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世界はこんなにも美しいのに  作者: 春風ほたる
人生ってめんどくさい
6/17

犯行現場は見てないけれど

 ――ペロペロ、ペロペロ。


 ……む~。何? 頬に伝わってくるこの感触は。しっとりに加えてぬめっとしている。よく分かんないけど、なんか少しだけ気持ちが悪い。


「んぬぅ~。……もうちょっと、寝かせて」


 寝返りを打ちながら、何かに向かってそう呟いた。


 ん~、むにゃむにゃ。


「……」


 ――ペロペロ、ペロペロ。


 またもや先程の不快な感触が、先程と同じように僕の頬に伝わってくる。


 ……もう、鬱陶しい。


 やがて痺れを切らした僕は、ガバッと起き上がった。


「むぅ。……もう、何?」


 僕は、半覚醒状態のまま座った状態でそう呟く。すると寝ぼけ眼の僕の目には、黒い大きな物体が映し出された。


「んぅ?」


 何だろう? 疑問に思った僕は、それが何なのかを確認するために、まずは目をぱちくりとさせた。そして、今度はしっかりと開いた目でその物体をじっと見つめる。


 ぼやけていた視界も徐々にくっきりとし始めた。それに伴って、黒くて大きな物体の正体もはっきりとする。それは狼のような動物だった。それが分かった途端、僕の中でとある記憶がフラッシュバックする。


 そうだった。そういえば僕、このでっかい狼と死闘を繰り広げたんだ。

 うーん、思い出したものの、何だか不思議な感じがする。一体何故あの時僕は、この如何にも凶暴そうな動物に勝負を挑んだのだろうか? どうして勝てると確信していたのだろうか? 自分の行動、そして自分の気持ちだという自覚はあるものの、全く意味が分からない。心が僕自身の中にある何かに蝕まれていたような、そんな感じだ。


 それはそうと、僕は今ものすごーく気になっていることがある。それを確かめるために、僕の目の前でのうのうとくつろいでいる件の狼に僕は話しかけた。


「ねぇ、君。もしかして、さっき僕のほっぺた舐めた?」


 自身のほっぺたを触りながらムッとした顔で狼にそう尋ねる。


 そうだ。つい先程僕の眠りを妨げた感触は、こいつの仕業ではないかと僕は疑っている。いや疑っているというか、十中八九こいつの仕業だと思う。だって、そんな犯行できそうなのこいつぐらいしかいないし。先程の感触も、こいつの舌で舐められた感触だと言われたら納得だ。


「……フッ」


「なっ……!」


 僕は驚愕する。


 にゃんだとぉ、この野郎。こいつ僕の質問に対して、ただ「知らん」とばかりに鼻を鳴らして顔を背けやがった。「俺の休憩の邪魔をするな」とでも言いたいのか? 仕掛けてきたのはお前だろうに、なんて奴だ。


「まぁいっか」


 ここは精神的にお前よりも大人の僕が、おとなしく一歩引いてやろうじゃないか。


 そもそもこんなやり取りをしている今のこの状況は、……なんていうか、その、変だと思う。


 僕たちは一応、一時は命のやり取りをした仲だ。あの時の決闘に決着がついたのは覚えてる。覚えているっていうか、さっき思い出した。おそらく僕の勝ちだったはずだ。だがしかし、僕はとどめを刺す前に気を失ってしまった。まあそもそも殺す気なんて少しもなかったんだけど。そうは言っても、あの時の不明瞭な何かに支配された状態の僕だったら、本当にこいつを殺してしまっていたかもしれない。殺さなかった、というか殺せなかったことに対して、なんだか今はホッとしている気分だ。


 ……ん?


