9話 車窓から
長旅の始まりは気まずい沈黙からスタートした。ゴージャス馬車の中、ガタイのいい短ヒゲ顎割れオヤジと二人きりというハードモード。本の入った行李は別の馬車に積まれており、読書でごまかすことはできない。ちょいワルイケオジと向かい合い、いったいなにを話せばいいのか。ソフィアはゴクリ、生唾を飲んだ。
(結婚相手は白髪ゴリラらしいし、ケツ顎オジサマにビビっている場合ではないわ!)
白髪ゴリラに比べれば、ケツ顎はモブである。ソフィアは笑顔を作り、ファーストステージに挑んだ。
「あの……」
「ソフィア殿下……」
ハモってしまった。ケツ顎オヤジ、ジモンは決まり悪そうに下を向いた。
「あっ、どうぞ……」
「いえ、殿下からどうぞ」
「わたくしのほうは、たいしたことではございませんので……」
まったく、埒が明かない。ふたたび沈黙となった。少時、間が空いた後、顔を上げたジモンのこめかみから汗がツツツと流れ落ちる。
「殿下! こちらの不手際で不快な思いをさせてしまい、申し訳ございませんでしたっっ!!」
「はい??」
「わたくしどものほうでは、旅支度諸々、そちらでご準備されているものだと思っておりまして、最低限の用意しかしてなかったのです。ご不便を強いることになってしまい、申し訳ございませんっっ!!」
ソフィアはなんのことかわからず、しばし呆けた。“最低限の用意”“ご不便”という言葉が耳に残る。
ややあって、この馬車が花嫁を迎えるにあたり、不充分だと言っているのだとわかった。
「そんな……充分過ぎるご用意です。わたくしのことは、気にされなくて結構よ。陛下は城の物を何一つ持ち出すなとおっしゃって、侍女一人連れて行けなかったのです。こちらこそお休みもさせず、着いてすぐ出立させることになって申し訳ない」
「お別れの時、いらしたご婦人ですか?」
「ええ。わたくしの侍女はあのルツ、一人だけなのです」
ジモンは絶句した。たしかにソフィアの扱いは王女のそれではない。
「哀れみは不要よ」
ケツ顎オヤジに気の毒がられたところで、ソフィアの不幸が終わるわけでもなかろう。ソフィアはジモンにクッキーを勧めた。先ほど、菓子職人たちにもらった物だ。
リボンのかけられた瓶詰は、前世のデパ地下に置かれていても違和感ない。バターなしだから少々硬めでザクザクしている。口に紅茶の香りがフワッと広がった。
「うん、おいしい!!……ところで、この馬車、そんなに揺れないんですのね?」
「車輪と車体のつなぎ目にサスペンションといって、バネを挟んでいるのです。そのおかげで衝撃が吸収されているのですよ」
「サスペンション? 車と同じ?……あ、いえ。こっちのこと……以前、馬車に乗った際、気持ち悪くて吐いてしまったことがあるの。これなら、長距離でも大丈夫そうね!」
「ええ。他国では吊り下げ式といって車体が宙に浮くタイプが主流ですが、バネを挟んで緩衝材にしているのは我が国独自の技術ですよ」
ジモンの話だと、どうやら自動車のサスペンションと同じ仕組みで馬車の揺れを防いでいるようだ。それも、他の国より一歩進んだ技術らしい。おそらく、前世の世界では近世寄りの中世ぐらいの技術だろうか。
ソフィアはルシアとちがい、外へ遊びに行かせてもらえなかったため、乗り物に疎かった。こういった話は非常に興味深い。国の持つ技術力は国力に直結する。
カーテンを開けた向こうには、黄金色の草原が広がっていた。その奥には雪山が連なり、大きな湖も見える。まばらな雲に覆われた空が近く感じるのは不思議だ。広大な空と大地に挟まれている。
城壁に囲まれた狭い世界で育ったソフィアにとっては、なにもかもが新鮮だった。
(これなら、景色を見ているだけで退屈しなさそうね!)
