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第三十四話 切開

 自らの真下から吹き上がる帰り血を拭い、視界を確保する。

 ナイフは……ダメだな。勢いよく刺しすぎた。完全に刃が肉と骨の間に埋まっている。敵を目の前にしたこの状況では回収できそうにない。


 呆然とした調子で俺の名を呼んだ敵を静かに見据える。

 瞬間。首元に電気が走るような感覚。脊髄反射で首を捻る。

 破裂音と掠めるような音……抜き撃ち(クイックドロウ)か。放たれた銃弾は俺の頬を切り裂き、キンキンと軽い金属音を立てた後に止まった。

 敵が銃を腰に収める。道理だろう。ここは一辺10mの正方形のリング。下手に銃器を使えば跳弾で自滅しかねない。


 腰を落とす。即ち近接戦。

 恐らく相手は先刻エネルギー管理区画で撃破した敵と同じく、チョッキか何かを装備している。胴部への打撃は無効と見たほうがいい。

 作業のためか顔を晒していた彼らと違いマスクを付けて頭部への衝撃まで対策していたらしいが、それは奏の奮戦で剥がれ落ち今は白い顔を露わにしている。頭部への攻撃は有効。

 武装は先ほど見せた拳銃と恐らくナイフ。アサルトライフルを背部に懸架しているが、その狭い空間内では銃撃、刺突ともに取り回しが悪いだろう。まぁ用心するに越したことはないか。


 などと思索を巡らせていると、奴の腕が背中に回り、次の瞬間何かが飛んでくる。

 ライフル!手投げ槍(ジャベリン)の代わりか!

 咄嗟に横ステップで軌道から逸れる。

 投げつけたライフルを追走するかのように長身が迫る。その手に煌めくナイフが此方に伸びる。腕を相手にぶつけてナイフの動きを止める。

 身を屈めて壁に突き刺さることなく衝撃で跳ね返ってきたライフルを回避。そのまま股下を潜って仕切り直す。


 屈んだ体制から立て直った頃には既にその体躯が至近距離にある。

 コイツ!速い!

 その速度に面喰らいながらもどうにか身をひねり刺突を避ける。

 回転エネルギーのままに顔面目掛けて拳を繰り出す。


 「グ…」


 腕で凌がれた。硬質な感触が左の手に嫌な痺れを齎す。

 左手をスナップさせ、肘鉄を入れた後に左、右への蹴り。敵の体躯を足場に後ろに一回転してどうにか距離を取る。


 ……手ごわい。

 それが正直な感想だった。今の攻撃の全てが強固な防具に阻まれて殆どダメージを与えられていない。


 息を吐けたのも一瞬。再び奴がこちらに詰め寄り、戦端が開く。


 「クッ」


 「ハァァ!」


 ヤツのナイフの連撃をどうにか捌く。


 その中で、奴が口を開いた。


 「沢渡京。『死神』とすら呼ばれた男。何故お前は銃把を取る」


 「なんでもクソもお前らが喧嘩売って来たからに決まってるだろうが!」


 ツラの割にペラペラペラペラと、日本語が饒舌な野郎だ。……ロシア系の血が混じってる俺が言えたことじゃないか。


 「そのような事が聞きたいのではない。もっと根源的(プリミティヴ)な物を問うている」


 「さぁな!そんなものはとうの昔に忘れちまったさ!」


 叫びながら顔面に飛び膝を見まう。しかし、あえなく防がれた。


 「混ぜっ返すのは勝手だがな。」


 視界が揺れる。


 「誤魔化そうとして、誤魔化せるものではないぞ。」


 足を掴まれて地面に叩きつけられた。


 「……ってぇ」


 どうにか身を起こす。攻め手が見当たらない。この男の守りには間隙がない。


 奴は口を開くことをやめない。


 「有馬雄介。」


 視界が凍り付いた。


「河合一華。長尾未来。」


 軋む。脳みその奥の奥。決別した、乗り越えたはずの

 あの、しめった、つゆのころのきおく。


 「テメェ……どこでその名前を……!」


 ノイズが脳内を埋め尽くす。冷静だ。冷静を保て。隙を晒すな。奴の手の内だ。お前はアレを殺した。仇は取っている。落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。


 「お前は自分自身が思うよりも随分と有名人だ。まぁそれは一旦置いておくか。嫌でも後で分かることだ。お前は一年前、<タイタニア型>の迎撃作戦の惨禍の中で、先程挙げた部隊員三名を失くしている。」


