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64話 朝

 懸命に祈っていたので、ソフィアは朝の訪れすら気づかなかった。

 知らせを持ってくる兵士の慌ただしい鉄靴の音が近づいてくる。嵐の訪れのような荒々しい足音だ。悪い知らせにちがいない。そう思い、ソフィアは身をこわばらせた。

 隣にいたステラと目を合わせたところ、緊張した顔でうなずいた。手をギュッと握られる。


「いや……いやよ、おばさま。わたくし、わたくし……」

「そばにいるわ。気をしっかり持って」


 教会の格子窓から朝日が差し込んでいた。オレンジ色の光は時間が遡ったのかと錯覚する。ビスコッティを荷馬車に載せていた夕刻、知らせを受ける直前のあの時に──すべてが夢だったらいいのにと、ソフィアは思った。


 速度を上げる心臓の音に足音が迫ってくる。背筋が寒くなる。とうとう、開け放たれた入り口に兵士が立った。兵士が口を開くまえに、ソフィアは耳をふさぎたかった。

 兵士はすぐにソフィアを見つけられず、キョロキョロしたあと、結局あきらめて声を張り上げた。


「王妃殿下にご報告申し上げます! 凱旋です!! リエーヴ軍、凱旋します!!」


 それを聞いて、全身の力が抜けた。ソフィアはステラにもたれかかってしまった。


(が……がいせん……?? 勝ったってこと? 戦いに?)


 言葉を呑み込むまで、少時かかった。どれぐらい放心しただろうか。ソフィアは時間をショートカットした。我に返った時にはもう、教会内の女性たちは抱き合って喜んだり、泣き崩れたりしている。それで、ようやくリヒャルトたちが帰ってくるのだとわかった。


 戦死者は? 陛下は?──これらの質問は口から出るまえに止めた。ソフィアは立ち上がり、自分を探して目を泳がせる兵士に(ねぎら)いの言葉を伝える。ルツに手紙を受け取りに行かせた。足が震えて、立っているのがやっとだったのである。


 兵士が持ってきた手紙には残酷な事実が記されていた。戦死者と負傷者、捕虜の数、それに送ってほしい食料、医薬品……ソフィアはリヒャルトに関する記載がないことに安堵したあと、即座にそのことを恥じた。ここにいる誰かの家族が何人か失われているのだ。


 しかし、戦死者の数は想像以上に少なかった。全体の十パーセントにも満たない。理由は突然、グーリンガム軍が撤退をはじめたからと。


(どういうことなのかしら?)


 兵士の手紙とは別に、ルツが胸元から紙片を取り出した。


「ネズミが知らせてくれましたのじゃが、グーリンガム国内で反乱が起きましたのじゃ。それで、撤退したのかと」


 初耳だった。ソフィアが熱心に祈っている間、ルツは情報収集してくれていたのだ。反乱とは?


「だいぶ以前から、一部の諸侯、聖職者、民の間で不満は溜まっていたようですじゃ。反乱軍は暴徒と化した市民や重税に耐えきれなくなった農奴を率いて、王城を占拠しましたのじゃ」

「なんてこと……」

「国王、王妃は亡命したと聞きます。ルシア殿下、エドアルド殿下は反乱軍に捕らわれたそうですじゃ」


 次々に衣装を作らせ、豪遊を続ける社交好きな母と妹。それに無頓着な父王。各地で飢饉が続いているというのに、なんの対策もしていなかった。飢饉のことでソフィアが進言した際、父王は激怒したのである。女のくせに生意気だと。

 いくら思うところがあっても、あそこにいたら()すすべはなかった。八方塞がりだったのだ。あのまま、グーリンガムにいたらと思うと──ソフィアは身震いした。


「ソフィア様、どうされましたじゃ?」

「いえ……もしリエーヴに嫁入りせず、グーリンガムにいたらと思ったら、怖くなってしまったの」


 ルシアのわがままが通らず、予定通りソフィアがエドアルドと結婚していたら? 今頃、牢の中だ。あとからリヒャルトのほうが良くなったりしたのだから、ルシアにとっては判断ミスだった。彼女は一つだけボタンをかけ違えたのである。それだけでソフィアの人生まで変わった。あの時、ルシアがリエーヴ行きを選んでいたら、今ソフィアが立っている場所にいるのはルシアだったのだろう。

 いい気味だとも、かわいそうだとも思わなかった。


 これから、ソフィアにはやることがたくさんある。リヒャルトが帰還する準備をしなければならない。抱き合って、喜びを分かち合うのはネイリーズ夫妻とだけにした。凱旋の知らせは王都をお祝いモードに変えるだろう。ハメを外した人々が犯罪を起こす可能性もある。王都内の治安を強化しなくては。

 亡くなった遺族への手当ても必要だ。これは議会で取り上げたい。大きな被害を出さず終戦を迎えたため、復興にあてる予定だった資金を使える。内乱状態にある隣国から難民が流れてくる可能性もある。どこまで受け入れるか、こちらも対策を決めておくべきだ。

 一番の課題は、王政が崩壊した隣国と今後どうやって付き合っていくのかということ。良好な関係を築くため、支援をするかもしれない。それ以前に新政権は確立できるのか。秩序が保てない危険な状態では、こちらにまで被害が及ぶ。


(情報がなくては動けないわ。ひとまず、情報収集に注力する)


 ルツが仕入れる情報以外にも、様々な角度から知りたい。すぐにでも、調査隊を派遣するべきだ。


「ソフィア様!」


 即座に行動しようとするソフィアをルツは止めた。


「いけませぬ。昨晩は一睡もされてませんし、夕飯も召し上がってないではないですか?」

「え? 夕飯?」


 そういえば夕方、ビスコッティを食べたきりだ。


「皆様にクッキーを振る舞っておきながら、ソフィア様ご自身はチョコを一口食べたきりですじゃ。そんなことではまた、倒れてしまいます」

「そうよ、ソフィアちゃん。いい加減になさい。まず、なにか食べて充分に睡眠をとらなくては」


 ステラにもたしなめられ、ソフィアは立つ瀬がなくなった。


「でもね、でもね……おばさま、やらなくてはいけないことが……」

「言い訳しない! あなたってば、放っておくと馬車馬みたいに働き続けるんだから。ちょっとは休みなさい! これから働くって言うんなら、承知しないわよ?」


 こうまで言われては、閉口するしかない。ソフィアは大臣に引き継ぎだけして、トボトボと寝室へ帰った。

 

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