場となり火の海に飲まれた街並みは、立て直しが進みながらも未だにその爪痕が色濃く残っている。
戦闘直後の混迷状態は明けたが、区画ひとつ完全に焼け落ちている部分もある。
街の喧騒は遠くで鳴り、活気があるとは正直言いづらい状況だ。
「こりゃあ……来る時期間違えたかね?」
見て回る場所が無いとは言わないもののデートで巡るような場所ではないだろう。
申し訳無さを感じて傍らの雨衣ちゃんの顔を見つめる。
彼女は少し頭を振ってつぶやく。
「二人なら、きっとどこでも楽しいですよ」
「……そうか」
中々嬉しいことを言ってくれる。ならば俺も泣き言は言っていられまい。有史以来エスコートを務めるのは男の役割と決まっているのだ。
早鐘を打つ心臓に蓋をし、少し汗ばんだ俺の左手を滑らかな彼女の右手に絡ませる。きゅっと軽く握りしめられる感触。
「行こうか」
「はい!」
こんなことが、許されるとはな。
望外の幸福に、思わず笑みが浮かんだ。それは彼女も一緒だったらしい。
赤く染まった横顔の上で、緩みきった口がゆるい弧を描いている。
彼女の細腕を軽く引っ張る。
そうして俺達は、互いに笑い合いながら廃墟の街へ駆け出した。
◆
壊れた建物群の中を突っ切って、目的地から目的地へ。
食事となんでもない話を楽しみ、本屋で好きな作家をお勧めし合う。
「ん〜これとか?」
服屋兼アクセサリー屋で、沢渡さんに似合いそうなものを選んでほしいとせびられたりもした。
俺が選んだのは黒の縁取りに暗いサファイア色をした蝶の意匠の髪飾り。
「どうですどうです?」
クレジットで支払い、プレゼントしてやるとすぐさまそれを取り付けてこちらに見せつけてくる。
髪を近づけて見せようとしてくるので必然顔も間近に寄る。
……近い。
可愛らしい顔と鼻腔をくすぐるシャンプーのシトラスのせいで、さっきから心臓がうるさいままで落ち着く気配がなかった。
そうして、1日が終わり行く。
地下世界を照らす照明も、薄橙色にその色彩を変えている。もう数刻もたてば夜間モードに切り替わり、消灯されるのだろう。
「はぁ……」
雨衣ちゃんが溜息を吐く。
「どうかした?」
「いや、楽しかった一日ももう終わりだなぁ……って思って」
「あぁ……そうだ、終わりの前に少し寄りたいところがあるんだった。付いてきてくれ」
向かったのは傾き行く陽光モドキに照らされた灯台。
横にある階段を使って上に上がる。
頂上から見下ろす景色は普段ならば街並みを見下ろせるのだろうが、今は崩れ去った瓦礫を見下ろすのみである。
「ほぅ……」
雨衣ちゃんが軽くため息を付く。
崩れた街並みは、滅びの美学とでも言うのだろうか、キチンと整った街並みとはまた別種の美しさを醸し出していた。微かに舞う砂塵が斜陽を受けて星屑のようにキラキラと瞬く。
街を見つめる横顔を見て彼女の存在を改めて意識した途端、これまでとは比較にならない程のテンポで心臓が早鐘を打ち始める。
これと比較すれば先程までの鼓動なぞ止まっているのと同義だろう。
舌がもつれる。息が切れる。
覚悟を決めろ。伝えるためにここに来たのだろう?
あぁだが、されど恐ろしい。
伝えることによって崩れるものもあるのではないか?このまま流されるままに過ごして、ぬるま湯の関係に浸っていたほうが幸福なのないのではないだろうか?
――それでも。後悔はしたくないと決めたから。
息を吸い込む。肺腑いっぱいに冷涼な空気を吸い込んで少し吐く。
「あー、その、なんだ」
思い返してみれば、彼女に会ったその時から、俺の人生は再び動き始めたのだ。
何を躊躇することがある。この思いを彼女に伝えずして誰に伝えるというのか。
そばにいたい。
一緒に生きたい。
生涯全てに纏わりつく死の影などに邪魔はさせない。
死が二人を分かつまで?冗談じゃない。分かたせてなるものか。
前にも思ったのだ。こんな廃墟の世界など彼女に似合わない。
彼女がいるべきなのは、もっと、穏やかで、平穏で、光に満ちた――
だと言うのに、思い付く言葉は脳内の中で泡沫の様に生まれては弾けて、一つたりとて言葉の確たる形を取らない。感謝?執着?依存?もう何も分からない。思い浮かぶ言葉全てにペケを付けて否定していく。
――ならば、最後の最後まで残ったこの言葉こそが答えなのだろう。
「俺は、雨衣ちゃんの事が……好きだ。」
言うことを効かない舌を強引に動かし、その言葉を口にする。
言い切った後で、彼女の目を改めて見つめた。
どこまでも澄み切った、青色だった。
あぁ、きっと、俺の残ってしまった命の使い所は、ここなのだ。この青を守りきるために、そのために生き永らえたのだ。
返答が返ってくる。
「はい、私も──貴方が好きです。」
終末世界を眼下に、彼女は今日一番の笑みを見せ。
「だから、置いてかないでくださいね?」
柔らかく、優しく、呆気に取られる俺の唇に口づけした。




