魔王様って意外と……
彼が崖から落ちてから数分。あれから私たちは、未だに彼のことを追いかけている。彼にバレないようにコソコソと。
「……」
……そうですよ。何もアクションを起こさずに、ただ追いかけているのです。
「魔王様。貴方はいつ、彼に接触するおつもりですか?」
私はいい加減、魔王様にそう質問した。
「待ってよ。まだ心の準備が……」
私の発言空しく魔王様は、彼との接触を先延ばしにする。
「……」
そうですか。私は特に何も言いませんし、これといって思うところはありません。貴方様のその選択が果たして良いものなのか、悪いものなのか、私には判断しかねます。
貴方がそうしたいと言うのならば、私はただそれに従いましょう。何故なら私は貴方様の忠実なる僕なのだから。
そうして私たちは、そのまま彼のことを追い続けた。魔王様が仰っている心の準備というものが整うのが先か、はたまた彼の方から何かアクションを起こすのが先か。おそらく後者でしょう。
それにしても彼が崖から落ちた時は驚きました。なんせあの高さから落ちて傷一つないのですから。おそらくですが途中で失速したわけでも、落ちた時に受け身を取ったわけでもないでしょう。はっきり言って意味不明です。私は思わず感嘆の声を漏らしてしまいました。
そんなことを考えながら件の彼に見つからないように音を忍ばせて歩いていると、段々と草の背丈が高くなってきている場所までやって来ました。魔王様なんて既に、草に背丈を追い抜かされています。彼は何故このような場所へ? この付近には確か……。
「……おぉ」
彼が感嘆の声を漏らし、足を止めました。
さて、どうしましょうか。ここからでは草が邪魔でよく見えません。かといって見える場所まで移動すると、今度は彼に近づきすぎてしまう。それでは彼に見つかってしまうリスクがあります。それは魔王様の望まぬ対面でしょう。
「むぅ」
魔王様がしかめっ面になっています。おそらく魔王様はこの状況を不満に思っていることでしょう。彼のことがよく見えぬこの状況を。
私は忠実なる僕として、我が主様のために脳内で打開案を練る。
「ふむ」
……ああ、そうでした。そういえば――。
「魔王様。上へ参りましょう」
とあることを思い出した私は魔王様にそう提案する。
「なんで?」
「この洞穴には彼が今入って行った個所ともう一か所のみ、穴が開いています。そのもう一か所とは上の方にあり、そこからなら彼の様子が見やすいかと」
私がそう言った訳を、簡潔に話す。
そうでした、思い出しました。この特徴的な隠された洞窟には、もう一か所だけ穴が開いているんでした。
「そうなの? やるじゃん」
魔王様からお褒めの言葉を頂きました。有難き幸せ。
「で? どこ?」
魔王様はすぐさま私に、その場所へ案内するよう促す。
「では、お連れいたしましょう」
私は魔王様の意思に従い、より早く着くように転移魔術で移動することにした。
それにしてもこの御方は早計というか、早とちりというか。貴方様のお褒めの言葉に対し私が感傷に浸る時間も、少しは欲しいものです。
そんなことを考えながら私は転移の魔術を発動した。勿論、転移の対象者は私と魔王様の二名。そうでないと意味がありませんからね。
「おっ、よく見えるね」
どうやら満足されたご様子。今にも落ちそうな程その身を乗り出し、内部の様子をご覧になっています。こんな様子を見せられたら、私の方まで嬉しくなってしまいますね。
「ガルルルル」
私も魔王様に倣って内部の様子を覗き見る。
おや? どうやら彼は今、喧嘩を売られていますね。
