声の主
「つまんなーい」
腰かけていた椅子の背もたれに身体を預け、ボクは思ったことをそのまま吐き出した。無駄に広くて薄暗い部屋の中で、ボクの独り言だけが木霊する。
「……はぁ~」
ほんとつまんない。
「魔王様、ため息を吐けばその分幸せが逃げていきますよ」
そうボクに向かって苦言を呈しながら、暗闇の中から一人の男がコツコツと足音を響かせて現れた。いいじゃん別に。独り言ぐらい好き勝手に言わせて欲しいもんだね。
「シャナスってさー、小言が多いよね。見かけによらず」
ボクはだらけた姿勢のまま、先程突如現れた大男、シャナスに話しかける。
シャナスは、体格は筋骨隆々で大柄な男だ。その一見ガサツそうな、酒のジョッキなんかが似合いそうな見た目に反して、物腰は柔らかく、口調はいつも敬語。それに、その口調に合わせたかのような執事服を、いつもピシッと着ている。特に腕や胸の辺りなんかは、今すぐにでもはち切れそうなほどパツパツだ。
「見かけによらずは余計ですよ」
ほーら、言った傍からまた小言だよ。ほんっと小うるさくてつまんない奴。
「はいはい。……で、ボクになんか用?」
投げやりな返事を返し、話題を切り替える。説教されるのは御免だ。
「はい。実は現在調査中の異界の地、その日本と呼ばれる場所で、とても面白い人間を見つけまして」
面白い?
「へぇー、どんなやつ? 見せて」
「こちらでございます」
シャナスはそう言って、軽く指を鳴らし、映像を映し出した。
面白い。その単語をボクに言う意味を、シャナスはよく知っている。そのシャナスが面白いと評した人間。一体どんな奴なのだろうか? ワクワクしながら、ボクは映像に目を向けた。
「……ずいぶんと、不安定な椅子に座ってるね」
映像には一人の人間と、その人間が座っている不思議な形をした椅子が映し出された。
その椅子は、背もたれも無ければ、椅子の脚も無い。地面から生えた二等辺の太めの鉄の支柱が両サイドにあり、その頂点を結ぶように同じ太さの鉄の支柱が横向きに一本ある。そして、横向きの支柱からぶら下がっている二本の鉄の鎖だけで座る部分を支えている。あ、座る部分も鉄で出来てるみたいだ。お尻痛そう。あと、古い物なのかな。全体的に錆びてるね。
「いえ、これは椅子ではなく、ブランコと呼ばれる子供用の遊具です」
「あっそう。……ふーん、じゃあこいつは子供なんだ?」
大きさは、大体一メートルと七十センチぐらいかな? 日本って所には、ボクより頭一個分ぐらいでかい人間の子供がいるんだね。
「いえ、彼の年齢は十八。日本では成人、つまり大人と見做される年齢です」
「……あっそう」
……。
それから数秒間、ボクたち二人は無言で映像に映し出されてる人間を眺めた。が、この人間はその間ずっと何をするでもなく、ただ空を眺めながらぼーっとブランコに座っていた。今から何か行動する気配どころか、このブランコっていう遊び道具から立ち上がる気配すら全く無い。
「シャナス」
「はい」
「どういうことか説明してくれる? だってこの人間、さっきから何もしてないじゃんか! こいつのどこが面白いって言うのさ!」
ボクは怒気を孕んだ声でシャナスに問いただす。
「魔王様、落ち着いてください。彼の面白い点は、彼の行動ではありません。彼の面白い点、それは彼の持ち得る精神、つまりは心です」
映像を映し出され、てっきり何か面白い行動をすると思っていたボクに、シャナスは淡々とそう言った。
「むぅ、そうなんだ。じゃあさっきのただ眺めてた無駄な時間はなに? 最初からこいつの行動以外が面白いって教えてくれたらよかったじゃんか」
渋々納得はしつつも、不満も一緒に口にする。
「それは、ウキウキしながら面白みの欠片も無い映像を眺めるのが面白く、いえ、失礼致しました。一度落として上げた方が、魔王様はお喜びになられるだろうと思った次第です」
どっちにしろ最低だよ。
「まあいいや。じゃあボクは今からこいつの心を視るから、静かにしててよね」
「お待ちください」
精神系統の魔術を使ってこの人間の心を視ようとしたら、シャナスに止められた。ボクは仕方なく術式の構築を中断する。
「……なに?」
シャナスのことを睨みつけながら問う。