「ねぇ、君。君はなんで僕のこと、殺さなかったの?」


 僕は当然とも言える疑問をこいつに投げ掛ける。

 考えてみるとおかしなことに気が付いた。僕たちが行ったのは、文字通りの死闘。命のやり取りだ。こいつは僕のことを殺す気で襲い掛かってきていたはず。だがしかし、どういうわけか僕は現在、五体満足で元気に生きている。身体には傷一つ見当たらない。一体、どうしてだろうか。


 こいつの目の前で僕が一度意識を失っているのは、紛れもない事実。それこそ、僕のことを殺すチャンスなんていくらでもあったはずだ。僕は今頃、こいつの腹の中でも何等おかしくはない。


「……」


 ……無視ですか、そーですか。つまり、答える気は一切無いと。そういうことなんでしょ。まるで「聞こえてないよ」って言っているかのような澄まし顔しちゃってさ。お前の耳にはちゃーんと僕の言葉が届いてるの、僕は分かってるんだからね。僕が質問した時、耳が一瞬ピクッてしたの僕はばっちり見てるからな。


 ……うーむ、どうにもこいつは言葉の意味をしっかりと理解したうえで、意図的に無視しているように見える。何だか僕のことを小馬鹿にしているような感じだ。生意気なワンワンめ。


「むぅ~」


 ムッとした僕は、口を尖らせてムスッとした顔をした。


「……はぁ」


 少しした後、僕は深くため息をついた。頭の良い僕は、いつまでもぷりぷりと怒っていても仕方がないことに気が付いたのだ。気が付いたというか、こいつから聞き出すことを早々に諦めたって感じかな。仕方がないから、僕が納得できる理由を僕自身が勝手にこじつけることにシフトチェンジした。


 うーん、……もしかして僕のことが美味しくなさそうだったとか? でもそれなら、こいつの縄張りであるこの洞穴の中で、今の今まで僕が安らかに眠っていたことに対して説明がつかない。餌にならないのなら、普通は縄張りの外に放り捨てたりすると思う。だって僕は、こいつの縄張りへ勝手に踏み入った、謂わば外敵なわけだし。


 考えられる理由は、実はもう一つある。それは、この狼が自身の負けを認めたから。死闘の末、こいつは僕に対して降伏している。僕のことを強者と見做し自身の縄張りに入ることを許した、とかそんなところじゃないかな。生憎とそれを肯定するすべを僕は持ち合わせてはいないが、否定するための理由も特には思い浮かばない。だからまあ、そういうことにしておこう。


「よっこいしょっと」


 勝手に納得した僕は、おもむろに立ち上がった。そして軽く身体を動かす。


「ん、ん~。……ぬぅ~」


 いーち、にー、いーち、にー。うん、こんなもんでいいかな。およそ運動とも呼べない感じで数秒間だけ身体を動かした僕は、概ね満足した。


「さてと」


 次にやりたいこと。それはもう僕の中で決まっている。


「ねぇ、ここで水浴びしてもいい?」


 やりたいことを実行に移すため、まず僕は湖を指差しながら狼に向かって質問した。

 水浴びをしたいのにはちゃんと訳がある。きちんと明確な理由があるのだ。

 僕は、出来る限りは清潔でいたい、その方が好ましいと思っている。だからこそ僕は水浴びをしたい。あとはそう、眠気覚ましも兼ねている。一石二鳥だ。


「……」


 僕はひたすらに返事を待つ。


「……」


 たとえ狼が大きく口を開けて欠伸をしていても、僕は何も言わずに返事を待つ。


「……」


 とにかく辛抱強く返事を待……たなくていいかな、もう。

 うん、もういいや。しーらない。一応聞いといた方が良いかなぁって思ったから質問したのに。お前がそんな態度をとるんだったら僕は僕で好き勝手にやらせてもらうもんね。……まあ、したら駄目なことならその時は止めてくるだろうし。聞こえていないわけがないので、こいつの無視、もとい沈黙は僕にとって都合がいいように肯定と受け取ることにした。