ファーストステージクリアー。
数時間後には、ソフィアとケツ顎オヤジジモンは仲良くカードゲームをして遊ぶようになった。この世界にも、ポーカーのようなゲームがあるのだ。さすがに馬車の中でボードゲームは駒が動いてしまうため、できなかったが。
ジモンはそんなにしゃべるほうでもなく、かといって過度に気遣いさせるわけでもなく、楽な相手だった。ソフィアはしゃべりたい時にしゃべり、話を聞き、外の景色を楽しんだ。ゲームに飽きたら本を読み、オカリナを練習する。(本とオカリナは停車した時に取ってきた)
日が沈むと兵士たちはテントを張り、ソフィアは幌馬車の中で休んだ。幌馬車にはベッド、鏡台、ソファー、机椅子と、家具が一通り詰め込まれており、高級ホテルの客室仕様となっている。ここでゴロゴロして半日以上過ごすこともあった。朝食はベッドの上でとり、夕食は日没を観賞しつつ、屋外でとる。シェフが同乗しているからフルコース。豪華寝台列車の旅である。
長旅ゆえに運動不足も懸念されたが、ときおり馬を借りて乗馬もさせてもらえた。そんな時は、ジモンと他三人の兵士に前後左右を挟まれて疾駆した。女性の乗馬はどちらかといえばマイナーだ。ちなみにルシアや母イレーネはまったく乗れなかった。前世とちがい、お姫様というのは体を動かす機会が少ない。幼いころ、気まぐれで習わされた乗馬を続けて本当によかったとソフィアは思った。
最大の鬼門であった風呂も入ることができた。思いきって要望を出したおかげで、風呂用の天幕を張ってもらえたのである。
侍女がおらず、貴人が一人で風呂に入るというのはイレギュラーケースだから、あちら側もどう対応するか困ったらしい。川や海の近くを通った日は沸かしてもらえた。足を折らないと入られない木製の小さな浴槽であっても、ありがたいものだ。
天候も良く、一度小雨に見まわれた程度。ソフィアは快適で優雅な旅を楽しむことができた。城に閉じ込められていた日々より、よっぽどいい。
一週間でリエーヴ王国に到着した。
お気楽な旅も終盤に近づくと、不穏になってくる。壮大な自然から荒れ果てた大地へと景色は様変わりしていた。寒いせいもあるだろうが、緑がない。手入れされず、ほったらかしの農地が目についた。
父王が言っていた食糧難とは本当のことらしい。ボロをまとった農民がフラフラ歩いていたり、農道を歩く人たちには生気がない。ジモンからも、戦後復興がままならぬ現状を聞いた。
「停戦は正しい選択だったと思われます。もともと、国境付近の鉄鉱山を巡っての戦争でしたが、戦いによる消耗に比べたら微々たる利益です」
国を疲弊させた元凶、敵国の王女としてソフィアはこれから嫁入りするわけだ。豪華寝台列車の旅から一転、実家より酷い扱いに変わるかもしれない。
ソフィアは容姿に自信がないし、持参金なし嫁入り道具なしの貧乏姫である。顔を見られたとたん、落胆されてぞんざいに扱われる可能性は高い。
(お互い顔も知らないんだものね)
白髪ゴリラと聞いて、相手の見かけには期待していない。それでも、どういう人物かは気になった。ジモンに聞いてみると、
「閣下は聡明であらせられます。とても真面目で清廉な方でございますよ」
悪いことは言わない。それはそうだろう。自分の国の王弟だ。ソフィアの不安は近づくにつれ、大きくなっていった。
城下町に入っても、活気のない淀んだ空気は変わらなかった。あちらこちらにある壊れた建物が痛々しい。当然、民衆からの厚い歓迎も受けず、暗鬱な気分で城内に入った。
石造りの城は立派だ。そりゃあ、王城なのだから当然よね、とソフィアは思う。生まれ育ったグーリンガムの王城とはちがい、城壁は高く守りに徹した造りである。全体的に角張っており、石の壁も剥き出し。漆喰で白く塗られ、三角屋根の並ぶ実家の城に比べると、厳めしい印象を受ける。
(いや、こっちのほうが何かあったとき守れるし、実用的だけどさぁ……)
ソフィアだって十六の女の子だから、ロマンスを求めたいことだってある。堅牢な城と同じく、自身の色気のないグレーの服を見て、つくづく嫌になった。城壁に同化してしまいそうな色だ。嫁入りではなく、親戚の法事仕様ではないか。お相手も白髪ゴリラだし、ここまで心躍らない結婚は他にないだろう。