「魔王様がこの人間の心をご覧になる前に、この人間について少しばかり補足をさせていただきたく」
……あー、はいはい、分かったよ。
「じゃあさっさとして」
殺気を収め、その補足とやらをするようにシャナスに促す。
「承りました。ではまず、この人間の名前から。この人間の名前は、境希夢。性別は男性で齢は十八。文武両道で、非常に記憶力が良く、特に努力せずとも物事をそつなくこなす事が出来る。所謂、天才、もしくは鬼才と呼ばれるような人物です。そんな彼ですが、周囲の人間と馴染めず、学校という名の、人間の子供の学び舎で、いじめの被害に遭いました。いじめの内容は、いじめ加害者の集団に囲まれた状況での暴力、所有物の紛失、所有物に対する落書き、容量を得ない罵詈雑言を浴びせられるなど。いじめ加害者の証言によると、いつもすまし顔でなんでも出来るのが気に食わなかったとか。そうした状況により、境希夢は学校を馬鹿らしいものと感じ、現在学校に籍はあるものの、学校に通ってはおりません」
「……ふーん」
なるほどね。要するに置かれた環境にその者が適していなければ、その環境に属している他の者たちがその不適合者を排除しようとするってこと、か。それはどこでも、たとえ世界を跨いだとしても同じみたいだね。なんだかね、がっかりだよ。
「じゃあ今度こそ、こいつの心を視るよ。もう何もないよね?」
若干の怒気を孕ませた声で一応確認をとる。また止められるのは嫌だからね。
「はい、補足は以上でございます。では、ごゆるりとご覧くださいませ」
ボクがわざわざ許可を取らなければならない。そんな状況に、ボクは若干の苛立ちを覚えた。はぁ、まあいっか。
怒りはすぐに消え去り、ボクは改めて精神系統である魔術式の構築を開始する。
シャナスが面白いと評したこの人間の心、それを今から視ようじゃないか。さあ、一体どんなものなのか。ワクワクしてきた。
術式の構築が完了し、この人間の心の声が、ボクの頭の中に流れ込んでくる。
……は? 何だこのぐちゃぐちゃな心。このボクの脳の処理が追い付かず、ボクは少ししかめっ面になる。
……あー、よし。大体分かった。この境希夢という人間は、能力はあるのに虐げられる人生を送ってきた。そういった人生経験により、生きることに対する疑問、社会に対する疑問、他にも沢山の疑問がこの人間の心の中にはある。そして、自分なりの答えは既に持っているのに、まるで他者が心の中にいるみたいに、それを肯定する自分、否定する自分の両方がいるみたいだ。否定、肯定、否定、肯定、それを無限に繰り返し、辿り着いたたった一つの答え。それが、その全てにおいて、
「めんどくさい、かぁ」
なるほど。シャナスがわざわざ面白いという単語をこのボクに使った訳だ。ボクは口元に笑みを浮かべ、新しく魔術式を一つ構築した。
「君、面白いね」
そして、その魔術を行使し、ボクの声をこの人間の脳に直接届ける。
「……?」
どうやら世界を渡ってもボクの魔術はきちんと発動したらしい。人間は不思議そうに周りをきょろきょろと見渡している。
そういえば魔術が無い世界もあるんだっけ。昔シャナスがそんなことを言っていたような気がする。多分日本って場所は、そういった世界の中に存在してるんだろうね。
……あははっ、この人間やっぱり面白い。最初は疑問でいっぱいだった心の中に、すぐに嫌悪感が広がった。魔術の存在しない世界で生きてるんだ。知らない声が突然頭の中に響いてくるなんて経験は、今までしたことがなかったんだろうね。疑問に思うのは、当然の反応と言えるよ。でも、その後すぐに感じたのが不快感って。あはは、面白い、面白いよ。
「あははっ、やっぱ君面白いよ。ボク、君の事気に入っちゃった。さあ、……えーっと、境希夢くん、ボクの世界においで」
ボクはこの人間にそう言った後、さらにもう一つ新しく魔術式を構築し、発動した。
「……魔王様? 今、何をされてます?」
映像を見て笑顔を引きつらせた顔をしたシャナスが、ボクに向かってそう言った。あ、この顔あれだ。いっつもシャナスが説教する前、ボクにする顔だ。
「え? この人間の魂の場所を探してる」
ボク何も悪い事してなくない?
