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54話 明転

 一週間後、いともあっさりソフィアは解放された。嫌疑不十分で不起訴。セルペンスが集めていたバニラの苗などの証拠は誤認とされ、採用されなかったという。

 婆やのルツが迎えにきた。


 久しぶりに会う婆やへ、ソフィアが冷たい視線を投げたのには訳がある。

 塔での生活は安心できるものではなかった。リヒャルトはずっとそばにいられず、若い侍女二人と騎士数人が寄越されただけだ。ソフィアは常に情緒不安定で、小さな音にもおびえる日々を過ごしていたのである。


「……で、一週間もわたくしを放っておいて、なにをしていたのかしら?」

「申しわけございませんですじゃ。じゃが、良い知らせがございます。宰相のセルペンスは失脚しましたのじゃ」

「え? まさか、例の横領の件で?」

「ええ。婆の差し上げた証拠が役に立ったのですじゃ」

「その情報集めで、一週間姿を見せなかったってこと?」


 ルツは笑顔で首肯する。ソフィアが解放されたのは、意識を取り戻した国王の働きもあるだろうが、セルペンス一派の力が弱まったことは大きいと思われる。ルツのおかげでまた命拾いした。


「もう……一言、事情を教えてくれたって、よかったじゃない。わたくし、どれだけ心細かったか……」

「本当に申しわけなかったですじゃ。ネズミを通じてソフィア様の様子は把握しておりましたが、紙など残るものに情報を書いては、不用心と思いましての」


 その通りだ。ソフィアがふたたび、敵側の看守の手に落ちたとき、手紙のやり取りが知られてはまずい。ルツは細心の注意を払ってくれたのだろう。ソフィアはルツに抱きつき、老人特有の粉っぽい香りを吸い込んだ。


「ありがとう……ルツ」


 

 詳しい話は部屋に戻ってから、聞くことになった。

 リエーヴに来たばかりのころは気後れした天蓋つきベッド、金縁の鏡台、猫足のソファー、スツール……ソフィアの部屋は連行されるまえと変わらなかった。兵士や検察官が踏み込んだ後とは思えないほど、きれいに片づいている。バニラの苗もそのまま置いてあった。茎が折れている部分は、誰かが口に入れた跡か。


「まず、国王が病床に伏すまえ、一年前から横領は繰り返されてましたのじゃ。実行犯は城の財務担当の古株。セルペンスとは数十年来の懇意ですじゃ」


 ソフィアがベッドに座るのを確認し、ルツは話し始めた。ルツ自身は勧められるまま、スツールに腰掛ける。


「損益計算書と請取状(領収書)を付け合わせていたところ、かなりの金額の請取状が紛失しておりました。一つ一つは少額でも、ちりも積もれば山となりますじゃ。それと、改竄(かいざん)された請取状もありました。購入していない土地を購入していたことになっていたり……だいたい僻地ですな」


 他には発注していないはずの補修工事の領収書や、架空のイベント費用などもあったそう。全部を寄せ集めれば、ゾッとするほどの金額になる。


「セルペンスは、それほどの金額をいったいなんのために……」


 セルペンスは真面目な吝嗇家(りんしょくか)で通っている。社交もそこまで好きではなさそうだし、私腹を肥やすためだけに危険な橋を渡るとは思えなかった。


「聞いて驚くなかれ。横領された金はグーリンガムに渡ってましたのじゃ」

「ふぁっっ!!」


 ソフィアは絶句した。これが驚かずにいられようか。あの悪宰相とソフィアの実家が裏でつながっていたとは! ルツは考える猶予をくれず、話を続けた。


「主犯はさきほど申した古株の財務担当とその部下二人、それと財務大臣ですじゃ」

「だっ、大臣っ!? 大臣まで関わっていたの!?」

「ええ。セルペンスと一緒に罷免(ひめん)されましたのじゃ」


 これでは個人の犯行ではなく、陰謀めいた組織犯罪ではないか。それも、隣国が絡んでいる。


「以前お伝えしたとおり、横領に関わった人間の証言や証拠集めに時間がかかりましたのじゃ。物証として有効なのは、改竄かいざんされた請取状ぐらいのもので、それも財務担当個人のせいにされてしまうところじゃったのです。決定打となったのは、両替商の存在でした」


