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62話 帰還を待ちわびる

 リヒャルトがいなくなってから、ソフィアはがむしゃらに仕事をした。公務で引き継げるものは引き継ぎ、議会にまで顔を出す。できる限り、国王不在の埋め合わせをしたかった。友好国との交流も積極的にする。敵軍が国内に進軍した際の対策会議も開いた。

 退位して公爵となった前国王が調子の良いときは、教えを乞うこともあった。政治も経営もソフィアは初心者だ。知らないことが多すぎる。部屋には難しい本が山積みとなった。かといって、牧場のほうも(おろそ)かにはしたくない。寝る間も惜しんで働いた。


 忙しければ、多少元気でいられる。他のことに気を向けていたかったのだ。そんな生活をひと月続けて、貧血で倒れた。

 不本意である。ベッドの横に立つルツと産婆にさんざん叱られ、一日休養することにした。だが、そのせいで止まっていた思考が動き出してしまった。


 戦地の情報は耳に入っても、あまり考えたくもなかった。どんな内容にせよ、気に病んでしまう。いくら心配しようが、ソフィアにできることは皆無だ。

 国境付近にて、前線は動かず膠着状態が続いていた。小競り合いを繰り返すぐらいで、本格的な合戦には至っていない。にらみ合いがこのまま続くと、持久戦に突入するだろう。

 ソフィアはハタと思いついて、ベッドから飛び起きた。


「どうしましたのじゃ?」


 お目付役のルツが反応する。天蓋付きベッドのカーテンの向こうに、揺れる影が見えた。ルツはソフィアが働かないように、見張っているのだ。


「ねぇ、ルツ。お菓子作りがしたいの。いいでしょう、それぐらい?」

「ソフィア様のことじゃから、また仕事に関係することですじゃろう?」

「いいえ。仕事、ではないわ。ねぇ、お願い……ベッドにいると、悪いことばかり考えてしまうの。気分転換したいのよ」


 ルツはしぶしぶ承諾した。ソフィアは心のなかでペロッと舌を出す。


 工房に入ったソフィアはまず材料を揃えた。小麦粉と砂糖、油、練乳、ココア。シナモンやリキュールは味に変化をつけさせるため。ゴマやコーヒー、ナッツ類も使えるかもしれない。


 まず粉類を混ぜ合わせ、油、練乳を加える。練り上げたら、まとめてちょうどよい大きさに切る。オーブンでじっくり時間をかけて焼いた。水分を飛ばし、カチカチにするのだ。消毒した瓶に密閉すれば一ヶ月以上持つだろう。


 シンプルな堅焼きクッキーとさまざまなフレーバーが楽しめるビスコッティタイプを作った。ビスコッティはかき餅の形に切ったクッキーだ。卵とふくらし粉をプラスする。どちらも、煎餅(せんべい)みたいに硬い保存食である。

 集まってきた職人たちに試食してもらい意見を聞くと、硬いお菓子は大好評。早速、備蓄用の小麦を挽いて大量に作り始めることとなった。菓子職人や料理人総出となり、すべての釜を稼働させる。ちょっとした気分転換が、大仕事になってしまった。

 瓶詰めした物を荷馬車に積みこみ、戦地へ送り出したころには日が落ちていた。


「どこが仕事ではないんですじゃ?」


 荷馬車を見送るソフィアのうしろで、ルツがぼやく。基本、外部の人間は工房に入れないため、ルツは外でヤキモキしていたのだろう。職人たちにとってソフィアは特別である。


「もぅー……怒らないの。わたくしたち用のも取ってあるのよ? 夕飯まえに軽くお茶しましょう?」


 つわりはだいぶ収まってきた。最近のソフィアは食欲旺盛だ。

 ワイン色のハーブティーを入れさせ、寝室で休憩タイムとなった。向かい合うルツは食べ始めると、優しいお婆ちゃんに戻った。老人には硬すぎるビスコッティも、紅茶に浸して柔らかくすれば食べられる。


 ソフィアが手に取ったのは、ココアとアーモンドのビスコッティ。まず、そのままでいく。この硬さがいい。バターのサクサククッキーも最高だが、この石みたいなお菓子は二度楽しむことができる。そのままで食べるのに飽きたら、今度はお茶やコーヒーに浸して食べるのだ。硬さが失われる代わりに風味は倍増する。


「香ばしくって、そのままでも浸しても最高ね! 次はピスタチオ入りのを食べてみようっと。クランベリーやラズベリーも合う!」

「美味でございますじゃ。じゃが、夕飯が食べられなくなりますので、ほどほどに」

「うーん、いろんな味があるから、いくらでもイケちゃう。くるみとシナモン味もおいしい!……また、作らせましょう。小麦の備蓄は少なくなってしまったから、ライ麦粉を混ぜてもいいわね」


 ソフィアは意図的にはしゃいでいるのだった。心の片隅には、いつだって戦地へ行ってしまったリヒャルトがいる。一瞬たりとも忘れたことはなかった。ルツは、そんなソフィアの心情を敏感に察知する。


「ソフィア様、つらい時は吐き出しても、いいのですじゃ。婆でよろしければ、いくらでも拝聴いたします。他で紛らわそうと身体を酷使するのだけは、おやめください」

「ごめんなさい。もう大丈夫よ。あのね、わざと忙しくして考え込みたくないっていうのもあったけど、それだけじゃないの」


 ルツはシワシワの手を、テーブルの上のソフィアの手に重ねた。リヒャルトの大きな手も好きだが、お婆ちゃんの手もソフィアは大好きだ。


「わたくしたちは戦地へ行って、一緒に戦えないでしょう? ただ待つのではなくて、少しでも役に立ちたいのよ」

「ソフィア様は充分お役に立ってますじゃ」

「ううん……そばにいれないぶん、できることはなんでもしてあげたいのよ」


 なにを言ってもムダだと、ルツにはため息をつかれてしまった。ソフィアだって、お腹の子が最優先だということはわかっている。ところが、自分の身体は二の次だ。肉体がつながっている赤ん坊は(かせ)になっているのだった。身重でなければ、ソフィアはもっと無理をしていただろう。


 バニラ味のビスコッティををつまみ、この世界に抹茶やホワイトチョコがあればなぁ……なんてことを考える。これらはまったく不可能な夢でもない。チョコを固めるために必要な牛乳を粉にする技術。これは学匠にがんばって研究してもらう。抹茶の原料となるチャノキは冒険家に探してもらおう。コーヒーやカカオ、バニラだってあったのだ。この世界のどこかにきっとあるはず――そんな妄想を巡らせて、甘いバニラの風味を楽しむ。その日の心配事は夕飯を食べられるか否か、それぐらいで終わるはずだった。

 

 ビスコッティがバリンと割れる音と、ルツがお茶をすする音……穏やかな日常音は切羽詰まった足音と兵士の声によって、止められる。食べかけのビスコッティは床に落ちた。

 ドアの向こうで声を張り上げる兵士は地獄の使いだ。


「王妃殿下にお伝え申し上げます! ただいま、国境にて……」

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