初めて感じたこの気持ち
「遅い」
暫くの間待っていたボクは、開口一番にそう言った。
「失礼致しました」
ボクの文句に対し、シャナスが潔く謝罪する。まるで最初からそう言われることが分かっていたかのように。
……あれ? 来たのってシャナスだけ?
「あれ? ネルとメルは?」
ボクはてっきり、ネルとメルの二人も来るもんだと思ってたよ。読みが外れたね。
「あー……。彼女らは少しその、野暮用ができまして」
シャナスは少し口ごもった後、二人が来ていない理由を述べた。
「ふーん、……そっか」
少し残念。
野暮用って何だろうね? 確か今日二人は、今日は一日中ボクとずっと一緒にいるみたいなことを言っていたような気がするんだけど。
「二人にも彼のこと、紹介したかったなぁ」
まあいっか。急に用事ができることなんて誰にでもあるからね。彼のことはまた別の機会に紹介すれば良いだけの話だ。
「それは……ええ、そうですね」
なんでかな。シャナスがさっきからはっきりとしない。なんか曖昧な返事ばっかりだ。珍しいこともあるもんだね。
「まあいっか。で? 彼は今どこにいるの?」
ボクは早速、彼の詳細な居場所を聞き出す。だって早く彼に会いたいからね。シャナスが口ごもっている理由なんて、正直どうでもいいし。
「では、ご案内いたします。こちらです」
彼のもとへ行くために、シャナスはそう言って何かを誤魔化すように歩き始めた。
こいつのことを待っている間、ボクは自力で彼のことを探そうかとも考えたが、それは止めた。シャナスは彼の居場所を知っているんだから、わざわざボクが労力を費やす必要は無いと思ったからだ。
いやー、それにしても一時はどうなることかと思ったよ。だって彼の魂の詳細な転移先を、ボクは指定してなかったからね。ボクが転移させたから転移の失敗は有り得ないとして、詳細な場所の指定を忘れるというポカは犯したものの、まだ世界の指定まではしていて良かったよ。こういうの何って言うんだっけ? えーっと、不幸中の幸い? ……うん、なんか違う気がする。
「結構歩く?」
そんなことを考えながら少し進んだ後、ボクはシャナスにそう質問した。
「いえ、そんなにかと」
ふーん、そうなんだ。
でもこいつが言う「少し」は当てにならないからなぁ。前に「少し」って言って長々と説教されたのを思い出した。嫌な思い出だよ。
ああ、早く彼に会えると良いな。早く会いたいよ。
「そろそろ……あっいました。あちらです」
本当に少しだけ歩いた後、シャナスが発見の報告をした。
「おっ、どれどれー?」
案外早かったね。そう思いながら、ボクはシャナスが示した方向に目を向ける。
「わーお」
そしてボクは、思わず感嘆の声をもらした。
ボクの目には今、白髪の美少女が映し出されている。なんだか存在自体を希薄に感じる、けれど少しも目を離せない、そんな容姿端麗な美少女。
その子のことを見つめれば見つめるほど、狂おしいほどに鼓動が高鳴る。端的に言えば、胸がドキドキする。
気付けばボクは、今まで一度も抱いたことのない不思議な感情を抱いていた。簡単に言えば、あの子が欲しい、あの子に欲されたい。なんだろう、なんなのだろう、愛おしくも醜いこの感情は。
「あれが境希夢くんで合ってるよね?」
ボクは美少女を指しながら、シャナスにそう質問する。そうだと確信しているものの、一応確認した。
「はい」
やっぱり。ボクの思った通りの返事が返ってきた。
へぇ。ボクはてっきり、彼はまだ魂の状態かと思ってたよ。それがどういうわけか、あんなにも可愛い身体を手に入れたんだ? やっぱり彼、面白いね。
「それで魔王様。一体彼のことをどうなさるおつもりで?」
シャナスがボクにそう質問する。
「え?」
ボクはその質問に対し、ポカンとした顔で返した。
「え?」
ボクが疑問で返すと、シャナスも同じように疑問で返してきた。
そうして顔を見合わせた二人の間に、少しの間沈黙が訪れる。
「……シャナスは彼をどうにかするつもりなの?」
さっきの言い方的にそんな感じがしたよね?