因みに彼に喧嘩を売っているのはこの洞窟の主、というかこの洞窟を主な拠点としているこの森の主。つまりはノーディネリックの森の主ですね。あれは影狼と呼ばれる種族で、その名の通り影を巧みに使う狼です。影の使い方は主に二つ。影に潜っての移動と影の実体化。
それとこれは眉唾物の話ですが、影の中には自身以外でも触れてさえいれば入れられるのだとか。果たして触れていれば何でも入れられるのか、それとも制限があるのか、はたまたその話は出鱈目の嘘なのか。その真偽は私ほどの知識を持ってしても、今のところはっきりしておりません。
「死にたいのか?」
私が思考の海に浸っていると、彼が影狼に真っ向からそう挑発した。
「へぇ」
魔王様はその様子を見てニヤリと笑みを浮かべる。
「ふむ」
意外ですね。彼は影狼からの喧嘩を買うようです。……何が彼を突き動かしたのでしょうか。少しばかり気になるところです。
「ウオォォォォン!」
彼の挑発に対し、影狼が大きく咆哮を上げた。
その咆哮に対し、魔王様は耳を塞ぐ。……ふむ、確かに五月蠅いです。あの犬っころには後ほど、少しばかりお灸をすえなければなりませんね。
「僕の邪魔をすると言うのならば、僕は容赦なくお前を潰す」
彼のその発言を皮切りに、戦闘が始まりました。
彼はその姿に似合わず獰猛な笑みを浮かべています。対する影狼はというと、見事なまでに殺意と敵意が剥き出しですね。
そうこうしている内に、両者が激突する。
「ガルゥゥゥウウ!ガウ!ガァルゥウウ!」
「どっせいっ!」
彼はその華奢な身体で影狼の猛攻を真っ向から受け止めた。そしてすかさず蹴りで反撃をする。ふむ、良い動きです。
「ふーん」
観戦しておられる魔王様は実に楽しげだ。しっかりと彼らの動きをご覧に……いえ、これは影狼のことは全く見ていませんね。どうやら今の魔王様には、件の彼しか眼中にないようです。
――バッシャーン!
彼の華麗な蹴りによって、影狼は盛大に吹き飛ばされた。そしてその勢いのまま壁に激突し、盛大な水しぶきを上げながら湖へと落ちる。
「ちっ、見えないか」
彼の太腿辺りを凝視していた魔王様が、舌打ちをして悔しそうに呟く。
はて? 魔王様は何をご覧になりたかったのでしょうか? 私には分かりかねます。
「……あれ?」
彼が不思議そうにそう呟いた。
「……」
ふむ、どうやらあの犬は影に潜ったようですね。彼に対し正面から戦っても勝てないと悟ったのでしょう。おそらく彼の死角から奇襲をしかけるつもりかと思います。彼にそんな小細工をしたところで無駄でしょうに。
「ガルゥゥゥウウ!ガウ!ガァルゥウウ!」
「……!」
「ガッ!」
ほら。やはりと言うべきでしょうか、彼に対しその程度の小細工は通用しませんでしたね。その証拠にあの犬は手痛い反撃を喰らいましたし。
「まあいい」
彼が小さくそう呟いた。そしてそれと同時に、私たち二名は揃っておかしなことに気が付く。
「……ん?」
「おや?」
おかしいですね。彼から魔力の奔流を感じます。
「武器生成」
まさか……。使おうというのですか、目が覚めてまだ数時間しか経っていない彼が。理解したというのですか、魔術の無い世界で生きていたはずの彼が。魔術を!
「大剣」
彼はまるで私のことをあざ笑うかのように、易々と魔術を発動させた。
「あははっ、面白い」
彼の様子をじっくりと眺めながら、魔王様はそう仰る。
私は魔王様と違い、驚愕と困惑の方が勝っています。だってそうでしょう。何故彼は魔術を使えるのですか? その術式を、魔力の流れを本能で理解したとでも言うのですか? 魔術とはそんなにも容易いものではないのですよ!
