不可解の渋滞
「んっ、ん~~~~」
上半身を起こした後、身体の凝りをほぐすように指を組んで両手を大きく空に向かって上げ、背筋を伸ばす。
「……はふぅ」
……ん? 一体ここはどこだろうか?
大自然と呼ぶのが相応しいような光景、それが今僕の目には映っている。こんな場所僕は知らないし、ここに来た覚えも全く無い。とりあえず僕は、周りをきょろきょろと見渡してみてた。草、木、木、花、草、花、木。およそ人工物と呼べるような物は見当たらない。
僕は何か目的があってここに来たのだろうか? うーん、分からん。寝起きで頭が働かない。なんか頭の中に靄がかかっているような、そんな感じ。
「よっこいしょっと」
少し周りを歩いてみれば分かるかも。そんな誰でも思いつくような浅はかな考えのもと、僕はゆっくりと立ち上がった。そして、お尻に付いていた土埃を軽く手で払う。
……ん? 何だか目線がいつもより低いような気がする。それに股の辺りの防御がやけに薄いような……。とてもスースーする。
僕は視線を落とし、自分の身体に目線を向ける。
すると僕の目には、自分が今着ている衣服と思われる一枚の布が、風に吹かれてひらひらと揺れている光景が映し出された。
これは、……あー、あれだ。スカート……じゃなくて上から繋がってるみたいだから、えーっとそう、ワンピースだ。断じて海賊の方ではない。とりあえず見えた範囲では何の装飾も施されていない、無地の白いワンピース。自分が身に着けているという状況によって、一瞬これが何なのか脳が理解を拒んだ。
はて? 何故僕は、ワンピースという女性用の衣服を身に着けているのだろうか。僕は男だ。別に、コスプレとか女装とか、そういった趣味を持っている訳ではない。そもそもこんな服を僕が持っている覚えは、記憶には全く無い。
これは果たして本当に僕の身体なのか? そんな意味不明な疑問が僕の脳裏をよぎった。
確かめるために、僕は両手を視界に写す。そして、手をグーパーと動かしてみた。
うん、ちゃんと僕の意思に連動して動く。これは僕の身体だと考えて、おそらく間違いないだろう。そういえば立ち上がる時も、ちゃんと僕の意思で動いてたな。わざわざ確認するまでもなかった。
そうだ、立ち上がる時といえば、
「あ、あー」
やっぱり、思った通りだ。発声した声が自分の声にしては妙に甲高く、透き通っている。とてもきれいな声だ。聞き慣れた僕の声ではない声が、僕自身から発されている。
まるで他者の体を操っているような、不思議な感覚。でも何故か、これは僕の身体だと、すんなりと受け入れることが出来た。
受け入れはしたものの、今の自分の身体は十中八九、十年間苦楽を共にした境希夢という名前を持っている自分の身体とは異なる。それに、先程発した声は、女性のものに聞こえた。さらに、今着ているのは女性用の衣服。もしかして、今の自分は女性になっているのではないかという疑問が頭の中に浮かんだ。
まあ、この疑問の解消方法は簡単だ。男性と女性では、明確な体の違いがある。だから、その違いがある部位を自らの目で確認すればいい。
早速僕は行動に移した。右手の人差し指を、今着ている服の首回り部分の真ん中辺りに引っ掛け、顔を下に向けると中が見えるように服を引っ張る。
……わーお。なんということでしょう。局部に相棒の姿が見当たらないではありませんか。
いや、別に僕は、この体の生殖器部分を見ようとした訳ではない。この体の胸部が、第二次性徴期を迎えた女性のように膨らみがあるのか、確認したかった。それだけだ。
そうしたら、ある事実が判明した。今現在なんと僕は、下着を身に着けていなかったのだ。というか僕が引っ張った服以外、衣服と呼べるものは何も見当たらなかった。その結果、必然的に、僕の目線の先にあった男性なら相棒がいる場所、それが視界内に入ってしまったという訳だ。
あえて言うなら、僕の今のこの身体はつるつるぺったんだった。
というか今更ながら、別に目で見て確認する必要は、無かったのではないだろうか。服の上から触ってみるとか、他にも方法はあったじゃないか。
まあ別にいいか。それに胸の膨らみだけでは、性を判別するのは少々難しかったと言える。ぺったんこだったし。むしろ生殖器部分が見えたことで、はっきりと今の自分の身体は女性であると判別することができた。結果オーライだ。
ちなみに、男の心を持つ僕がそれを見てしまったことに対する罪悪感や羞恥心、といったものは特に芽生えなかった。だって他でもない自分の身体だし。感想としては、僕今このワンピース以外何も着てないんだなぁって思ったぐらい。要するに、一枚布の紙装甲状態。所持物はこのワンピース以外何もないし、靴すら履いてない。
何だろうこの状況。訳が分からん。ここはどこなのか。何故僕の性別が変わっているのか。真実はいつも一つなのか。今の僕の頭の中は、不可解で埋め尽くされている。