「……魔王様は彼に対し、何かをするつもりでこちらへ伺ったのではないのですか?」
ボクの質問に対し、シャナスが訳の分からない質問で返してきた。なのでボクは当然、こう返す。
「いや?」
まあ確かに、彼が魂のままだったりしたら、ボクが身体を作ってあげようとは思ってたかな。でもボクが何かしなくても彼は素敵な身体を持っていたわけで、つまりその必要は無くなった。なので現状、彼に何かをするつもりは無いね。
……いや、でも待てよ? このまま何もせずに帰るのは、何というか勿体無いかもしれない。そう思ったボクは、彼に対して何かをしようと思った。
「私はてっきり、彼のことを魔王城へ連れ帰るおつもりなのかと。…………なのでどうやって止めようかと私は悩んでいたのですが」
最後にボソッと言ったのは、ボクにはよく聞こえなかった。
「うーん。連れ帰るのは無しかな」
少なくとも今のところは。
だって彼、ボクの手元に置くよりも野放しにしていた方が、面白いことをしそうだもんね。ボクが彼を手に入れるのは、彼をじっくり観察した後でいい。今はまだ、彼がこれからこの世界でどう生きるのかを見ていたい気分だよ。
そもそもボクは、彼のことを一方的に知っているだけだし。一方的に見て、一方的に気に入り、一方的に話しかけただけ。ボクは彼とはまだ会話すらしていないし、彼はまだボクの声しか知らない。
「あっ、そっか」
とあることに気が付いたボクは、手をポンと叩く。
そっか、彼はまだ、ボクのことを知らないんだ。ならボクのすべきことはもう決まっているよね。
「ちょっと彼に挨拶してくる」
ボクは、シャナスに向かってそう言った。だって言わないと、こいつはまた怒りそうだし。
簡単な話だった。知らないなら知ってもらえばいいよね。っていうか、まずはそこからだったよ。ボクはまだ、彼に認識さえされていない。だからまずは自己紹介をしなくちゃね。そしてなんやかんやで少しずつ距離を詰めていって、最終的にボクは彼を手に入れる。うん、完璧なプランだ。
「魔王様。お待ちを」
いざ彼のもとまで行こうとしたところで、唐突にシャナスに止められる。ボクは少しイラっとした。
「なに……もがが」
ボクが振り向きシャナスのことを睨みつけようとしたら、シャナスは突然どこからともなく取り出した布でボクの口を少し強めに拭く。そしてその後、これまたどこから取り出したのか分からない櫛でボクの髪を梳き、ついでにボクの身なりを整える。
「……もしかして、お菓子のカス付いてた?」
「はい」
「寝ぐせもあった?」
「はい」
マジか……。良かったよ、シャナスがいて。こいつがいなければ今頃ボクは、とてもだらしない恰好で彼に挨拶するところだった。彼との初対面がそんなの、ボクは嫌だよ。危なかったぁ。
「一応鏡見せて」
シャナスの仕事がいつも完璧なのは分かっているものの、急に不安になったボクは一応自分でも確認することにした。
「承知いたしました」
そう返事したシャナスは、折り畳み式の鏡を取り出す。ボクの頭のてっぺんから鎖骨ぐらいまで映るほどの大きさのやつだ。……一体どこから取り出したんだよ。
まあいっか。
「うーん」
見たところ悪いところは一つもないね。鏡に映っているのは、いつも通りの完璧なボクだ。だがしかし、ボクは何となく前髪を軽く手で整えることにした。
「……あっ」
ボクが前髪をちまちまといじっていると、後ろの方から透き通った可愛い声が聞こえてきた。
「ん?」
ボクは反射的に後ろを振り向く。すると、彼の雪景色を連想させる真っ白な髪が少しだけ見えた。
「「……」」
ボクとシャナスは二人して黙りこくる。その沈黙を先に破ったのはボクだった。
「……落ちた?」
彼。いや、今絶対落ちたよね。それはシャナスの方がばっちり見ているはずだ。
「……落ちましたね」
やっぱり。ボクの見間違いではなかったみたいだね。それはそれとして、ボクはこう思った。
「なんで?」
なんで彼は落ちたんだろうね?
「さあ? 足を踏み外したのではないでしょうか」
どうやらボクよりしっかり見ていたはずのシャナスでも、彼が落ちた理由ははっきりしないらしい。
――ボスン。
二人して不思議に思っていると、やがて彼が地面に激しくぶつかった音がした。崖上から彼の様子を眺めるため、ボクたちは二人揃ってそそくさと見やすい場所に移動する。
「死んじゃったかな?」
「それは無いかと」
だよね。実際ボクも、彼がこの程度で死んだとは到底思っていない。シャナスの意見を聞くために、そう言ってみただけだ。
「……けほっ、けほっ」
少しして、彼が可愛らしく咳き込んでいるのが聞こえてきた。やがて土埃が納まり、彼の姿が肉眼ではっきりと見えてくる。
やっぱり生きてたね。
「……ほぉう」
シャナスが顎に手を当てながら、感嘆の声を漏らす。
それもそのはず。だって彼はこの高さから落ちて傷一つないのだから。シャナスが驚くのも無理はない。ボクも怪我ぐらいはしてると思ってたし。
これはあれかな。ボクが以前、彼をこちらの世界へ呼び寄せるときに、魂を魔術でいじったのが関係してるかな。というか絶対そう。そうじゃないと、いくら何でもこの高さから落ちて無傷はおかしいよ。多分だけど彼、受け身すら取ってないし。
やっぱり彼をこっちに呼んで良かったよ。これから楽しくなりそうだね。