 両替商というのは、この世界で銀行の役割を果たしている。高額や遠距離間の取引には為替を発行した。横領した金をグーリンガムへ流すにあたって、この両替商を利用したと思われる。


「ソフィア様を頼ってやってきたグーリンガムの学匠のなかに、財務部の者がいたのはご存知ですじゃ? リエーヴから裏で資金が渡っていたことは、彼の証言で明るみになりましたのじゃ。そして、仲介に入っていた両替商の協力を得て、ようやく告発することができましたのじゃ」


 金融業というのは信用第一だ。不当な金の受け渡しに関わっていたとなれば、一大事だろう。こういう時、かたくなに覆い隠そうとするか、明るみに出して捜査協力するかのどちらかである。この両替商は後者を選んだ。

 ソフィアは怒涛のような驚きの連続に混乱しつつも、冷静になろうと努力した。セルペンスの摘発は影で捜査してくれたルツはもちろん、学匠たちが奮闘してくれたおかげだ。あと、リヒャルトが統括してくれたのは言わずともわかる。


「議会にて、セルペンスと財務大臣に証拠を突きつけたのはラングルト閣下ですじゃ。本当は反逆罪で訴えてもいいぐらいじゃったが、早い解決を優先されました」

「わたくしのためでしょう?」


 ルツはうなずいた。セルペンスたちの罪を追求することより、ソフィアを救うため、リヒャルトは彼らを追い出すことにしたのだ。

 ソフィアのショックを感づいてか、ルツがフォローする。


「どのみち、開戦してしまった今の状況で内紛は悪影響を与えますのじゃ。今は国民の信用を失う情報を公にするべきではないと、判断されたのじゃと思います」

「でも、いずれ知られるでしょう」

「ええ。じゃが、明るみになる時機は大切ですじゃ」


 ソフィアが一番腑に落ちなかったのは、セルペンスの動機だった。グーリンガムで重用されることを望んでいたのだろうか? 彼が何をしたくて、何のためにしたことなのか、ソフィアは気になった。

 こういう時、ルツはいつだって先読みしてくれる。ソフィアの疑問に答えてくれた。


「これは婆の勝手な憶測ですが、セルペンスは戦争を防ぐために、動いていたと思いますじゃ。グーリンガムへの資金援助は議会で通りません。裏で取引することにより、牽制していたのじゃと思われます」

「嫌な感じの人だけど、欲深ではないものね……彼が国のために動いていたとしたら、わたくしのせいで、全部台無しにしてしまったわ」

「どうか、お気に病まれぬよう。婆がこの評価に至ったのには、理由がありますのじゃ……」


 次のルツの言葉を聞いたあと、ソフィアはいても立ってもいられなくなり、部屋を飛び出していた。


 なぜ? どうして? 自己を犠牲にしてまで、国に尽くす理由がわからない。


 ソフィアは城門へと走った。従者も連れず、身一つだ。突然、鉄砲玉のごとく出て行ってしまったから、ルツはさぞ心配していることだろう。慌てて追いかけて、階段を踏み外したりしていないか心配だ。

 この突発的行動はセルペンスが城を出て行くところだと、聞いたからである。罷免されたセルペンスが城門をくぐったら、もう二度と戻ることはないだろう。


 ──セルペンスは議会で断罪される直前、ソフィア様に対する訴訟を全部取り下げさせました。ソフィア様が自由の身になれるよう、計らいましたのじゃ


 ソフィアは国より愛を選んでしまった。ソフィアの存在が国同士の不和につながり、戦争を引き起こしたといっても過言ではない。リヒャルトの愛を退け、ルシアの思うようにさせていたら? ルシアにリヒャルトを譲り、ソフィアはみじめにグーリンガムへ帰る。そうすれば、戦争にはならなかっただろう。苦しむのはソフィアだけで済む。以前と同様、ソフィアは追いやられ奪われる。それでも、多くの命が救われるのだ。


 セルペンスは罪を犯してまで、戦争を阻止しようとした。その彼がソフィアを救った意味とは? ソフィアは大嫌いな天敵に尋ねたかった。その真意を。

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