「念の為お尋ねします。何故ですか?」
「この人間、境希夢くんをこっちの世界に連れてこようと思って。だって魂の形が分かんないと連れてこれないでしょ?」
だから必然的な行動だよ。
「はぁ、この人間の心を視れば、魔王様がそういった事をしようとすることも容易く予想できたはず。事前に注意しなかった私が馬鹿でした。魔王様、映像をよくご覧になってください」
そう言われて、ボクは映像によーく目を凝らしてみた。
「え!? なんで!?」
ボクの目には、境希夢くんが吐血している光景が映っている。
「魔王様もお察しの通り、境希夢のいる世界には魔術はありません。要するに、魔術に慣れていないのです。そんな世界に住まう者に複数の魔術を同時に行使すれば、今魔王様がご覧になっている通り、身体が魔術に耐え切れず、壊れてしまうという訳です」
そんなこと今初めて知ったよ! ちゃんと説明しといてよね!
「えっとえっとどうしよう!? とりあえず魂の形は分かった。そうだ、こっちの世界に連れてきて治癒系統の魔術を使えばいいかな?」
「彼の今の状態では、十中八九転移途中に死んでしまうでしょう」
マジか。いくらボクでも死体を蘇生をすることは不可能だ。死体を呼び寄せても何の意味もない。
それにさっきからボクが全力で治癒系統の魔術を使ってるっていうのに、なんでかな。吐血は止まらず、延命させることぐらいしかできていない。このままではシャナスの言う通り、転移中に死んでしまう。
「魔王様。魔王様は彼のことを大層お気に召されたようですが、残念なことに彼はもう手遅れです」
「えーっとじゃあ、彼の体から魂を取り出すよ! それで魂だけを転移させるっていうのはどう? 体はこっちの世界で一から作ればいいしさ」
わーお、ボクって天才! ナイスアイディアだ。
「お可愛い考えですが、残念なことに、魂のみでの転移が成功した例は今のところ一つもありません。魂とはとても繊細なものです。もし仮に魂のみでの転移を試みれば、魂は転移次元内の圧力に耐えることができず、潰れてしまいます」
じゃあこのまま何もできず、彼が死ぬのをただ眺めてろって言うの? せっかく気に入ったっていうのに。当たり前だが、外部から転移次元内に干渉することはできない。えーっと、他に何かできることはないかな? 考えろ、思考を巡らせるんだボク。
……次元内の圧力に耐えられない? あ、良いこと思いついた。
「シャナス。手伝って」
「一体何をなさるおつもりで?」
「ボクは今から、彼の魂が転移次元内の圧力に耐えられるぐらい固くなる魔術式を、彼の魂に直接刻み込む。ボクはそっちに集中するから、シャナスは彼がなるべく延命できるように治癒魔術を彼にかけ続けて」
「承知致しました」
よし、これならいける。短い返事の後、シャナスの魔術が発動したのを感じ、ボクは治癒系統の魔術の行使を止めた。そして、魂に魔術式を刻み込む作業に集中する。
彼の魂が少しも傷つかないよう慎重に、そして迅速に。
「……ああ、綺麗だなぁ」
その言葉を皮切りに彼が息絶えたのを感じ取った。
「ああ、疲れた」
何とかぎりぎり間に合った。彼が息絶えるまでにボクは、彼の魂に術式を刻み込む作業、彼の体から魂を取り出す作業、彼の魂をこちらの世界に呼び込む作業、その全てを終えた。ふぅ、さすがに疲れたよ。
「魔王様。大変お疲れのようですが、今すぐそこに正座しなさい」
シャナスは地べたを指さしながらボクに淡々とそう告げる。
「……はい」
仏頂面でボクは返事を返した。そして、渋々地べたに正座をする。
「私は魔王様に言わなければならないことが山ほどあります。まず、これは毎度のことですが、魔王様は何故私に何も言わずすぐに行動に移すのですか? 大事なのは、報告、連絡、相談の三つだと、いつも私は申しているでしょう。それに、魔術の無い世界に住まう者に対し、複数の魔術を同時に行使した点ですが、これは日々の勉強不足と言わざるを得ませんね。そういえば、この間も勉強のお時間にどこかへ逃亡を――」
「あっ!」
シャナスの話を半分も聞いていなかったボクは、唐突に叫んだ。
ヤバい。大変なことに気付いた。どうしよう。
「転移先指定してなーーーーい!」
ボクの悲鳴が、だだっ広い部屋の中に悲しく響き渡った。