 「お前如きがアイツらを語るな……!」


 歯止めが利かない。殺意にアクセラレートされた脳みそは極めて短絡的な動きで攻撃を仕掛ける。

 必然、防がれる。


 「人の話というものは聞いておく物だ。<UN-E>の風紀は随分と緩いようだな。

 フン、続きだ。<タイタニア型>を撃破寸前まで追い込んだお前だったが、奴の尋常ならざる再生能力の前に敗北。あぁ、今では「適応能力」とやらの産物とされているのだったか?」

 

 「フッ……グッ……」


 「無駄な事は止せ、関節を抑えている。お前は可能な限り傷をつけないよう確保しろとの命令だ。交戦中なら兎も角、こうなった今となっては手荒なことはできない。」


 俺を……確保……?どういうことだ……?なにかがおかしい。なにかを根底から間違えて……

 駄目だ、思考が纏まらない。今はその良く回る舌を引き抜きたくて溜まらない。


 「無謀とすら言える迎撃作戦の中で戦果を挙げ、大半の戦闘員がMIA、KIAの憂き目となる中で唯一生還を果たしたお前だったが、その代償は大きかった。

 夢を通した定期的なフラッシュバック。不眠。摂食障害。記憶の損耗。自傷の域にすら踏み込んだ過剰な訓練。危機感、恐怖心の摩耗。希死念慮。

 まぁ総じて戦場でショックを受けた人間の典型的なPTSD症状といった所だが……お前のその『死神』という二つ名だって、その果てに付いた物だろう」


 「何が……言いたいッ!」


 悍ましい。俺の苦悶を、端的に解体するようなその口ぶりが、悍ましい。


 「要するにだ……」


 「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 「そうだろう?考えてもみろ。<N-ELHH>の発生から25年、<最終戦争>から10年経ってなお、戦線は動かない。悪化することはあれ、良くなることはなかった。永劫の逼塞と、その果ての欠乏。それが、その戦いの結末だ。詰まる所、無益な戦い、無意味な争いだ。それで命を散らす。かつてのお前の部下を初め、皆。」


 「お前に……何が……」


 「分かるとも。化物、人間の別を問わず、友軍を殺され続けた。

なぁ、沢渡京。無意味な争いに心身を擦り減らした死神よ。お前は俺たちの同輩だ。何も知らず、痛みをわからぬ馬鹿共とは違う。大人しくこちらに来い」


 「……」


 否定、出来なかった。


 長きに渡る<N-ELHH>との戦い。その戦いの果てを、この戦いの意味を見据えている者など誰もいない。日々降される任務を、ただただこなし続けるだけの日々。血と殺戮に塗れたポスト・アポクリプスの日常。眼の前の終焉を逃れることに精一杯で、いずれ首が回らなくなることなんて目に見えている。

 あの死が無駄であるなら、この戦いが無意味であるなら、いっそ、辛いばかりの全てを投げ出して、穏やかに逝く道も……


 力が入らない。諦念と失望が心を包む。

 煮えたぎる殺意は冷え切り、ノイズが重たく脳みそに伸し掛かる。

 ひどく、苦しい。たまらず息を吐き出そうとして。

 俺はそこで初めて、自らがきつく歯を食いしばっていることに気がついた。


 ――何故、俺は。

 この期に及んで、なお。甘き死の誘いに肯んぜずにいる?


 あぁ、そうだ。

 無意味かもしれない。無駄かもしれない。あの死は、あの日の滂沱は、報われることなど無いのかもしれない。


 ――それでも。譲れない物が。それでも良いのだと胸を張れる何かがそこにある。


 忘れかけていた、あの日託された責任が。一日でも長く不幸から遠ざけたいその為には命など惜しくは無いとすら感じる、誰かがいる。

 だから、だから――


 「お断りだね。」


 「なッ!?」


 渾身の力を込めて振りほどく。あれだけ固く感じた関節の抑え込みは、いともたやすく外れた。


 「手前勝手な絶望を押し付けられてもらっちゃあ、困るんだよ!!」


 「貴様ァ……やはり手緩かったか、異常者め。まぁ良い。当初の目的通り、確保するだけだ……!」


 重心を落とす。刃が再び光を放つ。


 「ジネットォォォォォォォーーッッッ!!!!!」


 「沢渡、京――!!!!


 ――第二ラウンドの始まりだ。

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