 僕は自身の水浴びついでに、今の僕の一張羅であるこのワンピースも洗おうと考えている。一石二鳥ならぬ、一石三鳥だね。やったね。


 さあ、どれからしようか。うーん、服を最初に洗おうかな。そうしたら服を乾かしている間に水浴びできるからね。実に効率的だと思う。そうと決まれば、そのためにまずは準備だ。


 僕はさっとこの洞穴の外に出て、ささっと適当な長い木の枝を三本拾って、さささっと洞穴の中まで帰ってきた。そして、拾った長めの木の枝を僕の想像に沿って組み立てる。


 僕が拾ってきたのは、Y字型の木の枝を二本と真っ直ぐな木の枝を一本。まずはY字型の二本の木の枝を、くぼみの高さが大体同じぐらいになるように、適当な場所の地面に突き刺す。この時の二本の距離間は、真っ直ぐな木の枝の長さよりも少しだけ短めにするのがポイントだ。よし、あとはY字のくぼみに真っ直ぐな木の枝を引っ掛ければ、……完成!


 ジャジャーン。簡易版物干しセット~。


「むふ~」


 腰に手を当てながら、得意げな顔をして鼻から息を吐く。うんうん、我ながら良い出来だ。


「ああ、そうだ」


 せっかく洗っても、物干し竿が汚ければ意味がない。それに気が付いた僕は、物干し竿代わりの木の棒を軽く水で洗うことにした。棒全体を水に漬けて、水の中で軽く棒を揺り動かす。


 ――じゃぶじゃぶ。


 うん、こんなもんでいいかな。僕は物干し竿についてしまった水を切るために、物干し竿をぶんぶん上下に振った。そしてもう一度、先程と同じようにくぼみに引っ掛ける。


「よし!」


 気合を入れ直した僕は、早速服を脱いですっぽんぽんになる。

 不幸中の幸いと言うべきか。僕は下着すら着用していなかったので、洗うべき衣服は今しがた脱いだワンピースだけ。一着だけだから、洗濯がとても楽ちんだ。


「ふんふんふ~ん」


 僕はるんるん気分で鼻歌を歌いながら、ワンピースを元の純白へと戻していく。生地が駄目になってしまわないよう丁寧に、汚れが落ちるように適度な力を入れて。


 ――ジャバジャバ、ゴシゴシ。


 僕は真剣に、そして楽しく服を洗い続けた。


「ふっふふんふ~ん」


 もう汚れという汚れは全部落ちたかな? そう感じた僕はそれを確認するために、洗っていた服を自身の目の前に両手で持ち上げて掲げた。きちんと洗えているか、裏と表をしっかりと確認する。


「うん、おっけーかな」


 見た感じ汚れはしっかりと落ちていた。元々そこまで汚れてはいなかったんだけど、やっぱり真っ白な方が良いね。その方が、清潔感がある。

 満足した僕は服を思いっきり上下にパンパンと振りさばいてしわを伸ばした後、袖に物干し竿を通して服を干した。


「よし」


 さあ、次は待ちに待った入浴タイムだ。僕は意気揚々と足のつま先からゆっくり湖に入る。

 残念なことに、シャンプーやボディーソープ、石鹸といった類のものは持ち合わせていないので、ただの水洗いしかできない。まあこればかりはしょうがないか。


「はふぅ」


 湖の中は決して温かくない。むしろ冷たいが、これはこれで気持ちがいいね。


「ふんふんふ~ん」


 洗濯していた時と同じように、適当な鼻歌を歌う。

 僕は穏やかな気持ちで上機嫌にゆっくりと湖に浸かっていた。時折身体を伸ばしたり、泳いでみたりしながら。風呂というよりは、プールみたいな感覚だ。


「んん~~」


 僕は伸びをする。

 さて、そろそろ上がろうかな。…………あ。


「……はぁ」


 僕は自分が重大なミスをしていたことに気が付いた。自分の馬鹿さに呆れてため息が出る。そして、


「……やっちまったぜ」


 と、呟いたのだった。

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