そんな中で導き出した、一つの安直な可能性。……夢か? これ。
そういえば創作物の中の人物がその可能性にたどり着いたとき、必ずと言ってもいい程する行動がある。それは、自分のほっぺたをつねるだ。どうやら夢の中では痛覚が無いと言われているらしく、ほっぺたをつねっても痛くないらしい。物は試しだ、さっそく僕は自分のほっぺたをつねってみた。
むにーっ。
……痛い。そんなに強く引っ張ってないが、普通に痛い。ほっぺたをつねったんだなぁっていう痛さだ。
さて、やっといてなんだが、夢の中では痛覚を感じないという話は果たして本当なのだろうか。『夢の中で痛覚はあるのか実験』というのを誰かが行ったのだろうか。おっと、論点がズレていた。今この状況の問題点はそこじゃない。
問題は、今のこの状況を除き僕が夢の中で痛覚を感じるのかということを、僕自身が今まで一度も試したことがないことだ。今が夢の中だと仮定すると、今回が初めての夢の中でのほっぺたつねりになる。
つまりどういうことかというと、圧倒的に判断材料が足りない。僕が夢の中で痛みを感じるのかどうかが、現時点では不明だ。よって、痛いかどうかでは夢かどうかは判断できない。……はぁ、無意味な事したなぁ。これではただ、ほっぺたがちょっと痛くなっただけだ。何も収穫がない。
「ふわぁ~~、はふぅ」
僕が僕自身にちょっとだけ失望していると、思わず欠伸が出た。我ながら、なんとも気の抜ける欠伸だこと。
いやまあ、別にどうでもいいか。これが夢だろうが、現実だろうが。例え性別が変わっていようが、いまいが。それで困ることは特にない。僕はこの状況を受け入れ、そして気持ちを切り替えた。
さて、これからどうしようかな。そういえば、僕は何で立ち上がったんだっけ? ……えーっと、ああそうだった、思い出した。ここから移動すれば、今いる場所がどこなのか分かるかもしれないって思って立ち上がったんだったな。立ち上がった後に他の疑問やら仮説やらが浮かんできて、今自分がいる場所を把握するという当初の目的を忘れていた。
例えここが僕の知らない場所だとしても、ここが一体どういう場所なのかは気になる。確かめたい気分だ。
……うーん、目的は思い出したものの果たしてどの方向に進めばいいものか。少しの間しっかりと考えた結果、僕は頭の中にとある方法が思い浮かんだ。
その名も、木の枝で運任せ。やり方は簡単だ。まずは、木の枝を上に向かって投げる。そして、その枝が落ちてくるのを待つ。落ちてきて枝の動きが止まったら、あとはその枝の先っぽが向いている方向を確認するだけ。そうして導き出された枝の方向を、自身の進む方向とする。単純明快で素晴らしい方法だ。早速思いついたその方法を実行に移すため、まず僕は手頃な大きさの木の枝を探した。
よし、これでいいかな。僕は、足元に落ちていた木の枝を少し屈んで拾った。こんなものにこだわる必要は無い。
テッテレ~、木の枝を入手した。
なんとなく僕は拾った木の枝を自分の目の前まで持ってきて、独りでにゲームのテロップのようなものを頭の中で思い浮かべた。…………。こんなことしてないでさっさと向かう方向を決めてしまおう。
「ほいっ」
意識を切り替えた僕は、手首のスナップを利かせて木の枝を上に投げた。
――ガサッ、バサバサッ。
ん? 投げた方向から葉っぱの揺れる音がした。何故そのような音がしたのか確認するために、僕は音がした方向に顔を向ける。
「……あ」
なんてこった。はっきりと視認はできないが、どうやら投げた木の枝が木に引っかかってしまったらしい。その証拠に未だに木の枝は落ちてこない。さよなら、木の枝一号。お前は真っ直ぐで良い奴だったよ。
まあ一号が行方不明になったからといって、それで万策尽きた訳ではない。所詮は木の枝。こんな大自然の中だ。探せばすぐに見つかる。
テッテレ~、二本目の木の枝を入手した。
「ほいっと」
早速見つけた木の枝二号を、今度は木に引っかからないように加減して上に投げた。
――カランカラン。
よし、ちゃんと加減出来ていたようだ。その証拠に二号は木に引っかかることなく、きちんと僕の目の前に落ちてきた。さて、二号の先っぽは一体どの方向を向いているのか。確認をするために僕は視線を落とし二号を見た。
……なんてこった。なんと二号は枝分かれしており、自身の番号を主張するかのように先っぽが二つあったのだ。これではどちらに進めばいいか分からない。二号がそんなに薄情な奴だって知らなかったよ。ちゃんと確認しとけばよかった。
…………。
「はぁ、もういいや」
数瞬思考した後、僕はそう呟いた。
もう一本木の枝を拾って投げるのは、面倒くさい。そう思った僕は結局、二号が示していた方向のどちらでもない、なんとなく素足でも歩きやすそうな道に歩を進めたのだった。
以降毎週土曜日18時更新予定です。