はぁ。いくら彼が天才でも、魔術の才能があったとしても、魔術を使えるのは誰かに教わった後でしょう? 少なくとも私はそう考えておりました。
「……でも」
この後起こるであろうことを予測したと思われる魔王様は、小さくそう呟く。
そうでしょうね。言わずとも分かります。彼が先程使ったのは自身の純粋な魔力のみ。あれほどの大きな剣です、彼は今ので多量の魔力を失ったことでしょう。そうなればきっと彼は……。
――バタン。
まぁ、魔力が枯渇し、倒れるでしょうね。
「どうなさいますか? 魔王様」
私は我が主の判断に任せる。
「彼女にはボクの魔力をあげるよ。そうすりゃ回復するでしょ」
そう言って魔王様は、先程まで覗いていた穴からゆっくりと降りた。従者として私もそれに続く。
「ガルルルル」
おや? 負け犬が、生意気なことに魔王様の前に立ちはだかっています。
「どけよ」
魔王様はそれに対し、怒っていらっしゃる。低い声でただ一言、そう告げた。迸る殺気が凄まじい。
「グルゥ……」
だがしかし、影狼はその殺気を浴びてなお引きません。なんと生意気な犬なのでしょうか。
ん? 私はふと疑問に思いました。こやつは何故、頑なに引かないのでしょう? この個体は絶対的強者に立ち向かう程、愚かではないはずです。だとしたら一体何故?
私は今一度、影狼のことを観察する。そして今更ながら、とあることに気が付きました。
……ああ、なるほど。そういうことでしたか。それならば合点がいきます。
「うっざ。死――」
「失礼」
私は影狼の命が奪われるのを防ぐ為、愚かにも割り込んだ。そして魔王様が負け犬の命を刈り取るよりも先に、こやつが死なない程度に一撃で意識を刈り取る。
「ちょっと、何してんの?」
私はいきなり割り込んだというのに、影狼を殺しもせず魔王様の隣に戻ってきた。その事実に対し、魔王様は大層不服そうだ。怒気を孕んだ声で、私に対しそう仰った。……ふむ。これは、返答次第では殺されてしまいそうですね。
「大変失礼致しました。ですが彼の為を思うのならば、こやつは生かしておくべきかと」
「……どーゆーこと?」
全く理解が出来ないとばかりに、魔王様に尋ねられる。
「はい。と言いますのも、この犬畜生は彼に懐いているのではないでしょうか。様子を見るに先程の威嚇については、彼を守ろうとしての行動だと愚考致します。おそらくですがこやつは、私達が彼に対し危害を加えるとでも思ったのでしょう」
私は出来る限り簡潔に、そう思った理由を説明した。
「ふーん。……?」
どうやら魔王様は、どうにも腑に落ちない様子。
「彼に懐いているのであろうこれが生きていたら、今後彼の役に立つ可能性が高いと思いませんか?」
少なくとも私はそう思います。
「……そーだね」
魔王様は、私の提案に渋々納得された。
「さてと、彼女に僕の魔力ををあげないとね」
そしてさっさと気持ちを切り替えた魔王様は、早速次の行動に移る。
というか、そうでしたね。私達は元々、貧血で倒れてしまった彼に血を与える為に降りたのでした。
そうこうしている内に、魔王様は倒れている彼の元まで辿り着いた。そして横たわっている彼の頭を少しだけ持ち上げる。
「あぁ。やっぱり可愛いなぁ」
魔王様は、彼のことをまるで花を愛でるかのごとく丁重に扱う。そして、そっと口付けをした。……そう、口付けをした。
何故口付けを? 彼に魔力を与えているのは分かります。分かりますが、何となく魔王様のその行為は自身の欲求も同時に満たしているように感じますね。……まあ別にいいでしょう。
それにしても、ネルとメルを連れて来ないで正解でしたね。
「ちゅっ、ぷはぁ。……はぁ、ボクの嫁にしたいな」
こんなセリフを聞けば、あの阿保双子は卒倒しかねませんから。まあ、口付けの時点で大分危ういとは思いますが。